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6話 新しい魔法とイトの進化

●主人公視点


 仲間が増えました。


 白い髪に、小さな二本の角。


 名前は、リィナさん。


 薬草に詳しくて、料理もできて、魔法も使えるそうです。


 俺は、肉を焼けます。


 ……できること、増やさないといけませんね。


〈突然の危機感〉

〈修羅には戦闘があるだろ〉

〈家も建てたじゃん〉


「家は、元からあった穴を整えた感じなので」


 現在は、翌朝。


 宿の食堂で朝食を終え、これからの予定を相談しているところだ。


 リィナさんの顔色は、昨日よりよくなっていた。


 首の痕には、まだ柔らかい布を巻いている。


 医師には、しばらく無理をせず、きちんと食事を取るように言われたらしい。


「今日は、街を見て回るくらいにしましょうか」


 俺が言うと、リィナさんは膝の上へ置いていた鞄を持ち上げた。


「あの。もしよければ、薬草を見に行きませんか」


「薬草?」


「はい。街の近くで採れる物を確認しておきたいんです。私の知っている物と、こちらで使われている物が同じかも、確かめたいので」


 なるほど。


 確かに、住んでいた場所が違えば、草も違うかもしれない。


 俺なんて、見たことのない草ばかりだ。


 鑑定で名前が出ても、何に使うか分からない物は多い。


「じゃあ、組合で聞いてみましょうか。採集の依頼もあるって言ってましたし」


 リィナさんが、少しだけ目を丸くした。


「私も、受けられるでしょうか」


「登録すれば、大丈夫だと思いますよ」


「……冒険者」


 その言葉を、小さく繰り返す。


 隣の椅子で、イトが前脚を上げた。


 俺は立ち上がり、手を差し出す。


「行ってみましょう。危ない依頼しかなかったら、店を見るだけにすればいいので」


     ◇


「本日は、採集のご相談ですね」


 受付で、リゼさんが頷いた。


 最初に俺を見たとき、ちょっとだけ身構えられた気がした。


 今日は、大きな魔物の報告ではありません。


 安心してください。


「リィナさんの登録も、お願いしたくて」


「かしこまりました」


 リゼさんが、隣へ視線を向ける。


「ご本人も、登録をご希望ですか?」


「はい。薬草の採集を、仕事にしたいと思っています」


「では、得意な物や、これまで扱ったことのある物を教えていただけますか」


 リィナさんが、鞄から小さな布包みを出した。


 昨日、返してもらった荷物に入っていた物だという。


 中には、乾燥させた葉が数種類。


「こちらは、薄葉草です。乾かして、傷薬の材料として売っていました。それから、これは――」


 リゼさんが、葉を一枚ずつ確かめる。


 俺も横から見た。


 薄い葉。


 少し丸い葉。


 細長い葉。


 ……葉っぱですね。


〈今、分かってない顔した〉

〈修羅には全部同じに見えてそう〉


 だいたい合ってます。


「保存状態がいいですね」


 リゼさんが言った。


「湿気もありませんし、傷んだ葉も除かれています。こちらの薄葉草でしたら、現在も納品依頼がありますよ」


 リィナさんの表情が、少し明るくなった。


「本当ですか」


「はい。登録を終えたら、ご案内します」


 用紙が出される。


 リィナさんは、渡されたペンを持って、丁寧に名前を書いた。


 俺のときより、ずっと字がきれいだった。


 少しだけ、自分のサインを思い出す。


 領主館で飾られる前に、書き直した方がよかったかもしれない。


     ◇


 登録が終わり、リィナさんの手へ組合証が渡された。


「Fランクからの開始です。こちらは、ご自身で保管してください」


「……ありがとうございます」


 小さな札を、両手で受け取る。


 しばらく見つめてから、鞄の内側へしまった。


 それを確かめて、リゼさんが依頼書を出す。


【薄葉草の採集】


【依頼ランク:F】


【必要数:二十株】


【採集地点:南門外、川沿いの共同採集地】


