24話 ワールドクエスト 魔都攻防戦 3日目
●主人公視点
目を覚ますと、街の鐘が鳴っていた。
昨夜、何度も聞いた警報とは違う。
ゆっくりとした、長い音。
顔へ当たる光が、温かい。
「……寝てましたね」
自分でも、当たり前のことを言ったと思う。
どうも、修羅です。
椅子に座ったままではなく、仮設の休息所へ運んでもらったらしい。
背中の下には、厚い敷物。
毛布も、かかっている。
隣では、イトが白い脚を畳んでいた。
俺が起きたのに気づくと、前脚が一本持ち上がる。
「おはようございます」
指を差し出す。
脚先が、触れた。
今は、それだけで十分だった。
◇
外へ出ると、太陽は既に城壁より高いところにあった。
夜番から交代した人たちが、あちこちで眠っている。
逆に、装備を着けて門へ向かう人もいた。
俺たちが寝ている間も、街は動いていたらしい。
リィナさんは、食事を受け取る場所にいた。
俺を見ると、手にしていた包みを台へ置く。
「おはようございます。体は、どうですか?」
「……動きます。思っていたより、ちゃんと」
腕を回す。
脚へ、体重をかける。
疲れは残っている。
でも、立っただけで膝が笑うような状態ではなかった。
「ご飯を食べてから、もう一度確認しましょう」
「はい」
器を受け取ろうとしたところで、視界へ光が広がった。
【世界大侵攻・最終日】
【都市間救援転移が利用可能になりました】
俺は、手を止めた。
「……転移?」
〈来た!〉
〈移動解放!〉
〈海都へ行けるぞ!〉
続けて、説明が並ぶ。
【既存の六防衛都市間で、援軍および支援物資の移送が可能です】
【利用は各都市の防衛窓口にて調整されます】
【新四大陸は対象外です】
広場のあちこちで、人が立ち止まっていた。
昨日、不安そうに画面を見ていた盾役の人もいる。
今は近くの仲間へ何かを話し、すぐ受付へ向かっていた。
「……ようやく、送れるんですね」
俺が言うと、リィナさんが頷いた。
「昨夜から、分けて用意していました。薬と布も、運べる分があるそうです」
広場の反対側で、マルクさんの声がした。
「ラグナート向けは、こちらです! ヴァルグで使う分とは混ぜないでください!」
木箱が、積み替えられている。
数を確かめる人。
書類を受け取る人。
大きな盾を背負い、出発を待つ人。
昨日まで、届いた情報を聞くしかなかった。
今は、こちらから動ける。
俺は少しだけ、そちらを見ていた。
「修羅さんたちは、東門ですね」
リィナさんが言った。
俺は、顔を戻す。
「はい」
行く人がいる。
残る人も、必要だ。
温かい器を受け取り、俺は椅子へ座った。
◇
食事を終えて持ち場へ向かう途中、セイルさんに会った。
ベルンさんと、数人の職員を連れている。
目の下に、少し疲れが見えた。
それでも、俺たちを見ると足を止める。
「おはようございます。昨夜も、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、休ませてもらいました」
俺が答えると、セイルさんは少し笑った。
「午前の警戒は、別の部隊が引き継いでいます。皆さんには、この後の主要侵攻へ備えていただきます」
「海都への応援は……」
「予備戦力から、編成しました。こちらの防衛に必要な人数を確認したうえで、送り出します」
セイルさんが、広場へ顔を向ける。
箱を持った人たちが、光の集まる場所へ進んでいた。
「全てを立て直せるかは、まだ分かりません。でも、届けられる物があります」
俺は、その言葉へ頷いた。
見送る側も、少し明るい顔をしている。
「……ヴァルグは、守ります」
口にすると、セイルさんがこちらを見た。
ほんの少しだけ、表情が緩む。
「お願いします」
俺は頭を下げ、門へ向かった。
◇
東門の外へ出ると、見慣れた顔が揃っていた。
ガランさん。
カゲロウさん。
ユズリハさん。
リュカさんも、人の姿で地図を見ている。
