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26話 ワールドクエスト 他戦線視点

●王都アルセリア・レオン視点


 馬蹄の音が、近づいていた。


 土を蹴る音ではない。


 硬い石を、何度も打ち砕くような音。


 黒い煙をまとった獣が、平原を駆けてくる。


 その背に、黒鎧の騎士。


 長い槍の穂先が、夕方の光を受けて鈍く光った。


【〈黒冠の騎将〉ヴァルゼイド】


 名前の下に、まだ長いHPの帯がある。


 すでに何度も攻撃を当てた。


 矢も。


 魔法も。


 僕の剣も。


 けれど、あの騎将は一度も落馬していなかった。


「中央、空けろ!」


 騎士の声が響く。


 盾の列が、左右へ分かれた。


 僕も、右へ動く。


 槍の先が、こちらを追った。


 来る。


 足を止めたくなる。


 剣を構え、正面から受けたくなる。


 でも、それをした兵士の盾が、さっき大きくへこんだ。


 僕は、最後の一歩を横へ踏んだ。


 槍が、胸のあった場所を抜ける。


 風が、頬を叩いた。


「今!」


 ノエルの声。


 騎獣の進路へ、風が横から当たった。


 走る速さは、落ちない。


 それでも、向きが少しだけずれた。


 その先に、セレネが作った薄い氷。


 前脚が、滑る。


 ヴァルゼイドが手綱を引いた。


 倒れない。


 膝を曲げ、獣の動きへ体を合わせる。


 そのまま立て直そうとする。


 そこへ、弩の矢が飛んだ。


 ハルトだ。


 一発目は、鎧へ弾かれた。


 二発目が、手綱を握る手へ当たる。


 騎将の腕が、わずかに開いた。


 僕は走った。


「レオン、深追いするな!」


 後ろから、声。


 分かっている。


 必要なのは、ここで倒し切ることではない。


 槍を、自由に使わせないこと。


「〈聖閃〉!」


 剣を振る。


 白い斬撃が、騎将の肩へ走った。


 黒い槍が、動く。


 光が弾けた。


 防がれた。


 でも、その間、槍は僕を突けない。


 踏み込む。


 剣を、騎獣の胴へ。


 刃が、黒い煙を裂いた。


 獣が、声を上げる。


 ヴァルゼイドが、腰の剣へ手を伸ばした。


 僕はすぐに下がる。


 槍だけを見ていてはいけない。


 背中に剣があることは、最初から知っていた。


 けれど、その剣が抜かれるより先に。


 僕の横を、白い髪が通った。


「右を、頼む」


 アーヴェルト団長だった。


 返事をする前に、剣の音。


 黒い刃と、細い長剣がぶつかる。


 団長の剣は、騎将の剣を大きく弾かなかった。


 ただ、振り下ろされる方向を少し変えた。


 黒い刃が、騎獣の首の横へ落ちる。


 騎将の胸が、開いた。


「はい!」


 僕は、右から入った。


 剣を、鎧の隙間へ。


 白い光が、刃へ集まる。


「〈白聖断〉!」


 手応え。


 深い。


 騎将が、初めて上体を揺らした。


 その瞬間、槍の柄が僕へ迫る。


 避けきれない。


 僕は聖盾を出した。


 光の盾が、砕ける。


 体が後ろへ押された。


 でも、倒れない。


 後ろから、誰かが肩を支えてくれた。


「戻れたな」


 騎士の声。


 僕は、息を吐いた。


「……はい」


 顔を上げる。


 ヴァルゼイドは、まだ騎獣の上にいた。


 ただ、右肩から黒い血が流れている。


 団長が、剣先を低く下げた。


「次は、左へ曲がる」


 なぜ、分かるのか。


 聞きたかった。


 でも、今はその時間ではなかった。


 僕は、左を見る。


 ノエルが頷く。


 セレネも、杖を持ち直した。


 ハルトが、次の矢を装填する。


 遠くの街で、修羅も戦っているのだろうか。