【納品条件:根を残し、指定された長さで刈り取ること。変色、虫食い、異種の混入が多い物は買い取り不可】


「この依頼は、採った数だけではなく、状態も確認します。採集地には似た草が生えていますので、判断できない物は分けてお持ちください」


「はい」


 リィナさんが頷く。


 俺も依頼書を覗き込んだ。


「これ、俺も手伝っていいんですか?」


「はい。ただ、今回はリィナさんが受注者です。納品物の確認と説明は、ご本人にお願いします」


「分かりました」


「それと、修羅さん」


「はい」


「南の共同採集地までです。森の奥へ入る必要はありません」


 俺は、まっすぐ頷いた。


「今日は、草だけです」


〈信用の積み直し〉

〈今の言葉、覚えたからな〉

〈帰りに巨大な草持ってくるなよ〉


 草に巨大も何も、あるんですかね。


 ……この世界なら、ありそうだ。


     ◇


 南門を出ると、川沿いに畑と草地が広がっていた。


 街から近いせいか、同じように籠を持った人が何人もいる。


 槍を持った巡回の兵士も見えた。


 魔物の気配を探しながら歩かなくていい道。


 それだけで、少し肩が軽い。


「この辺りですね」


 リィナさんが足を止めた。


 川へ下りる坂の途中。


 草が、いっぱい生えている。


 俺は鑑定を使った。


【薄葉草】


【若い葉が薬の材料として利用される草。

 強い日差しで乾燥した葉は品質が落ちる。】


「おぉ。ありましたよ」


「はい。こちらは、採れそうです」


 リィナさんがしゃがむ。


 葉を裏返し、根元を確かめ、指で茎を支える。


 小さな刃物で、必要な部分だけを切った。


 手早い。


 でも、雑ではなかった。


「根は、残すんですね」


「また伸びてきますから。それに、根の近くまで取ると、土が混ざりやすいんです」


「なるほど」


 俺もしゃがみ、隣の草へ手を伸ばした。


「これも――」


「そちらは、違います」


 止まった。


 リィナさんが、俺の指している葉を裏返す。


「葉脈の色が違います。あと、薄葉草は根元から二枚ずつ葉が出ますが、これは一枚ずつです」


 言われて見る。


 確かに、違う。


【灰筋草】


【薄葉草に似た姿の野草。

 薄葉草の代用品としては利用できない。】


「……名前だけ確認して採ると、危ないですね」


「はい。乾いて丸まると、もっと見分けにくくなります」


〈ちゃんと詳しい〉

〈鑑定だけじゃ分からないところあるな〉

〈採った後に混ざると面倒そう〉


 俺は、薄葉草と灰筋草を見比べた。


 覚えてから採る。


 分からなくなったら、聞く。


 当たり前だけど、殴って解決する仕事とは違った。


     ◇


 しばらくして、俺は一つ困った。


 薄葉草は、川に近い斜面の、草が重なった場所にも生えている。


 しゃがみ、葉を持ち上げ、根元を見る。


 自分の体で、影になる。


「……暗いな」


 顔を近づける。


 余計に影が濃くなった。


 頭の上で、イトが動く。


 すみません。今、頭を下げてます。


「少し、お待ちください」


 リィナさんが、こちらへ手を伸ばした。


 指先に、小さな光が灯る。


 炎ではなかった。


 丸い、淡い光。


 それが指から離れ、俺の手元で止まった。


「……お」


 葉の裏まで、見える。


 影がずれた。


「これなら、どうですか」


「すごい。見やすいです」


 俺は草と、光を交互に見た。


 熱くない。


 火でもない。


 小さな光が、何もない場所に浮かんでいる。


「これ、魔法なんですよね」


「はい。〈灯火〉です」


「……俺も、できますかね」


 リィナさんが、顔を上げた。


「やってみますか?」


 俺は頷いた。


〈魔法!?〉

〈修羅が?〉

〈斧から離れたスキルきた〉

〈まず照明からなのがらしい〉


「便利じゃないですか。家でも使えそうですし」


 暗い通路。


 寝床。


 夜の荷物整理。


 使いたい場面が、次々に浮かぶ。


