7話 暗殺ギルドと新しい仲間
●主人公視点
今日も、よく働きました。
どうも、修羅です。
新しいスキルを覚えて、レベルも上がった。
イトも強くなった。
あとは組合へ戻って、報酬を受け取るだけ。
「……帰ったら、肉屋に寄りましょうか」
頭の上へ声をかける。
イトは、角の付け根に収まったままだった。
時々、小さな脚が動く。
眠っているのか、単に休んでいるのかは分からない。
〈今日はイトも頑張ったからな〉
〈いい肉買ってやれ〉
〈修羅も食うんだろ〉
「少し、味見はします」
〈知ってた〉
旧街道を歩く。
砦へ向かうときに通った、緩い下り坂。
木々の向こうから、夕方の光が差し込んでいた。
その途中で、俺は足を止めた。
道の真ん中に、人が立っている。
三人。
一人は、片手剣を肩へ担いだ男。
もう一人は盾持ち。
最後の一人は、弓を持っている。
「……こんにちは?」
声をかける。
剣の男が、こちらを見た。
「狩りの帰りか?」
「はい」
「随分、いい物持ってるな」
男の目が、俺の斧へ落ちる。
続いて、首飾り。
最後に、背負った袋。
あ。
これ、昨日も似たようなことがあった。
でも、何だろう。
組合のガレスとは、少し違う。
盾持ちが、ゆっくり右へ動いている。
弓の男は、既に矢へ手をかけていた。
〈修羅、後ろ〉
〈一人いる〉
俺も、気づいていた。
道端の木の陰。
短剣を持った男が、こちらの背後へ回っている。
四人か。
「……通ってもいいですか?」
「荷物を置いていけばな」
剣の男が笑った。
「装備もだ。素直に渡せば、痛い目には遭わせねえよ」
俺は、少しだけ黙った。
それから、配信の表示を見る。
コメントが、ものすごい速さで流れていた。
〈PKだ〉
〈赤錆じゃね?〉
〈左腕の赤い布〉
〈こいつらまだやってんのか〉
頭の上で、イトが体を起こした。
「……起こしちゃいましたね」
手を上げる。
イトが腕へ移った。
そのまま、近くの木の根元へ下ろす。
「そこにいてください」
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
「少し、待ってもらえます?」
袋を外す。
地面へ置く。
剣の男が、満足そうに口元を緩めた。
「そうそう。分かってるじゃ――」
「荷物、傷つくと困るので」
俺は、斧を持ち直した。
◇
最初に動いたのは、後ろの男だった。
落ち葉が鳴る。
俺は振り返らず、斜め前へ踏み出した。
短剣が、背中のあった場所を通る。
ほぼ同時に、弦の音。
斧を持ち上げた。
広い刃へ矢が当たり、硬い音を立てて落ちる。
【プレイヤーから攻撃を受けました】
【現在の対象への反撃は、犯罪行為として扱われません】
「……なるほど」
確認は、それで十分だった。
剣の男へ踏み込む。
「はっ、来いよ!」
横から、盾持ちが割って入った。
盾を構える。
腰を落とす。
俺は、その縁へ斧を掛けた。
「……今日、練習してきたんですよ」
斜めへ引く。
盾持ちの肩が流れた。
「え?」
「〈崩し〉」
足を運び、盾ごと相手を横へずらす。
その体が、剣の男へぶつかった。
二人の足がもつれる。
俺は斧を引き戻し、剣の男の脇へ叩き込んだ。
男が呻き、膝をつく。
追撃より先に、横へ動く。
二本目の矢が、肩の後ろを抜けた。
〈動きが違う〉
〈昨日の模擬戦より容赦ないな〉
〈そりゃ四人で襲ってきてるからな〉
盾持ちが、慌てて体勢を戻す。
その足元へ、白い糸が伸びた。
イトだ。
木の根と、片脚。
糸が張る。
「何だ、これ――」
引き剥がそうと下を向いた。
その瞬間、俺は盾の外側へ入った。
斧の柄で、武器を持つ腕を打つ。
剣が落ちる。
続けて、肩から押した。
盾持ちが倒れた。
後ろの短剣使いが、足を止める。
「おい、こいつ――」
「遅い!」
弓の男が叫んだ。
矢を放つ。
俺へ、ではない。
木の根元へ。