 一瞬だけ、そんなことを思った。


 すぐに、目を戻す。


 僕の前には、僕たちが止める相手がいる。


     ◇


 最後は、門の前だった。


 騎獣は、もう真っすぐ走れなくなっていた。


 脚へ、いくつもの傷。


 黒い煙も、薄い。


 それでも、ヴァルゼイドは槍を下げた。


 狙いは、城門。


 僕たちではない。


「止める!」


 僕は声を出した。


 ノエルの風壁が、進路へ斜めに立つ。


 セレネの氷が、その足元を覆う。


 騎獣が、体を沈めた。


 飛ぶつもりだ。


 ハルトの矢が、前脚の付け根へ入った。


 跳躍が、低くなる。


 団長が、前へ出た。


 剣が、走る。


 騎獣の首が、下がった。


 ヴァルゼイドの体が、鞍から浮く。


 僕は、踏み込んだ。


 槍の穂先が、こちらへ向く。


 怖い。


 その細い先端が、胸へ入るところまで想像できた。


 でも、剣を止めなかった。


 槍を斜めに外す。


 肩を、かすめる。


 熱い。


 白い刃を、黒い鎧の胸へ押し込んだ。


 もう一歩。


 地面を、蹴る。


 騎将が、鞍から落ちた。


 重い音。


 僕も片膝をついた。


 剣を抜く。


 まだ、構える。


 黒い手が、地面を掴んだ。


 その指が、やがて止まる。


【〈黒冠の騎将〉ヴァルゼイドを撃破しました】


 文字を見て、ようやく息が抜けた。


 背後で、歓声。


 僕は、門を見上げた。


 立っている。


 まだ、ここにある。


「……守れた」


 呟くと、団長が隣へ来た。


「剣を、納めるのは確認の後だ」


 僕は慌てて、前へ目を戻す。


 団長は少しだけ、口元を緩めた。


「よく、踏み込んだ」


 その一言で。


 痛かった肩より、胸の奥の方が熱くなった。


     ◇


●炉都グランヴェル・ロック視点


「持ち手、三番!」


 呼ばれて、顔を上げる。


 ネムが、木の部品を投げて寄越した。


 受け取る。


 割れた握りを外し、新しい物を合わせる。


 金具を締める。


 盾を持ち上げて、揺れを確かめた。


「できた!」


 兵士へ渡す。


 その人は受け取ると、短く頭を下げて走っていった。


 外で、また大きな音。


 床の上の小さな部品が、震える。


 僕は、それを手で押さえた。


 バルドーグが、近い。


 修理所の窓から見える背中は、鉱山の一部みたいだった。


 鉄色の外殻。


 その隙間に、赤い鉱脈のような筋。


 門の前で曲げられた進路を、何度も直そうとしている。


 そのたびに、石畳が削れていた。


「……あと、何枚?」


 ネムが聞いた。


 僕は台の上を見る。


 大きく割れた盾。


 留め具が飛んだ盾。


 直せる物と、今は直せない物。


「すぐ戻せるのは、あと二枚」


 言った直後、入口が開いた。


 バルドだった。


 盾を、抱えている。


 表面の金属板が、深くめくれていた。


「これ、もう無理だ」


 僕は、近づいた。


 見ただけで分かった。


 でも、裏も確かめる。


 支える木材が、途中から裂けていた。


 今、持って戻れている方が不思議なくらいだった。


「……予備は?」


 バルドが聞く。


 僕は、台の下を見た。


 僕の盾が、ある。


 修理したばかりの、自分用。


 大きさは、少し違う。


 でも、腕を通す部分は調整できる。


「これ、使って」


 持ち上げると、バルドが目を細めた。


「お前のだろう」


「今、僕はここにいるから」


 盾を、差し出す。


「前で使って」


 バルドは、少しの間黙っていた。


 それから、盾を受け取った。


 腕を通す。


 ネムが横から革紐を引いた。


「少し、締めるよ」


「ああ」


