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3話 遭遇

●主人公視点


 鳥肉を食べて、元気になった修羅でーす。


 現在は、ヴァルグへ向かって移動中です。


 ガルゼンの砦を出てから、随分と景色が変わった。


 岩ばかりだった道には土が増え、左右には背の低い木が並んでいる。足元には、ところどころ古い石畳も残っていた。


 そして、何より。


「……車輪の跡がありますね」


 地面に、二本の溝が続いている。


 片方は浅いけど、もう片方はくっきりしていた。最近、荷車か何かが通ったんだろう。


〈ようやく街道っぽくなってきた〉

〈人の気配がする〉

〈今まで岩と魔物しかいなかったからな〉


「ガルゼンさんもいましたよ」


〈人の気配というには強すぎる〉

〈あれは強敵の気配〉


 確かに。


 本人に言ったら、無言で木の棒を渡されそうだ。


 俺は袋の肩紐を持ち直した。


 鎌脚鳥の素材を詰めたせいで、さっきより少し重い。


 羽毛は軽い。


 軽いんだけど、場所を取る。


 せっかく拾ったし、捨てたくはない。


「……ヴァルグに、大きい袋とか売ってますかね」


〈あるんじゃない?〉

〈先に宿を取れ〉

〈荷物を置くという発想を覚えよう〉


「あぁ、そうか」


 家を持ち歩こうとしていた。


 街に着けば、部屋を借りられるんだよな。


 寝床があって。


 荷物も置けて。


 できれば、風呂も――。


 頭の上で、イトが動いた。


 角に添えていた前脚を浮かせ、道の先へ体を向ける。


「ん?」


 俺も足を止めた。


 風が吹いて、木の葉が擦れる。


 その音に混じって、何か聞こえた。


 がんっ。


 硬い物を叩くような音。


 続いて、男の怒鳴り声が響いた。


「荷物はいい! こっちへ来い!」


 俺は斧を持ち直した。


「……何か、まずそうですね」


〈人?〉

〈戦ってる音か?〉


 道の先は曲がっている。


 木が邪魔で、向こうは見えない。


 俺は走った。


     ◇


 最初に見えたのは、傾いた荷車だった。


 片側の車輪が道脇の溝にはまり、荷台から木箱が二つ落ちている。


 その前に立っているのは、犬の獣人。


 革鎧を着て、槍を構えていた。


 左脚から血が流れている。


 荷車の後ろには、もう一人。


 灰色の外套に、茶色い髪。


 眼鏡をかけた男が、木箱を抱えていた。


「それは置けと言ってるだろう!」


「分かってます! こっちに置いたら、足場になるかと!」


 眼鏡の男が木箱を倒す。


 負傷した獣人が下がる、その足元へ。


 なるほど。


 溝に落ちないように、踏む場所を作ったらしい。


 だが、その間にも魔物は近づいていた。


 黒い獣。


 犬に似ているけど、頭と肩が異様に大きい。


 前脚は太く、後ろ脚は少し短い。盛り上がった肩から背中にかけて、硬そうな毛が逆立っている。


 そして、口だ。


 顎が、分厚い。


 閉じているのに、白い牙が何本も覗いていた。


「……あれに噛まれるの、嫌ですね」


【鑑定】


【砕顎獣 Lv.47】


【分類:獣】


【HP:803/910】


【強靱な顎と発達した前脚を持つ肉食獣。

 低い姿勢から獲物へ飛びかかり、噛みついたまま引き倒す。

 頭部と前半身は頑丈で、獲物の抵抗が弱まるまで執拗に攻撃を続ける。】


【主な素材:牙、顎骨、毛皮、肉】


〈名前が怖い〉

〈あの槍の人、脚やられてる〉

〈修羅、間に合うか〉


 獣人が槍を突き出す。


 砕顎獣が顔を振った。


 穂先を避け、その柄へ噛みつく。


 ばきっ。


 槍が折れた。


「っ……!」


 獣人が手を離す。


 その瞬間、傷めた脚が折れ、体が沈んだ。


