3話 遭遇
●主人公視点
鳥肉を食べて、元気になった修羅でーす。
現在は、ヴァルグへ向かって移動中です。
ガルゼンの砦を出てから、随分と景色が変わった。
岩ばかりだった道には土が増え、左右には背の低い木が並んでいる。足元には、ところどころ古い石畳も残っていた。
そして、何より。
「……車輪の跡がありますね」
地面に、二本の溝が続いている。
片方は浅いけど、もう片方はくっきりしていた。最近、荷車か何かが通ったんだろう。
〈ようやく街道っぽくなってきた〉
〈人の気配がする〉
〈今まで岩と魔物しかいなかったからな〉
「ガルゼンさんもいましたよ」
〈人の気配というには強すぎる〉
〈あれは強敵の気配〉
確かに。
本人に言ったら、無言で木の棒を渡されそうだ。
俺は袋の肩紐を持ち直した。
鎌脚鳥の素材を詰めたせいで、さっきより少し重い。
羽毛は軽い。
軽いんだけど、場所を取る。
せっかく拾ったし、捨てたくはない。
「……ヴァルグに、大きい袋とか売ってますかね」
〈あるんじゃない?〉
〈先に宿を取れ〉
〈荷物を置くという発想を覚えよう〉
「あぁ、そうか」
家を持ち歩こうとしていた。
街に着けば、部屋を借りられるんだよな。
寝床があって。
荷物も置けて。
できれば、風呂も――。
頭の上で、イトが動いた。
角に添えていた前脚を浮かせ、道の先へ体を向ける。
「ん?」
俺も足を止めた。
風が吹いて、木の葉が擦れる。
その音に混じって、何か聞こえた。
がんっ。
硬い物を叩くような音。
続いて、男の怒鳴り声が響いた。
「荷物はいい! こっちへ来い!」
俺は斧を持ち直した。
「……何か、まずそうですね」
〈人?〉
〈戦ってる音か?〉
道の先は曲がっている。
木が邪魔で、向こうは見えない。
俺は走った。
◇
最初に見えたのは、傾いた荷車だった。
片側の車輪が道脇の溝にはまり、荷台から木箱が二つ落ちている。
その前に立っているのは、犬の獣人。
革鎧を着て、槍を構えていた。
左脚から血が流れている。
荷車の後ろには、もう一人。
灰色の外套に、茶色い髪。
眼鏡をかけた男が、木箱を抱えていた。
「それは置けと言ってるだろう!」
「分かってます! こっちに置いたら、足場になるかと!」
眼鏡の男が木箱を倒す。
負傷した獣人が下がる、その足元へ。
なるほど。
溝に落ちないように、踏む場所を作ったらしい。
だが、その間にも魔物は近づいていた。
黒い獣。
犬に似ているけど、頭と肩が異様に大きい。
前脚は太く、後ろ脚は少し短い。盛り上がった肩から背中にかけて、硬そうな毛が逆立っている。
そして、口だ。
顎が、分厚い。
閉じているのに、白い牙が何本も覗いていた。
「……あれに噛まれるの、嫌ですね」
【鑑定】
【砕顎獣 Lv.47】
【分類:獣】
【HP:803/910】
【強靱な顎と発達した前脚を持つ肉食獣。
低い姿勢から獲物へ飛びかかり、噛みついたまま引き倒す。
頭部と前半身は頑丈で、獲物の抵抗が弱まるまで執拗に攻撃を続ける。】
【主な素材:牙、顎骨、毛皮、肉】
〈名前が怖い〉
〈あの槍の人、脚やられてる〉
〈修羅、間に合うか〉
獣人が槍を突き出す。
砕顎獣が顔を振った。
穂先を避け、その柄へ噛みつく。
ばきっ。
槍が折れた。
「っ……!」
獣人が手を離す。
その瞬間、傷めた脚が折れ、体が沈んだ。
砕顎獣の前脚が地面を掻く。
「イト、下りて!」
俺は道端の木を指した。
イトが肩を伝って下りる。
その小さな体が離れるのと同時に、地面を蹴った。
「こっちだ!」
斧を振り下ろす。
砕顎獣が顔を向けた。
刃が肩を削る。
浅い。
でも、獣人へ伸びかけていた牙が引っ込んだ。
魔物が横へ跳ぶ。
俺は、二人との間へ入った。
「動けますか?」
「……ああ」
「後ろへ! できれば、木の向こうまで!」
「分かった!」
眼鏡の男が、獣人の腕を肩へ回す。
それを横目で確かめてから、俺は斧を構えた。
砕顎獣が唸る。
低い姿勢。
頭が、俺の腰より下にある。
「……猪とは、違いますね」
突っ込んできた。
速い。
俺は斧の広い側面を斜めに差し出した。
頭がぶつかる。
腕に重い衝撃が走った。
「っ!」
流しきれない。
足が半歩、押される。
そのまま横を抜けようとした獣の腹へ、柄尻を叩き込んだ。
「〈打撃〉!」
鈍い手応え。
だが、砕顎獣は止まらなかった。
