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9話 ダンジョンへの帰還

●主人公視点


 椅子を買いに来たはずでした。


 どうも、修羅です。


 目の前には、椅子があります。


 机もあります。


 鍋もあります。


 服も、靴も、毛布も。


 少し離れたところには、俺の防具が並んでいました。


「……結構、買いましたね」


 俺が言うと、マルクさんが手元の紙を見た。


「必要な物を順番に確認しただけなんですけどね」


〈引っ越しだ〉

〈椅子から始まる新生活〉

〈三人暮らしになるからな〉


 隣で、リィナさんが布の束を抱えている。


 イトは、その端を指先で触っていた。


「やわらかい」


「はい。寝るときに使うやつです」


 頷きが返る。


 気に入ったらしい。


 俺は、並んだ荷物をもう一度見た。


 これを持って、帰る。


 久しぶりに、家へ。


     ◇


 帰ろうと思ったのは、昨日の夕食のときだった。


 ヴァルグには、まだ見ていない店がたくさんある。


 受けてみたい依頼もある。


 でも、家を空けて随分経った。


 ガドに留守を頼んではいるけど、いつまでも任せきりにはできない。


 ダンジョンの様子も、自分で確かめたかった。


「一度、戻ろうと思います」


 食事の途中でそう話すと、マルクさんが顔を上げた。


「小鬼の集落の近くでしたね」


「はい。集落から、少し離れた森にあります」


 マルクさんは、スプーンを置いた。


 しばらく考えてから、こちらを見る。


「でしたら、商会の荷車と一緒に帰りませんか」


「……いいんですか?」


「ちょうど、西へ向かう小さな商隊を出す予定なんです。峡谷寄りの宿場への補充便ですが、その先まで足を延ばせるか、以前から調べたくて」


 指で、机の上に道を描く。


「修羅さんが暮らしている集落で、何が必要とされているか。反対に、こちらで買えそうな物があるか。一度、お話を伺えればと思います」


「交易、ですか」


「まだ、できるかを見に行く段階ですけどね」


 マルクさんは、そこを丁寧に言った。


「道が荷車に向いているかも分かりませんし、集落の方が商人を受け入れたいかも、聞いていませんから」


 俺は、ガドを思い浮かべた。


 村の職人さん。


 子供たち。


 あそこに、街の商品が届く。


 少し、面白そうだった。


「紹介するくらいなら、できます。ただ、俺が売るとか買うとか決めるわけじゃないので」


「もちろんです。こちらから、きちんとお願いします」


 マルクさんが頷く。


「家具も運べますよ。収納鞄に入る物は入れて、難しい物はこちらで」


 それを聞いて、俺は椅子を買う決心をした。


 決心した結果が、今、目の前に並んでいる物たちだ。


     ◇


 買い物は、リィナさんがいると随分違った。


 俺一人なら、大きな鍋を見て終わっていたと思う。


 でも、彼女はその横にある蓋を確かめ、底の厚さを見て、持ち手を握った。


「大鍋は、お家にあるんですよね」


「大会の景品でもらったやつがあります」


「でしたら、少ない量を作れる物が欲しいです。お湯を沸かすだけのときもありますし」


 小鍋。


 蓋。


 湯を沸かすやかん。


 目の細かいざると、保存用の瓶。


 小さな匙を何本か。


 それから、薬草を潰すための乳鉢。


「これは、私の分から出します」


 リィナさんが言って、財布を開いた。


 俺は頷く。


「じゃあ、料理に使う方は、家の分で」


「はい」


 店主に包んでもらい、収納鞄へ入れる。


 見た目より、ずっと入る。


 ただし、何でも雑に放り込んでいいわけではなかった。


「瓶は、こちらへ」


 マルクさんに止められる。


「割れないように包んでから。鞄の中で揺れないとは、書いてありませんからね」


「……なるほど」


〈便利鞄にも梱包は必要〉

〈商人がいてよかった〉

〈修羅、そのまま全部入れる気だったな〉


 少しだけ、そうでした。


 家具屋では、大きな机を一つ。


 俺とリィナさんと、人の姿のイトが座れる椅子を三脚。