 砕顎獣の前脚が地面を掻く。


「イト、下りて!」


 俺は道端の木を指した。


 イトが肩を伝って下りる。


 その小さな体が離れるのと同時に、地面を蹴った。


「こっちだ!」


 斧を振り下ろす。


 砕顎獣が顔を向けた。


 刃が肩を削る。


 浅い。


 でも、獣人へ伸びかけていた牙が引っ込んだ。


 魔物が横へ跳ぶ。


 俺は、二人との間へ入った。


「動けますか?」


「……ああ」


「後ろへ! できれば、木の向こうまで!」


「分かった!」


 眼鏡の男が、獣人の腕を肩へ回す。


 それを横目で確かめてから、俺は斧を構えた。


 砕顎獣が唸る。


 低い姿勢。


 頭が、俺の腰より下にある。


「……猪とは、違いますね」


 突っ込んできた。


 速い。


 俺は斧の広い側面を斜めに差し出した。


 頭がぶつかる。


 腕に重い衝撃が走った。


「っ!」


 流しきれない。


 足が半歩、押される。


 そのまま横を抜けようとした獣の腹へ、柄尻を叩き込んだ。


「〈打撃〉!」


 鈍い手応え。


 だが、砕顎獣は止まらなかった。


 前脚を踏ん張り、体を捻る。


 大きな口が、横から迫る。


 俺は斧を引き戻しながら、外へ足を運んだ。


 がちん。


 すぐ横で、牙が鳴った。


「……近っ」


〈今、胴体狙った?〉

〈あれ噛まれたら防具ごといかれるぞ〉

〈背中! 後ろ取ろう!〉


 取りたい。


 取りたいんだけど。


 砕顎獣が、すぐにこっちを向く。


 前脚が太いせいか、向きを変える動きが速い。


 俺が横へ動けば、頭もついてくる。


 その奥で、眼鏡の男が獣人を木陰へ座らせた。


 よし。


 離れられた。


「じゃあ、こっちですね」


 俺は、道の反対側へ下がった。


 砕顎獣が追ってくる。


 一歩。


 もう一歩。


 距離が開いたところで、相手の背中が沈んだ。


 突進。


 俺は横へ動く。


 魔物の頭が追う。


 避けた先へ、噛みついてくる。


「……やっぱり」


 斧を手元へ引く。


 柄のあった場所で、牙が閉じた。


 空振り。


 その首の横へ踏み込んだ。


「〈鬼装〉!」


 刃に赤い光が這う。


 肩の後ろへ、斧を叩き込む。


 さっきより深い。


 砕顎獣が吠えた。


 刃を抜こうとした、その瞬間。


 黒い肩が、こちらへ迫った。


「ぐっ……!」


 脇腹に衝撃。


 息が詰まる。


 両足が地面を滑った。


 噛みつきだけじゃない。


 その重い体も、十分に武器だった。


 斧を抜き、すぐに横へ離れる。


 砕顎獣は傷を負った肩を低くしながら、また俺を向いた。


「……しつこいって説明、ありましたね」


〈ちゃんと読んでたのに〉

〈正面が硬すぎる〉

〈今の当たり方で向かってくるの怖いな〉


 前半身は頑丈。


 傷ついても追ってくる。


 なら、立っていられなくすればいい。


 俺は、魔物の脚へ目を落とした。


 同時に、視界の端で白い糸が揺れる。


 道端の木に、イトがいた。


 二本の幹の間に、低く糸が渡っている。


 目が合う。


 イトが前脚を上げた。


「……いいですね」


 俺は、そちらへ下がった。


 砕顎獣が唸る。


 傷から血が落ちていた。


 それでも、視線は俺から離れない。


 木の間を抜ける。


 足場を確かめる。


 砕顎獣が、地面を蹴った。


 白い糸が前脚へ絡む。


 枝がしなる。


 糸は、すぐに切れかけた。


 止めるには、相手が重すぎる。


 でも、伸ばされた脚が、予定の場所へ着かなかった。


 前半身が沈む。


 その一瞬に、踏み込んだ。


「〈鬼力〉!」


 体の奥が熱くなる。


