6話 新しい魔法とイトの進化
●主人公視点
仲間が増えました。
白い髪に、小さな二本の角。
名前は、リィナさん。
薬草に詳しくて、料理もできて、魔法も使えるそうです。
俺は、肉を焼けます。
……できること、増やさないといけませんね。
〈突然の危機感〉
〈修羅には戦闘があるだろ〉
〈家も建てたじゃん〉
「家は、元からあった穴を整えた感じなので」
現在は、翌朝。
宿の食堂で朝食を終え、これからの予定を相談しているところだ。
リィナさんの顔色は、昨日よりよくなっていた。
首の痕には、まだ柔らかい布を巻いている。
医師には、しばらく無理をせず、きちんと食事を取るように言われたらしい。
「今日は、街を見て回るくらいにしましょうか」
俺が言うと、リィナさんは膝の上へ置いていた鞄を持ち上げた。
「あの。もしよければ、薬草を見に行きませんか」
「薬草?」
「はい。街の近くで採れる物を確認しておきたいんです。私の知っている物と、こちらで使われている物が同じかも、確かめたいので」
なるほど。
確かに、住んでいた場所が違えば、草も違うかもしれない。
俺なんて、見たことのない草ばかりだ。
鑑定で名前が出ても、何に使うか分からない物は多い。
「じゃあ、組合で聞いてみましょうか。採集の依頼もあるって言ってましたし」
リィナさんが、少しだけ目を丸くした。
「私も、受けられるでしょうか」
「登録すれば、大丈夫だと思いますよ」
「……冒険者」
その言葉を、小さく繰り返す。
隣の椅子で、イトが前脚を上げた。
俺は立ち上がり、手を差し出す。
「行ってみましょう。危ない依頼しかなかったら、店を見るだけにすればいいので」
◇
「本日は、採集のご相談ですね」
受付で、リゼさんが頷いた。
最初に俺を見たとき、ちょっとだけ身構えられた気がした。
今日は、大きな魔物の報告ではありません。
安心してください。
「リィナさんの登録も、お願いしたくて」
「かしこまりました」
リゼさんが、隣へ視線を向ける。
「ご本人も、登録をご希望ですか?」
「はい。薬草の採集を、仕事にしたいと思っています」
「では、得意な物や、これまで扱ったことのある物を教えていただけますか」
リィナさんが、鞄から小さな布包みを出した。
昨日、返してもらった荷物に入っていた物だという。
中には、乾燥させた葉が数種類。
「こちらは、薄葉草です。乾かして、傷薬の材料として売っていました。それから、これは――」
リゼさんが、葉を一枚ずつ確かめる。
俺も横から見た。
薄い葉。
少し丸い葉。
細長い葉。
……葉っぱですね。
〈今、分かってない顔した〉
〈修羅には全部同じに見えてそう〉
だいたい合ってます。
「保存状態がいいですね」
リゼさんが言った。
「湿気もありませんし、傷んだ葉も除かれています。こちらの薄葉草でしたら、現在も納品依頼がありますよ」
リィナさんの表情が、少し明るくなった。
「本当ですか」
「はい。登録を終えたら、ご案内します」
用紙が出される。
リィナさんは、渡されたペンを持って、丁寧に名前を書いた。
俺のときより、ずっと字がきれいだった。
少しだけ、自分のサインを思い出す。
領主館で飾られる前に、書き直した方がよかったかもしれない。
◇
登録が終わり、リィナさんの手へ組合証が渡された。
「Fランクからの開始です。こちらは、ご自身で保管してください」
「……ありがとうございます」
小さな札を、両手で受け取る。
しばらく見つめてから、鞄の内側へしまった。
それを確かめて、リゼさんが依頼書を出す。
【薄葉草の採集】
【依頼ランク:F】
【必要数:二十株】