 何より。


 俺は、自分の手を見た。


 魔法が使えるなら、使ってみたい。


     ◇


「最初は、手のひらに魔力を集めてみてください」


「……集める」


 手を開く。


 見つめる。


 何も起きない。


 握る。


 開く。


 やっぱり、何も起きない。


「力を入れなくても、大丈夫です」


「あ、はい」


 指の力を抜く。


 リィナさんは、少し考えてから聞いた。


「武器に魔力を通すことは、ありますか?」


「鬼装なら、よく使います」


「そのときの感覚に、近いと思います。武器ではなく、手のひらまでで止める感じです」


 なるほど。


 それなら、少し分かる。


 胸の奥へ、意識を向ける。


 斧を握ったときに、刃へ通している熱のようなもの。


 それを、腕へ。


 手のひらへ。


 赤い光が、指の間に滲んだ。


「……お?」


 リィナさんが、少しだけ身を引いた。


「あの。そんなに、たくさんは必要ありません」


「多いですか」


「かなり」


〈光らせるだけだぞ〉

〈戦闘出力やめろ〉

〈手から斧生えてきそう〉


 慌てて、力を抜く。


 光が消えた。


「……難しいな」


「最初は、そうです。小さく、少しずつで」


 リィナさんが、もう一度、手本を見せてくれる。


 指先に、柔らかい光。


 それを近づけ、俺の手を照らした。


「これくらいの明るさを、思い浮かべてください。遠くまで照らそうとしなくて構いません」


 俺は、頷いた。


 小さく。


 葉の裏が、見えるくらい。


 手元へ、意識を集める。


 今度は、さっきより少なく。


 光が、ちらついた。


 すぐに消える。


 もう一度。


 瞬く。


 消える。


 ……火起こしを、思い出してきた。


〈頑張れ〉

〈魔法使いの最初、俺もこんなんだった〉

〈力を抜けって言われるほど入るんだよな〉


 休憩を挟み、何度か試す。


 リィナさんは、その間に採った薬草を選り分けていた。


 時々、俺の手を見て、助言をくれる。


「今のは、少し残っていました」


「本当ですか」


「はい。消えたときに、慌てて足すと、また乱れてしまうので」


 小さく。


 同じくらいを、流し続ける。


 俺は、息をゆっくり吐いた。


 手のひらに、光が灯った。


 今度は、消えなかった。


「……あ」


 小さな光。


 豆粒より、少し大きい。


 弱々しいけど、確かに俺の手を照らしている。


 そのとき、表示が現れた。


【魔力操作の経験が一定値に達しました】


【〈灯火 Lv.1〉を獲得しました】


「……できた」


〈おおおお!〉

〈魔法習得!〉

〈修羅が光った!〉

〈今までも赤く光ってただろ〉

〈あれとは違うんだよ!〉

〈戦闘以外のスキル、いいな〉


 リィナさんが、嬉しそうに笑った。


「できましたね」


「はい。……すごいな、これ」


 手を、少し動かす。


 光も、ついてくる。


 持ち上げる。


 顔が照らされた。


 頭の上から、イトの前脚が伸びてくる。


「熱くないですよ」


 イトが、光へ触れた。


 何も掴めなかったらしく、もう一度、前脚を動かす。


 俺は思わず笑った。


 その瞬間、光が消えた。


「……あ」


〈集中切れた〉

〈イトに負けた〉

〈実戦投入には練習が必要だな〉


 表示を開く。


【灯火 Lv.1】


【小さな光球を一つ生み出し、手元を照らす。】


【発動時MP2。維持には一分ごとにMP1を消費する。】


【光球は使用者の近くに保たれる。発熱、攻撃能力はない。】


「……いっぱい使えますね」


「ですが、帰りの分は残してくださいね」


 リィナさんが、少し心配そうに言った。


 俺は頷く。


「今日は、草だけですけど」


〈その台詞はもう聞いた〉

〈魔法覚えたから草だけじゃなくなったぞ〉


 確かに。


 でも、いい寄り道だった。


     ◇


 その後は、覚えたばかりの光を手元へ浮かべ、薬草を採った。


 影になる場所でも、葉の色が見える。


