第47話 惚れ薬
シェルリンが建国の祝いに東の孤児院に行くと聞いて、迷わず自分も行くと答えた。
東の孤児院は治安が悪い場所にあり、シェルリンは前回の訪問時に暴徒に襲われている。助けが間に合って事なきを得たようだが、そんな場所にもう一度シェルリンがいくというのが、ユリウスには耐えられなかったからだ。
ユリウスは襲われたと聞いたときのことを思い出す。
心臓が凍り付いたかと思った。
あの事件の後、国は地区全体を立ち入り禁止地区とし、中からは出られないよう、外からも入れないようにして、一つ一つしらみつぶしに調べた。
何人もの魔術師を使ったこんな大規模な魔術を使うのは久しぶりで、今他国に攻め入られたら守りが薄いなと父は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
調査の結果は、地区の大部分は貧しい故の物取りなどの経験はあっても、悪質な犯罪には関わっていない者ばかりだった。
だが彼らは東地区での生活を守るためか、一部の悪質な犯罪者を匿った。
毎日毎日騎士と住民がぶつかり合い、随分と東地区の人口は減ったという。
今、東地区に残っているのは、騎士と住民の抗争に巻き込まれぬよう息をひそめて立ち入り禁止が解除されるのを待っていた者だけだ。
そうやって息をひそめていたものの多くは、孤児院に逃げ込んでいた。
そこが東地区で唯一多くの人を収容できる建物であり、孤児院側も騎士たちに友好的だったので、避難所のように機能していたためだ。
だから今から行く孤児院は、立ち入り禁止期間中も無事であったはずだ。
ガタゴトと揺れながら、ユリウスは初めて東地区に立ち入った。
馬車の揺れから、ここら辺の道路は王都の他の場所のようにきれいに舗装されていないのが分かる。
シェルリンが窓から外を見た。その後ろからユリウスも外を窺った。
誰一人道に出ず、息をひそめている。
そんな感じがした。
つい先日まで毎日毎日騎士と住民の戦いが繰り広げられていたのだ。ここに住む人たちは騎士の姿などもう見たくないだろう。
道や家々も、思っていた以上に綺麗だった。
まるで戦いの痕跡をまるっと全て消し去ったかのようだ。
ここで何があったかを知っているユリウスには、そうにしか見えなかった。
孤児院が見えてきた。
もともと教会だったという東の孤児院。
戦いの最中、避難所となっていた孤児院。一体どれだけの人がここに逃げ込み、どんな生活をしていたのだろうか。
「これが東の孤児院か」
感慨深く、つい言葉を漏らす。
初めて来た場所だというのに、何か重苦しい気分がするのは立ち入り禁止期間中に何があったか知っているからだろうか。
ユリウスは……王子だ。ただ一人の王子だ。
シェルリンが心配で東の地区に来たが、それだけではない。
国が行ったことの結末を見たかった。
ついこの間までここ東の地区は逃げ場のない戦場だったのだ。
ユリウスの父が、いや王がここを徹底的に調べたことに異論はない。
実際ずっと手を焼いていた犯罪組織の拠点を潰すことができた。
でもここに住む人たちにとっては良かったことだったのだろうか。
騎士とぶつかり合う住民の存在を聞けば、彼らにとってははた迷惑なことだったのだろうかとも思ってしまう。
その反対に、より良い国にしようと頑張っているのに、なぜわからないのだとも思うのだが。
孤児院の門が開かれる。
さて、ここでは私はきっと針の筵だなとユリウスは心の中で息を吐いた。
門を潜り抜けて驚いた。
内側の塀が色とりどりに塗られている。
何もないがらんとした前庭は、何もないがよく掃き清められていた。
子供たちが走ってくる。
騎士を見ても、怖がるそぶりはない。
ユリウスが王子だと紹介されても、ふーんそうかという感じである。
想像していた悲惨さも憎しみも、子供たちからは感じなかった。
心の中でほっと息をついた。
孤児院の建物内ではトビアスによる健康診断が行われ、ユリウスたちは自由に前庭を歩き回った。
途中からテーブルを外へ出したり、建国祝いの準備が始まる。
ユリウスも一緒に手伝っていると、ふとシェルリンがいないことに気がついた。
周囲に聞けば、トビアスの元に健康診断希望者を連れて行っているのだとか。
チラチラと孤児院の入り口を見るが、シェルリンはなかなか出てこなかった。
子供たちが話している声が聞こえる。
「フロルさん治ったんじゃないの?」
「そうやけど、一応見てもらった方がええやんけ」
何が……というわけじゃない。
けれど、その言葉を聞いた瞬間になぜか心がざわめいた。
気になって、建物内へ急ぐ。
――シェルリンさん。フロルさんの今の話は忘れなさい。これは私が対処しますから
扉の向こうからトビアスの声が聞こえる。
はい。と返事をするシェルリンの声も。
何が……。
扉を開けて問いただすことはせず、さっきの子供たちの所に戻った。
子供たちと共にフロルがいる。
「健康診断どうでした?」
笑顔を浮かべ、何気なく声をかける。