 両手を握り込む。


 狙いは、傷ついた肩の下。


 体を支えようとした、前脚の付け根。


 斧を振り下ろす。


 深く、入った。


 砕顎獣の体が崩れる。


 糸が切れた。


 巨体が横倒しになり、土が跳ねた。


 俺は斧を引き抜き、頭の正面から離れる。


 牙が空を噛む。


 脚が地面を掻く。


 まだ、起きるつもりだ。


「……悪いけど」


 斧を持ち上げた。


「食われるのは、勘弁なんで」


 さらされた首元へ、刃を振り下ろす。


 今度こそ、魔物の動きが止まった。


【経験値を獲得しました】


 表示を確認する。


 少し待つ。


 動かない。


「……よし」


〈討伐!〉

〈ナイス!〉

〈イトもナイス!〉

〈糸で止めるんじゃなくて転ばせるのうまい〉


「助かりました。イト、怪我ない?」


 木から下りてきたイトへ手を差し出す。


 前脚が指に触れた。


 体を確かめてから肩へ乗せる。


 それから、二人の方へ戻った。


     ◇


「大丈夫ですか?」


「はい……! ありがとうございます、本当に」


 眼鏡の男が顔を上げた。


 獣人の脚には、既に布が巻かれている。


 傍らには、蓋の開いた薬瓶。


 手は震えていたけど、必要な処置は進めていたらしい。


「肩も、傷がありますね」


「ええ。ただ、まず脚の出血を……」


「布、持ってます。使います?」


「お願いします」


 袋から布を取り出す。


 差し出そうとしたところで、男が俺の顔を見た。


 そのまま、止まる。


「……?」


 視線が、斧へ落ちる。


 首飾りへ。


 肩のイトへ。


 もう一度、俺の顔へ戻った。


「あ」


 小さな声。


 次に、口が開く。


「……修羅さん?」


「はい。そうです」


 男は、数秒黙った。


 そして。


「今、配信……」


「してます」


「……なるほど」


 眼鏡を押し上げた。


 少しずれている。


 押し上げすぎて、今度は上にずれた。


 もう一度直す。


「えっと。でしたら。あの」


「落ち着いてください。布です」


「あ、はい。すみません」


 受け取った布を、なぜか一度、自分の鞄へ入れかける。


 すぐ取り出す。


 俺は思わず、肩のイトを見た。


 イトも、男を見ていた。


〈分かりやすく動揺してる〉

〈視聴者か〉

〈そりゃ見てる配信者が道端にいたらこうなる〉

〈……待って〉

〈この声〉

〈この顔、商会の紹介記事で見たぞ〉

〈マルクじゃね?〉


 コメントが、急に速くなった。


「……マルクさん?」


 俺が言うと、男の手が止まる。


「どうして、僕の名前を?」


「コメントで」


「…………コメントで」


 男は、静かに空を見上げた。


 まだ昼間だ。


 いい天気だった。


「すみません。今、どのくらいの方が?」


 俺は、配信の表示を見る。


 人数を伝えた。


 男は、そっと目を閉じた。


「……商会の皆さんも、見てますかね」


〈見てます〉

〈代表、無事でよかったです〉

〈さっきから仕事場で全員見てる〉


「見てるそうです」


「…………そうですか」


 木陰から、獣人が低く笑った。


「生きてるんだ。いいだろ」


「それは、そうなんですが」


 マルクさんが、外套へ目を落とす。


 土まみれ。


 袖には葉っぱ。


 膝には泥。


「商会の活動報告に、もう少し格好のつく写真を載せる予定だったんですよ」


〈もう撮れましたよ〉

〈救助直後の代表〉

〈臨場感は抜群です〉


 俺が読み上げると、マルクさんは片手で顔を覆った。


「……採用しないでください」


 コメント欄が笑いで埋まった。


 何だ、この人。


 すごく面白い。


「有名な方なんですか?」