 僕は、握りの位置を確かめた。


 バルドが、盾を上げる。


 僕が作った物が、その腕へ収まった。


「……いい」


 短い声。


「借りる」


 彼は、走っていった。


 僕はその背中を見送る。


 外から、号令。


「退避確認!」


 ネムが、僕の肩を引いた。


 窓から離れる。


 光。


 爆発音。


 部屋の中の布が、風で揺れた。


 しばらくして、兵士の叫びが聞こえた。


「腹側が、開いた!」


 僕は、窓へ駆け寄る。


 バルドーグの体が、傾いていた。


 爆発で前脚の外殻が割れ、太い脚が地面へ沈んでいる。


 その前へ、赤い鎧。


 ドグラムさん。


 戦鎚が、持ち上がった。


 でも、その横から別の魔物が走っていた。


 腕を上げたドグラムさんへ。


 そこへ、盾が入った。


 僕の盾だった。


 バルドが受ける。


 体が、少し下がる。


 止まる。


 槍が、左右から伸びた。


 その間に、戦鎚が振り下ろされる。


 赤い光が、地面へ落ちた。


 バルドーグの体が、大きく沈む。


 もう一撃。


 炉の中へ鉄を打ち込むような、重い音。


【〈鉄山喰らい〉バルドーグを撃破しました】


 文字が、視界へ現れた。


 外から、声。


 修理所の中でも、誰かが叫んだ。


 ネムが、僕の肩を叩く。


「見た?」


 僕は、頷いた。


 うまく、声が出ない。


 ただ、何度も頷いた。


 僕の盾が、前にあった。


 あの一撃を振るう時間を、少しだけ作れた。


 そのことが、嬉しかった。


     ◇


●樹都エルセリア・フィーネ視点


 霧の上端が、枝の下へ近づいていた。


 灰色。


 朝は地面を這っていた物が、今は低い足場まで届いている。


「移動します!」


 私は声をかけた。


 隣の弓兵が、頷く。


 下がる。


 ミリアが、その後ろへついた。


 橋を渡る途中、木が揺れた。


 大きな脚が、向こうの幹へ掛かる。


 枯れ木のような、細い脚。


 でも、それだけで橋の幅より長い。


 ヴェルディアが、登ってきた。


「……上にも、来る」


 呟いた声が、自分の耳へ届いた。


 分かっていた。


 蜘蛛だ。


 木を登れる。


 でも、地上にいた巨体がこちらの高さへ近づいてくると、思っていたより息が詰まった。


 私は矢をつがえた。


 脚の付け根。


 狙う。


 放つ。


 硬い音。


 矢が、弾かれる。


 殻が厚い。


 もう少し、内側。


 狙い直そうとしたところで、ミリアが私の腕を引いた。


「足場、離れて!」


 私は跳び退いた。


 さっき立っていた板へ、糸が落ちる。


 灰色の塊。


 その重さで、橋が傾いた。


 幹へ、蜘蛛の脚。


 橋が、裂ける。


 木の破片が、霧の中へ落ちていった。


「大丈夫?」


 ミリアが聞く。


 私は、頷いた。


「はい。ありがとうございます」


 指が、少し震えていた。


 弓を持ち直す。


 今の高さからでは、脚の上側しか見えない。


 そこを撃っても、弾かれる。


 なら。


 私は、隣の足場を見た。


 下へ続く、短い梯子。


 霧の、少し上。


「一段、下ります」


 ミリアの顔が、こちらへ向く。


「近くなるよ」


「関節の内側が、見えると思います」


 私は、蜘蛛の脚を指した。


 木を掴むために、曲がっている。


 その内側だけ、色が違った。


 ミリアは少し見つめてから、頷いた。


「一回だけ。駄目なら戻ろう」


「はい」


 梯子を下りる。


 空気の匂いが、変わった。


 湿った、苦い匂い。


 霧が、近い。


 私は口元の布を確かめ、弓を構えた。


 脚が動く。


 木を掴む。


 内側が、開いた。


 矢を、放つ。