子供たちが「この人王子なんだよ~」というので、フロルは緊張してしまって、つまりながらも問題がなかったことを話した。
子供たちはさっき治ったと言っていた。
ということは、この者は怪我か病に侵されていたはずだ。
そう当たりをつけて、「結構ひどかったのですか?」とぼかして尋ねる。
相手がユリウスということもあったのだろう。
フロルは緊張しながらも、懸命に話してくれた。
立ち入り禁止期間中の戦いの最中、ひどい怪我をしたこと。通りすがりの人が魔術を用いて治してくれたこと。
名前を聞きそびれたこと、お礼を言いたいこと……。
聞きながら背中にたらりと汗が出る。
思い出すのは、数日前に聞いた話だった。
話があると言って呼び出された王宮。
人払いがされ、王である父と王子である自分の二人っきりになった部屋。
何かが違うとそう思った。
父と息子。そう考えれば、親子二人でいることに何の疑問があるのかと思うが、ユリウスは王子で、父は王。
いつだって、誰かが周りにいた。
人払いがされた一室で、父が言う。
「東地区で捕まえた犯罪者たちは今、個別に取り調べをかけている。分かっている犯罪だけではない、他の罪もいづれ明るみに出るだろう」
「そうですか」
こんなことを言うために、わざわざ人払いをしたのだろうか。
声色に、顔色に疑問が浮かんでいたのだろう。
「もう一つ気になる報告がある。高額で……ある品物が取引されていたというのだ」
「武器……もしくは奴隷でしょうか」
「いや……それらよりもずっと高い」
だとしたら、情報だろうか。
いや暗殺請負とかか?
けれど、どれもわざわざ父が人払いをして話す話だとは思えず、聞いた。
「それは、なんなのでしょう」
「惚れ薬だ」
「へ?」
あまりに意外なもので素っ頓狂な声が出た。
惚れ薬は昔から販売されている。
いや、正確に言うと惚れ薬と銘打って販売されている商品は昔からある。
けれど、それらはさほど高額ではないし、少しアルコールが入っていたり、滋養強壮の強い植物が配合されているくらいで、実際に惚れさせる効果はない。
当たるか当たらないかわからぬまじないのような、お守りのような、勇気づけのようなものだ。
だから別に違法でも何でもない。
「父上、それを話しに人払いを?」
「わからんか? 惚れ薬一つにあり得ない額がついていた理由が」
父は用意されていたブランデーのグラスを掲げて、目を細める。
「もしかしたら惚れ薬というのは、何かの暗号で別の何かを指すのかもしれん。いやそうである場合が普通だろう。だがこうも思う。これは、本物なのではないか? 本物だからこそこれほどの高値がついているのでは?」
「それはあり得ませんよ。医学的に誰か特定の人を惚れさせるなんて効能を持つ何かはないわけですし、人の精神や体にかけられる魔術だってありません。きっと何か別の暗号ですよ」
目を細めてみていたブランデーに口をつけ、父はそうかもなとつぶやいた。
「だがそうでないかもしれん。かなり高価な薬だ。平民が意中の人を振り向かせるのに使うことはないだろう。貴族どもだって、ただただ純粋に好きな人に使うには少々高すぎる。まぁ、愛だの恋だのに生きている人間はなりふり構わんからな。もしかしたらあるかもしれん。だがな、一番可能性があるのは、やはり自分の利を追求するためだとは思わんか」
父の言いたいことは分かった。
王である父、王子であるユリウスはもしも惚れ薬が本物なら狙われる確率が高いと言っているのだ。
「父上の言いたいことは分かりました。しっかり気を付けるので安心してください」
本物の惚れ薬なんてあるわけない。
そう思いながら、中身のない慰めの言葉を口にした。
フロルが去る。
まだ少し、寒気がする。
病気を治す、怪我を治す、精神に作用する……そんな魔術はない。
ないはずだ。
ならばフロルはなんなのだ。
言いようもない不安を抱えながら、時間は過ぎていく。
いつの間にかシェルリンも戻り、紙芝居というものもみた。
それでも頭の中を占めるのは、魔術で怪我を治したフロルと父の言葉ばかり。
――だがな、一番可能性があるのは、やはり自分の利を追求するためだとは思わんか
惚れ薬を飲んだら、自分はどうなってしまうのだろう。
好きでもない人を好きと言う。
それは幸せなのか。
国を破滅する決定を下すかもしれない。
愛する……いや自分の意志とは別に愛してしまう者の為に。
そんな未来、到底受け入れられるわけがない。
いつの間にか食事の用意が出来ている。
自分でパンに具材を乗せてサンドイッチを作るらしい。
「ふふ。なんだか私たちも楽しいですわね」
ミランダという女生徒が言う。
「あぁ、わかる。いつもはすべて用意されているからな」
自然な調子で話を合わせながら、頭の中はまだ惚れ薬のことでいっぱいだ。
こうやって自分で食事を作れば、薬が混入する可能性は下がるな、などと考えた。
毒見役が端を切って食べる。
その様子を見て、ふと思う。
食事に入れられていたとしても、どうやって対象を絞る?