【採集地点:南門外、川沿いの共同採集地】
【納品条件:根を残し、指定された長さで刈り取ること。変色、虫食い、異種の混入が多い物は買い取り不可】
「この依頼は、採った数だけではなく、状態も確認します。採集地には似た草が生えていますので、判断できない物は分けてお持ちください」
「はい」
リィナさんが頷く。
俺も依頼書を覗き込んだ。
「これ、俺も手伝っていいんですか?」
「はい。ただ、今回はリィナさんが受注者です。納品物の確認と説明は、ご本人にお願いします」
「分かりました」
「それと、修羅さん」
「はい」
「南の共同採集地までです。森の奥へ入る必要はありません」
俺は、まっすぐ頷いた。
「今日は、草だけです」
〈信用の積み直し〉
〈今の言葉、覚えたからな〉
〈帰りに巨大な草持ってくるなよ〉
草に巨大も何も、あるんですかね。
……この世界なら、ありそうだ。
◇
南門を出ると、川沿いに畑と草地が広がっていた。
街から近いせいか、同じように籠を持った人が何人もいる。
槍を持った巡回の兵士も見えた。
魔物の気配を探しながら歩かなくていい道。
それだけで、少し肩が軽い。
「この辺りですね」
リィナさんが足を止めた。
川へ下りる坂の途中。
草が、いっぱい生えている。
俺は鑑定を使った。
【薄葉草】
【若い葉が薬の材料として利用される草。
強い日差しで乾燥した葉は品質が落ちる。】
「おぉ。ありましたよ」
「はい。こちらは、採れそうです」
リィナさんがしゃがむ。
葉を裏返し、根元を確かめ、指で茎を支える。
小さな刃物で、必要な部分だけを切った。
手早い。
でも、雑ではなかった。
「根は、残すんですね」
「また伸びてきますから。それに、根の近くまで取ると、土が混ざりやすいんです」
「なるほど」
俺もしゃがみ、隣の草へ手を伸ばした。
「これも――」
「そちらは、違います」
止まった。
リィナさんが、俺の指している葉を裏返す。
「葉脈の色が違います。あと、薄葉草は根元から二枚ずつ葉が出ますが、これは一枚ずつです」
言われて見る。
確かに、違う。
【灰筋草】
【薄葉草に似た姿の野草。
薄葉草の代用品としては利用できない。】
「……名前だけ確認して採ると、危ないですね」
「はい。乾いて丸まると、もっと見分けにくくなります」
〈ちゃんと詳しい〉
〈鑑定だけじゃ分からないところあるな〉
〈採った後に混ざると面倒そう〉
俺は、薄葉草と灰筋草を見比べた。
覚えてから採る。
分からなくなったら、聞く。
当たり前だけど、殴って解決する仕事とは違った。
◇
しばらくして、俺は一つ困った。
薄葉草は、川に近い斜面の、草が重なった場所にも生えている。
しゃがみ、葉を持ち上げ、根元を見る。
自分の体で、影になる。
「……暗いな」
顔を近づける。
余計に影が濃くなった。
頭の上で、イトが動く。
すみません。今、頭を下げてます。
「少し、お待ちください」
リィナさんが、こちらへ手を伸ばした。
指先に、小さな光が灯る。
炎ではなかった。
丸い、淡い光。
それが指から離れ、俺の手元で止まった。
「……お」
葉の裏まで、見える。
影がずれた。
「これなら、どうですか」
「すごい。見やすいです」
俺は草と、光を交互に見た。
熱くない。
火でもない。
小さな光が、何もない場所に浮かんでいる。
「これ、魔法なんですよね」
「はい。〈灯火〉です」
「……俺も、できますかね」
リィナさんが、顔を上げた。
「やってみますか?」
俺は頷いた。
〈魔法!?〉
〈修羅が?〉
〈斧から離れたスキルきた〉
〈まず照明からなのがらしい〉
「便利じゃないですか。家でも使えそうですし」