イトのいる場所だった。
「っ!」
俺は、その間へ踏み込んだ。
矢が籠手へ当たる。
衝撃が、腕を走った。
目の端で、HPが減る。
弓の男が、次の矢をつがえようとした。
俺は走った。
「〈踏み込み〉!」
距離が縮まる。
男の顔が変わった。
「待っ――」
弓を振り上げる。
それごと、斧を叩き込んだ。
男が地面へ崩れ、その体が光の粒になって消えた。
振り返る。
短剣使いは、もう背中を向けていた。
道から外れ、木々の間へ逃げていく。
追おうとしたところで、足元の盾持ちが動いた。
腰の短剣へ、手を伸ばしている。
俺は、斧を構え直した。
「……まだ、やります?」
◇
戦闘が終わった後も、少しの間、周囲を確かめた。
残った二人も倒れ、光になって消えた。
最後の一人には逃げられた。
追いかけるつもりはなかった。
まず、イトだ。
「大丈夫?」
差し出した手へ、小さな脚が乗る。
体を見る。
脚も、腹も、傷はない。
ほっと息を吐いた。
「……よかった」
〈イト狙ったの、最悪だな〉
〈ナイス迎撃〉
〈修羅の装備見て襲うの無謀すぎる〉
〈名前隠して歩いてると分からんのか〉
俺は、自分の表示を確認した。
プレイヤー名は、常時表示しない設定にしている。
だから、知らない人には角のある鬼としか分からない。
斧やイトを知っていれば、気づくんだろうけど。
「……俺だと知ってたら、襲わなかったんですかね」
〈多分な〉
〈でも別の誰かを襲ってたぞ〉
そのコメントを見て、少し黙った。
確かに。
俺は、勝てた。
じゃあ、別の人なら?
マルクさんみたいに、戦えない人だったら。
道端の袋を拾う。
報酬を受け取るつもりで帰っていたのに、変な疲れが増えた。
「さっきの人たち、有名なんですか?」
聞くと、コメントが次々に流れた。
〈赤錆って集団〉
〈βの後半から名前出てた〉
〈街の外で少人数狙う〉
〈俺も昨日やられた〉
〈新規に道案内するって言って連れ出してたやつら〉
俺は、画面を見た。
「……そんなことまで、するんですね」
ゲームだから、プレイヤー同士で戦うこと自体はある。
大会だって、そうだった。
でも、今のは違った。
戦う約束なんて、していない。
背後へ回って、荷物を置けと脅してきた。
俺は、イトを頭へ戻す。
「組合へ、話しておきましょう」
◇
リゼさんは、俺の話を最後まで聞いた。
場所。
人数。
武器。
左腕に巻いていた、赤茶けた布。
特徴を伝えると、その表情が厳しくなった。
「……赤錆ですね」
「やっぱり、知られてるんですか」
「街道での襲撃について、複数の届け出があります。旅人だけでなく、荷を運ぶ者にも被害が出ています」
リゼさんが、奥へ人を呼ぶ。
やがて、警備兵の男がやってきた。
俺は、もう一度説明する。
配信の記録も残っていると伝えた。
「確認に協力してもらえるか」
「はい」
男は頷く。
「三人は、しばらく装備を整え直す必要があるだろう。だが、集団全体が止まったわけではない」
「他にも、いるんですね」
「ああ。街の外へ拠点を移しながら動いている。今のところ、人数も確定していない」
リゼさんが、地図を開いた。
俺が襲われた場所へ印を置く。
その近くに、別の印がいくつかあった。
荷物を奪われた場所。
怪しい集団を見た場所。
街へ戻らない旅人の、最後の目撃地点。
それらは、旧街道の南側に集まっていた。
俺は、地図を見た。
「……逃げた一人、こっちへ行きました」
指で、南東を示す。
警備兵が、目を細めた。
◇
その日のうちに、討伐へ飛び出すことにはならなかった。
どこに何人いるかも分からない。
相手は、こちらを待ち伏せしていた連中だ。
知らない森へ追いかけていくのは、向こうに都合がいい。
俺は宿へ戻り、装備を確かめた。
籠手に刺さりかけていた矢を外す。
浅い傷だったけど、見ていると、あの弓がイトへ向いた瞬間を思い出した。