 ただ、光を維持することへ気を取られると、今度は採る草を間違えそうになる。


 両方を同時にやるのは、まだ難しい。


 結局、俺が照らして、リィナさんが選ぶ形に落ち着いた。


「これ、お願いします」


「はい」


「少し右へ」


「こっち?」


「ありがとうございます」


 俺の光の下で、小さな刃物が動く。


 イトは横の草へ移り、葉についていた虫を眺めていた。


 風が吹く。


 川の音がする。


 剣の音も、魔物の声もない。


「……こういう日も、いいですね」


 俺が言うと、リィナさんは顔を上げた。


 それから、柔らかく頷いた。


「はい」


     ◇


 組合へ戻ると、リゼさんが俺たちを見た。


 服。


 防具。


 袋。


 最後に、リィナさんの抱えた籠。


「……薬草ですね」


「薬草です」


 俺は、しっかり答えた。


〈無事に草を持ち帰った〉

〈偉業みたいに言うな〉


 リィナさんが、籠を受付へ置いた。


 薄葉草は、向きを揃えて束ねてある。


 採った場所と、葉の状態も説明する。


 リゼさんが一本ずつ確かめ、数を数えた。


「二十四株。混入はありません。切り口も、葉の状態も良好です」


 リィナさんの肩が、少し下がる。


「よかった……」


「二十株を依頼分として。残りも、同じ品質でしたら買い取りできますよ」


「お願いします」


【依頼達成:薄葉草の採集】


 報酬が、机の上へ置かれた。


 大きな魔物を倒したときほどの額ではない。


 でも、リィナさんは、それをしばらく見つめていた。


 自分で受けた依頼。


 自分で選んだ薬草。


 その報酬だ。


「……ありがとうございます」


 硬貨を、丁寧にしまう。


 俺は、その隣で頷いた。


「やっぱり、詳しいですね。俺、最初の一本から間違えましたよ」


「途中からは、見分けられていました」


「二回、聞きましたけど」


「分からないまま採るより、ずっといいです」


 そう言われると、少し嬉しい。


 リゼさんが、俺を見る。


「修羅さんにも、勉強になる依頼でしたね」


「はい。それと、魔法を覚えました」


「……魔法?」


 俺は手を開いた。


「〈灯火〉」


 小さな光が、浮かぶ。


 今度は、すぐには消えなかった。


 リゼさんの耳が、ぴんと立った。


「まあ」


 俺は、少し得意になる。


「リィナさんに、教えてもらいました」


 隣を見る。


 リィナさんが、照れたように笑っていた。


 昨日は、できることを一生懸命説明していた。


 今日は、俺に一つ、できることを増やしてくれた。


「ありがとうございます。帰ったら、家でも使ってみます」


「はい」


 光へ、イトの前脚が伸びる。


 今度は、それを見ても消えなかった。


〈安定してきた〉

〈先生も嬉しそう〉

〈家の照明係が増えたな〉


 俺は、浮かぶ光を眺めた。


 小さくて、手元しか照らせない。


 でも、これがあれば、夜でも地図が読める。


 袋の中身も探せる。


 寝床へ戻るとき、石につまずかずに済むかもしれない。


 想像して、ちょっと笑った。


「……便利ですね、魔法」


 リィナさんが、頷いた。


 その隣でイトが、また光を掴もうとしていた。




その隣でイトが、また光を掴もうとしていた。


 前脚が、丸い光をすり抜ける。


 少し間を置いて、もう一度。


 やっぱり、掴めない。


「それ、物じゃないみたいですよ」


 俺が言うと、イトがこちらを向いた。


 なんとなく、納得していない感じがする。


 リィナさんが、口元へ手を添えて笑った。


 今日は、平和な一日だった。


 薬草を採って、魔法を覚えて、報酬も受け取った。


 ただ。


 手の上へ戻ってきたイトを見て、ふと思った。


「……次は、イトの番ですね」


 小さな前脚が上がる。


 新しい糸を覚えたばかりだけど、その力を試す機会は、まだ少ない。


 俺も、レベルを上げたい。


 リィナさんと旅をするなら、守れる余裕も増やしておきたかった。