 俺の椅子だけは、店主が一度座らせて確かめていた。


「力いっぱい座るなよ」


「普通に座りますよ」


「その普通が、こっちの普通と違うことがあるんだ」


 太い脚の椅子が出てきた。


 座る。


 軋まない。


「……いいですね」


 背中を預けると、イトが隣の椅子へ座った。


 両手を机へ置く。


 俺を見る。


「ごはん」


「帰ったら、ここで食べましょう」


 イトが頷いた。


 その後は、寝具だった。


 リィナさんの寝台と敷物。


 イトが蜘蛛の姿でも休める、厚い布を重ねた大きな敷物。


 俺には、枕。


 枕は、少し悩んだ。


 何種類か触って、宿で使っていた物に近い物を選んだ。


〈ついに買った〉

〈長かったな〉

〈鳥の羽毛はどうするんだ〉


「別のやつも、作ってみますよ。予備に」


 手に持った枕は、柔らかかった。


 買ってよかった。


     ◇


 服も、買った。


 リィナさんには、動きやすい上着と丈夫な靴。


 旅の間に羽織れる外套も。


 イトには、人化したときの服を二組。


 背中に残る脚の位置を店主へ説明すると、布を当てながら何か所か印をつけてくれた。


「ここが突っ張るんだな。脇も少し余裕を作ろう」


 イトが腕を上げる。


 下げる。


 もう一度、上げる。


「……着やすい?」


「うごく」


「よかったです」


 俺も、普段着を買った。


 戦わない日まで、防具をつけている必要はない。


 そう気づくまでに、随分かかった。


 上着を羽織り、鏡を見る。


 角のある、普通の人。


 いや、普通ではないかもしれないけど。


 少なくとも、狩り帰りの格好ではなかった。


「似合っていますよ」


 リィナさんに言われ、少し照れる。


「……どうも」


 その後、工房へ向かった。


 防具は、買い替えではなく補修をお願いした。


 岩鱗の板で使える部分は残し、傷んだ革と紐を交換する。


 背中から魔力の腕を出すことも説明したが、服や防具を突き破って生えるわけではない。


 ただ、腕を動かす邪魔になる袋や、垂れた紐は減らした方がよさそうだった。


「武器を掛ける位置も、少し変えるか」


 職人が俺の腰を見た。


 短剣を抜く。


 戻す。


 魔力の腕を出して、同じ動きを試す。


 まだ、普通の手までつられて動いた。


 職人は、しばらく黙って見ていた。


「……まず、自分の腕を覚えろ」


〈ごもっとも〉

〈村でも街でも職人に叱られる〉


「練習中です」


 黒角の大戦斧は、刃と柄を点検してもらった。


 俺が蟻と戦い続けた時間を聞くと、職人は斧を持ち直し、刃元へ顔を近づけた。


「よく保ったな」


 小さく呟く。


 俺は、頷いた。


「……助けてもらいました」


 整えられた斧を受け取る。


 握り直すと、いつもの重みが掌へ戻った。


     ◇


 出発は、その翌朝だった。


 荷車は、三台。


 運ぶのは、宿場へ届ける油や塩、布、工具など。


 俺たちの家具は、一番後ろの荷車へ積んでもらった。


 交易の相談用に持っていく商品も、少量ずつ分けてあるらしい。


 護衛は、四人。


 その中に、ドランさんがいた。


「……あれ。脚、大丈夫なんですか?」


「お前に休めと言われたくはないな」


 腕を組まれる。


 俺は、何も言い返せなかった。


 ドランさんは少し笑い、足を一度踏み鳴らした。


「医師の許可は取った。今回は、人数も増やしてある」


「よかったです」


 マルクさんが、最後の荷物を確かめる。


 数。


 縄。


 車輪。


 俺は、言われる前に垂れていた縄をまとめた。


 マルクさんがこちらを見て、頷く。


「では、行きましょうか」


 門が開く。


 荷車が動き出した。


 リィナさんは、後ろの荷台へ。


 イトは、その隣。


 俺は、歩いた。


 久しぶりの帰り道。


 でも、行きとは音が違った。


 車輪。


 荷物の触れ合う音。


 誰かの話し声。


 頭の上は、少し軽い。


 振り返ると、イトが荷台から手を上げた。