「……次は、もっと早く止めますから」
ベッドの上で、イトが前脚を上げた。
俺は、そこへ指を添える。
翌朝。
組合から、話が来た。
街道沿いで荷を運んでいた男が、森の中へ荷車を引き込む一団を見たらしい。
赤い布。
武装した数人。
そして、南側の古い採石場。
警備隊が動くことになり、俺にも協力の依頼が出された。
役目は、先行する斥候に同行して、逃走路と周辺の危険を確かめること。
本隊が来る前に、勝手に突っ込まない。
それが、条件だった。
俺は、頷いた。
「分かりました」
今度は、本当に。
◇
古い採石場は、森の奥にあった。
木々の間を、斥候の兵士が進む。
名前は、エダさん。
耳の長い、細身の女性だった。
落ち葉の薄い場所を選び、枝を踏まないよう足を運ぶ。
俺は、その後ろをついていった。
斧は、布で金属部分を覆ってある。
光を反射しないためだそうだ。
イトも、今日は頭の上ではなく肩。
枝へ引っかからないよう、低く収まっていた。
配信のコメントは、いつもより少ない。
俺が話せないので、視聴者も状況を見守っているらしい。
〈これ、緊張するな〉
〈今はコメント読むなよ〉
〈イトも静かにしてる〉
やがて、木々の隙間から白い岩肌が見えた。
大きく切り取られた崖。
その下に、古い小屋がいくつか並んでいる。
焚き火。
荷車。
見張りに立つ男。
左腕には、赤い布。
俺は、足を止めた。
エダさんが、低くしゃがむ。
俺も、その横へ。
「……いましたね」
囁くと、彼女が頷いた。
「ここで待機を。人数を確認して、本隊へ知らせます」
俺は、返事の代わりに頷く。
見える範囲には、五人。
小屋の中にも、誰かいる。
奪った物なのか、木箱や袋が壁際へ積まれていた。
そのとき。
奥の小屋の扉が開いた。
男が一人、外へ出てくる。
手には、細い鎖。
その先に、誰かがいた。
俺は、息を止めた。
白い髪。
額から伸びた、短い二本の角。
痩せた肩に、大きすぎる上着を掛けている。
魔人の女性だった。
両手で、水の入った桶を抱えていた。
手首には、擦れて赤くなった跡。
首には、黒い金属の輪。
鎖が引かれる。
女性の足が、もつれた。
桶から、水がこぼれる。
「遅えよ」
男が言った。
女性は、何も言わなかった。
ただ、唇を結び、もう一度桶を持ち直した。
頭の上に、プレイヤーの表示はない。
小さく出ているのは、名前だけだった。
【リィナ】
エダさんの表情が変わった。
彼女は俺の腕へ、そっと手を置いた。
「……動かないで」
声が、低い。
「あの首輪は、確認が必要です。無理に外すと、本人を傷つける物があります」
俺は、自分の手を見た。
斧の柄を、強く握っていた。
ゆっくり、指の力を緩める。
〈NPCだ〉
〈あの首輪、何だよ〉
〈捕まえて働かせてるのか〉
〈修羅、今は待て〉
女性が、こちらを向いた。
見つかったかと思った。
でも、その目は俺たちを通り過ぎ、森の奥へ向いていた。
道を、探しているようだった。
すぐに、鎖が引かれる。
彼女は顔を伏せ、小屋の陰へ歩いていった。
俺は、エダさんへ顔を寄せた。
「あの人も、助けるんですよね」
「はい」
返事に、迷いはなかった。
「だから、確実に」
俺は、頷いた。
肩の上で、イトの前脚が服を掴む。
目の前にいる人数。
小屋の位置。
鎖を持っている男。
それから、森へ抜ける細い道。
一つずつ、目に焼きつける。
さっきまで、赤錆を止めようと思っていた。
街道を安心して歩けるように。
次に、誰かが襲われないように。
そこへ、もう一つ増えた。
「……分かりました」
俺は、斧を地面へ静かに下ろした。
「あの人が逃げられるように、やりましょう」
焚き火の向こうで、男たちが笑っている。
俺たちは、木々の陰で、本隊の到着を待った。
焚き火の向こうで、男たちが笑っている。
俺たちは、木々の陰で、本隊の到着を待った。