暗い通路。
寝床。
夜の荷物整理。
使いたい場面が、次々に浮かぶ。
何より。
俺は、自分の手を見た。
魔法が使えるなら、使ってみたい。
◇
「最初は、手のひらに魔力を集めてみてください」
「……集める」
手を開く。
見つめる。
何も起きない。
握る。
開く。
やっぱり、何も起きない。
「力を入れなくても、大丈夫です」
「あ、はい」
指の力を抜く。
リィナさんは、少し考えてから聞いた。
「武器に魔力を通すことは、ありますか?」
「鬼装なら、よく使います」
「そのときの感覚に、近いと思います。武器ではなく、手のひらまでで止める感じです」
なるほど。
それなら、少し分かる。
胸の奥へ、意識を向ける。
斧を握ったときに、刃へ通している熱のようなもの。
それを、腕へ。
手のひらへ。
赤い光が、指の間に滲んだ。
「……お?」
リィナさんが、少しだけ身を引いた。
「あの。そんなに、たくさんは必要ありません」
「多いですか」
「かなり」
〈光らせるだけだぞ〉
〈戦闘出力やめろ〉
〈手から斧生えてきそう〉
慌てて、力を抜く。
光が消えた。
「……難しいな」
「最初は、そうです。小さく、少しずつで」
リィナさんが、もう一度、手本を見せてくれる。
指先に、柔らかい光。
それを近づけ、俺の手を照らした。
「これくらいの明るさを、思い浮かべてください。遠くまで照らそうとしなくて構いません」
俺は、頷いた。
小さく。
葉の裏が、見えるくらい。
手元へ、意識を集める。
今度は、さっきより少なく。
光が、ちらついた。
すぐに消える。
もう一度。
瞬く。
消える。
……火起こしを、思い出してきた。
〈頑張れ〉
〈魔法使いの最初、俺もこんなんだった〉
〈力を抜けって言われるほど入るんだよな〉
休憩を挟み、何度か試す。
リィナさんは、その間に採った薬草を選り分けていた。
時々、俺の手を見て、助言をくれる。
「今のは、少し残っていました」
「本当ですか」
「はい。消えたときに、慌てて足すと、また乱れてしまうので」
小さく。
同じくらいを、流し続ける。
俺は、息をゆっくり吐いた。
手のひらに、光が灯った。
今度は、消えなかった。
「……あ」
小さな光。
豆粒より、少し大きい。
弱々しいけど、確かに俺の手を照らしている。
そのとき、表示が現れた。
【魔力操作の経験が一定値に達しました】
【〈灯火 Lv.1〉を獲得しました】
「……できた」
〈おおおお!〉
〈魔法習得!〉
〈修羅が光った!〉
〈今までも赤く光ってただろ〉
〈あれとは違うんだよ!〉
〈戦闘以外のスキル、いいな〉
リィナさんが、嬉しそうに笑った。
「できましたね」
「はい。……すごいな、これ」
手を、少し動かす。
光も、ついてくる。
持ち上げる。
顔が照らされた。
頭の上から、イトの前脚が伸びてくる。
「熱くないですよ」
イトが、光へ触れた。
何も掴めなかったらしく、もう一度、前脚を動かす。
俺は思わず笑った。
その瞬間、光が消えた。
「……あ」
〈集中切れた〉
〈イトに負けた〉
〈実戦投入には練習が必要だな〉
表示を開く。
【灯火 Lv.1】
【小さな光球を一つ生み出し、手元を照らす。】
【発動時MP2。維持には一分ごとにMP1を消費する。】
【光球は使用者の近くに保たれる。発熱、攻撃能力はない。】
「……いっぱい使えますね」
「ですが、帰りの分は残してくださいね」
リィナさんが、少し心配そうに言った。
俺は頷く。
「今日は、草だけですけど」
〈その台詞はもう聞いた〉
〈魔法覚えたから草だけじゃなくなったぞ〉
確かに。
でも、いい寄り道だった。
◇