「おはようございます」
俺が声をかけると、ガランさんが振り返った。
「眠れたか」
「はい。そちらは?」
「今度も、起きたら朝だった」
「いいですね」
笑い合う。
それだけで、少し体が軽くなった気がした。
ガランさんは、俺の斧へ目を向ける。
「レベル、また上がったんだろ」
「百三十二になりました」
近くの槍兵が、こちらを向いた。
ガランさんも、一度黙る。
「……百を超えても、まだ上がるんだな」
「はい。今のところ、何も出てません」
「なら、まだ伸びる」
短く言って、盾の紐を締め直した。
「今日は、もっと頼むぞ」
俺は頷いた。
「はい。右から、出ます」
〈おはよう! 最終日!〉
〈百三十二の斧が前に立った〉
〈ここからどこまで行くんだ〉
〈海都へ応援行きます。こっち頼んだ!〉
そのコメントが見えて、俺は少し背筋を伸ばした。
「はい。そちらも、気をつけて」
画面の向こうへ返事をして、前を見る。
遠くの林は、静かだった。
昨夜は、暗闇の中で音だけが聞こえていた。
今は、枝の揺れまで見える。
その奥から、何かが立ち上がった。
長い棒。
いや。
旗だった。
◇
黒い布が、風にはためいた。
林の端へ、一体の魔物が出てくる。
大柄な体。
黒い鎧。
肩から伸びた、鈍い角。
片手には、長柄の斧。
もう片方には、黒い旗。
その後ろで、魔物たちが止まった。
走狗も。
猪も。
盾を持つオーガも。
すぐには、走ってこない。
旗を持つ魔物が、ゆっくり顔を上げた。
こちらを、見ている。
俺は、鑑定を使った。
【黒旗の戦将 Lv.112】
【HP:18,600/18,600】
【侵攻軍を率いる指揮個体。
周囲の魔物を統率し、進軍、集中攻撃、後退を命じる。
自身も長柄武器を扱い、接近戦に長ける。】
「……一万八千」
声が、漏れた。
画面の端で、警報が開く。
【第8波を確認しました】
【侵攻指揮個体〈黒旗の戦将〉が出現しました】
【各部隊は指揮個体の動向に注意してください】
城壁の上で、鐘が鳴った。
ガランさんが、盾を持ち上げる。
「来たな」
俺は頷いた。
「はい」
〈指揮官!〉
〈初日から名前出てたやつだ!〉
〈HPおかしいだろ〉
〈これでも最終ボスじゃないんだよな……〉
分かっている。
こいつの、さらに後ろがある。
でも、今、目の前へ来たのはこいつだ。
俺は斧を、両手で握った。
◇
黒旗が、横へ動いた。
その瞬間、群れが走り始めた。
正面へ。
左右へ。
昨日までより、はっきり分かれている。
「右、走狗多数!」
「中央、オーガが前へ!」
「北東にも、動きあり!」
報告が、重なる。
黒旗の戦将は、走らなかった。
少し後ろから、こちらを見ていた。
盾が上がる。
走狗が、足元へ入る。
俺は右へ出た。
斧。
倒す。
戻る。
次へ斧閃。
赤い弧が、群れの先頭へ入る。
その横を、別の一体が抜けようとした。
イトの糸。
脚が止まる。
カゲロウさんの槍が、首元を取った。
「……まず、前です」
自分へ言う。
指揮官が見えている。
だからといって、全員でそちらへ走るわけにはいかない。
ガランさんの盾が鳴った。
「右!」
「出ます!」
いつもの動きへ、戻った。
◇
戦将が、旗を斜めに下げた。
正面のオーガが、盾を重ねる。
その陰へ、走狗が下がった。
代わりに、右側の群れが加速する。
俺は、顔を向けた。
さっきまで、左へ多く来ていた。
そのために、こちらの槍も少し左へ寄っている。
今は、右。
「右、増えます!」
俺は叫んだ。
ガランさんが、盾をずらす。
隣の兵士が、槍を戻した。
走狗が三体、一緒に来る。
俺は鬼装をまとわせた。
近い一体へ、刃。
次を、魔力の腕で外へ流す。
ガランさんの盾へ当てたところを、槍が突く。
三体目は、イトが止めていた。
斧閃。
倒す。
息を吐いた瞬間、旗がまた動いた。
今度は、中央の猪。
「……見てから、変えてるんですね」
