第51話 思い出す者
あり得ない……トビアスは思った。
シェルリンの「青い」という言葉を聞いて、もしかしたら高魔力症かもしれないと思い、魔力試験紙を妊婦のお腹に置いてみた。
魔力試験紙は、魔力があるかどうか図るための簡易の試験紙で、魔力がなければ赤いまま、魔力を感知すればするほど全体が青へと変わる。
ものの見事に魔力試験紙は真っ青になった。
魔力量の大きな子が生まれやすい高位貴族の出産では、この試験紙を使うことも多い。
貴族は生まれてくる赤子の魔力量を知りたいものだからだ。
でもここは東の孤児院で、高位貴族の家ではない。
だからトビアスは、初めからこの試験紙を使う予定はなかった。
ただいつものかばんに、念のため入れてあるだけだ。
たとえ父親の魔力量が多くても、母親がゼロならば、その子は魔力がゼロかかなり少ないことがすでに研究で分かっている。
モンクレージュ学園に在籍しているアメリア・モラダのように少ない魔力で生まれた赤子が成長と共に魔力量を上げるなんてことは、世紀の大発見とでも言っても差し支えないほど稀なことなのだ。
そもそも赤子の時から真っ青になるほどの魔力をもっているなんて、貴族でも稀だというのに。
――青い
再びシェルリンの言葉を思い出す。
それくらい稀な事象に彼女は……なぜシェルリンは気がついた? とっさに彼女に話した魔力の色を思い出し、魔力試験紙を使ったが、普通魔力なんて見えるものではない。
青いというあの言葉は、何かが見えたから言ったのだろう。
何かとはなんだと改めて考えても、トビアスには魔力を見たのだとしか思えなかった。
なぜ彼女は見えるのだろうか?
そんなことつらつらと考えながら思い出すのは、昔弟が話してくれた魔法の存在だ。
残念なことに弟には魔力が全くなかった。
貴族の父、貴族の母の息子だというのに全くのゼロだった。
同じ父と母を持つトビアスは魔力を持っていたので、弟が魔力を持っていないと知った時の家族の衝撃は大きかった。
大人になった今も魔力なしの貴族なんてトビアスは弟以外に聞いたことも見たこともない。
だから今は両親が受けた衝撃の大きさ、絶望の深さがよくわかる。
父と母は常識ある大人だったが、それでも魔力なしの息子を受け入れられなかったのか「どうして貴方だけないのかしら」などと事あるごとに言った。
その意味が分かって来てからの弟は一人焦っていたように思う。
トビアス自身も魔力のない弟とどう接すれば良いかわからなかった。
その頃トビアスはモンクレージュ学園入学直前で、家庭教師と一緒に魔術の猛勉強の日々。
座学は幸いなことにさほど苦労しなかったが、魔力量が比較的多かったトビアスは、その豊富な魔力を扱うのが苦手だったのだ。
そんな魔術漬けの日々を送っているトビアスと魔力のない弟が共通で話せる話題があるはずもなく、二人は年を経るごとに話さなくなった。
弟の前で両親に魔術の話をするわけにもいかないので、あの頃屋敷はいつもシーンと静まり返っていた。
トビアスの魔力量が多いのも、トビアスの罪悪感の元だった。
使用人たちは影で言っていた。
トビアスが全ての魔力を受け継いでしまったから、弟は魔力なしなのだと。
弟が家を出たのは、ちょうど今頃、建国月間の時だ。
トビアスは既に入学していて、弟は次の春に入学予定だった。
トビアスは今でもいなくなる一ヶ月前の弟との会話を覚えている。
「トビアス兄様、私も魔術が使えるかもしれません」
口数が少なくなっていた弟から話しかけられるのは、久しぶりだった。
だが内容があまりに悪く、なんとして言葉をかけるべきかトビアスは迷った。
「魔力は、体の中にあるだけではないんですよ。目には見えないですが、そこここに存在しているんです。その魔力を扱えれば……」
