23話 ワールドクエスト 魔都二日目 夜間攻防戦
遠くで鳴る盾の音を聞きながら、俺は器を両手で包んだ。
湯気が、顔の前を上がっていく。
一口、飲む。
塩の味がした。
温かい。
隣では、イトが布の下へ脚を収めていた。
俺も、少しだけ目を閉じる。
盾の音。
短い掛け声。
魔法が弾ける、低い音。
眠ったのか、ただ目を閉じていたのか。
それが曖昧になった頃、肩へ軽く手が置かれた。
「修羅。交代だ」
ガランさんの声だった。
俺は顔を上げた。
前の列が、まだ戦っている。
「……はい」
器を返す。
立ち上がって、脚を動かす。
イトも布の下から出てきた。
「行けますか?」
前脚が、一度上がる。
俺は斧を取り、灯りの向こうへ歩いた。
◇
夜の戦場は、戻るたびに少し違っていた。
さっきまで明るかった場所が、暗い。
逆に、右側には新しい灯りがある。
倒れた魔物を運び出した跡が、地面へ残っていた。
俺は目印の布を見つけ、足を止めた。
「修羅、入ります」
前に立っていた斧使いが、頷く。
「右前、窪みがある。踏むなよ」
「分かりました」
「走狗は、今、左から多い」
短く引き継いで、その人が後ろへ下がる。
俺は教わった窪みを確かめた。
土が削れ、片足が入りそうな穴がある。
半歩、位置を変える。
ガランさんの盾が、隣へ収まった。
「右、空けるぞ」
「はい」
暗闇の中で、草が鳴った。
黒い影。
近づいてから、ようやく頭の形が見える。
「来ます!」
盾が鳴る。
俺は、右へ出た。
斧を振る。
手応え。
倒れた体を越えず、低く戻す。
その向こうで、別の影が動いた。
見えない。
でも、音はする。
爪が、石を擦った。
俺は斧を引き寄せ、半歩下がった。
牙が、空を噛む。
その頭へ、柄尻。
浮いた首元へ、刃を入れた。
【経験値を獲得しました】
「……近くまで来ないと、分かりにくいですね」
息を吐く。
昼なら、もっと前に見えていた。
今は、影の中から急に体が現れる。
〈夜、怖いな〉
〈視聴側は映像補正あるけど、本人はもっと暗いんだろ?〉
〈足元、気をつけて〉
「はい。今、戻る場所から先に見てます」
遠くの敵を、無理に全部見ようとしない。
灯りへ入ってくる場所。
自分が踏む地面。
そこを、まず確かめた。
◇
頭上から、膜の翼を持った魔物が下りてきた。
灯りを狙うやつだ。
兵士が、火皿の横へ盾を上げる。
爪が、盾を掻いた。
俺はそちらへ向く。
だが、すぐには振らなかった。
兵士が近い。
その向こうに、別の味方もいる。
「盾、そのまま! 右から入ります!」
声を出して、一歩。
斧を短く振った。
翼の付け根へ、刃。
魔物が、地面へ落ちた。
兵士が盾を引き、槍兵が仕留める。
俺は、元の場所へ戻った。
「助かった!」
「こちらこそ、止めてもらえて助かりました!」
返事をする。
その直後、別の火皿が倒れた。
近くの地面が、暗くなる。
何人かが声を上げた。
俺も、一瞬足を止める。
見えていた物が、消える。
それが、思っていた以上に怖かった。
「灯り、追加!」
後ろから、声。
人が走る。
その間にも、走狗は来ていた。
ガランさんの盾が鳴った。
「正面、いる!」
俺は、音の方向を見る。
盾の縁。
その横へ、黒い頭。
分かった。
踏み込む。
斧。
倒す。
戻る。
新しい灯りが、ようやく置かれた。
俺は、長く息を吐いた。
「……灯り、大事ですね」
「ああ。運んでる人も、守らんとな」
ガランさんが答えた。
◇
何度目かの交代で戻ると、リィナさんが椅子へ座っていた。
膝の上に、空の籠。
目を閉じている。
隣の治療担当が、俺へ小さく手を上げた。
「今、休んでもらっています」
俺は頷いた。
声を落とす。
「お願いします。俺は、手を少し擦ったくらいなので」
掌を見せる。
洗ってもらい、薬を塗る。
新しい布を巻く。
その間、リィナさんは起きなかった。
俺は、少し安心した。
みんな、立ち続けているわけではない。
眠る人。
起きる人。
水を飲む人。
その間に、別の誰かが前へ入る。
それでも、門の外の音だけは途切れなかった。
【種族レベルが上がりました】
【羅刹Lv:103 → 108【UP!】】