「明日は、少し狩りに行きましょうか」


〈育成の続きだ〉

〈粘着糸、まだ覚えたばっかだもんな〉

〈灯火で遊んでる場合じゃなかった〉


「遊んでは……ちょっと、遊んでましたね」


 イトが俺の指へ糸をつけた。


 ぺたり。


 軽く引かれる。


 行く気は、ありそうだった。


     ◇


 翌朝、俺たちは組合へ向かった。


 受けたのは、東門の北側に広がる林で増えている魔物の討伐依頼。


 街道へ出てくる〈鋏甲虫〉を減らしてほしい、というものだった。


 大きな虫。


 説明を聞いた時点で、少し嫌な予感がした。


「硬い背中と、前方の鋏に注意してください。脚の付け根は比較的柔らかいですが、潜り込むのは危険です」


 リゼさんが依頼書を指す。


「木の幹を切るほどの鋏です。糸も、正面に張ると切られるかもしれません」


 俺は、肩のイトを見た。


「……工夫が要りそうですね」


 イトが前脚を動かす。


 その横で、リィナさんが籠を持ち直した。


 彼女には、林の手前にある採集地まで同行してもらう。


 街へ戻る採集人たちが休む小屋があり、巡回の兵士も立ち寄る場所だ。


 戦う場所へ、一緒に連れていくわけではない。


「私は、そこで薬草を選んでいます。戻られたら、怪我を見せてくださいね」


「なるべく、怪我せず戻ります」


 そう答えて、東門へ向かった。


     ◇


 鋏甲虫は、思ったより嫌な見た目をしていた。


 平たい、黒い体。


 地面へ低く張りつく六本の脚。


 頭の前には、曲がった二本の大鋏。


 大きさは、俺が寝転がっても足がはみ出ないくらい。


「……虫の大きさじゃないんですよ」


【鋏甲虫 Lv.43】


【HP:860/860】


【硬い甲殻に覆われた大型の魔物。

 前方の鋏で獲物を挟み、切り裂く。

 横への移動は遅く、脚を失うと体勢を立て直しにくい。】


〈でかい〉

〈これは嫌だ〉

〈イトはかわいいのに何が違うんだろうな〉


「顔つき、ですかね」


 目が合う。


 鋏が、がちんと鳴った。


 かわいくは、なかった。


 最初の一体は、俺が引きつけた。


 正面へ出る。


 鋏が開く。


 飛び込んでは、いけない。


 横へ動く。


 鋏甲虫が、脚を細かく動かして向きを変えた。


 その外側へ、さらに一歩。


 脚の付け根へ、斧を短く振る。


 硬い感触の奥で、刃が通った。


 体が傾く。


「イト!」


 白い糸が飛んだ。


 片側の後脚と、木の根。


 粘着糸が、二つを結ぶ。


 鋏甲虫が前へ出ようとする。


 後ろが、ついてこない。


 そこへ、俺が回った。


「……よし」


 もう一度、脚を狙う。


 動きが鈍ったところで、甲殻の隙間へ刃を入れた。


【経験値を獲得しました】


 俺は、斧を引き抜いた。


 少し離れて、動かないことを確かめる。


「正面以外に糸を張れば、切られにくいですね」


 イトが木の根から下りてきた。


 差し出した指へ、前脚を添える。


〈役割分担できてる〉

〈背中側に糸を張るの、いいな〉

〈正面は修羅に任せられるからな〉


「俺も、後ろを任せられるので助かってます」


 言うと、イトが腕を登ってきた。


 いつものように、頭の上へ収まる。


 小さな重みを確かめ、俺は次の気配を探した。


     ◇


 それから、何日か。


 午前中は、組合で依頼を受ける。


 昼過ぎまで狩りをして、リィナさんの待つ採集小屋へ戻る。


 街へ帰ったら、報告と素材の売却。


 夕方は、装備の手入れと、魔法の練習。


 そんな生活が続いた。


 同じ相手でも、毎回、同じ戦い方ではなかった。


 二体同時に出てきたら、一体を糸で遅らせる。


 斜面では、足を取られる側へ回り込まない。


 木の上へ逃げる魔物には、イトが先回りする。


 俺が、言う前に。


「……上、行った?」


 見上げると、白い腹が枝の間を動いていた。


 逃げようとしていた〈樹走り猿〉の進路へ、糸が渡る。