前脚を踏ん張り、体を捻る。
大きな口が、横から迫る。
俺は斧を引き戻しながら、外へ足を運んだ。
がちん。
すぐ横で、牙が鳴った。
「……近っ」
〈今、胴体狙った?〉
〈あれ噛まれたら防具ごといかれるぞ〉
〈背中! 後ろ取ろう!〉
取りたい。
取りたいんだけど。
砕顎獣が、すぐにこっちを向く。
前脚が太いせいか、向きを変える動きが速い。
俺が横へ動けば、頭もついてくる。
その奥で、眼鏡の男が獣人を木陰へ座らせた。
よし。
離れられた。
「じゃあ、こっちですね」
俺は、道の反対側へ下がった。
砕顎獣が追ってくる。
一歩。
もう一歩。
距離が開いたところで、相手の背中が沈んだ。
突進。
俺は横へ動く。
魔物の頭が追う。
避けた先へ、噛みついてくる。
「……やっぱり」
斧を手元へ引く。
柄のあった場所で、牙が閉じた。
空振り。
その首の横へ踏み込んだ。
「〈鬼装〉!」
刃に赤い光が這う。
肩の後ろへ、斧を叩き込む。
さっきより深い。
砕顎獣が吠えた。
刃を抜こうとした、その瞬間。
黒い肩が、こちらへ迫った。
「ぐっ……!」
脇腹に衝撃。
息が詰まる。
両足が地面を滑った。
噛みつきだけじゃない。
その重い体も、十分に武器だった。
斧を抜き、すぐに横へ離れる。
砕顎獣は傷を負った肩を低くしながら、また俺を向いた。
「……しつこいって説明、ありましたね」
〈ちゃんと読んでたのに〉
〈正面が硬すぎる〉
〈今の当たり方で向かってくるの怖いな〉
前半身は頑丈。
傷ついても追ってくる。
なら、立っていられなくすればいい。
俺は、魔物の脚へ目を落とした。
同時に、視界の端で白い糸が揺れる。
道端の木に、イトがいた。
二本の幹の間に、低く糸が渡っている。
目が合う。
イトが前脚を上げた。
「……いいですね」
俺は、そちらへ下がった。
砕顎獣が唸る。
傷から血が落ちていた。
それでも、視線は俺から離れない。
木の間を抜ける。
足場を確かめる。
砕顎獣が、地面を蹴った。
白い糸が前脚へ絡む。
枝がしなる。
糸は、すぐに切れかけた。
止めるには、相手が重すぎる。
でも、伸ばされた脚が、予定の場所へ着かなかった。
前半身が沈む。
その一瞬に、踏み込んだ。
「〈鬼力〉!」
体の奥が熱くなる。
両手を握り込む。
狙いは、傷ついた肩の下。
体を支えようとした、前脚の付け根。
斧を振り下ろす。
深く、入った。
砕顎獣の体が崩れる。
糸が切れた。
巨体が横倒しになり、土が跳ねた。
俺は斧を引き抜き、頭の正面から離れる。
牙が空を噛む。
脚が地面を掻く。
まだ、起きるつもりだ。
「……悪いけど」
斧を持ち上げた。
「食われるのは、勘弁なんで」
さらされた首元へ、刃を振り下ろす。
今度こそ、魔物の動きが止まった。
【経験値を獲得しました】
表示を確認する。
少し待つ。
動かない。
「……よし」
〈討伐!〉
〈ナイス!〉
〈イトもナイス!〉
〈糸で止めるんじゃなくて転ばせるのうまい〉
「助かりました。イト、怪我ない?」
木から下りてきたイトへ手を差し出す。
前脚が指に触れた。
体を確かめてから肩へ乗せる。
それから、二人の方へ戻った。
◇
「大丈夫ですか?」
「はい……! ありがとうございます、本当に」
眼鏡の男が顔を上げた。
獣人の脚には、既に布が巻かれている。
傍らには、蓋の開いた薬瓶。
手は震えていたけど、必要な処置は進めていたらしい。
「肩も、傷がありますね」
「ええ。ただ、まず脚の出血を……」
「布、持ってます。使います?」
「お願いします」
袋から布を取り出す。
差し出そうとしたところで、男が俺の顔を見た。
そのまま、止まる。
「……?」
視線が、斧へ落ちる。
首飾りへ。
肩のイトへ。
もう一度、俺の顔へ戻った。
「あ」
小さな声。
次に、口が開く。
「……修羅さん?」
「はい。そうです」
男は、数秒黙った。
そして。
「今、配信……」
「してます」
「……なるほど」
眼鏡を押し上げた。
少しずれている。
押し上げすぎて、今度は上にずれた。
もう一度直す。
「えっと。でしたら。あの」
「落ち着いてください。布です」
「あ、はい。すみません」
受け取った布を、なぜか一度、自分の鞄へ入れかける。
すぐ取り出す。
俺は思わず、肩のイトを見た。
イトも、男を見ていた。
〈分かりやすく動揺してる〉
〈視聴者か〉