俺は数字を見た。
まだ、上がる。
進化の通知は、ない。
「……百八」
〈まだ伸びる〉
〈これは百十も通過しそう〉
〈百五十説、ありそうだな〉
「どうでしょうね。今は、戦い終わってから考えます」
俺は表示を閉じ、食べ物の包みを開いた。
小さく分けたパン。
一切れ、口へ。
噛んでいると、隣へイトが来た。
浅い器へ水を入れる。
俺も、もう一口飲んだ。
前線では、また旗が動いていた。
◇
次に戻ったとき、俺は明るい火皿を長く見ないようにした。
灯りを見た直後は、その外側が余計に暗い。
それに気づいたからだ。
足元。
ガランさんの盾。
その先の、低い草。
目を落ち着かせる。
見えないと思っていた場所にも、わずかな違いがあった。
草の影より、黒い物。
風とは逆に動く輪郭。
地面から、少し浮いた耳。
「……右、二体」
俺が言うと、カゲロウさんがそちらを見た。
「ああ。来る」
走狗が、跳んだ。
ガランさんの盾へ、一体。
もう一体が、その横。
俺は、先に斧を構えていた。
低く振る。
首元へ、刃。
倒れる。
次の一体を、槍が止めた。
さっきより、早く動けた。
俺は、暗い草地へ目を向ける。
見ようとして、目を細めすぎない。
音だけを追わない。
地面の傾き。
草の揺れ。
影が、重なる場所。
そこから、一体。
「前、来ます」
言えた。
盾が、上がった。
◇
どれくらい繰り返したのか。
敵が来る。
盾が鳴る。
斧を振る。
戻る。
交代して、水を飲む。
手を洗う。
少し食べる。
目を閉じる。
呼ばれて、立つ。
前へ戻ると、暗闇の形が少しずつ変わって見えた。
いや。
変わっているのは、俺の方かもしれない。
灯りから外れた走狗の背中。
壁際を動く、イトの脚。
少し前まで見分けにくかった物が、輪郭として残る。
俺は、斧を持つ手へ力を込めすぎないようにした。
見えた瞬間に、全部斬ろうとしない。
近づく場所を、待つ。
走狗が跳ぶ。
横へ避ける。
首の横へ、斧。
戻る。
そのとき、表示が浮かんだ。
【暗所における視認経験が一定値に達しました】
【〈夜目 Lv.1〉を獲得しました】
「……あ」
俺は、目の前を見た。
急に昼になるわけではなかった。
色も、はっきりしない。
でも、黒く潰れていた地面に、起伏がある。
草の向こうに、脚が見える。
少しだけ。
けれど、その少しが大きかった。
〈夜目!?〉
〈夜向きスキルきた!〉
〈ずっと暗い所で戦ってたもんな〉
〈見え方どうなった?〉
「……輪郭が、分かりやすいです」
短く答える。
「全部が明るくなるわけじゃないですけど。さっきより、足と地面が分かれます」
前から、また一体。
俺は、跳ぶ前の脚を見た。
筋肉が縮む。
「来ます!」
盾が、正しい向きへ動いた。
ぶつかる。
俺は、その横へ入った。
◇
夜目の説明を読めたのは、次の交代のときだった。
【夜目 Lv.1】
【わずかな光を利用し、暗所で対象の輪郭や動きを捉えやすくする】
【細かな色の判別には向かない】
【光のない完全な暗闇では機能しない】
俺は、少し頷いた。
だから、火が消えたら何でも見えるようになるわけではない。
月。
星。
城壁の灯り。
そういう光が、届いている場所で助けになる。
「……これ、かなりありがたいですね」
〈洞窟でも灯りはいりそうだな〉
〈でも夜の戦闘では大きい〉
〈修羅の苦手、また一個減った〉
俺は、門の外を見た。
まだ、怖い。
見えるようになったから、暗闇が安全になるわけではなかった。
でも、どこから来たか分からないまま殴られる可能性は、少し減らせる。
それだけで、息がしやすくなった。
隣で、ガランさんが水を飲む。
「俺も、少し前に覚えた」
「夜目ですか?」
「ああ。盾の横を抜ける頭が見やすくなった」
俺は、思わず笑った。
「みんな、強くなってますね」
ガランさんも、笑った。
「お前だけ置いていかせるわけにはいかんからな」
◇
夜が深くなっても、群れは途切れなかった。
数が減ったかと思えば、また草が揺れる。
林の奥で、獣の声。
その声へ応えるように、別の方向から足音が増える。
昼のように、遠くの姿を見て準備する時間は短い。