あまりに痛々しくて、「やめよう」と遮った。
「魔力が後から増えることはある。だが、ゼロから魔術を使えるほどに増えることはないんだ。だから平民たちは魔術を使えない。知っているだろう?」
なるべく刺激しないように話したつもりだった。
だが弟は拳をぐっと握りしめて、キッと挑むようにトビアスを見た。
「トビアス兄様、今は信じられなくてもいつかきっとわかります。この世で起こりえない不思議なこと……私が魔法を見せますから。きっと」
弟は、その会話の一か月後いなくなった。
今トビアスはフロルの腕の怪我を治した魔術師の存在を聞いた。同じ魔術師に治癒してもらったという高魔力症の平民の妊婦を見た。
どちらもあり得ないことだ。
そしてもう一つ、魔力を見るのもまたあり得ない。
フロルの腕を治したのは、サラサラとした髪の人だという。
弟もそうだった……。
髪質だけで断定はできないが……これが、これが弟の言う魔法なのか。
ならばフロルを治したのは……レイ……お前なのか。
◇
フロルの件から調べていた怪我を治せる魔術師。
証言から魔術師は男性だ。
髪は青か黒でサラサラの直毛。
彼は、魔術で怪我を治すことができ、自在に魔術による立ち入り禁止区域に出入りできることから、魔術の扱いがとても上手……いや上手という言葉すら当てはまらないほど卓越した技術を持つと思われる。
治癒にどれほどの魔力が必要なのかはわからないが、おそらく魔力量も膨大なのだろう。
ユリウスははぁーっと溜息を吐いた。
先日見た妊婦。トビアスによれば高魔力症なのだそうだ。
高魔力症なんてほとんど見られない症例だ。
比較的魔力の多い王族、または高位の貴族にだってほとんどいない。
それなのに孤児院にいるだと?
それほどの魔力の持ち主ならば、どこの貴族も手に入れようと躍起になるだろう。
王家が先に保護、監督すべきではないか?
そう思い、妊婦を城の医療塔に連れ帰った。
妊婦が言う赤子の父親は、高魔力症と聞いてあっさり母子を捨てた。
彼は普通の平民だった。
浮気していなければ、魔力が宿るわけがないだろというわけだ。
妊婦は泣き叫び、これは何かの間違いだ、浮気などしていないと言い募ったが、信じてもらえることはなかった。
それから少し日が経ち、妊婦は今は落ち着き、逆に「あの甲斐性なし」とののしるまでに復活した。
今、ユリウスはこの件を父である王に報告すべきかどうか迷っていた。
妊婦の証言が正しいとするならば、この高魔力症はきっとあの魔術師が絡んでいる。
自在に魔力を持つ子を得られるとなったら、少なからず既存の貴族制度に影響があるだろう。王に報告すべきことはわかっている。
もし、この赤子の高魔力症が魔術師と関係がなかったとしても、フロルの怪我の治癒の件だけでも、報告すべき案件だ。
けれどユリウスはなかなか報告する気になれない。
魔術師は、青か黒の髪……。
黒は不吉な色だ。
膨大な魔力を持ち、国をほろぼす魔王の器が持つ色だ。
それは由緒正しい貴族ならば誰でも知っていること。
そして、王家はもう一つ知っている。
その色の髪を持つ者がすでにいることを。
オルトライ・ロイアルマ。
知られざる第一王子。ユリウスが物心つく前に死んだと言われる兄で、真の第一王子。
まだ生きていたのなら彼が王になり、ユリウスは彼を支えて生きることになっていたであろう。
一度、たった一度父が漏らした話によればオルトライの髪は黒だったという。
もう死んだ者の話。だから関係ない。
そう思うのに、どうしてもオルトライの名前がチラつく。出生も知られず、死んだオルトライ。
もし生きて、常識ではありえぬ治癒を施したあの魔術師になっていたとしたら……彼は恨んでいるのだろうか。自分の人生を生きられなかったことを。




