36.『まぐまぐ亭』へ帰ろう
「オルカさん!!私とお付き合いしていただけないでしょうか!!」
不意の訪問者は開口一番そんなことを言ってきた。
一体何が起こっているのか理解が追い付かない。
助けを求めて横目でミリカさんを見やるが、彼女もまた困惑の表情を浮かべていた。
「え……と。一体どうしたんですかヴァネッサさん。バーンさんは?」
俺がそう言って彼女の夫の姿を探す。
そのタイミングでヴァネッサさんが開け放ったドアの向こうにぬらりとバーンさんが現れる。
彼は血走った目で俺の事を睨みつけて来ていた。
模擬戦を行う前とはまるで別人のような形相。
温厚で芯の硬さを感じさせた彼はそこには居なかった。
「オルカさん。私はあなたの技術力の高さ、そしてお人柄に惹かれました。私を弟子にしていただけませんか?そしてゆくゆくは人生のパートナーとして生涯を共に過ごさせてください!!」
「ちょっと待った!!」
困惑を深める俺への助け舟は予想外な所から来てくれた。
ベッドから飛び降りたイリアナが俺とヴァネッサさんの間に割り込み、両手を広げて俺を護るように立ちふさがる。
いや、年下の女の子に守られている構図はなんとも言い難いものがあるが、状況が良く呑み込めていないので黙っておくことにする。
「ヴァネッサさんには旦那さんがいるじゃない!!いったいどういうつもりなの!?」
そうそう、今もドアの外から凄い形相でこちらを睨んでいるバーンさんと言う旦那さんが居るのだ。
まさか彼と別れて?
一瞬、変な予想が頭をよぎったが、そう言う事ではなかったようだ。
ヴァネッサさんが少し真剣な口調で、俺をはっきりと見据えて説明してくれた。
「他言無用に願いたいのですが、実は彼と私は夫婦ではありません。私の男除けの為に夫婦を演じていましたが、彼は私の実の兄です。」
思わず俺はバーンさんを見た。
彼は無言で頷き、肯定の意を示す。
あ、口から血が出てきた。
歯を食いしばっているようなので歯茎が臨界を超えたのだろう。
そして夫婦を演じていた理由もまぁ分かる。
ヴァネッサさんは、誤解を恐れずに言えば非常に男ウケする容姿をしている。
この人が独身という事であればいい寄ってくる男は後を絶たないだろう。
「うぅ……で、でもオルカさんは渡さないよ!!」
「む。貴女まさか……」
イリアナはヴァネッサさんとバーンさんが夫婦で無いと分かってもなお俺を護るように立ちふさがったままだ。
今『黎明の光』に正式に加入した俺を横取りされるのを恐れているようだ。
状況も分かって来たしそろそろ事態の収拾を図らねばならんな。
俺はイリアナの肩に手を置く。
「ヴァネッサさん。申し訳ないが俺は今『黎明の光』として彼女たちを成長させることに集中したい。申し訳ないが、弟子の話は受けられない。」
はっきりと断りの言葉を紡ぐ。
こういう話ははっきりとした態度を取ることがお互いにとっていい結果を生むことを経験上知っている。
「で、ではお付き合いの方はいかがでしょう。私の事をお嫌いでないのならお試しでも!!お尽くしいたします!!」
あれ?
弟子の話はいいの?
あ、バーンさんがなんかガタガタ震え出した。
そりゃ今まで守ってきた実の妹がわけのわからん男に尽くすとか言ってる様を見るのは耐えられるものではないよな。
「だ、ダメだよ!!それもダメ!!」
イリアナも必死に抵抗している。
なんで?
「はーっはっはっは!!まさかギルド内で迷う事になるなんてな!!オルカ!!様子を見に……来て……」
ここでまさかのグレゴリオ登場。
いつもの調子で部屋に入るや否や剣呑な雰囲気を察して声がしりすぼみになる。
「ど、どうやらタイミングが悪かったようだな!!では俺は失礼する!!」
「逃げんなコラ!!」
俺だって逃げだしたいんだ!!
お前も仲間になれ!!
俺はフーっと長く息を吐く。
「ヴァネッサさん。申し訳ないけどお付き合いも出来ません。貴女が嫌いという訳ではありません。ただ、俺はあなたの事をよく知りませんし、貴方もそうでしょう?気持ちは嬉しいですが、そういう気持ちを俺は持てません。」
これもはっきりと伝える。
ヴァネッサさんは少し肩を落としたが、しかしすぐに立ち直る。
「……本当に誠実なのですね。分かりました。今は諦めます。ですが、可能性が無いわけではないと私は取りましたよ?弟子の件もまだ諦めません。しばらくは『戦車騎士団』にお世話になるつもりですので、これからよろしくお願いしますわ。」
そう言ってヴァネッサさんはにっこりと微笑む。
その表情は大抵の男の心を鷲掴みにするような魅力的な笑顔だったが、何故か俺の背筋には冷たいものが流れる。
「オルカ君。私からも……君がヴァネッサに本当に相応しい人物か、これからしっかりと確認させてもらう事にするよ。是非これからも仲良くしてほしい。」
今度はバーンさんがそう言ってくる。
その眼は真っ赤で、口の端から血が滴っているところも併せて傍目には魔物のようになっている。
控えめに言ってめちゃくちゃ怖い。
「あ、ああ。『戦車騎士団』とは共同戦線を張ることもあるだろうし、こちらからもよろしくお願いします。」
状況は飲み込めていないが厄介なことに巻き込まれてることを察知したグレゴリオがあたふたしている。
だがもう遅い。
諦めろ。
「では私達はこれで。お騒がせして申し訳ありません。」
そう言って一礼をして部屋を出て行く一同。
ドアを閉める直前、ヴァネッサさんは振り返ってイリアナへ一言。
「負けませんよ?イリアナさん。」
それだけ言ってドアが締められる。
最後の一言はイリアナをライバルとして扱ったものだろう。
対象が多くて俺には絞れ切れないが……まさかな。
「ふー。なんか模擬戦より疲れたかも。」
「それ分かるわ。」
俺がそう同意するとイリアナが笑う。
レイラも安心した表情をしている。
「さ、また明日から訓練を続けるぞ。『まぐまぐ亭』へ帰ろう。」
こうして俺は『黎明の光』の正式メンバーとして活動していくこととなった。
『黎明の光』正式結成。
ここまでが第一章となります。
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