代わりに、見張りからの声がよく飛んだ。
「右、四!」
「中央、大型!」
「上空、外へ回った!」
俺たちは、その声を受け取る。
全部を、自分で見つけなくてもいい。
右へ向けば、走狗。
中央を見れば、黒鎧牙猪。
頭上の相手は、弓兵へ。
俺は、地上の大型へ向かった。
ガランさんの盾が、斜めに構えられる。
「右へ流す!」
「左、入ります!」
突進。
衝撃。
俺は、前脚の内側へ斧を入れた。
猪が進む。
その後ろ脚へ、イトの糸。
体が傾く。
夜目で、頭の向きが見えた。
まだ、噛みつこうとしている。
俺は近づかず、斧閃を放った。
赤い刃が、首の下へ入る。
倒れる。
【経験値を獲得しました】
【種族レベルが上がりました】
数字は、百十六。
俺は、それを端へ送った。
次の足音が、もう聞こえていた。
◇
走狗の一体が、倒れた猪の陰へ潜った。
少し前なら、見失っていたかもしれない。
今は、腹の下に動く脚が見える。
「猪の後ろ、一体!」
俺が声を出す。
カゲロウさんが、槍を少し下げた。
走狗が出る。
そこへ、穂先。
止まった体を、俺が斬る。
「見えてきたな」
カゲロウさんが言った。
「はい。夜目、覚えました」
「なら、見えたことを頼む。奥は、こちらで見る」
俺は頷いた。
見る範囲が、また分かれる。
俺が前を見つけた分、カゲロウさんは別の場所へ目を向けられる。
一つのスキルが、俺だけのために働いているわけではない。
俺は、次の影へ顔を向けた。
◇
途中、一度だけ門の上へ上がった。
補給と交代のため、短く戻ったときだった。
階段の途中から、外が見える。
灯りが、点々と並んでいた。
その間に、人。
盾。
槍。
時々、魔法の光が上がる。
城壁の内側では、荷車がゆっくり進んでいる。
眠っている人もいた。
外套を掛け、椅子へ体を預けている。
その横で、別の人が靴を履いていた。
起きる番。
寝る番。
俺たちは、少しずつ入れ替わりながら、同じ場所を守っていた。
「……本当に、ずっとですね」
呟く。
近くにいた兵士が、こちらを見た。
「疲れたか」
「はい」
素直に答える。
兵士が、少し笑った。
「俺もだ」
それから、前線へ目を向ける。
「だから、戻るたびに休め。お前が戻る間は、ほかのやつが立つ」
俺は、下に見える盾の列を見た。
さっきまで、俺がいた場所。
今は、別の斧使いが立っている。
「……はい」
水を持ち直して、階段を下りた。
◇
次の休憩では、リィナさんが起きていた。
俺たちを見ると、用意していた器を差し出す。
「温かい物です。少しだけでも」
「ありがとうございます」
受け取る。
手が、少し冷えていた。
昼は暑かった外套が、今はありがたい。
イトは、毛布の上へ体を下ろした。
リィナさんが脚の擦れたところを確かめる。
俺も、斧を置いて掌を開いた。
包帯は、まだ大丈夫。
籠手の留め具も、緩んでいない。
その横へ、成長の表示を出す。
【羅刹Lv:116 → 124【UP!】】
「……百二十四」
〈まだ上がる!〉
〈百二十も通過したな〉
〈やっぱり百五十?〉
〈でも表示出ないから分からん〉
「はい。まだ、何も出てません」
俺は頷く。
進化の通知は、ない。
上限に届いたという文字も。
ただ、力は増えていた。
斧の戻りが軽い。
脚が、次の一歩へ出る。
それでも、疲れはある。
眠くもなる。
強さと、休まなくていいことは別だった。
俺は、温かい汁を飲んだ。
リィナさんが、俺の顔を覗く。
「次の交代まで、少し横になりますか?」
「……はい。お願いします」
敷物へ体を下ろす。
斧は、手を伸ばせば届く場所。
でも、握ったままにはしない。
目を閉じる直前、イトの前脚が指へ触れた。
「……少し、寝ましょう」
小さく動く脚を確かめて、俺も力を抜いた。
◇
また、呼ばれた。
体を起こす。
少しだけ、どこにいるのか分からなくなる。
灯り。
布の屋根。
水の器。
それから、斧。
ああ。
まだ、夜の途中だ。
「行けるか」
ガランさんが聞く。
俺は、指を動かした。
脚へ、体重をかける。
大丈夫。
「行けます」
イトも、立ち上がった。
前線へ戻る。
空気は、さっきより冷たかった。
吐いた息が、少し白く見える。