 猿が止まる。


 別の枝へ飛ぼうとしたところへ、もう一本。


 足場を選べなくなった相手が、地面へ下りてきた。


 俺は斧を構える。


「はい。こっちは、通れません」


〈イト、追い込み覚えたぞ〉

〈修羅の方へ誘導してる〉

〈だんだん指示が要らなくなってきたな〉


 戦いが終わると、イトは必ず戻ってきた。


 手へ乗る日もあれば、背中から肩へ登ってくる日もある。


 戻るたび、体を確かめる。


 何度か、糸に引かれて転がったこともあった。


 俺の籠手へ貼りついた糸が、なかなか剥がれなかった日もある。


 少しずつ、お互いの動きが分かってきた。


 レベルも、上がった。


【種族レベルが上がりました】


【従魔〈イト〉のレベルが上がりました】


 表示が出るたび、俺は肩へ声をかける。


「上がりましたよ」


 イトが前脚を上げる。


 その仕草も、すっかり見慣れた。


 そして、四日目。


 林の奥で見つけた、特に大きな鋏甲虫を倒したときだった。


【種族Lv:40 → 45【UP!】】


【従魔〈イト〉のLvが上がりました】


【Lv:24 → 25【UP!】】


 俺は、斧を下ろした。


「……二十五。随分、上がりましたね」


 肩のイトを見ようとする。


 その前に、表示が増えた。


【従魔〈イト〉が進化条件を満たしました】


 足が、止まった。


〈え?〉

〈進化!?〉

〈イトの進化きた!〉


 続けて、文字が浮かぶ。


【粘着糸による拘束経験を確認】


【他種族との継続した協同行動を確認】


【魔力への接触経験を確認】


【進化候補:白糸の織蜘蛛】


【進化後、〈人化〉を獲得します】


「…………人化?」


 思わず、声が大きくなった。


 肩の上で、イトが少し身じろぎする。


 俺は慌てて手を添えた。


「ごめん。びっくりして」


〈待て待て待て〉

〈今、人化って出た?〉

〈リュカのやつ!?〉

〈蜘蛛から!?〉

〈条件、いろいろ積んでたのか〉

〈魔力への接触って灯火?〉


 俺も、表示を読み直す。


 見間違いではなかった。


 ただ、その下には注意書きもある。


【進化には、安全な場所で一定時間の休息が必要です】


【進化後は体格が変化します】


 俺は、周囲を見た。


 林。


 魔物の死体。


 遠くから聞こえる、枝の揺れる音。


「……ここでは、やめましょう」


 イトを手へ移す。


「戻ってから、ゆっくり考えましょうか」


 小さな前脚が、指へ触れた。


 俺は袋を持ち上げた。


 帰り道で、何度も肩を見てしまった。


     ◇


「イトさんが、進化を?」


 採集小屋で話すと、リィナさんも目を丸くした。


 俺は頷き、表示の内容を伝える。


 人化のところで、彼女も少し黙った。


「……まずは、広い場所の方がよさそうですね」


「ですね。宿の部屋、壊れたら困るので」


 相談した結果、マルクさんに場所を借りることになった。


 商会の倉庫に、空いている作業部屋があるらしい。


 荷物を運び込むため、扉も大きい。


 床も丈夫。


 人の出入りも止められる。


「それに、布もあります」


 マルクさんが言った。


「体格が変わるのでしたら、何かと必要でしょう」


「……なるほど」


 そこまで、考えていなかった。


 さすがだ。


 準備を終え、俺は床へ座った。


 目の前に、イトを下ろす。


 リィナさんとマルクさんは、少し離れて待ってくれていた。


 配信にも、これから進化を試すことを伝える。


「イト」


 名前を呼ぶ。


 こちらへ、顔が向いた。


「大きくなるみたいです。今までと、少し変わると思います」


 言葉が、どこまで伝わっているかは分からない。


 でも、黙って決めたくはなかった。


「やってみますか?」


 手を差し出す。


 イトは、その上へ乗らなかった。


 代わりに、前脚を上げた。


 俺の指へ触れ、それから、自分の体へ細い糸を巻き始めた。


 一本。


 もう一本。


 白い糸が、少しずつ重なる。