 刺さった。


 ヴェルディアの脚が、跳ねる。


「入りました!」


 声を上げる。


 すぐに、もう一本。


 同じ場所。


 深く。


 脚が、幹から離れた。


 その瞬間、頭上で葉が揺れた。


 リュシエラさんだった。


 長弓を、構えている。


「その場所を、覚えておいて」


 静かな声。


 矢が、放たれた。


 私の矢が入った関節へ、光が吸い込まれるように届く。


 大きな脚が、曲がりきった。


 ヴェルディアの体が、木から離れる。


 落ちる。


 地面が、揺れた。


 霧が広がる。


 風魔法の担当者が、すぐに杖を向けた。


 灰色の流れが、都市とは反対へ押されていく。


 その奥に、蜘蛛の腹が見えた。


 私は、矢をつがえた。


 狙う場所を、伝える。


 周囲の弓も、同じ方向へ向いた。


 何本もの矢が、飛ぶ。


 リュシエラさんの一射が、その中心を貫いた。


【〈枯森の大蜘蛛〉ヴェルディアを撃破しました】


 私は、弓を下ろした。


 指先が、痛い。


 ミリアが、隣で大きく息を吐いた。


「……帰ろう」


 私は頷く。


 振り返ると、さっきの橋は途中からなくなっていた。


 別の道を、探す必要がある。


 でも、向こう側から人が来ていた。


 新しい縄。


 板。


 こちらへ差し出される、手。


 私は、その手を掴んだ。


     ◇


●獣都バルガント・ヴァイス視点


 俺は、黒い方を追っていた。


 いや。


 追っているように、見せていた。


 ナハルの尾が、草の向こうで動く。


 こちらを、振り返る。


 少し走る。


 止まる。


 また、振り返る。


 誘っている。


 俺を、盾の列から離したいのだ。


 左から、別の匂い。


 灰色のラハルが、回っている。


 俺は、足を緩めた。


 追いつける。


 その距離を、わざと残されている。


「乗らねえよ」


 低く、呟いた。


 体を返す。


 後ろへ走る。


 すぐに、足音が増えた。


 黒い方が追ってくる。


 左から、灰色。


 俺が逃げたと思ったのだろう。


 牙を見せ、加速した。


 前には、ジンの盾。


 その後ろに、サラの槍。


 俺は、決めていた場所へ戻った。


「左、灰色! 後ろ、黒!」


 声を出す。


 ジンが、盾を左へ向けた。


 ラハルが、ぶつかる。


 重い。


 ジンの足が、滑った。


 でも、後ろの盾も重なる。


 止まる。


 サラの槍が、斜めに伸びた。


 肩へ。


 ラハルが首を振る。


 その間に、俺は横へ抜けた。


 後ろから、ナハル。


 黒い口が、開く。


 俺は、跳んだ。


 高くではない。


 横へ。


 噛みつきが、外れる。


 その首へ、白い光が走った。


 ラグナだった。


 双刀が、短く動く。


 ナハルの脚が、崩れた。


 でも、倒れない。


 黒い体が、無理に踏みとどまる。


 俺は、その後脚へ噛みついた。


 硬い毛。


 その下の、肉。


 顎へ、力。


 引く。


 重い。


 首が、抜けそうなくらい重い。


「ヴァイス、離れろ!」


 声が来た。


 俺は、すぐに口を離した。


 跳び退く。


 ナハルの牙が、さっきまで俺がいた場所へ落ちた。


 その上から、サラの槍。


 低い跳躍。


 刃が、首へ入る。


 ナハルが、地面へ沈んだ。


【〈群嵐の双狼〉ナハルを撃破しました】


 でも、喜ぶ暇はなかった。


 ラハルが、吠えた。


 ジンの盾を、押す。


 力が、強くなった。


 隣の兵士が、よろめく。


 俺は地面を蹴った。


 灰色の体へ、横から肩を当てる。


 ほんの少し、向きが変わった。


 それだけで、盾の重なりが戻る。