 俺も、手を上げ返した。


〈帰宅編だ〉

〈荷物も仲間も増えたな〉

〈村のみんな、驚くだろうな〉


「俺も、久しぶりに会うので楽しみです」


     ◇


 商隊の旅は、俺一人で歩くよりゆっくりだった。


 坂では、車輪の通る場所を選ぶ。


 橋では、一台ずつ渡る。


 雨が降りそうなら、荷物へ布をかける。


 そのたびに、マルクさんが地図へ書き込んでいた。


「ここ、覚えるんですか?」


「荷を増やしたときに通れるか、知っておきたいので」


 轍の横へしゃがみ、道幅を見ている。


「修羅さんが歩ける道でも、この荷車では通れない場所がありますから」


 俺は、行きに越えてきた岩場を思い出した。


 確かに。


 自分の足で行けるかどうかしか、見ていなかった。


 昼の休憩では、リィナさんが鍋を火へかけた。


 水。


 切った干し肉。


 硬い野菜を少し。


 宿で教わったらしい香草を入れると、湯気の匂いが変わった。


「いい匂いだな」


 ドランさんが寄ってくる。


「もう少しで、できます」


 イトは、人の姿で匙を並べていた。


 一人分ずつ、数えながら。


「いち。に……」


 途中で俺を見る。


 俺は、隣の護衛を指した。


「そっちにも、一つです」


 頷いて、置く。


 荷車の陰に座り、みんなで食べた。


 同じ道なのに、知らないことが多い。


 俺は器を持ち直し、もう一口飲んだ。


     ◇


 黒角の峡谷へ着いたのは、翌日の昼前だった。


 砦の見張りが、こちらへ手を上げる。


 俺が名乗ると、すぐに人を呼んでくれた。


 しばらくして、奥から大きな影が現れる。


 黒い角。


 太い腕。


 見慣れた、斧。


 ガルゼンだった。


「……戻ったか」


「はい。帰る途中です」


 俺を見る。


 首筋。


 角。


 その視線が、少しだけ長く止まった。


「変わったな」


「進化しました。羅刹、です」


 ガルゼンは、黙って頷いた。


 その反応だけで、俺の方が落ち着かなくなる。


「何か、まずかったですか?」


「いや」


 太い指が、俺の肩を軽く押した。


 反射的に、足を引く。


「立てる。なら、振れる」


「……今、ですか?」


「今だ」


〈始まった〉

〈帰りの挨拶が訓練になる〉

〈荷物積んでても関係ないんだな〉


 俺は商隊を振り返った。


 ドランさんが、既に荷車を道端へ寄せていた。


「車輪を見る。少しなら構わん」


 逃げ道がなくなった。


     ◇


 広場で、木の棒を持つ。


 ガルゼンが、向かいに立つ。


 俺は、一度だけ息を整えた。


 踏み込む。


 振る。


 前より速い。


 自分でも、そう思った。


 ガルゼンが、棒を傾ける。


 俺の攻撃が流れた。


 肩へ、軽い衝撃。


「速くなった分、戻りが遅い」


「……はい」


 もう一度。


 今度は、振り抜きすぎない。


 足を運ぶ。


 横へ抜けようとしたところで、棒が来る。


 受ける。


 腕へ、重みが乗った。


「背中は」


「え?」


「増えたのだろう」


 俺は、ガルゼンを見た。


 黒い目が、こちらを見ている。


「……分かるんですか」


「使え」


 羅刹腕を出す。


 赤い腕が、肩の後ろへ伸びた。


 ガルゼンが踏み込む。


 俺は普通の腕で棒を受け、魔力の手を伸ばした。


 相手の棒へ。


 触れる。


 掴もうとする。


 その前に、すっと引かれた。


 空振り。


 額へ、こつん。


「見てからでは遅い」


「……難しいんですよ、これ」


「なら、練習しろ」


 いつもの返事だった。


 でも、三度目。


 魔力の指が、一瞬だけ棒へ掛かった。


 ガルゼンの動きが、わずかに変わる。


 俺は、普通の両手で棒を返した。


 当たらなかった。


 避けられた。


 それでも、ガルゼンはそこで止まった。


「今のを、覚えろ」


 俺は、息を吐いた。


「はい」


     ◇


 訓練を終え、リィナさんとイトを紹介した。