【従魔〈イト〉の進化を開始しますか?】


 俺は、頷いた。


「……お願いします」


 承認する。


 糸の奥に、淡い光が灯った。


     ◇


 白い繭は、ゆっくり大きくなった。


 最初は、俺の手のひらほど。


 それが、頭くらいになり、さらに膨らむ。


 俺は、少し後ろへ下がった。


 糸の奥で、何かが動く。


 長い脚。


 丸い腹。


 見慣れた輪郭が、違う大きさになっていく。


 数分が、長かった。


 コメントは流れ続けているけど、ほとんど読めない。


 俺は繭だけを見ていた。


 やがて、内側から糸が切れた。


 黒い脚が、一本出る。


 床を確かめるように、先端が触れた。


 続いて、もう一本。


 白い糸を押し分けて、イトが姿を現した。


「……おぉ」


 大きい。


 脚を広げると、小さな机くらいある。


 白い腹には、淡い銀色の模様。


 黒かった脚は艶を増し、関節の近くに細い白毛が生えていた。


 それでも。


 こちらへ顔を向け、前脚を持ち上げる仕草は、同じだった。


【進化が完了しました】


【糸吐き蜘蛛 → 白糸の織蜘蛛】


【従魔Lv:25 → 1】


【基礎能力が上昇しました】


【〈人化〉を獲得しました】


〈でかい!〉

〈でもイトだ〉

〈前脚の上げ方、そのまんま!〉

〈白い模様きれいだな〉

〈頭にはもう乗れないぞ〉


 俺は、手を差し出した。


「……イト?」


 大きくなった前脚が、そっと乗った。


 重みがある。


 ちゃんと、温かい。


 俺は、その脚へ指を添えた。


「無事に終わりましたね」


 イトが近づいてくる。


 俺の膝へ前脚をかけ、いつものように登ろうとした。


「待って待って」


 肩へ、脚。


 背中へ、重み。


「頭は、今ちょっと、厳しいです!」


〈いつもの場所に行こうとしてる〉

〈かわいい〉

〈修羅なら支えられそうだけど角に収まらない〉


 イトが、ぴたりと止まった。


 俺の顔を見る。


 頭を見る。


 もう一度、顔を見る。


 そのまま、ゆっくり床へ戻った。


 少しだけ、申し訳なくなった。


「嫌なわけじゃないんですよ。大きくなったので」


 前脚が、俺の膝へ置かれる。


 俺は、そこを撫でた。


     ◇


 人化を試す前に、配信の映像を切り替えた。


 マルクさんが用意してくれた布と、サイズを調整しやすい服を、衝立の向こうへ置く。


 リィナさんが、イトへ説明してくれた。


 俺は、反対側で待つ。


 何だか、落ち着かなかった。


 進化だけでも、十分びっくりしたのに。


 人の姿になる。


 あのイトが。


 頭に乗って、糸を出して、肉を食べていたイトが。


 衝立の向こうで、光が漏れた。


 布の擦れる音。


 少しして、リィナさんの声がした。


「修羅さん。大丈夫ですよ」


 俺は、顔を上げた。


 衝立の横から、小柄な人影が現れる。


 白い髪。


 内側に、細く混じった黒い色。


 袖の長い上着から、小さな手が出ていた。


 灰色がかった瞳が、俺を見る。


 人の姿だった。


 でも、その後ろに、細い蜘蛛の脚が二本だけ残っている。


 歩きながら、床へ触れ、体を支えていた。


「……イト?」


 呼ぶ。


 顔が、上がる。


 その子は一歩進み、足元を見た。


 もう一歩。


 膝が曲がりすぎて、体が傾く。


 俺は、慌てて立ち上がった。


「ゆっくりで、いいです」


 差し出した手が、掴まれる。


 指が、俺の指を一本ずつ確かめた。


 それから、いつものように、ちょんと触れる。


 間違いなく、イトだった。


 俺は、少し笑った。


「……分かりますよ。ちゃんと」


 イトの口が、動いた。


 小さく、息が漏れる。


「……しゅ」


 俺は、止まった。


 リィナさんも、マルクさんも、何も言わなかった。


 イトが、もう一度、口を動かす。


「……しゅ、ら」


 胸の奥が、変な感じになった。


 俺は、その顔を見る。