「持つ!」


 ジンが叫ぶ。


 サラが、槍を引き抜いた。


 ラグナが、俺の横へ立つ。


 白い雷が、足元を走っていた。


「戻れるか」


 俺へ、聞く。


「ああ」


「なら、もう一度だ」


 俺は、ラハルを見る。


 向こうも、俺を見ていた。


 速さだけでは、勝てない。


 だから、戻る場所を作った。


 盾がある。


 槍がある。


 隣には、俺より速い白虎がいる。


 俺は、地面を蹴った。


     ◇


 ラハルが倒れた後、ジンは盾を手放した。


 腕が、上がらなくなっていた。


 サラが、それを支える。


 俺も、ようやく伏せた。


 舌を出す。


 息が、止まらない。


 ラグナは、少し離れた場所で部下の報告を聞いていた。


 まだ、仕事があるのだ。


 俺は、ジンを見る。


「……戻れたな」


 ジンが、顔を上げた。


 疲れた顔で、笑う。


「ああ。お前もな」


 俺は、耳を少し倒した。


 サラが、その間へ座る。


 遠くで、勝利を知らせる鐘が鳴った。


 今度は、追う必要がなかった。


 俺たちは、その場で少しだけ休んだ。


     ◇


●海都ラグナート・トーマ視点


 俺の荷車は、もう荷物を運んでいなかった。


 横向きに倒され、道を塞いでいる。


 車輪の片方が、割れた。


 側板も、一枚なくなった。


 その向こうで、魔物の爪が鳴っている。


「右、抜けそう!」


 俺が叫ぶ。


 盾を持った人が、すぐに寄った。


 槍が、隙間へ入る。


 魚みたいな頭の魔物が、地面へ倒れた。


 昨日まで、ここは倉庫へ物を運ぶ道だった。


 俺も、塩の箱を運んでいた。


 今は、内港へ続く防衛線。


 外港の方からは、ずっと水の音が聞こえていた。


 ただの波ではない。


 オルグラだ。


 船の残骸を背負った、巨大な海獣。


 港の構造物へ噛みつき、引き倒す。


 昨日から避難を続けてきた場所を、今日はまとめて壊そうとしている。


 俺は、割れた車輪へ縄を掛けた。


 引く。


 もう一人が、手を貸してくれる。


「そこ、押さえとく!」


「ありがとう!」


 相手の名前を、俺は知らない。


 でも、昨日から何度も同じ場所で箱を持っている。


 それで、今は十分だった。


 背後で、歓声が上がる。


 振り返ると、白い光の中から人が出てきていた。


 大きな盾。


 薬の箱。


 替えの武器。


 他都市からの援軍だった。


「負傷者、どこだ!」


「前線の交代、入れるぞ!」


 声が飛ぶ。


 俺は、手を上げた。


「こっちです! 道、狭いので一人ずつ!」


 盾を持ったドワーフが、頷く。


「分かった。そこ、代わる!」


 俺の前へ入る。


 その後ろから、二人目。


 並んだ盾が、荷車の隙間を埋めた。


 俺は、その瞬間、足の力が少し抜けた。


 頼っていい人が、増えた。


「運べる人は、桟橋へ!」


 別の声。


 俺は顔を上げた。


 港の奥で、旗が上がっている。


 オルグラを止めるための、大きな縄。


 それを通す場所へ、人が必要らしい。


 俺は荷車を見る。


 もう、まともには走れない。


 でも、ここで道を塞いでいる。


「……頼んだぞ」


 小さく言って、走った。


     ◇


 桟橋は、傾いていた。


 板の隙間から、海が見える。


 その向こうに、黒い背中。


 船の残骸が、刺さるように乗っている。


 あんな物へ、どうやって攻撃するのか。


 考えている間に、縄が渡された。


「引けと言ったら引く! 今は、緩みを取れ!」


 俺は頷き、両手で掴んだ。


 隣にも、人が並ぶ。


 NPCの船乗り。


 プレイヤーの戦士。


 前掛けをつけたままの職人までいる。