俺が言うと、カゲロウさんが低く答えた。
「ああ。こちらが動いた場所を見ている」
嫌な相手だ。
自分が強いだけではない。
こちらの強い場所を避け、手の足りない所へ群れを向けてくる。
俺は、黒い旗へ目を向けた。
戦将の顔は、遠くてよく見えない。
でも、目が合った気がした。
◇
中央で、重い音がした。
ゼルガさんの戦槌。
オーガの盾が、横へ飛ぶ。
それを見た戦将が、旗を高く掲げた。
近くの魔物が、ゼルガさんのいる場所を避ける。
左右へ、分かれた。
「……あいつ、戦わせたい所を選んでる」
ガランさんが言った。
俺も、頷く。
ゼルガさんが前へ出た場所には、少し距離を取る。
その両側へ、敵が来る。
大きな槌が届かない場所。
でも、ゼルガさんは追いかけなかった。
「そのまま受ける! 私を追って位置を変えるな!」
声が響く。
俺たちは、持ち場を守った。
旗が下がる。
猪が来る。
盾で流す。
脚へ斧。
糸が引く。
槍が入る。
倒す。
また、戻る。
地面へ落ちた黒い旗の影が、少しずつ近づいていた。
◇
戦将が、前へ出始めた。
黒い鎧が、日に光る。
周囲のオーガが、左右へ道を開けた。
長柄の斧が、低く構えられる。
俺は、その足を見た。
重そうな鎧。
でも、歩き方に迷いがない。
こいつは後ろで旗を振るだけの相手ではなかった。
指揮役が、声を上げる。
「中央、受ける準備! 周囲の魔物を分けろ!」
俺たちの前で、群れの間に隙間ができた。
カゲロウさんが、黒旗の方を見る。
それから、指揮役へ顔を向けた。
「旗を使う間、左腕が上がる。あそこは、狙える」
指揮役が頷き、後ろへ合図を送る。
城壁の弓兵が、狙いを変えた。
矢が飛ぶ。
戦将が、旗を引く。
斧の柄が動き、矢を弾いた。
その動きの間だけ、旗が止まる。
周囲の魔物の動きも、少し揃わなくなった。
俺は、そこを見た。
「……旗、止めれば」
「ああ」
カゲロウさんが答える。
俺は斧を構えた。
ただ、今の距離では届かない。
走れば近づける。
でも、単独で行けば、周りのオーガに囲まれる。
そのとき、指揮役がこちらを呼んだ。
「ガラン隊。中央へ寄せる。修羅は指揮個体へ圧力をかけてくれ。倒すことより、旗を使わせないことを優先する」
俺は、はっきり頷いた。
「分かりました」
ガランさんが、隣を見る。
「右、空けるぞ」
「はい」
今日も、そこから始めた。
◇
中央へ寄ると、戦将の大きさがよく分かった。
俺より、頭一つ以上高い。
肩幅もある。
持っている斧は、俺の物より柄が長かった。
旗が、上がろうとする。
俺は、声を出した。
「右前、撃ちます!」
ガランさんの盾が寄る。
斧を振った。
赤い弧。
旗を持つ腕へ、飛ばす。
戦将の斧が、横へ動いた。
斬撃が、弾ける。
「……防ぎますよね」
〈斧閃落とした!?〉
〈こいつ普通に強いぞ〉
〈旗、止まった!〉
そう。
防ぐために、止まった。
その間に、ガランさんが一歩前へ出る。
俺も、距離を詰めた。
戦将の斧が、こちらへ向く。
低い横薙ぎ。
ガランさんが、盾を傾けた。
ぶつかる。
重い音。
盾の端が、跳ねた。
俺は、右へ入る。
斧を、肩へ。
戦将が体を引いた。
浅い。
すぐに、長い柄が返ってくる。
俺の顔へ。
羅刹腕を出す。
片方で、柄の外側へ触れる。
押す。
軌道を、ずらす。
頬の横を、木と金属が抜けた。
俺は下がる。
戦将の足が、前へ出る。
追ってくる。
「戻ります!」
ガランさんの盾が、間へ入った。
斧が、盾へ当たる。
俺は、その後ろで呼吸を整えた。
「……強いですね」
「ああ。だが、受けられた」
ガランさんの声。
俺は、頷いた。
◇
戦将が、旗を立て直そうとした。
また、斧閃。
今度は胸へ。
盾がない相手だ。
防がなければ、当たる。
長柄の斧が、動く。
赤い光が弾ける。
その横から、カゲロウさんの槍。
戦将の脚へ、穂先が触れた。
深くはない。
でも、足が止まる。