日が傾き、採石場の底へ長い影が伸びていく。
あれから、リィナという名前の女性は二度、小屋から出てきた。
一度は薪を運ぶため。
もう一度は、焚き火の上にかかった鍋をかき混ぜるため。
そのたびに、首輪から伸びた鎖を別の男が受け取っていた。
彼女が鍋へ手を伸ばしたとき、袖がずれた。
細い腕に、紫色の痕があった。
俺は斧の柄へ視線を落とした。
今、飛び出しても助けられるかもしれない。
でも、あの首輪がどういう物か、まだ分からない。
俺が暴れている間に、何かされたら。
肩の上で、イトが服を引いた。
「……大丈夫。待ちますよ」
小さく囁く。
返事の代わりに、前脚がもう一度、俺へ触れた。
やがて、背後の茂みがかすかに揺れた。
エダさんが振り返り、片手を上げる。
木々の間から、兵士が一人ずつ現れた。
先頭にいたのは、組合で俺の話を聞いた警備兵だった。
俺たちの横へしゃがみ、採石場を見下ろす。
「状況は」
「確認できた者が八人。うち一人は奥の小屋から出ていません。拘束されている魔人の女性が一人います」
エダさんが、短く答えた。
「首輪には刻印が。見える範囲では、主人印に反応する拘束具の可能性があります」
男の眉が寄った。
後ろにいた、革鞄を持った女性へ顔を向ける。
「解除は」
「実物を見てからです。操作する側の道具は、壊さず確保してください」
俺は、焚き火のそばにいる男を指した。
「鎖を持ってる人、さっきから腰の辺りを触ってます」
黒い上着の男。
他の連中が笑っている間も、リィナが少し離れると、左腰へ手を置いていた。
兵士が、目を細める。
「……あいつか」
地面へ、小枝で簡単な図を描く。
小屋。
焚き火。
採石場から出る道。
「我々は出口と裏手を押さえる。エダは拘束された女性の保護。修羅、正面を頼めるか」
「はい」
「腰の物を触らせたくない。合図と同時に、あの男を抑えてくれ」
俺は、黒い上着の男を見た。
そこまでの距離。
途中にある木箱。
焚き火を挟んだ、他の連中の位置。
「……分かりました」
イトを手へ移す。
指で、男の立っている場所を示した。
イトが、前脚を上げる。
俺はその体を、足元の岩へ下ろした。
〈いよいよか〉
〈首輪の方、頼むぞ〉
〈イトも気をつけて〉
斧を覆っていた布を外す。
刃に夕日が反射した。
警備兵が、片手を上げる。
全員が、止まった。
焚き火が、ぱちりと鳴った。
その手が、下がる。
◇
「ヴァルグ警備隊だ! 武器を捨てろ!」
声が響いた。
男たちが立ち上がる。
俺は、走った。
黒い上着の男が、こちらを見る。
目が合った。
その顔から、笑みが消える。
「……昨日の!」
左手が、腰へ伸びた。
それより先に、白い糸が飛んだ。
手首と、上着。
糸が張りつく。
「なっ――」
「〈踏み込み〉!」
木箱の横を抜ける。
男が、右手で剣を抜こうとした。
俺は斧の柄を、その腕へ叩きつけた。
剣が落ちる。
続けて、肩からぶつかった。
男の体が地面へ倒れる。
その手を、足で押さえた。
「触らないでください」
男が、腰の金具へ目を向けた。
俺は、そこから目を離さなかった。
エダさんが、横を駆け抜ける。
リィナの肩を抱き、岩陰へ連れていく。
黒い首輪から伸びた鎖が、地面を引きずった。
「こいつ、離せ!」
男が叫ぶ。
短剣を抜いた別の男が、こちらへ走ってきた。
俺は片手を柄の端へ滑らせる。
斧を、短く振った。
刃ではなく、柄尻。
腹へ受けた男が、息を詰まらせて折れた。
その背後で、警備兵たちが突入する。
剣がぶつかる。
誰かが、逃げろと叫んだ。
俺の足元にいる男が、隙を見て体を捻る。
白い糸が、その腕へ重なった。
イトだった。
地面の杭へ糸を渡し、男の手を低い位置へ引きつけている。
「助かります」
警備兵が二人、こちらへ来た。
一人が男を押さえ、もう一人が腰の金具を外す。
「確保した!」
革鞄の女性が受け取り、すぐにリィナのいる岩陰へ向かった。