 ガルゼンは、イトを見下ろした。


 白い髪。


 灰色の瞳。


 背中の、小さな脚。


「蜘蛛か」


 イトが、俺の袖を掴んだ。


 少しだけ、後ろへ寄る。


 ガルゼンは気にせず、頷いた。


「大きくなったな」


 イトが、顔を上げる。


「おぼえてる?」


「ああ」


 短い返事。


 イトは少し迷ってから、前脚の代わりに手を上げた。


 ガルゼンは、それを見ていた。


 それから、荷車へ視線を移す。


 マルクさんが、一歩前へ出た。


「渡り鳥商会のマルクです。西へ抜けた先の集落で、交易のお話を伺えればと思いまして」


 挨拶をして、道について尋ねる。


 ガルゼンは地図を見た。


「岩場を荷車で越えるな。南へ回れ」


 太い指が、道をなぞる。


「遠いが、谷沿いに古い道がある。雨の後は水が出る。今日は通れる」


 マルクさんが、すぐに書き込んだ。


「助かります。往復の荷を増やした場合も――」


「橋は、一台ずつだ」


「はい」


 俺は、二人のやり取りを見ていた。


 行きは、魔物の話を聞いた。


 帰りは、荷車の通る道を教わっている。


 聞くことが変わると、同じ人から違う情報が出てくる。


 マルクさんが頭を下げる。


 ガルゼンは、俺へ顔を向けた。


「家へ戻るのか」


「はい」


「なら、戻れ」


 少しだけ、間が空く。


「振る場所は、逃げん」


 俺は、笑った。


「また来ます」


 ガルゼンは、棒を肩へ担いだ。


「腕を、使えるようにしてこい」


     ◇


 そこからは、教わった谷沿いの道を進んだ。


 道は、確かに遠回りだった。


 でも、荷車は通れた。


 崩れた場所では石を寄せ、狭い場所では護衛が先へ回って確かめる。


 俺も、後ろから押した。


 マルクさんは、何度も振り返っていた。


 商売として通い続けられるか。


 一度通れたから、それで終わりではないらしい。


 そして、さらに一日。


 見覚えのある木が増えた。


 川の曲がり方。


 浅瀬の石。


 小鬼たちが使う道。


「……もう、近いです」


 声に出すと、少し足が速くなった。


 前方で、笛のような音がした。


 茂みが動く。


 槍の穂先。


 その向こうに、見慣れた顔があった。


「止まれ」


 ガドだった。


 荷車を見る。


 護衛を見る。


 俺を見る。


 目が、少し細くなる。


「……帰ったか」


「ただいま、です」


 俺は手を上げた。


 ガドが近づいてくる。


 角へ視線が止まった。


 首筋へ。


 それから、イト。


 リィナさん。


 最後に、荷車いっぱいの荷物。


「……増えたな」


「いろいろ、ありまして」


〈本当にいろいろあった〉

〈説明に時間かかるぞ〉

〈ガド、お久しぶり!〉


 ガドは、少しの間黙っていた。


 それから、俺の背負った斧を見た。


「使えてるか」


「はい。まだ、練習中ですけど」


 頷きが返る。


 俺は隣のマルクさんを紹介した。


「商人のマルクさんです。集落で取引できるか、お話を聞きたいそうで」


 マルクさんが、深く頭を下げる。


「突然の訪問で申し訳ありません。品物を少し持ってきています。必要な物があるか、こちらで買える物があるか、お話だけでも伺えれば」


 ガドは、すぐには返事をしなかった。


 荷車へ近づき、積まれた木箱を見る。


「何がある」


「塩、布、針、油。あとは、小さな工具を」


「……針」


 ガドが繰り返した。


 少し考える。


「長老へ聞く。ここで待て」


「ありがとうございます」


 ガドは、仲間へ短く指示を出した。


 一人が、集落へ走っていく。


 俺は川の向こうを見た。


 柵。


 屋根。


 火の煙。


 帰ってきた。


 その実感が、ようやく湧いてくる。


     ◇


 集落へ入る許可は、間もなく出た。


 荷車が近づくと、子供たちが集まってくる。


 見慣れない箱。


 布をかけた椅子。


 俺の隣を歩く、リィナさん。


 そして、イト。


「誰?」