俺は、踏み込んだ。
「〈鬼力〉!」
腕に、熱。
鬼装の刃を、短く振る。
脇へ入った。
戦将が、低く吠える。
俺は引き戻す。
次の一撃。
その前に、旗の棒が横から来た。
「っ!」
肩へ当たる。
体がずれる。
旗まで、武器にするのか。
俺は足を踏み直し、魔力の腕を伸ばした。
旗竿へ、指。
掴む。
引く。
戦将も、引いた。
強い。
魔力の腕の輪郭が揺れる。
俺は、無理に持ち続けなかった。
引く力へ合わせて、一歩入る。
旗竿が体の近くへ戻る。
そのせいで、相手の左側が狭くなる。
斧を、振りにくい。
「〈崩し〉!」
魔力の手で竿を下へ押し、普通の両手で斧を振った。
今度は、肩口へ深く入った。
戦将が、後ろへ下がる。
そこへ、白い糸が飛んだ。
◇
イトの糸は、脚を完全に止めなかった。
片側の足首。
近くの杭。
戦将が踏み直す、その一歩だけを遅らせた。
俺は、追おうとして止まる。
相手の斧が、待っていた。
こっちが入れば、首の高さへ来る。
「……そこは、行きません」
俺は斧を構えた。
斧閃。
赤い刃が、傷のある肩へ飛ぶ。
戦将は、振ろうとしていた斧を防御へ変えた。
その動きで、糸が張る。
体が、少し傾いた。
カゲロウさんが声を出す。
「右、押せる!」
ガランさんの盾が、前へ。
俺も、一歩。
三人で、相手の立つ場所を狭める。
戦将が、旗を大きく振った。
背後から、走狗の声。
横へ入ってくる。
でも、その前に別の盾列が立った。
「周りは、こっちが見る!」
兵士の声。
槍が並ぶ。
ユズリハさんの糸が、その外へ伸びる。
俺は、前を向いた。
旗を使わせない。
周りは、任せる。
今の俺の仕事は、こいつだ。
〈囲ませなかった!〉
〈後ろの人たち、ありがとう!〉
〈修羅たちが指揮官に集中できてる〉
〈これが部隊戦か……!〉
◇
戦将のHPは、まだ多かった。
俺は一度だけ、表示を確かめた。
【HP:11,240/18,600】
半分以上。
でも、削れている。
俺は呼吸を整えた。
ここで焦る必要はない。
ガランさんの盾へ、斧が当たる。
俺が、横へ入る。
傷を増やす。
戻る。
カゲロウさんの槍へ相手が向けば、俺が斧閃。
旗を上げようとすれば、矢が来る。
その矢を防ぐ腕へ、イトの糸。
一つを防げば、次が届く。
戦将の足元に、血が落ち始めた。
黒い旗も、端が裂けている。
それでも、目は死んでいなかった。
斧が、地面へ触れる。
戦将が、低く構えた。
何か、来る。
「下がる!」
俺は叫んだ。
次の瞬間、長柄の斧が一回転した。
広い。
さっきまでと、違う。
俺は後ろへ跳んだ。
刃先が、胸の前を抜ける。
ガランさんの盾へ、金属音。
カゲロウさんも、槍を引いている。
土が、大きく削れた。
その回転の後、戦将が旗を突き立てた。
低い咆哮。
周囲の魔物が、一斉に声を上げる。
前線の空気が、揺れた。
◇
俺も、一瞬だけ足が重くなった。
怖い。
まだ、こんな力が残っていたのか。
その感覚が、胸へ入ってくる。
でも、隣には盾がある。
後ろには糸。
俺は、大きく息を吸った。
「まだ、持ってます!」
声へ、魔力。
戦声。
ガランさんが盾を持ち直した。
近くの槍が、前へ戻る。
「こっちもだ!」
「右、抜けてない!」
返事が、返る。
戦将が、俺を見た。
旗から、片手を離す。
斧を、両手で持った。
俺も、斧を握る。
「……はい。こっちですね」
こいつも、俺を邪魔だと思ったらしい。
それなら、旗を振る時間は減る。
俺は、少しだけ口元を上げた。
◇
戦将が踏み込んだ。
長い柄が、低く走る。
ガランさんの盾へ、当たる。
押し込む。
そのまま、盾ごと倒そうとしている。
俺は右へ出た。
でも、戦将の目は、こちらを見ていた。
柄が返る。
突き。
胸へ。
俺は斧を斜めに当てた。
受け流す。
穂先が、脇へ抜ける。
重い。
腕が痺れる。
それでも、足は残った。
羅刹腕を、長い柄へ。