その後は、覚えたばかりの光を手元へ浮かべ、薬草を採った。
影になる場所でも、葉の色が見える。
ただ、光を維持することへ気を取られると、今度は採る草を間違えそうになる。
両方を同時にやるのは、まだ難しい。
結局、俺が照らして、リィナさんが選ぶ形に落ち着いた。
「これ、お願いします」
「はい」
「少し右へ」
「こっち?」
「ありがとうございます」
俺の光の下で、小さな刃物が動く。
イトは横の草へ移り、葉についていた虫を眺めていた。
風が吹く。
川の音がする。
剣の音も、魔物の声もない。
「……こういう日も、いいですね」
俺が言うと、リィナさんは顔を上げた。
それから、柔らかく頷いた。
「はい」
◇
組合へ戻ると、リゼさんが俺たちを見た。
服。
防具。
袋。
最後に、リィナさんの抱えた籠。
「……薬草ですね」
「薬草です」
俺は、しっかり答えた。
〈無事に草を持ち帰った〉
〈偉業みたいに言うな〉
リィナさんが、籠を受付へ置いた。
薄葉草は、向きを揃えて束ねてある。
採った場所と、葉の状態も説明する。
リゼさんが一本ずつ確かめ、数を数えた。
「二十四株。混入はありません。切り口も、葉の状態も良好です」
リィナさんの肩が、少し下がる。
「よかった……」
「二十株を依頼分として。残りも、同じ品質でしたら買い取りできますよ」
「お願いします」
【依頼達成:薄葉草の採集】
報酬が、机の上へ置かれた。
大きな魔物を倒したときほどの額ではない。
でも、リィナさんは、それをしばらく見つめていた。
自分で受けた依頼。
自分で選んだ薬草。
その報酬だ。
「……ありがとうございます」
硬貨を、丁寧にしまう。
俺は、その隣で頷いた。
「やっぱり、詳しいですね。俺、最初の一本から間違えましたよ」
「途中からは、見分けられていました」
「二回、聞きましたけど」
「分からないまま採るより、ずっといいです」
そう言われると、少し嬉しい。
リゼさんが、俺を見る。
「修羅さんにも、勉強になる依頼でしたね」
「はい。それと、魔法を覚えました」
「……魔法?」
俺は手を開いた。
「〈灯火〉」
小さな光が、浮かぶ。
今度は、すぐには消えなかった。
リゼさんの耳が、ぴんと立った。
「まあ」
俺は、少し得意になる。
「リィナさんに、教えてもらいました」
隣を見る。
リィナさんが、照れたように笑っていた。
昨日は、できることを一生懸命説明していた。
今日は、俺に一つ、できることを増やしてくれた。
「ありがとうございます。帰ったら、家でも使ってみます」
「はい」
光へ、イトの前脚が伸びる。
今度は、それを見ても消えなかった。
〈安定してきた〉
〈先生も嬉しそう〉
〈家の照明係が増えたな〉
俺は、浮かぶ光を眺めた。
小さくて、手元しか照らせない。
でも、これがあれば、夜でも地図が読める。
袋の中身も探せる。
寝床へ戻るとき、石につまずかずに済むかもしれない。
想像して、ちょっと笑った。
「……便利ですね、魔法」
リィナさんが、頷いた。
その隣でイトが、また光を掴もうとしていた。
その隣でイトが、また光を掴もうとしていた。
前脚が、丸い光をすり抜ける。
少し間を置いて、もう一度。
やっぱり、掴めない。
「それ、物じゃないみたいですよ」
俺が言うと、イトがこちらを向いた。
なんとなく、納得していない感じがする。
リィナさんが、口元へ手を添えて笑った。
今日は、平和な一日だった。
薬草を採って、魔法を覚えて、報酬も受け取った。
ただ。
手の上へ戻ってきたイトを見て、ふと思った。
「……次は、イトの番ですね」
小さな前脚が上がる。
新しい糸を覚えたばかりだけど、その力を試す機会は、まだ少ない。