 子供の一人が、イトを指した。


 俺は、少し笑った。


「イトです」


 全員が、黙った。


 ガドも、もう一度こちらを見た。


 イトが、手を上げる。


「ただいま」


 子供たちが、俺を見た。


 イトを見る。


 俺を見る。


「……蜘蛛は?」


「この子が、その蜘蛛です」


 また、沈黙。


 それから、一人がぽつりと言った。


「修羅が、食わせすぎた?」


〈wwwww〉

〈成長の理由が飯〉

〈否定しきれない〉


「ちゃんと、戦って強くなったんですよ」


 説明しながら、俺も笑ってしまった。


 集落の奥から、片方の角が折れた職人さんが出てくる。


 俺を見るなり、腰へ手を当てた。


「遅かったな」


「ただいまです」


「防具、出せ」


 早い。


 挨拶の次が、それだった。


 俺が籠手を見せると、交換された革と金具を確かめる。


「街で直したか」


「はい」


「悪くない」


 短く言って、今度はイトへ目を向けた。


 背中の脚。


 袖。


 靴。


「……そっちも、後で見せろ」


 イトが、俺を見上げる。


 俺は頷いた。


「服とか道具に、詳しい人です」


 イトが、少し安心したように頷く。


 その間に、マルクさんは長老の前へ案内されていた。


 木箱が、一つ開く。


 塩の包み。


 布。


 針を収めた、小さな箱。


 人が集まり始める。


「布は、この幅で一枚です。針は、太さが三種類あります」


 マルクさんの声が聞こえた。


 村の女性が、針を手に取る。


 職人さんも、そちらへ顔を向けた。


 少しずつ、話が始まっていた。


 俺は、荷車の後ろへ回った。


 自分たちの机。


 椅子。


 鍋。


 毛布。


 家へ運ぶ物は、まだたくさんある。


 リィナさんが、隣へ来た。


「ここが、修羅さんの知っている集落なんですね」


「はい。随分、お世話になりました」


 イトが、俺の手を握る。


「いえ、どこ?」


 俺は、森の方を指した。


「もう少し、向こうです」


 木々の奥。


 蜘蛛たちと、猪たちが待っている。


 新しい机を置いて、椅子を並べる。


 鍋をしまって、寝床を整える。


 それから。


「今日は、みんなでご飯にしましょう」


 リィナさんが笑った。


 イトも、頷く。


 背後では、村の人と商人の話が続いている。


 俺は椅子の包みへ手をかけた。


 やっと、これを家へ置ける。


 そのことが、何だか無性に嬉しかった。




やっと、これを家へ置ける。


 そのことが、何だか無性に嬉しかった。


 俺は椅子の包みを持ち上げる。


 続けて、机へ手を伸ばした。


「……それは、二人で持ってください」


 後ろから、マルクさんの声がした。


 振り返ると、長老との話を一度切り上げたらしい。


 手元の帳面を閉じながら、こちらへ歩いてくる。


「持てますよ?」


「持ち上がるかどうかではなく、ぶつけずに運べるかどうかです」


 俺は、机を見た。


 四本の脚。


 横に長い天板。


 森の木々。


「……なるほど」


〈力は足りてる〉

〈足りてないのは道幅〉

〈早速壊すところだった〉


 マルクさんが、荷車の後ろへ回る。


「お家まで、荷車は通れますか?」


「途中までは、たぶん。ただ、最後は木の間を通るので」


「でしたら、無理に入れず、運べる場所から手で運びましょう」


 そう言って、机の脚へ触れた。


「それと、これは脚を外せます」


「……え?」


 金具が回る。


 脚が、一本外れた。


 俺は、黙って見ていた。


「組み立て式です。お店で説明されていましたよ」


「……椅子、触ってたかもしれません」


〈枕のときは真剣だったのに〉

〈説明は聞こう〉


 机が、平たくなっていく。


 すごい。


 家具を作る人は、運ぶことまで考えているらしい。


     ◇


 家へ向かう人数は、少し増えた。


 俺たち三人。


 マルクさん。


 荷車を扱う商会の人と、護衛のドランさん。


 それから、ガド。


「留守中のことを、話す」