 前方に、オルゼンさんが立っていた。


 鉤槍を、両手で持っている。


「……来るぞ」


 低い声がした。


 海が、盛り上がる。


 巨大な頭。


 口が、開いた。


 桟橋を噛むつもりだ。


「今!」


 鉤槍が伸びる。


 顎の横へ、掛かった。


 オルゼンさんが、体を捻る。


 同時に、俺たちも縄を引いた。


 重い。


 腕が、前へ持っていかれる。


 足が滑る。


「下がるな! 横へ、足を置け!」


 隣の船乗りが叫んだ。


 俺は真似をした。


 片足を、横へ。


 腰を落とす。


 縄が、掌へ食い込む。


 オルグラの頭が、少しだけ向きを変えた。


 大きな口が、桟橋を外れる。


 その横腹が、海面へ出た。


「撃て!」


 船の上から、光が飛んだ。


 矢。


 魔法。


 長い銛。


 同じ場所へ、次々に入る。


 オルグラが暴れる。


 海水が、頭から降ってきた。


 息ができない。


 目も開けにくい。


 でも、縄は離さなかった。


 隣の人も、離していない。


 前では、オルゼンさんの足が桟橋へ食い込んでいた。


 片膝がつく。


 それでも、鉤槍は外れない。


「もう、一度!」


 声が、港を走った。


 二度目の一斉射撃。


 オルグラの体が、大きく沈んだ。


 縄の重さが、急に変わる。


「離せ! 巻き込まれるな!」


 俺たちは、一斉に手を離した。


 太い縄が、桟橋の端へ滑っていく。


 黒い背中が、海へ沈んだ。


 泡。


 波。


 船の残骸が、一つ浮いてくる。


 誰も、声を出さなかった。


 しばらくして、表示。


【〈船墓の大海獣〉オルグラを撃破しました】


 俺は、地面へ座り込んだ。


 手が、震えている。


 掌には、赤い線。


 隣の船乗りが、俺の背中を叩いた。


「よく、引いた」


 俺は、その顔を見た。


「……俺、商人なんですけど」


 なぜか、そんなことを言っていた。


 船乗りが笑う。


「今日は、港を守ったやつだ」


 その言葉を聞いたら、急に胸がいっぱいになった。


 壊れた荷車は、後で直そう。


 荷物を運ぶ道は、まだ残った。


     ◇


●霜晶都イスカル・イゼルヴァ視点


 氷壁の向こうで、白い翼が開いた。


 イスヴォルの息が、壁へ当たる。


 冷気。


 ただ冷たいだけではない。


 壁を内側から軋ませる、異質な魔力。


 亀裂が、広がった。


 私は杖を持ち直す。


 同じ壁を厚くするだけでは、長くは持たない。


「中央を、開けます」


 声を伝える。


 後ろの兵士たちが、頷いた。


 壁の左右に、道。


 負傷した者が下がり、新しい盾が入る。


 白い竜が、もう一度息を吸った。


 私は、中央の氷を崩した。


 吐き出された冷気が、空いた場所を抜ける。


 その両側から、氷の柱。


 翼の下へ。


 竜の体が、持ち上がる。


 飛ぼうとした。


 だが、翼は柱の間へ挟まれていた。


「槍を!」


 兵士たちが、走る。


 凍った地面へ、脚を置く。


 翼の付け根。


 胸の下。


 私が一人で作った壁ではない。


 ひびを直した者。


 柱へ魔力を継いだ者。


 その全員が、今、竜の足を止めている。


 私は杖を上げた。


 氷の槍を、一つ。


 白い鱗の隙間へ。


 竜が吠え、空の雪が散った。


 その声が、やがて止まる。


 私は杖へ手をつき、息を吐いた。


 割れた壁の向こうに、街の灯りが見えた。


 今夜も、あの灯りは消えない。


     ◇


●天都アウリス・セフィラ視点


 ザルヴァの四枚の翼が、違う向きへ動いた。


 風が、変わる。


 私は槍を抱え、片翼を畳んだ。


 横へ流される。