俺も、レベルを上げたい。
リィナさんと旅をするなら、守れる余裕も増やしておきたかった。
「明日は、少し狩りに行きましょうか」
〈育成の続きだ〉
〈粘着糸、まだ覚えたばっかだもんな〉
〈灯火で遊んでる場合じゃなかった〉
「遊んでは……ちょっと、遊んでましたね」
イトが俺の指へ糸をつけた。
ぺたり。
軽く引かれる。
行く気は、ありそうだった。
◇
翌朝、俺たちは組合へ向かった。
受けたのは、東門の北側に広がる林で増えている魔物の討伐依頼。
街道へ出てくる〈鋏甲虫〉を減らしてほしい、というものだった。
大きな虫。
説明を聞いた時点で、少し嫌な予感がした。
「硬い背中と、前方の鋏に注意してください。脚の付け根は比較的柔らかいですが、潜り込むのは危険です」
リゼさんが依頼書を指す。
「木の幹を切るほどの鋏です。糸も、正面に張ると切られるかもしれません」
俺は、肩のイトを見た。
「……工夫が要りそうですね」
イトが前脚を動かす。
その横で、リィナさんが籠を持ち直した。
彼女には、林の手前にある採集地まで同行してもらう。
街へ戻る採集人たちが休む小屋があり、巡回の兵士も立ち寄る場所だ。
戦う場所へ、一緒に連れていくわけではない。
「私は、そこで薬草を選んでいます。戻られたら、怪我を見せてくださいね」
「なるべく、怪我せず戻ります」
そう答えて、東門へ向かった。
◇
鋏甲虫は、思ったより嫌な見た目をしていた。
平たい、黒い体。
地面へ低く張りつく六本の脚。
頭の前には、曲がった二本の大鋏。
大きさは、俺が寝転がっても足がはみ出ないくらい。
「……虫の大きさじゃないんですよ」
【鋏甲虫 Lv.43】
【HP:860/860】
【硬い甲殻に覆われた大型の魔物。
前方の鋏で獲物を挟み、切り裂く。
横への移動は遅く、脚を失うと体勢を立て直しにくい。】
〈でかい〉
〈これは嫌だ〉
〈イトはかわいいのに何が違うんだろうな〉
「顔つき、ですかね」
目が合う。
鋏が、がちんと鳴った。
かわいくは、なかった。
最初の一体は、俺が引きつけた。
正面へ出る。
鋏が開く。
飛び込んでは、いけない。
横へ動く。
鋏甲虫が、脚を細かく動かして向きを変えた。
その外側へ、さらに一歩。
脚の付け根へ、斧を短く振る。
硬い感触の奥で、刃が通った。
体が傾く。
「イト!」
白い糸が飛んだ。
片側の後脚と、木の根。
粘着糸が、二つを結ぶ。
鋏甲虫が前へ出ようとする。
後ろが、ついてこない。
そこへ、俺が回った。
「……よし」
もう一度、脚を狙う。
動きが鈍ったところで、甲殻の隙間へ刃を入れた。
【経験値を獲得しました】
俺は、斧を引き抜いた。
少し離れて、動かないことを確かめる。
「正面以外に糸を張れば、切られにくいですね」
イトが木の根から下りてきた。
差し出した指へ、前脚を添える。
〈役割分担できてる〉
〈背中側に糸を張るの、いいな〉
〈正面は修羅に任せられるからな〉
「俺も、後ろを任せられるので助かってます」
言うと、イトが腕を登ってきた。
いつものように、頭の上へ収まる。
小さな重みを確かめ、俺は次の気配を探した。
◇
それから、何日か。
午前中は、組合で依頼を受ける。
昼過ぎまで狩りをして、リィナさんの待つ採集小屋へ戻る。
街へ帰ったら、報告と素材の売却。
夕方は、装備の手入れと、魔法の練習。
そんな生活が続いた。
同じ相手でも、毎回、同じ戦い方ではなかった。
二体同時に出てきたら、一体を糸で遅らせる。
斜面では、足を取られる側へ回り込まない。
木の上へ逃げる魔物には、イトが先回りする。
俺が、言う前に。