俺は男から足を離す。
その瞬間。
「殺せ! そいつからだ!」
奥の小屋から、怒鳴り声がした。
出てきたのは、大きな男だった。
赤黒い鎧。
両手剣。
その後ろにも、二人。
こちらへ向いた一人が、杖を持ち上げる。
赤い光が、先端へ集まった。
狙いは、岩陰。
俺は、走った。
「〈鬼装〉!」
斧が赤く染まる。
飛んできた火の塊へ、刃の広い面を向けた。
衝撃。
熱が、顔の横を抜ける。
火が弾け、腕が押された。
「っ……!」
焦げた匂いがした。
でも、後ろへは通していない。
〈今の、後ろ狙ったぞ〉
〈修羅、腕!〉
〈回復の人もいるのに!〉
杖の男が、次の魔法を構える。
その足元へ矢が刺さった。
エダさんだった。
「こちらは任せて!」
俺は頷き、正面へ向き直った。
赤黒い鎧の男が、両手剣を構えている。
「調子に乗るなよ」
男の頭上に、プレイヤー名が表示された。
【ガルド】
コメントが、一気に流れる。
〈赤錆の頭だ〉
〈こいつ!〉
〈配信者狩りしてたやつ〉
俺は、男を見た。
「武器を置いてください」
「置いたら、どうなる?」
「警備隊の人に、任せます」
「ふざけんな」
男が、笑った。
次の瞬間、剣が赤く光る。
「てめえを殺してから、考えるよ!」
踏み込んできた。
横薙ぎ。
俺は斧で受けた。
重い。
腕へ衝撃が走り、足元の土が削れる。
こいつは、今までの三人より強い。
男が剣を引き、すぐに突いた。
斧の柄で外へ流す。
剣先が脇を抜けた。
踏み込もうとした俺の腹へ、男の膝が上がる。
「っ!」
半歩、引く。
膝はかすめた。
そのまま、剣が戻ってくる。
俺は横へ動き、刃を避けた。
男が舌打ちする。
「逃げてんじゃねえよ!」
「避けてるんです」
斧を握り直す。
後ろから、金属の落ちる音。
杖を持った男が倒れ、警備兵に押さえられていた。
採石場の出口でも、逃げようとした二人が止められている。
赤錆の頭が、それを見る。
視線が、揺れた。
森へ続く道。
俺。
もう一度、道。
男が、剣を高く構えた。
「どけえっ!」
振り下ろされる。
俺は、斧の柄を斜めに当てた。
正面では受けない。
刃を、横へ流す。
剣が地面へ近づいた。
その柄元へ、斧の刃を掛ける。
「〈崩し〉」
引いた。
男が、踏ん張る。
強い。
だが、両手で武器を握ったまま、前へ体重を乗せすぎていた。
俺は、その横へ足を運んだ。
腰を捻る。
男の肩が、流れた。
「な――」
「〈鬼力〉」
腕に力が満ちる。
斧を引き上げる。
両手剣が、男の手から離れた。
回転しながら飛び、離れた地面へ刺さる。
男の目が、それを追った。
俺は、斧の柄を胸へ当てた。
脚で、押す。
大きな体が後ろへ飛び、木箱へ叩きつけられた。
箱が壊れる。
男が、地面へ崩れた。
〈武器飛んだ〉
〈あの両手剣を?〉
〈崩し、使い方が怖い〉
それでも、男は動いた。
腰の短剣へ、手を伸ばす。
俺は近づき、その手のすぐ横へ斧を振り下ろした。
土が跳ねた。
男の指が止まる。
「……まだ、やりますか」
返事はなかった。
男は、俺の斧を見ていた。
やがて、両手をゆっくり離す。
警備兵が駆け寄り、その腕を後ろへ回した。
◇
最後まで抵抗した者は、戦闘で倒れた。
武器を捨てた者は、警備隊が拘束した。
小屋も、荷車の下も、崖沿いの物置も調べられた。
もう、赤い布を巻いた者が自由に歩いている場所はなかった。
「制圧完了!」
声が、採石場へ響く。
俺は、ようやく斧を下ろした。
肩から、力が抜ける。
イトが足元へ戻ってきた。
しゃがんで、手を差し出す。
「……お疲れ様です。怪我、ない?」
脚を確かめる。
大丈夫だった。
手のひらへ乗せたまま、岩陰を見る。
リィナは、そこに座っていた。
革鞄の女性が、首輪へ細い道具を差し込んでいる。
その横で、エダさんが彼女の手を握っていた。
「少しだけ、そのままで」