 そう言って、槍を持ち直した。


「ありがとうございます。何か、ありました?」


「蜘蛛が網を張る。猪が掘る」


「……いつも通りですね」


「入口の横を、掘りすぎた」


「そこは、止めてほしかったなぁ」


 ガドが、俺を見た。


「止めた」


「すみません。助かります」


 頭を下げる。


 その横で、イトが前脚の代わりに手を上げた。


「ただいま、する」


「ああ」


 ガドが頷く。


 少し間を置いて、イトをもう一度見る。


「……よく、喋るようになったな」


 イトが俺の顔を見た。


 俺も、少し笑う。


「最近、どんどん覚えてます」


     ◇


 集落を離れ、森へ向かう。


 最初は、荷車も進めた。


 狩りで使う道だけあって、下草は少ない。


 ただ、しばらくすると根が増え、車輪が大きく揺れ始めた。


 マルクさんが、そこで止めた。


「この先は、手で運びましょう。帰りに荷車を傷めると困ります」


 広くなった場所へ、荷車を寄せる。


 荷物を下ろす。


 平たくなった机は、俺とドランさん。


 椅子は、商会の人が二脚。


 残りの一脚と寝具は、俺が後で取りに戻ることになった。


 小さな調理器具や服は、収納鞄へ入る。


 入るんだけど。


「……便利ですね、これ」


 鍋を一つしまう。


 布の包みも、しまう。


 見た目は、ほとんど変わらない。


 マルクさんが、鞄の口を見ていた。


「容量と重量の限界は、後で詳しく確かめさせていただいても?」


「はい」


「ありがとうございます」


 返事が、ちょっと嬉しそうだった。


〈商人の目になった〉

〈輸送の可能性を見ている〉

〈貸してくれじゃなくて調べさせてくれなのが本気〉


 イトは、毛布を抱えていた。


 自分の体ほどある包みを、両手で持っている。


「重くないですか?」


「かるい」


「じゃあ、お願いします」


 頷きが返る。


 リィナさんは食器の包みを持ち、足元を見ながらついてきた。


「道、少し曲がります。根っこが出てるので、気をつけてください」


 俺が声をかける。


 机の後ろを持ったドランさんが、低く返事をした。


「お前も前を見ろ。今、枝に角をぶつけかけたぞ」


「……はい」


     ◇


 木々の間に、見慣れた岩が見えた。


 その下に、暗い入口。


 灯りが、奥で小さく揺れている。


 帰ってきた。


 足が、自然と速くなりかけた。


「おい。机」


 ドランさんに言われ、止まる。


「すみません」


 そっと荷物を下ろした。


 入口の横には、確かに穴があった。


 前より深い。


 その脇に、木の枝で組んだ簡単な柵。


 ガドが止めた跡らしい。


「……帰ったら、話をしましょう」


〈猪に?〉

〈伝わるかな〉

〈掘る場所は決めた方がよさそう〉


 まずは、帰宅の設定を確認する。


 商会の人たちを、俺の同行者として登録した。


 それから、入口へ声をかける。


「ただいま、です」


 奥で、かさりと音がした。


 白い糸が揺れる。


 壁の上から、小さな蜘蛛が一匹現れた。


 続いて、もう一匹。


 床の奥では、黒っぽい鼻先が動く。


「今日は、荷物を運んでもらってます。攻撃しないでくださいね」


 声に出してから、管理の表示でも指示を確かめた。


 留守中の防衛設定は、解除。


 通路の一部に張られていた糸も、蜘蛛たちが少しずつ端へ寄せていく。


 マルクさんが、俺の横から中を覗いた。


「……本当に、お住まいなんですね」


「はい。ちょっと、まだ物は少ないですけど」


 そう答えたところで、壁の蜘蛛が動きを止めた。


 イトの方を向いている。


 イトも、蜘蛛を見た。


 毛布を、地面へ置く。


 小さく手を上げた。


「ただいま」


 蜘蛛は、動かなかった。


 もう一匹が、少し後ろへ下がる。


 イトが俺を見る。


 俺は、少し困った。


「……姿が違うので、分からないんですかね」


 ガドが、後ろから言った。


「確かめてる」


 イトは、自分の手を見た。