「……上、行った?」
見上げると、白い腹が枝の間を動いていた。
逃げようとしていた〈樹走り猿〉の進路へ、糸が渡る。
猿が止まる。
別の枝へ飛ぼうとしたところへ、もう一本。
足場を選べなくなった相手が、地面へ下りてきた。
俺は斧を構える。
「はい。こっちは、通れません」
〈イト、追い込み覚えたぞ〉
〈修羅の方へ誘導してる〉
〈だんだん指示が要らなくなってきたな〉
戦いが終わると、イトは必ず戻ってきた。
手へ乗る日もあれば、背中から肩へ登ってくる日もある。
戻るたび、体を確かめる。
何度か、糸に引かれて転がったこともあった。
俺の籠手へ貼りついた糸が、なかなか剥がれなかった日もある。
少しずつ、お互いの動きが分かってきた。
レベルも、上がった。
【種族レベルが上がりました】
【従魔〈イト〉のレベルが上がりました】
表示が出るたび、俺は肩へ声をかける。
「上がりましたよ」
イトが前脚を上げる。
その仕草も、すっかり見慣れた。
そして、四日目。
林の奥で見つけた、特に大きな鋏甲虫を倒したときだった。
【種族Lv:40 → 45【UP!】】
【従魔〈イト〉のLvが上がりました】
【Lv:24 → 25【UP!】】
俺は、斧を下ろした。
「……二十五。随分、上がりましたね」
肩のイトを見ようとする。
その前に、表示が増えた。
【従魔〈イト〉が進化条件を満たしました】
足が、止まった。
〈え?〉
〈進化!?〉
〈イトの進化きた!〉
続けて、文字が浮かぶ。
【粘着糸による拘束経験を確認】
【他種族との継続した協同行動を確認】
【魔力への接触経験を確認】
【進化候補:白糸の織蜘蛛】
【進化後、〈人化〉を獲得します】
「…………人化?」
思わず、声が大きくなった。
肩の上で、イトが少し身じろぎする。
俺は慌てて手を添えた。
「ごめん。びっくりして」
〈待て待て待て〉
〈今、人化って出た?〉
〈リュカのやつ!?〉
〈蜘蛛から!?〉
〈条件、いろいろ積んでたのか〉
〈魔力への接触って灯火?〉
俺も、表示を読み直す。
見間違いではなかった。
ただ、その下には注意書きもある。
【進化には、安全な場所で一定時間の休息が必要です】
【進化後は体格が変化します】
俺は、周囲を見た。
林。
魔物の死体。
遠くから聞こえる、枝の揺れる音。
「……ここでは、やめましょう」
イトを手へ移す。
「戻ってから、ゆっくり考えましょうか」
小さな前脚が、指へ触れた。
俺は袋を持ち上げた。
帰り道で、何度も肩を見てしまった。
◇
「イトさんが、進化を?」
採集小屋で話すと、リィナさんも目を丸くした。
俺は頷き、表示の内容を伝える。
人化のところで、彼女も少し黙った。
「……まずは、広い場所の方がよさそうですね」
「ですね。宿の部屋、壊れたら困るので」
相談した結果、マルクさんに場所を借りることになった。
商会の倉庫に、空いている作業部屋があるらしい。
荷物を運び込むため、扉も大きい。
床も丈夫。
人の出入りも止められる。
「それに、布もあります」
マルクさんが言った。
「体格が変わるのでしたら、何かと必要でしょう」
「……なるほど」
そこまで、考えていなかった。
さすがだ。
準備を終え、俺は床へ座った。
目の前に、イトを下ろす。
リィナさんとマルクさんは、少し離れて待ってくれていた。
配信にも、これから進化を試すことを伝える。
「イト」
名前を呼ぶ。
こちらへ、顔が向いた。
「大きくなるみたいです。今までと、少し変わると思います」
言葉が、どこまで伝わっているかは分からない。
でも、黙って決めたくはなかった。
「やってみますか?」
手を差し出す。