 ずっと、呼んでいた。


 イト、と。


 戻ってきたら、呼んだ。


 ご飯の前にも。


 危ないときにも。


 でも、呼び返されたのは、初めてだった。


「……はい」


 俺は、頷いた。


「修羅です」


 イトの目が、少し細くなった。


 繋いだ手が、きゅっと握られる。


「しゅら」


「はい」


 もう一度、呼ばれた。


 俺は、もう一度、返事をした。


     ◇


 配信へ姿を見せると、コメント欄が読めなくなった。


〈イト!?〉

〈しゃべった!?〉

〈本当に人化した!〉

〈手の触り方がイトなんだよな〉

〈修羅、さっき返事する声ちょっと変わってたぞ〉

〈これは嬉しいだろ〉

〈背中の脚も残るんだな〉

〈人化も種族によって違うのか〉


「……俺も、まだ、びっくりしてます」


 隣を見る。


 イトは椅子へ座っていた。


 正確には、座る場所を探して、最後に椅子へ落ち着いた。


 その前には、俺の頭を見上げていたけど。


「そこは、しばらくお休みですね」


 言うと、イトが自分の手を見る。


 握る。


 開く。


 指先から、細い糸が出た。


 白い糸が、俺の袖へ貼りつく。


「あ、それはできるんですね」


 イトが引く。


 俺の袖が、近づく。


 満足そうに、手を置いた。


〈糸は使えるのか〉

〈新しい手で最初にやることが修羅の確保〉

〈定位置なくなったからな〉


 表示を確認すると、人化中は継続してMPを使うらしい。


 まだ長時間は保てない。


 蜘蛛の姿へ戻れば、消費は止まる。


 人の体にも慣れていないので、戦闘で動くには練習が必要そうだった。


 いきなり、何でもできるわけではない。


 でも、話せる。


 手が、繋げる。


「……ゆっくり、慣れましょう」


 俺が言うと、イトが頷いた。


 少し間を置いて、口を開く。


「い、と」


「はい。イトです」


 自分の胸へ、手を置く。


 それから、俺を指す。


「しゅら」


「正解です」


 今度は、リィナさんを見る。


 口が動く。


「……り、な」


「はい。リィナです」


 リィナさんが、嬉しそうに笑った。


 マルクさんが、静かに椅子を寄せた。


 何も言わない。


 ただ、少しだけ、期待した顔で待っている。


 イトが、そちらを向いた。


 見つめる。


 マルクさんの背筋が伸びる。


「……にく」


 部屋が、静かになった。


 俺は、マルクさんを見た。


 マルクさんは、目を閉じた。


「……いつも、お肉を渡していましたからね」


〈肉の人www〉

〈間違ってはいない〉

〈代表、覚えてもらえてよかったな〉


 我慢できなかった。


 俺が笑うと、リィナさんも肩を揺らした。


 イトは不思議そうに、俺たちを見ていた。


 マルクさんが、ゆっくり目を開ける。


「マルクです」


 穏やかに。


 でも、はっきりと。


「マ、ル、ク」


 イトが、口を動かす。


「……ま、く」


「はい。今日は、それで十分です」


 すごく、嬉しそうだった。


     ◇


 少しして、イトは蜘蛛の姿へ戻った。


 光に包まれ、大きな白い蜘蛛が床へ降りる。


 服は人化を解いた場所へ残ったので、リィナさんが畳んでくれた。


 イトは、俺の足元まで歩いてくる。


 膝へ、前脚。


 今度は、登ろうとはしなかった。


 俺は床へ座り、その横に手を置いた。


「疲れました?」


 前脚が、重なる。


 言葉の返事は、なかった。


 それでも、前より少しだけ、分かる気がした。


 俺は大きくなった白い腹を見て、それから、いつもの黒い脚へ視線を戻す。


 見た目は、変わった。


 できることも、増えた。


 でも、手を出せば、こうして触れてくる。


「……これからも、よろしくお願いしますね」


 俺が言うと、前脚が一度、持ち上がった。


 いつもの、返事だった。

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