 俺が聞くと、マルクさんは慌てて手を下ろした。


「いえ。商売の募集を、少し」


〈少し?〉

〈渡り鳥商会の募集、毎日見かけるが〉

〈初めて仕事紹介してくれた人だ〉

〈素材の相場表で世話になった〉

〈瓶の運搬契約の話、この人〉


「すごい否定されてますけど」


「……皆さんが、覚えてくださっているだけです」


 マルクさんは、観念したように息を吐いた。


「改めまして。渡り鳥商会のマルクです。配信はしていませんが、掲示板で取引の募集や、商会の報告をしています」


「商人のプレイヤーなんですね」


「はい。戦闘は、まるで駄目でして」


 少し離れた場所に、短い棒が落ちていた。


 武器かと思っていたけど、よく見ると折れた荷車の支えだった。


「最初は、あれでどうにかできるかと」


「……行かなくてよかったですね」


「彼に『邪魔になるから下がれ』と怒られました」


「事実だ」


 獣人が、即答する。


「はい……」


〈仲いいな〉

〈護衛の人も無事でよかった〉

〈商人は戦わず生きて帰るのが仕事〉


 マルクさんが、こちらを見る。


 さっきより、少し表情が柔らかくなっていた。


「修羅さんの配信は、よく見ています。商会で帳簿をつけながら」


「おぉ。ありがとうございます」


「昨日も、料理をしていらしたでしょう」


「はい」


「あの、蓋があると便利だと……コメントを」


「……ん?」


 覚えている。


 鍋を見て、蓋が欲しいと話したとき。


 確か、何度か、生活用品に詳しい人がコメントをくれていた。


「もしかして、〈荷台のすみ〉さん?」


「はい」


「えっ」


 今度は、俺が止まった。


 マルクさんが頷く。


 俺は、男を見た。


 荷車を見る。


 もう一度、男を見る。


「いつも、仕事中じゃなかったんですか?」


「休憩中です」


〈即答〉

〈商会の皆さーん〉

〈代表が何か言ってます〉


「休憩中です」


 二回言った。


 大事なことらしい。


「俺の袋に、瓶を入れるなら布で包んだ方がいいって教えてくれたのも?」


「はい」


「串を火に近づけすぎるなって言ってたのも?」


「はい」


「腰巻きで紐を作れって言ったのも?」


「それは僕ではありません」


 返事が、一番速かった。


〈そこは濡れ衣〉

〈急に信用を守りにきた〉

〈伝説の腰巻き事件〉


 俺は、笑ってしまった。


 コメントの中にいた人だ。


 いつも、ちょっとしたことを教えてくれる。


 名前だけ見ていた相手が、今、目の前で眼鏡を直している。


「……何か、変な感じですね」


「僕もです」


 マルクさんが笑った。


「いつも画面の向こうにいる方が、斧を持って走ってきたので」


「助けに来たんですよ」


「もちろん、分かっています。ただ、安心する前に、一瞬だけ別の恐怖が」


〈草〉

〈修羅が全力で迫ってくるのは怖い〉

〈敵じゃなくてよかったな〉


 その感想は、ちょっと傷つく。


     ◇


 獣人の名前は、ドランさん。


 ヴァルグに暮らす傭兵で、灰狼傭兵団から紹介された護衛だった。


 マルクさんは、今のヴァルグで商会の倉庫を借り、街と周辺の集落を結ぶ仕事を始めたところらしい。


 今回の荷物は、峡谷寄りの街道にある宿場への納品。


「正式リリースで、新しい旅人が増えたんです」


 マルクさんが、荷台の木箱へ手を置いた。


「この辺りからヴァルグへ向かう方もいますから。宿場で使う塩と油、それに包帯や裁縫道具を届けてきました」


「それで、ここに」


「はい。代わりに、向こうで集まった薬草と、加工前の革を預かって帰るところでした。今朝も通った道ですし、昼のうちに街へ戻れる予定だったんですが……」


 言葉が途切れる。


 マルクさんが、倒れた砕顎獣を見た。