イトは、その上へ乗らなかった。
代わりに、前脚を上げた。
俺の指へ触れ、それから、自分の体へ細い糸を巻き始めた。
一本。
もう一本。
白い糸が、少しずつ重なる。
【従魔〈イト〉の進化を開始しますか?】
俺は、頷いた。
「……お願いします」
承認する。
糸の奥に、淡い光が灯った。
◇
白い繭は、ゆっくり大きくなった。
最初は、俺の手のひらほど。
それが、頭くらいになり、さらに膨らむ。
俺は、少し後ろへ下がった。
糸の奥で、何かが動く。
長い脚。
丸い腹。
見慣れた輪郭が、違う大きさになっていく。
数分が、長かった。
コメントは流れ続けているけど、ほとんど読めない。
俺は繭だけを見ていた。
やがて、内側から糸が切れた。
黒い脚が、一本出る。
床を確かめるように、先端が触れた。
続いて、もう一本。
白い糸を押し分けて、イトが姿を現した。
「……おぉ」
大きい。
脚を広げると、小さな机くらいある。
白い腹には、淡い銀色の模様。
黒かった脚は艶を増し、関節の近くに細い白毛が生えていた。
それでも。
こちらへ顔を向け、前脚を持ち上げる仕草は、同じだった。
【進化が完了しました】
【糸吐き蜘蛛 → 白糸の織蜘蛛】
【従魔Lv:25 → 1】
【基礎能力が上昇しました】
【〈人化〉を獲得しました】
〈でかい!〉
〈でもイトだ〉
〈前脚の上げ方、そのまんま!〉
〈白い模様きれいだな〉
〈頭にはもう乗れないぞ〉
俺は、手を差し出した。
「……イト?」
大きくなった前脚が、そっと乗った。
重みがある。
ちゃんと、温かい。
俺は、その脚へ指を添えた。
「無事に終わりましたね」
イトが近づいてくる。
俺の膝へ前脚をかけ、いつものように登ろうとした。
「待って待って」
肩へ、脚。
背中へ、重み。
「頭は、今ちょっと、厳しいです!」
〈いつもの場所に行こうとしてる〉
〈かわいい〉
〈修羅なら支えられそうだけど角に収まらない〉
イトが、ぴたりと止まった。
俺の顔を見る。
頭を見る。
もう一度、顔を見る。
そのまま、ゆっくり床へ戻った。
少しだけ、申し訳なくなった。
「嫌なわけじゃないんですよ。大きくなったので」
前脚が、俺の膝へ置かれる。
俺は、そこを撫でた。
◇
人化を試す前に、配信の映像を切り替えた。
マルクさんが用意してくれた布と、サイズを調整しやすい服を、衝立の向こうへ置く。
リィナさんが、イトへ説明してくれた。
俺は、反対側で待つ。
何だか、落ち着かなかった。
進化だけでも、十分びっくりしたのに。
人の姿になる。
あのイトが。
頭に乗って、糸を出して、肉を食べていたイトが。
衝立の向こうで、光が漏れた。
布の擦れる音。
少しして、リィナさんの声がした。
「修羅さん。大丈夫ですよ」
俺は、顔を上げた。
衝立の横から、小柄な人影が現れる。
白い髪。
内側に、細く混じった黒い色。
袖の長い上着から、小さな手が出ていた。
灰色がかった瞳が、俺を見る。
人の姿だった。
でも、その後ろに、細い蜘蛛の脚が二本だけ残っている。
歩きながら、床へ触れ、体を支えていた。
「……イト?」
呼ぶ。
顔が、上がる。
その子は一歩進み、足元を見た。
もう一歩。
膝が曲がりすぎて、体が傾く。
俺は、慌てて立ち上がった。
「ゆっくりで、いいです」
差し出した手が、掴まれる。
指が、俺の指を一本ずつ確かめた。
それから、いつものように、ちょんと触れる。
間違いなく、イトだった。
俺は、少し笑った。
「……分かりますよ。ちゃんと」
イトの口が、動いた。
小さく、息が漏れる。
「……しゅ」
俺は、止まった。
リィナさんも、マルクさんも、何も言わなかった。