一方を押し、もう一方を引く。
相手の武器を、ほんの少し横へ向ける。
「今!」
俺が叫ぶ。
カゲロウさんの槍が、脚へ入った。
ガランさんが、盾で押す。
戦将の膝が曲がった。
俺は魔力の手を離し、普通の両腕へ力を込めた。
斧を、肩へ。
深く。
戦将が吠える。
俺は、引き抜いた。
次。
旗へ、手が伸びる。
俺は、そちらへ斧閃を放った。
赤い弧が、旗竿へ当たる。
木が、割れた。
黒い布が、地面へ落ちる。
周囲から、声が上がった。
〈旗、折れた!〉
〈今だ!〉
〈指揮が止まったぞ!〉
戦将の顔が、初めて大きく歪んだ。
◇
そこからは、速かった。
旗を失った戦将は、斧を両手で振った。
強い。
でも、動く方向が絞られた。
ガランさんが受ける。
俺が、横へ。
カゲロウさんの槍が、足を止める。
イトの糸が、踏み直す場所へ張る。
相手が大きく振れば、俺は入らない。
斧閃を当てる。
小さく守れば、盾で押す。
その隙へ、斧。
何度も。
何度も。
最後に、戦将の片膝が地面へついた。
長柄の斧が、俺へ向く。
まだ、刺すつもりだ。
俺は、正面へ入らなかった。
魔力の腕で、柄を外へずらす。
足を、右へ。
普通の両手で、大戦斧を持ち上げた。
「――ここまでです!」
刃が、首と肩の境目へ入った。
戦将の体が、沈む。
俺は、すぐに斧を引き抜いて下がった。
待つ。
まだ、待つ。
黒い鎧が、地面へ倒れた。
【侵攻指揮個体〈黒旗の戦将〉を撃破しました】
【経験値を獲得しました】
【種族レベルが上がりました】
俺は、そこでようやく息を吐いた。
◇
歓声が上がった。
城壁の上。
後ろの列。
俺の隣でも、ガランさんが大きく息を吐いていた。
「……討ったな」
「はい」
俺は、頷いた。
腕が、少し重い。
肩には、旗竿で打たれた痛みがある。
でも、立っている。
イトが、足元へ戻ってきた。
俺はしゃがみ、手を差し出した。
「ありがとうございました。何度も、助かりました」
前脚が、掌へ乗る。
カゲロウさんが、槍を下ろした。
「旗を折ってからは、周りも動きが乱れた。前線の連中も、処理しやすくなったはずだ」
俺は、周囲を見た。
走狗の群れは、まだいる。
オーガも、残っている。
でも、さっきまでのように、一度に同じ場所へ押してこない。
指揮役が、すぐに声を上げた。
「追撃は決めた範囲まで! 負傷者を下げろ! 修羅隊、交代!」
俺たちは、頷いた。
倒した。
でも、ここで終わりではない。
俺は立ち上がり、斧を低く持った。
◇
後ろへ戻ってから、通知を開いた。
【羅刹Lv:132 → 143【UP!】】
「……百四十三」
〈上がったあああ!〉
〈指揮官撃破!〉
〈連携、最高だった!〉
〈旗を折る流れ熱かったな〉
〈百五十説なら、あと七!〉
俺は、数字を見る。
進化の通知は、まだない。
百五十。
そこまで上がれば、何かが変わるのだろうか。
分からない。
でも、今はその前に、見ておきたい物があった。
俺は、黒い旗が倒れた場所へ目を向けた。
あの後ろ。
最終日の映像で、巨大な影が歩いていた場所。
林は、まだ遠くにある。
その奥で、鳥が一斉に飛び立った。
俺は、顔を上げた。
すぐには、何も見えなかった。
ただ、木々の向こうから。
低い音が、伝わってきた。
雷に、少し似ている。
でも、空は晴れていた。
ゼルガさんが、俺たちの横を歩いてきた。
大戦槌を肩へ担ぎ、遠くを見ている。
「……よくやってくれた」
俺は、そちらへ顔を向けた。
「ありがとうございます」
「今のうちに、水を飲みな。傷も見せる」
俺は頷いた。
もう一度、地面が小さく震えた。
ガランさんが、林を見る。
カゲロウさんも、黙ってそちらへ目を向けた。
ゼルガさんは、戦槌を握り直した。
「次は、あっちの番みたいだね」
俺は、斧の柄へ手を添えた。
折れた黒旗の、さらに向こう。
まだ姿の見えない何かが、こちらへ近づいていた。