この毒見役の男が惚れ薬を食べてしまったらどうなるのだ?
例えば最初に見た人とかか?
毒見を知らない子供から毒見役が怒られている。
いいな。
そう思った。
この子は確かに辛い境遇で、これからもたくさんの困難があるのだろう。
それでも、惚れ薬の心配をする人生じゃない。
続くフルーツサンド。
食いしん坊だと思われた毒見に子供たちがサンドイッチの端を差し出す。
頭の中は不安が渦巻いているというのに、この空気を壊さないように気をつけながら、毒見役の口にサンドイッチの端を押し付けた。
「では、私も」
シェルリンの声が聞こえた。
見ればシェルリンがフルーツサンドを持って毒見役の男に近づいている。
その瞬間、何かがぷつんと切れたようだった。
先ほどまでの不安も消え去って、勝手に身体が動いた。
シェルリンの手からフルーツサンドを奪う。
口の中に甘いクリームの味が広がった。
あぁ、惚れ薬が入っているならこれに入っていればいいのに。
唐突にそう思った。
◇作者からのお知らせ◇
いつも『面倒なので忘れますわ!』を読みに来てくださりありがとうございます。
先週お知らせしました新作『名ばかり聖女の覚醒~聖女は生贄なんて聞いてません』が4月24日より公開されています。
全78話の物語。
もうすぐゴールデンウィーク。
何を読もうかなと悩んでいる方、せっかくの休みは、がっつり読書予定ですという方がいらっしゃいましたら、名ばかり聖女もゴールデンウイーク中は複数投稿しますので、読みに来ていただけると嬉しいです。
最後に、ちょっとした試みに新作『名ばかり聖女の覚醒』を語り部風に紹介して、このあとがきを終えたいと思います。
------
ずっとずっと昔の話だ。
ある日この国は闇に包まれた。
闇の中で人々は来る日も来る日も光さす日常を追い求めた。
そんな時にもたらされた一つの予言。
輝くばかりの金の髪を持つ少女が闇を晴らすだろう。
その予言に人々は夢を見た。
予言の通りの少女が生まれると、少女は聖女となり、神殿の奥で大切に育てられた。
これから先のことは、『名ばかり聖女の覚醒』という物語に伝わっている。
名ばかり聖女とはひどい言いようだと思うだろう。
だが、これは決して間違いではない。
彼女は頭がことさら良いわけでも、力が強いわけでもなかった。ものすごい能力に目覚めていたわけでもなかったし、しかも、世間知らずだった。
彼女にあったのは、予言と同じ金色の髪の毛だけだったのだ。
これは、そんな名ばかり聖女が一度は逃げ出した聖女の役目と向き合う話であり、一人の少女を助けたいと願う少年の話でもある。
もしくは、二人の英雄が互いに救い合う……そんな話だ。
もしもここまで読んで、少しでも何か惹かれるものがあった人は是非、南の月の作者ページから『名ばかり聖女の覚醒』を開き、1話目を読んでほしい。
きっと最後はよかったと思ってもらえると思う。いや、そう願っている。
-----
以上、名ばかり聖女の紹介でした。
では、また来週に。