小さな金属音。
女性が金具を押す。
黒い輪が、開いた。
首輪が外れる。
リィナの指が、自分の首へ触れた。
何度も。
確かめるように。
「……もう、外しても」
「ええ。大丈夫ですよ」
その言葉を聞いた途端、彼女の肩が震えた。
俯く。
白い髪が顔へ落ちる。
小さな声が漏れた。
俺は、少し離れた場所で足を止めた。
今、何を言えばいいか分からなかった。
だから、水の入った革袋をエダさんへ渡した。
彼女が、静かに頷いた。
◇
街へ戻る前に、警備隊から事情を聞かれた。
俺の話ではなく、リィナの話だ。
無理に急がせず、答えられることだけ。
彼女は毛布を肩へかけ、両手で水の器を持っていた。
近くの薬草を集め、街へ売りに行く途中で捕まったらしい。
最初は、道を聞かれた。
次に荷物を取られ、抵抗したところで拘束された。
「……売ると、言われていました」
声が、小さくなる。
「それまでは、働けと」
俺は、地面へ目を落とした。
配信のコメントが、流れている。
でも、今は読めなかった。
警備兵が、穏やかに言う。
「奪われた物は、確認して返す。今夜は保護所へ。医師にも診てもらおう」
リィナが、頷いた。
その後、小屋から荷物が運び出された。
服。
食料。
商会の印がある箱。
誰かの短剣。
リィナは、その中から小さな革鞄を見つけた。
受け取ると、胸へ強く抱く。
俺は、ようやく近づいた。
「……大丈夫ですか」
彼女が顔を上げる。
間近で見ると、目の下の影が濃かった。
それでも、こちらをしっかり見た。
「助けてくださった方……」
「修羅です」
「リィナと申します」
立ち上がろうとする。
膝が揺れた。
「座っててください」
俺が言うと、彼女は途中で止まった。
それから、座ったまま深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「間に合って、よかったです」
それ以上、うまい言葉は出なかった。
肩にいたイトが、前脚を上げた。
リィナの目が、そちらへ向く。
「その子も……」
「イトです。今日も、助けてもらいました」
俺が手を差し出すと、イトが移ってくる。
リィナは少し迷ってから、指を伸ばした。
小さな前脚が触れる。
彼女の口元が、ほんの少し緩んだ。
「……ありがとうございます。イトさん」
〈さん付け〉
〈イトもちゃんとお礼言われてる〉
〈助けられてよかった、本当に〉
イトは、指へもう一度触れた。
◇
リィナと再び会ったのは、翌日の昼だった。
俺が宿の食堂で、少し遅い食事をしているところへ、エダさんと一緒にやってきた。
昨日とは違う、清潔な服。
白い髪も整えられている。
首には、柔らかい布が巻かれていた。
「お邪魔して、申し訳ありません」
「いえ。どうぞ」
向かいの椅子を引く。
リィナは礼を言って座った。
エダさんは、俺へ小さく頷く。
「ご本人がお話ししたいそうです。私は、少し外で待っています」
扉が閉まる。
リィナが、膝の上で手を重ねた。
俺は、持っていたパンを皿へ置いた。
「……どうしました?」
「あの。修羅さんは、こちらにお住まいなのですか」
「いえ。普段は、もっと西の方にいます。今は、旅というか……街を見に来たところです」
「そう、ですか」
少し黙る。
それから、彼女は顔を上げた。
「私を、一緒に連れていっていただけませんか」
俺は、止まった。
「……一緒に?」
「はい」
声は小さい。
でも、今度は途切れなかった。
「助けていただいた恩を、お返ししたいんです。何もできずに、あのままでいるしかなかった私を、助けてくださったので」
握った手に、力が入る。
「荷物を持つことも、食事を作ることもできます。薬草の扱いも、少しなら。ですから――」
「ちょっと、待ってください」
俺は、慌てて手を上げた。
リィナの口が止まる。
「恩を返すために、無理して来なくてもいいですよ」