 それから、リィナさんへ顔を向ける。


「もどる」


「はい。こちらで」


 大きな毛布を広げ、入口脇の岩陰へ回る。


 少しして、淡い光が漏れた。


 白い脚が、岩の向こうから現れる。


 進化した蜘蛛の姿。


 俺の腰ほどまである、大きな体。


 それが入口へ近づくと、小さな蜘蛛たちが一斉に動いた。


 壁を下りる。


 床を走る。


 イトの脚へ、前脚を触れる。


 一本ずつ。


 確かめるように。


 イトも、体を低くして応えた。


「……分かったみたいですね」


〈おおお〉

〈仲間の確認してる〉

〈イトだけめちゃくちゃ大きい〉

〈蜘蛛たちの同窓会〉


 小さな蜘蛛が一匹、イトの白い腹へ登った。


 途中で止まり、少し脚を動かす。


 イトは、じっとしていた。


 俺は、その様子を見て笑った。


「今度は、乗られる側ですね」


     ◇


 入口の奥から、猪が出てきた。


 一頭。


 続いて、もう一頭。


 岩みたいな背中が、通路の灯りを受ける。


 マルクさんの足が、ぴたりと止まった。


「……大きいですね」


「岩背猪です。うちの子なので、大丈夫ですよ」


 俺はしゃがんだ。


 鼻先が、伸びてくる。


 掌を嗅がれた。


 続いて、収納鞄。


 そこは、しつこく嗅がれた。


「肉は入ってますけど。後でです」


 鼻が押しつけられる。


「後で」


〈話聞いてない〉

〈留守中も元気だったようで〉


 片方の猪が、入口横の穴へ向かおうとした。


 俺は、その前へ回る。


「そこは、もう掘らないでください」


 猪が、止まる。


 俺を見る。


 土を見る。


 前脚が、動いた。


「……はい。掘る場所、作りましょうね」


 後ろで、ドランさんが笑った。


     ◇


 最初に運び込んだのは、机だった。


 入口を広げておいて、本当によかった。


 それでも、角度を変えながら通す必要はあった。


「そっち、少し下げてください」


「これ以上下げると、指を挟むぞ」


「あ、じゃあ俺が持ち上げます」


「先に言え」


 何とか、生活用の広間へ。


 壁際には、前から使っていた寝床。


 その横に、素材と道具を置いた場所。


 奥には、調理設備が残っていた。


 火床。


 作業台。


 大きな鍋。


 煙を逃がすための通り道。


 出かける前と、同じだった。


 俺は、少し立ち止まった。


「……ちゃんと、ありますね」


 当たり前なんだけど。


 蟻の部屋にいたとき、何度かここを思い出した。


 寝床。


 灯り。


 帰ったら食べようと思っていた物。


 そこへ、今はリィナさんが入ってくる。


 イトもいる。


 マルクさんたちも、荷物を持って立っている。


「机は、この辺りですか?」


 商会の人に聞かれ、俺は顔を上げた。


「あ、はい。火から、少し離してお願いします」


 机を置く。


 脚を取り付ける。


 椅子が運ばれる。


 一脚。


 二脚。


 三脚。


 俺は、しばらくそれを見ていた。


 何もなかった場所に、食卓ができた。


〈家になってきた〉

〈最初を知ってると感動するな〉

〈石の椅子、ついに引退か〉


「……長く、お世話になりました」


 端へ寄せた石を見る。


 座るには硬かったけど、悪い石ではなかった。


 ガドが、俺の横へ来た。


「それ、道具を置ける」


「じゃあ、まだ使えますね」


 現役続行になった。


     ◇


 荷車まで、もう一往復した。


 寝具。


 椅子。


 保存用の瓶。


 残りの荷物を運び終える頃には、腕より頭が疲れていた。


 どこへ置くか。


 何を先に開けるか。


 使いやすい並べ方は、どれか。


 そういうことを、考える必要があった。


 リィナさんは、調理台の前で包みを開いている。


「お鍋は、こちらへ置いてもいいですか?」


「はい。任せます」


「食器は火のそばだと汚れやすいので、少し離しますね」


「お願いします」


 俺が瓶を置こうとすると、そっと位置を変えられた。


 使う頻度で、並べているらしい。