 そのまま、落ちる。


 落ちる場所は、知っている。


 下に、仲間がいる。


 足場の旗が上がった。


 風を読む者が、合図をくれる。


 私はもう一度翼を開き、岩峰の側面を回った。


 巨大な鳥が、橋へ向かっていた。


 私を追うより、街を壊すつもりだ。


 上から、弓の列。


 翼の外側へ、矢が刺さる。


 羽が散った。


 ザルヴァの体が、少しだけ傾く。


 その下に、細い隙間。


 四枚の翼の、付け根。


 私は、槍を前へ向けた。


 翼を、畳む。


 風の音が消え、代わりに自分の呼吸だけが聞こえた。


 近づく。


 大きな羽。


 硬い鱗。


 その間へ、槍先。


 全身の重さを、乗せた。


 衝撃が腕を抜ける。


 ザルヴァが、大きく叫んだ。


 私は槍を抜き、翼を開いた。


 下から、魔法の風。


 仲間が、落ちる私を押し上げる。


 巨大な鳥は、もう橋へ届かなかった。


 雲の海へ、体が沈む。


 私は、近くの足場へ降りた。


 膝が震える。


 駆け寄ってきた手を、掴む。


 槍を置くより先に、聞いた。


「橋は」


「残っています」


 私は、そこでようやく頷いた。


     ◇


●潮都ネレアス・メルディア視点


 大蛇の体が、街の柱へ巻きついていた。


 ネグラザ。


 頭だけを見ていては、後ろの胴が建物を壊す。


 尾を止めれば、頭が別の道へ入る。


 私は歌い続けた。


 声が、水へ広がる。


 流れを、細く分ける。


 避難する者の道。


 槍兵が進む道。


 大蛇の体を、街から離す流れ。


 全部を同じ強さにはできない。


 どこかを強めれば、どこかが弱くなる。


 だから、兵士たちは私の歌を聞いて動いた。


 流れが弱まる前に、槍を打ち込む。


 柱から胴が離れたら、すぐその隙間へ入る。


 ネグラザの首が、こちらへ向いた。


 大きな口が開く。


 私は、歌を止めなかった。


 目を閉じない。


 その頭の横へ、二本の銛が刺さる。


 縄が張る。


 両側の守備隊が、引いた。


 私は流れを、上へ変えた。


 蛇の顎が、持ち上がる。


 柔らかい喉。


 そこへ、海人たちの槍が揃った。


 大きな体が暴れる。


 街の旗が、激しく揺れる。


 私は最後の息まで、歌をつないだ。


 やがて、水の重さが変わった。


 抵抗する力が、なくなる。


 歌を止めた。


 周りの音が、一斉に戻ってくる。


 誰かが、私の肩を支えた。


 私は頷き、街を見る。


 傷ついた柱。


 壊れた道。


 でも、その間を人が泳いでいた。


 帰ってくる人たちだった。


     ◇


●巨都ヴェルガント・ゴルヴァン視点


 ガンドロスの背から、石柱が一本落ちた。


 地面へ突き刺さり、砕ける。


 儂は、顔を横へ向けた。


 頬を、欠片が切った。


 痛い。


 まだ、よく動く体じゃ。


 石槌を、持ち直す。


 ガンドロスの前脚には、深い傷。


 その傷を、何人もの兵士が広げてきた。


 儂だけの槌ではない。


 槍も。


 斧も。


 石を運んだ手も。


 全部が、そこへ入っている。


 城門の方から、声がした。


「支柱、入ったぞ!」


 儂は頷く。


 門の内側へ、太い梁が通された。


 さっきの一撃で歪んだ門を、皆が支えている。


 なら、儂は外じゃ。


 ガンドロスが、頭を下げた。


 また、門へ来る。


 儂は前へ出た。


 膝が、少し痛む。


 昔なら、もう少し軽く踏めたかもしれん。


 だが、今は今の足で立つしかない。


「左を、引け!」


 声を出す。


 太い縄が、地面を走る。


 兵士たちが、引いた。


 傷ついた前脚が、外へ開く。


 儂は、槌を振り上げた。