イトが、もう一度、口を動かす。
「……しゅ、ら」
胸の奥が、変な感じになった。
俺は、その顔を見る。
ずっと、呼んでいた。
イト、と。
戻ってきたら、呼んだ。
ご飯の前にも。
危ないときにも。
でも、呼び返されたのは、初めてだった。
「……はい」
俺は、頷いた。
「修羅です」
イトの目が、少し細くなった。
繋いだ手が、きゅっと握られる。
「しゅら」
「はい」
もう一度、呼ばれた。
俺は、もう一度、返事をした。
◇
配信へ姿を見せると、コメント欄が読めなくなった。
〈イト!?〉
〈しゃべった!?〉
〈本当に人化した!〉
〈手の触り方がイトなんだよな〉
〈修羅、さっき返事する声ちょっと変わってたぞ〉
〈これは嬉しいだろ〉
〈背中の脚も残るんだな〉
〈人化も種族によって違うのか〉
「……俺も、まだ、びっくりしてます」
隣を見る。
イトは椅子へ座っていた。
正確には、座る場所を探して、最後に椅子へ落ち着いた。
その前には、俺の頭を見上げていたけど。
「そこは、しばらくお休みですね」
言うと、イトが自分の手を見る。
握る。
開く。
指先から、細い糸が出た。
白い糸が、俺の袖へ貼りつく。
「あ、それはできるんですね」
イトが引く。
俺の袖が、近づく。
満足そうに、手を置いた。
〈糸は使えるのか〉
〈新しい手で最初にやることが修羅の確保〉
〈定位置なくなったからな〉
表示を確認すると、人化中は継続してMPを使うらしい。
まだ長時間は保てない。
蜘蛛の姿へ戻れば、消費は止まる。
人の体にも慣れていないので、戦闘で動くには練習が必要そうだった。
いきなり、何でもできるわけではない。
でも、話せる。
手が、繋げる。
「……ゆっくり、慣れましょう」
俺が言うと、イトが頷いた。
少し間を置いて、口を開く。
「い、と」
「はい。イトです」
自分の胸へ、手を置く。
それから、俺を指す。
「しゅら」
「正解です」
今度は、リィナさんを見る。
口が動く。
「……り、な」
「はい。リィナです」
リィナさんが、嬉しそうに笑った。
マルクさんが、静かに椅子を寄せた。
何も言わない。
ただ、少しだけ、期待した顔で待っている。
イトが、そちらを向いた。
見つめる。
マルクさんの背筋が伸びる。
「……にく」
部屋が、静かになった。
俺は、マルクさんを見た。
マルクさんは、目を閉じた。
「……いつも、お肉を渡していましたからね」
〈肉の人www〉
〈間違ってはいない〉
〈代表、覚えてもらえてよかったな〉
我慢できなかった。
俺が笑うと、リィナさんも肩を揺らした。
イトは不思議そうに、俺たちを見ていた。
マルクさんが、ゆっくり目を開ける。
「マルクです」
穏やかに。
でも、はっきりと。
「マ、ル、ク」
イトが、口を動かす。
「……ま、く」
「はい。今日は、それで十分です」
すごく、嬉しそうだった。
◇
少しして、イトは蜘蛛の姿へ戻った。
光に包まれ、大きな白い蜘蛛が床へ降りる。
服は人化を解いた場所へ残ったので、リィナさんが畳んでくれた。
イトは、俺の足元まで歩いてくる。
膝へ、前脚。
今度は、登ろうとはしなかった。
俺は床へ座り、その横に手を置いた。
「疲れました?」
前脚が、重なる。
言葉の返事は、なかった。
それでも、前より少しだけ、分かる気がした。
俺は大きくなった白い腹を見て、それから、いつもの黒い脚へ視線を戻す。
見た目は、変わった。
できることも、増えた。
でも、手を出せば、こうして触れてくる。
「……これからも、よろしくお願いしますね」
俺が言うと、前脚が一度、持ち上がった。
いつもの、返事だった。