「帰りだけ、あれがいたんですね」


「ええ。曲がり角を抜けたところに、急に」


 ドランさんが続けた。


「俺が前へ出た。こいつには荷車を下げさせたんだが、車輪が溝に落ちた。逃げ道を作る前に、脚をやられた」


「荷物を全部捨てれば、もう少し早く動かせたかもしれません」


 マルクさんの声が低くなる。


 ドランさんは、首を振った。


「俺が止めた。背を向けて走れば追いつかれる相手だ。荷車を挟んで待ったから、今こうして生きてる」


 マルクさんは、少しだけ黙った。


 それから、頷く。


「……次は、道幅も含めて考えます」


「そうしろ。護衛も、もう一人だ」


「はい」


 さっきまでの、少し面白い人とは違った。


 失敗したところを、ちゃんと覚えようとしている。


 俺も、斧へ目を落とした。


 猪を倒したとき、次は武器が折れるかもしれないと思った。


 この人も、同じなのかもしれない。


「修羅さんは、どうしてこちらへ?」


「ヴァルグです。初めて行こうと思って」


 俺が答えると、マルクさんは顔を上げた。


「でしたら、ご案内できます」


「本当ですか?」


「はい。今朝通った道ですし、橋も確かめています。この先の分岐は、地図だけだと間違えやすいので」


「……それは、すごく助かります」


 ガルゼンに教わった道はある。


 でも、古い道を迂回した先からは、自分で確かめるしかなかった。


 今朝、その道を通った人がいる。


 頼もしさが、違う。


【マルクから地図情報の共有申請が届いています】


【共有内容:現在地から魔都ヴァルグ西門までの経路】


 承認すると、地図へ細い道が加わった。


 橋。


 分岐。


 見張り台。


 街の、西門。


 周囲の黒い場所は、そのままだ。


 道だけが、目的地へつながっている。


「……おぉ」


〈ちゃんと情報交換で地図が増えた〉

〈商人とつながるの大事だな〉

〈街の店も詳しそう〉


「ええ。武器屋も、宿も、ご紹介できます」


 マルクさんが言った。


 俺がコメントを読む前だった。


「あれ。コメント、見えるんですか?」


「いえ。たぶん、そういう話になるかと思いまして」


〈視聴者歴が長い〉

〈配信の流れを理解している〉


 手強いな、この人。


     ◇


「では、持ち上げます」


「待ってください。人を呼びに戻るか、荷物を下ろしてから――」


「よっ、と」


 車輪の横へ肩を入れ、持ち上げる。


 重い。


 でも、持ち上がった。


 溝から、車輪が浮く。


「押してもらえます?」


「……あ、はい!」


 マルクさんが慌てて荷車を押した。


 車輪が石畳へ戻り、がたんと音を立てる。


 俺は、ゆっくり手を離した。


「はい」


 顔を上げる。


 マルクさんが、荷車を見ていた。


 次に、俺。


 もう一度、荷車。


「……そうでした」


「何がですか?」


「この方、そういう方でした」


〈納得の仕方〉

〈画面で見てても現実感ないよな〉

〈商人目線だと欲しい人材すぎる〉


 マルクさんは、何かを考える顔になった。


 俺の腕を見る。


 荷台を見る。


 指で、小さく何かを数えかける。


「……今、俺の運べる量、計算してません?」


「していません」


 眼鏡を直した。


「少ししか」


〈してるじゃねえか〉

〈商人が帰ってきた〉


 吹き出しそうになった。


 この人と街へ行くの、楽しそうだ。


 砕顎獣は、相談の結果、そのまま街へ運ぶことになった。


 俺一人なら、牙と肉を少し取るくらいだったと思う。


 けれど、荷車には空きがある。


 素材商へ持ち込めば、状態を見て買い取ってくれるらしい。


 積み込む前に、マルクさんが荷物を動かした。