 マルクさんは、荷物の一覧を読み上げていた。


「毛布、三つ。替えの布、一包み。小鍋、蓋、やかん……」


 一つずつ確認。


 忘れ物は、なかった。


「以上です。無事、届きましたね」


「本当に、助かりました」


 俺は、頭を下げた。


「一人だと、何往復したか分からなかったです」


「こちらも、道を見られましたから」


 マルクさんが、入口の方を振り返る。


「荷車を止めた場所までなら、天気のいい時期は通れそうです。ただ、定期的に運ぶとなると、何か所か手を入れたいですね」


「集落までの道も、ですか?」


「はい。まずは少ない荷で往復してみるのがよさそうです。長老様とも、品物を試してから次を相談するお話になりました」


 針と塩、布の一部を、今回は集落へ置いていく。


 代わりに、加工した革と乾燥させた森の素材を少量預かり、街で売れるか確かめる。


 すぐに大きな取引が始まるわけではない。


 でも、一度目ができた。


 ガドが、腕を組んで言う。


「針は、助かる」


「でしたら、次は太さを増やして持ってきます」


 マルクさんが頷いた。


 俺は、そのやり取りを見ていた。


 自分の帰り道が、誰かの商売の道になるかもしれない。


 そう思うと、少し不思議だった。


     ◇


 最後に、ダンジョンの管理画面を開いた。


 入口。


 二階層。


 三階層の核。


 配置された魔物たち。


 異常は、ない。


 留守中に迷い込んだ魔物の記録が、いくつか残っていた。


 防衛は、きちんと機能していたらしい。


 俺は、ひとつずつ確かめてから閉じる。


「……みんな、お疲れ様でした」


 近くの蜘蛛が、前脚を動かした。


 猪は、調理台の方を見ていた。


 そっちは、まだです。


 荷運びが終わったマルクさんたちは、集落へ戻ることになった。


 今夜はそこで休み、翌朝から帰り道を確かめるらしい。


 俺は入口まで見送った。


「また、来てください。今度は、ちゃんと食事も出しますので」


「楽しみにしています」


 マルクさんが笑う。


 ドランさんは肩を回した。


「次は、机を運ぶ前に呼んでくれ」


「はい。ありがとうございました」


 ガドが、最後に残った。


 俺を見る。


 少し開いた入口の奥を見る。


 新しい机と、そこで動くリィナさん。


 人の姿へ戻ったイト。


「増えたな」


 さっきと同じ言葉だった。


 でも、今度は少し違って聞こえた。


「はい」


 俺は頷いた。


 ガドも、短く頷く。


「なら、食わせろ」


「……今日は、作りますよ。残っていきます?」


「帰る」


 言いながら、足は動かなかった。


 俺は少し笑った。


「リィナさん。もう一人分、大丈夫ですか?」


 奥から、返事がした。


「はい。お皿を出しますね」


 ガドが、静かに入口をくぐり直した。


〈帰るとは〉

〈前にも見たぞ、この流れ〉

〈椅子足りる?〉


 俺は、食卓を見た。


 椅子は、三脚。


 四人いる。


 少し考えて、端へ寄せた石へ目を向けた。


「……俺、今日もこれですね」


 イトが、自分の椅子を見る。


 俺を見る。


 何か言いかけたので、俺は首を振った。


「いいですよ。使ってください」


 石を、食卓の端へ運ぶ。


 座る。


 硬い。


 よく知っている、座り心地だった。


 リィナさんが、小鍋を火へかける。


 イトが、匙を並べる。


 ガドは持ってきた槍を壁へ立てかけ、腰を下ろした。


 俺は、入口の方を見た。


 蜘蛛たちが、いつもの場所へ戻っていく。


 猪が、敷物の端で鼻を鳴らす。


 荷物は、まだ少し散らかっていた。


 寝床も、これから整える必要がある。


 でも、食卓には器が並んでいる。


 湯気が、上がり始めていた。


「……ただいま」


 小さく言う。


 隣で、イトがこちらを向いた。


「おかえり」


 俺は、その顔を見て笑った。


「はい。ただいま、です」

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