夜目のおかげで、灯りの間の道も分かりやすい。
俺は、地面の穴を避けて歩いた。
前へいた人と、場所を交代する。
「右の奥、少し数が多い」
「分かりました。お疲れ様です」
その人が下がる。
ガランさんの盾が、隣へ来る。
いつもの音。
いつもの位置。
俺は斧を構えた。
◇
そこから先は、時間より、交代の回数で覚えている。
一回戻ったとき、矢を運ぶ箱の形が変わっていた。
次に戻ったとき、食事を渡す人が別の人になっていた。
また次は、火皿の油を継ぎ足しているところだった。
前へ出るたび、敵はいた。
走狗。
猪。
大きな翼。
そのうち、夜目でも見つけにくい、毛の細い獣も混じった。
分からない相手は、鑑定する。
見えたことを、声にする。
盾で止める。
糸が引く。
槍が入り、斧が届く。
ときどき、俺も声を張った。
「右、持ってます!」
「戻る道、空いてます!」
戦声へ、少し魔力を乗せる。
その声を聞いた人が、後ろを確かめて下がる。
代わりの盾が入る。
列が、途切れない。
俺は、また前を見る。
〈すごい夜になったな〉
〈さっき寝て、起きてきた。まだ守ってる〉
〈交代組です。今から行く〉
〈修羅、夜目で動きよくなったな〉
コメントの人も、入れ替わっていた。
ずっと見ていた人が、おやすみと書く。
起きた人が、おはようと入ってくる。
俺は、短く返事をした。
「お疲れ様です。起きた人、おはようございます」
それから、斧を振った。
◇
東の空が、ほんの少し薄くなった頃。
走狗の群れが、ようやく小さくなり始めた。
遠くの草地が、黒一色ではなくなる。
木の幹。
石。
低い丘。
夜目で拾っていた輪郭へ、少しずつ色が戻ってきた。
俺は、前から来た一体を倒した。
低く戻す。
次を、待つ。
来ない。
城壁の上で、旗が動いた。
少し間を置いて、鐘。
【第7波の撃退を確認しました】
【夜間防衛に成功しました】
【魔都ヴァルグ・都市中枢健在】
俺は、その文字を見上げた。
肩から、力が抜ける。
「……朝」
隣で、ガランさんが空を見ていた。
「ああ」
声が、少し掠れている。
俺も、似たようなものだった。
少し遠くで、誰かが笑った。
「守ったぞ……!」
その声へ、別の人が返す。
大きな歓声にはならなかった。
みんな、疲れていた。
でも、盾を軽く叩く音が、少しずつ広がった。
俺も、斧の柄を掌で一度叩いた。
守った。
夜も、越えた。
◇
戻る前に、通知を開いた。
【種族レベルが上がりました】
【羅刹Lv:124 → 132【UP!】】
【〈夜目 Lv.1〉を獲得しました】
【〈夜目〉のレベルが上がりました】
【Lv.1 → Lv.2】
俺は、数字を見た。
百三十二。
まだ、進化の表示はない。
「……結構、上がりましたね」
〈百三十二!?〉
〈夜通しでどれだけ倒したんだ〉
〈夜目も二になった!〉
〈もう三日目だぞ〉
三日目。
最終日。
俺は、その言葉を頭の中で繰り返した。
空の色が変わっている。
今日、あの巨大な影が来る。
その前に、俺たちは夜を越えた。
力も増えた。
見えなかった場所も、少し見えるようになった。
でも、今は。
「……飯、食べたいです」
声に出すと、ガランさんが笑った。
俺も、笑った。
◇
門の内側へ戻る。
朝の炊き出しが、始まっていた。
湯気。
焼いたパンの匂い。
徹夜の人と、これから配置へ入る人が、同じ広場を行き交っている。
リィナさんが、俺たちを見つけた。
近づいてくる。
顔を見る。
手を見る。
それから、ようやく言った。
「お帰りなさい」
俺は、頷いた。
「……ただいまです」
イトが、足元へ寄ってくる。
俺はその白い体へ、手を置いた。
毛には、細かい土がついていた。
それでも、ちゃんと戻ってきた。
二人とも。
俺は斧を置き、用意された場所へ腰を下ろした。
夜目があっても、目を閉じれば何も見えない。
その暗さは、今は少し安心できた。
「次まで、少し休みます」
「はい。呼ぶ時間まで、休んでいてください」
リィナさんの声が、近くで聞こえる。
俺は頷いた。
遠くでは、街の鐘がゆっくり鳴り始めていた。
最終日の朝を、知らせる音だった。