「重い物は、こちらへ。薬草の箱と死体は離します。布を敷くので、少し待っていただけますか」


「はい」


「牙の向きも変えましょう。揺れたときに、隣の荷物へ当たると困りますから」


「なるほど」


 俺が持ち上げる。


 マルクさんが位置を決める。


 縄を掛け、車輪と軸を確かめる。


 一つ一つは、地味だった。


 でも、そのおかげで、積んだ荷物はぐらつかない。


 自分にできることを、迷わず進めていく。


 戦えない、と本人は言った。


 それでも、見ていて頼もしかった。


     ◇


 ドランさんには、荷台へ座ってもらった。


 最初は断られたが、マルクさんに「傷が開いたら帰りが遅くなります」と言われ、渋々従った。


 俺が荷車を押す。


 マルクさんが、横を歩く。


 イトは、俺の袋の上に乗っていた。


 時々、車輪の揺れに合わせて体が上下する。


「……イトちゃんも、ご一緒なんですね」


「はい。初めての街です」


「楽しみですね」


 マルクさんが声をかけると、イトが前脚を上げた。


 その顔が、ふっと緩む。


 さっきまで計算していた人と同じとは思えない。


「触ります?」


「いいんですか」


 早かった。


 返事が、すごく早かった。


「イトが嫌がらなければ」


 俺が指を差し出すと、イトが手の上へ移った。


 そのまま、マルクさんへ近づける。


 マルクさんは片手を出しかけて、止めた。


 袖で手を拭く。


 もう一度、出す。


 イトの前脚が、その指へ触れた。


「…………」


 マルクさんが、黙った。


〈代表?〉

〈商談成立したときよりいい顔してる〉

〈スクショ撮った〉


「……商会の皆さん」


 マルクさんが、イトから目を離さずに言った。


「活動報告の写真は、こちらでお願いします」


「そっちなんだ」


 俺は、とうとう声を出して笑った。


     ◇


 しばらく進むと、川が見えた。


 幅が広い。


 水面が光り、流れの中央には白い波が立っている。


 そこへ、石造りの橋が架かっていた。


「……おぉ」


 橋の上を、人が歩いている。


 角のある人。


 長い耳の人。


 甲羅を背負った、大柄な人。


 反対側から来た荷車を避けるため、マルクさんが手を上げる。


 向こうも手を上げた。


 何気ない、すれ違い。


 それが、妙に新鮮だった。


「人、多いですね」


「ここからは、街への往来が増えます」


 橋の中ほどで、牛の獣人がこちらを見た。


 砕顎獣の死体。


 俺の斧。


 顔。


「……あんた、闘技大会の」


「あ、はい」


「いい試合だったぞ」


 そう言って、笑う。


 俺は、慌てて頭を下げた。


「ありがとうございます」


 相手は片手を振り、そのまま去っていく。


 俺は少しだけ、振り返った。


「……外でも、分かるんですね」


「よく分かると思いますよ」


 マルクさんが言った。


「角と斧と、イトちゃんが揃っていますので」


〈本人確認三点セット〉

〈最後が一番強い〉

〈修羅だけだと似た鬼いるかもしれんがイトで確定する〉


「俺の目印、イトなんですね……」


 橋を渡る。


 分岐を、左へ。


 やがて、道幅が広くなった。


 道端の草が刈られている。


 車輪の跡が、何本も重なっていた。


 そして、木々の向こうに。


 壁が見えた。


 灰色の、大きな壁。


 左右へ長く伸び、その上には見張り台が並んでいる。


 さらに奥には、建物の屋根。


 太い塔。


 風にはためく旗。


「……でか」


 それしか、出なかった。


 近づくにつれ、音が聞こえてくる。


 車輪の軋み。


 誰かを呼ぶ声。


 鉄を打つ音。


 笑い声。