彼女の表情が、わずかに強張った。
俺は、言葉を探す。
追い払いたいわけじゃない。
それだけは、ちゃんと伝えたかった。
「助けた代わりに働いてほしいとか、そういうつもりは、ないので」
「……はい」
「俺についてくると、魔物と戦うこともあります。家も、ダンジョンの中ですし。まだ、椅子もちゃんとないです」
そこまで言ってから、少し困った。
説明すると、生活環境がひどい。
リィナは、目を瞬いた。
「……椅子が」
「石に座ってます」
彼女が黙った。
俺も、黙る。
宿の奥から、食器の触れる音がした。
「でも、ご飯は食べられます」
何の補足だ。
自分で言って、そう思った。
リィナの口元が、少し動く。
小さく、息が漏れた。
笑っていた。
「……すみません」
「いえ。俺も、今の説明はどうかと思いました」
彼女は首を振った。
それから、膝の上の革鞄へ触れる。
「私、帰る家が、もうないんです」
俺は、口を閉じた。
「村を離れて、薬草を売りながら暮らしていました。でも、街に居続けられるほどの蓄えはなくて」
視線が、少しだけ下がる。
「昨日、保護所で眠って……今朝、起きたときに、また一人になるのが怖かったんです」
指が、鞄の縁をなぞった。
「でも、それだけではありません。修羅さんが、イトさんに話しかけているのを見て……私も、ああいうふうに、一緒にいていい場所があればと」
彼女は、顔を上げた。
「恩を返したいのも、本当です。でも、私が、一緒に行きたいんです」
俺は、しばらく彼女を見た。
昨日、鎖を引かれていた姿とは違う。
怖そうではある。
断られるかもしれないと、緊張もしている。
それでも、自分の言葉で話していた。
「……薬草、詳しいんですか」
「はい。乾かしたり、傷薬の材料を選んだりできます。魔法も、簡単なものなら」
「魔法?」
「灯りと、小さな火を」
俺は、背筋を伸ばした。
「火、出せるんですか」
「……はい?」
「指先から?」
「ええ。少しだけですが」
リィナが、戸惑いながら頷く。
俺は額へ手を当てた。
あの火起こし。
枝を回し続けた、あの時間。
「……ものすごく、助かります」
リィナが、不思議そうな顔をした。
椅子の背にいたイトが、机へ下りてくる。
彼女の手元まで歩き、前脚を乗せた。
リィナが、そっと手を開く。
イトは、その上へ移った。
俺は、それを見て頷いた。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
彼女の顔が上がる。
「いいんですか」
「はい。ただし、怪我は治してからです。最初は、無理しないでください」
「……はい」
「仕事は、できることを相談しましょう。嫌なことは、嫌だって言ってください。俺、分からないこと多いので、言ってもらった方が助かります」
リィナが、何度も頷く。
その目が、少し潤んでいた。
「よろしく、お願いします」
「こちらこそ。修羅と、イトです」
俺は、手を差し出した。
彼女はイトを片手で支え、空いた手を伸ばす。
細い手だった。
でも、昨日より温かかった。
「リィナです。……よろしくお願いいたします」
握手をする。
その間に、イトの前脚がちょんと乗った。
俺たちは、顔を見合わせた。
今度は、二人とも笑った。
仲間が、増えた。
そう思った直後、俺は一つ、大事なことに気づいた。
「……帰ったら、まず家具ですね」
「家具、ですか?」
「椅子、三人分」
リィナが、手の上のイトを見る。
イトは、前脚を持ち上げた。
「……イトさんの分も?」
「たぶん、俺の頭に座ると思いますけど。一応」
彼女が笑う。
その顔を見て、俺は少し安心した。
帰るまでには、まだ時間がある。
街で買う物も、増えた。
まずは、目の前の皿を少し寄せる。
「食べます? まだ、温かいですよ」
リィナは一度だけ遠慮して。
それから、小さく頷いた。