 高く。


 両手で。


 全身の重さを、前へ。


「そこじゃ!」


 槌が、傷へ落ちた。


 脚が折れる。


 山のような体が、傾いた。


 地面が鳴る。


 風が、顔を叩く。


 儂は一歩下がり、倒れた頭を見る。


 まだ、動く。


 なら、もう一発。


 若い兵士が、横から槌の柄へ手を添えた。


 別の者も、来る。


 儂は、少し笑った。


「持ち上げるだけじゃぞ。振るときは、離せ」


 皆が頷く。


 槌が、上がる。


 儂は握り直した。


 最後の一撃を、頭の殻の割れ目へ落とす。


 音が、山へ響いた。


 ガンドロスの体から、力が抜けた。


 儂は、槌へ手をついた。


 少しの間、息を整える。


 後ろで、門が軋んだ。


 だが、倒れなかった。


 儂は振り返る。


 内側から、梁を支える者たち。


 煤と土で汚れた顔が、こちらを見ている。


 儂は、片手を上げた。


「もう、押されんぞ」


 その瞬間、城門の向こうから大きな歓声が上がった。


     ◇


●王都アルセリア・レオン視点


 肩の手当てを受けていると、通知が来た。


 全体への戦況報告だった。


 王都アルセリア。


 炉都グランヴェル。


 樹都エルセリア。


 獣都バルガント。


 海都ラグナート。


 遠い四大陸の都市にも、撃退を示す印がついていく。


 僕は、画面を少し下へ送った。


 魔都ヴァルグ。


 まだ、確認中。


 剣を置いた手へ、少し力が入った。


「動かないでください」


 治療担当に言われ、慌てて肩を戻す。


「すみません」


 向かいには、セレネが座っていた。


 ノエルも、ハルトもいる。


 全員、同じように表示を見ていた。


「……大きかったものね」


 セレネが、静かに言う。


 僕は頷いた。


 告知で見た、城を喰う魔物。


 あの前に、修羅がいる。


 ガランも。


 リュカも。


 蜘蛛たちも。


 僕は、メッセージを開きかけた。


 止める。


 今は、読めないかもしれない。


 返事をするより、大事なことがある。


 だから、待った。


 ノエルが、水の器を持つ。


 ハルトは、外した弩の部品を机の端へ寄せた。


 少し長い、沈黙。


 その中で、表示が変わった。


【魔都ヴァルグ】


【最終侵攻ボス〈城喰い〉ガルムドを撃破】


 僕は、顔を上げた。


 セレネも。


 ノエルが、小さく息を吐く。


 ハルトは、椅子の背へ体を預けた。


「……倒した」


 誰の声だったか、分からなかった。


 僕は、その文字をもう一度読んだ。


 間違いではない。


 続いて、都市中枢健在の報告。


 防衛成功。


 僕は、ようやく笑えた。


「よかった」


 声にすると、肩の力が抜けた。


 治療担当が、少し困ったように笑う。


「皆さん、同時に動かないでくださいね」


「……はい」


 四人で返事をした。


 それが重なって、セレネが吹き出す。


 ノエルも笑った。


 ハルトは両手で顔を覆っていた。


 僕は、メッセージを開く。


 今度は、短く送った。


『こちらも守れた。そちらも、お疲れ様』


 返事は、急がなくていい。


 今は、食べているかもしれない。


 仲間と、話しているかもしれない。


 それなら、いい。


 僕は剣へ目を向けた。


 傷のついた鞘。


 汚れた握り。


 今日、ここで使った物。


 窓の外から、鐘の音が聞こえてきた。


 街の人たちの声も。


 僕は、その音を聞きながら、温かい器を受け取った。


 遠くの誰かも、同じようにしていることを願って。


 まず、一口飲んだ。

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