 門の外にまで店が並び、大きな鍋から湯気が上がっていた。


 肉の焼ける匂いがする。


 香辛料の、知らない匂いも。


 マルクさんが、俺の横で足を緩めた。


「到着です」


 街を見上げながら、言う。


「魔都ヴァルグ。僕が今、商売をしている街です」


 俺は、門の向こうを見た。


 地図にあった印。


 ガドから聞いた、街の名前。


 そこに、ちゃんと人が暮らしている。


〈到着!〉

〈ヴァルグだあああ!〉

〈街配信始まるぞ〉

〈武器屋行こう〉

〈宿も見たい〉

〈料理! 街の料理!〉


「……全部、見たいですね」


 口に出すと、急に実感が湧いた。


 俺は、ここへ来たんだ。


 自分の足で。


 途中からは、荷車も押しながら。


 門の列へ並ぶと、前にいた豚の獣人が振り返った。


 俺を見る。


 斧を見る。


 それから、イト。


「……おい」


 隣の連れをつつく。


「あれ、修羅じゃねえか」


 聞こえています。


 すごく、聞こえています。


 連れも振り返る。


 その横の人も、つられて見る。


 俺は、何となく背筋を伸ばした。


「……どうも」


「本物か! 大会、見たぞ!」


「ありがとうございます」


「街に来たのか?」


「はい。初めてで」


「そりゃいい。飯はうまいぞ、ここ!」


 その言葉に、つい通りの屋台を見た。


 鉄板の上で、肉が焼けている。


 店主が薄い生地を広げ、その上へ肉と野菜を載せた。


 包む。


 香ばしい匂いが、風に乗ってくる。


 腹が鳴った。


 ちょうど、全員が黙ったところだった。


 豚の獣人が笑う。


 マルクさんも、肩を揺らした。


〈完璧なタイミング〉

〈さっき鳥食べたよね?〉

〈健啖、絶好調〉


「……歩いたので」


「ええ。よく働いていただきましたから」


 マルクさんが、真面目な顔で頷いた。


「まずはドランさんを診療所へ。その後、素材商へ寄りましょう。荷物を預けたら、ご飯をご馳走させてください」


「いいんですか?」


「もちろんです」


 少しだけ、声が弾んだ。


「いつも、食べているところを見せてもらっていますから。今日は、こちらがおいしい物をご紹介します」


〈強い〉

〈視聴者による餌付け〉

〈商人の案内する店、期待できるな〉


 門番へ事情を話し、魔物の出た場所を伝える。


 ドランさんの傷を見た門番は、すぐに人を呼んでくれた。


 荷物の確認を終え、通行を許される。


 俺は荷車を押した。


 大きな門の下へ入る。


 一瞬、光が陰る。


 その先で、街の景色が開けた。


 広い通り。


 両側に並ぶ店。


 吊るされた布。


 磨かれた武器。


 籠いっぱいの果物。


 人と荷車が行き交い、二階の窓から誰かが通りへ声をかけている。


 頭の上で、イトが体を持ち上げた。


 俺も、自然と足が遅くなる。


「……すご」


 マルクさんが、こちらを見て笑った。


「いかがですか?」


「何日あっても、足りなそうです」


「でしたら、宿もご紹介しないといけませんね」


「お願いします」


 俺は頷く。


 それから、少し気になって聞いた。


「ちなみに、その宿って」


「はい」


「角と、斧と、蜘蛛、大丈夫ですか?」


 マルクさんは、真剣な顔で考えた。


「角は問題ありません。斧も、置く場所はあります」


「おぉ」


「蜘蛛は……」


 イトが、マルクさんへ前脚を伸ばした。


 視線が合う。


 一拍。


「僕が、交渉します」


〈落ちた〉

〈商会代表、陥落〉

〈イトの営業力〉


 頼もしい案内人ができた。


 ただ、うちの蜘蛛には、少し弱いらしい。

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