第56話 理想の兄
ライ・フィッツベルグは毎週金曜日の夜にフィッツベルグの館に帰ってくる。
土曜日に帰ってくる姪のシェルリンについて使用人たちに聞き込みをしたり、今後シェルリンが知っていなければならないことを洗い出すためだ。
「ゼルダン、バルデロイ様から何かないか?」
「いいえ」
ゼルダンが力なく首を振る。
シェルリンがモンクレージュ学園の奉仕活動で東の孤児院へ行くことを報告したのは二か月前、シェルリンが事件に巻き込まれ、怪我をしたことを報告したのは一か月前。夏休みはどうするのかとお伺いを立てたのは二週間前。
バルデロイからの返事はない。
ゼルダンが直接会えるときは、口頭で聞いてくれるのだが「フィッツベルグ家の恥にならぬように」と適当な回答しか返ってこない。
記憶を失い、治安の悪い東の地区に行くことになり、事件に巻き込まれ、傷を負った実の娘にかける言葉だろうか。
自分も愛があふれる家庭ですごした経験がないライには、家族というものががどんなものなのか想像がつかない。
それでもこの家族が異常なのはわかる。
バルデロイ様もケイシーヌ様も……一体シェルリンの何が気に入らないんだ。
「なんとなく予想はできているけどさ、シェルリンはいつもどうやって夏を過ごしていたんだい?」
話題を変えたくて、もうすぐやってくる夏休みの話をゼルダンに振った。
「お嬢様の毎日は、最初にお伝えした通りでございます。家庭教師による授業とその予習、復習、宿題の毎日。それは夏であろうと、冬であろうと、年末年始であろうと一緒でございます」
「やっぱりそうか……」
想像通りでげんなりする。
これが普通の家族なのか? これが普通の夏の過ごし方なのだろうか。
俺が夢見ていた家族は……とふいにフィッツベルグ領の片隅にひっそりと立てられたあの家を思い出す。
時々しか来ないバルデロイの父ディルロイに幼いライが言った。
「お父さん!」
村で自分の父親のことをそう呼んでいる子供を見た。
その時嬉しそうな顔をして抱き上げる父親を見て、ライもディルロイのことをそう呼んでみようと思った。
むしろなんで今まで呼ばなかったのだろうと不思議に思っていたくらいだ。
もし自分がディルロイを「お父さん」と呼んだなら、いつもは厳しいあのディルロイも、きっとあの子の父親のように嬉しそうに自分を抱き上げてくれるかもしれない、夜になっても帰らず一緒にいてくれるかもしれないとそう思った。
ディルロイから長々と自分の出生について聞かされるなんて思ってもみなかった。
まさか自分の父が国王で、自分の不吉な黒髪のせいで捨てられたとは思ってもみなかった。
その日から幼いライは考えるようになった。
家族ってどんなものかな。父親ってどんな人かな。
ディルロイが帰って、通いの家政婦のようになっていた乳母も帰ると、ライは一人でずっと考えていた。
ユリウスの存在を知ったのもその頃だ。
誕生日の度に国中からお祝いされるユリウスを見て、自分の髪の色さえ違えば、こんなところに一人ぼっちではなかったのにと思ったりもした。
でも同時に自分はユリウスの兄なのだという事実に気がついてからは、ライの考えることがまた一つ増えた。
お兄ちゃんっていうのは、どんな人かな。
もしも……万が一……本当の両親が自分のことを迎えにきたらとあり得ないことを考えては、自分はお兄ちゃんなのだからユリウスに会った時にはちゃんとお兄ちゃんとして恥ずかしくないようにしなければと決意した。
そんなことあるはずがないのに。
寝る前にお兄ちゃんというものに思いを馳せる。
「きっとお兄ちゃんっていうのは、頼りになる奴だよな。なんでも教えてあげないといけないんだ。弟が困っている時は助けに駆け付ける。うん、うん。きっとそうだ」
そんな独り言を一人っきりの家の中でつぶやいていた。
「ライ様」
ゼルダンが、不意に黙ったライを心配そうに見ていた。
ふっと昔の自分を思い出して笑いが出た。
あの時ユリウスの兄になるために考えた理想の兄を今シェルリンの兄として演じているのがおかしくなったからだ。
「ゼルダン。聞いてもいいかな。私がシェルリンをフィッツベルグ領へ連れて行くのは、やはり反対かな?」
ゼルダンは少し驚いたように目を見開いた。
「もちろんです。婚姻前の男女がご旅行なんて」
そう言われるのは分かっていた。でも……昔考えた理想の兄ならば、妹にはもっといろんなことを教えたいと思うだろうなと思って聞いてみただけだ。
記憶を失う前のシェルリンの話ぶりやゼルダンの話を聞く限り、王都のこともあまりよく知らないみたいだったから、王都観光してあげるのもいいかな。
「ですが、ご兄弟ならいいのではありませんか」
ゼルダンが付け加えた言葉に、今度はこちらが驚く。
「忘れているかもしれないが、私は」
「シェルリン様のお兄様ですよね?」
ゼルダンの圧が強い。
ちゃんと兄として連れて行くんだぞ! という釘差しにも思える。
「私どもだって、お嬢様に夏を楽しんでほしいのです。毎年のように勉強で終わるのではなく、楽しい思い出を……」
「そうだな。これからは楽しい思い出が増えるように気に掛けるよ。兄としてね」
ゼルダンはライの最後の言葉を聞いて、大きく頷いた。
こんばんは。
長い夏休みをいただきました。
シェルリンもこれからちょうど夏休みです!