〈そりゃ見てる配信者が道端にいたらこうなる〉
〈……待って〉
〈この声〉
〈この顔、商会の紹介記事で見たぞ〉
〈マルクじゃね?〉
コメントが、急に速くなった。
「……マルクさん?」
俺が言うと、男の手が止まる。
「どうして、僕の名前を?」
「コメントで」
「…………コメントで」
男は、静かに空を見上げた。
まだ昼間だ。
いい天気だった。
「すみません。今、どのくらいの方が?」
俺は、配信の表示を見る。
人数を伝えた。
男は、そっと目を閉じた。
「……商会の皆さんも、見てますかね」
〈見てます〉
〈代表、無事でよかったです〉
〈さっきから仕事場で全員見てる〉
「見てるそうです」
「…………そうですか」
木陰から、獣人が低く笑った。
「生きてるんだ。いいだろ」
「それは、そうなんですが」
マルクさんが、外套へ目を落とす。
土まみれ。
袖には葉っぱ。
膝には泥。
「商会の活動報告に、もう少し格好のつく写真を載せる予定だったんですよ」
〈もう撮れましたよ〉
〈救助直後の代表〉
〈臨場感は抜群です〉
俺が読み上げると、マルクさんは片手で顔を覆った。
「……採用しないでください」
コメント欄が笑いで埋まった。
何だ、この人。
すごく面白い。
「有名な方なんですか?」
俺が聞くと、マルクさんは慌てて手を下ろした。
「いえ。商売の募集を、少し」
〈少し?〉
〈渡り鳥商会の募集、毎日見かけるが〉
〈初めて仕事紹介してくれた人だ〉
〈素材の相場表で世話になった〉
〈瓶の運搬契約の話、この人〉
「すごい否定されてますけど」
「……皆さんが、覚えてくださっているだけです」
マルクさんは、観念したように息を吐いた。
「改めまして。渡り鳥商会のマルクです。配信はしていませんが、掲示板で取引の募集や、商会の報告をしています」
「商人のプレイヤーなんですね」
「はい。戦闘は、まるで駄目でして」
少し離れた場所に、短い棒が落ちていた。
武器かと思っていたけど、よく見ると折れた荷車の支えだった。
「最初は、あれでどうにかできるかと」
「……行かなくてよかったですね」
「彼に『邪魔になるから下がれ』と怒られました」
「事実だ」
獣人が、即答する。
「はい……」
〈仲いいな〉
〈護衛の人も無事でよかった〉
〈商人は戦わず生きて帰るのが仕事〉
マルクさんが、こちらを見る。
さっきより、少し表情が柔らかくなっていた。
「修羅さんの配信は、よく見ています。商会で帳簿をつけながら」
「おぉ。ありがとうございます」
「昨日も、料理をしていらしたでしょう」
「はい」
「あの、蓋があると便利だと……コメントを」
「……ん?」
覚えている。
鍋を見て、蓋が欲しいと話したとき。
確か、何度か、生活用品に詳しい人がコメントをくれていた。
「もしかして、〈荷台のすみ〉さん?」
「はい」
「えっ」
今度は、俺が止まった。
マルクさんが頷く。
俺は、男を見た。
荷車を見る。
もう一度、男を見る。
「いつも、仕事中じゃなかったんですか?」
「休憩中です」
〈即答〉
〈商会の皆さーん〉
〈代表が何か言ってます〉
「休憩中です」
二回言った。
大事なことらしい。
「俺の袋に、瓶を入れるなら布で包んだ方がいいって教えてくれたのも?」
「はい」
「串を火に近づけすぎるなって言ってたのも?」
「はい」
「腰巻きで紐を作れって言ったのも?」
「それは僕ではありません」
返事が、一番速かった。
〈そこは濡れ衣〉
〈急に信用を守りにきた〉
〈伝説の腰巻き事件〉
俺は、笑ってしまった。
コメントの中にいた人だ。
いつも、ちょっとしたことを教えてくれる。
名前だけ見ていた相手が、今、目の前で眼鏡を直している。
「……何か、変な感じですね」
「僕もです」
マルクさんが笑った。
「いつも画面の向こうにいる方が、斧を持って走ってきたので」
「助けに来たんですよ」
「もちろん、分かっています。ただ、安心する前に、一瞬だけ別の恐怖が」
〈草〉
〈修羅が全力で迫ってくるのは怖い〉
〈敵じゃなくてよかったな〉
その感想は、ちょっと傷つく。
◇
獣人の名前は、ドランさん。
ヴァルグに暮らす傭兵で、灰狼傭兵団から紹介された護衛だった。
マルクさんは、今のヴァルグで商会の倉庫を借り、街と周辺の集落を結ぶ仕事を始めたところらしい。
今回の荷物は、峡谷寄りの街道にある宿場への納品。
「正式リリースで、新しい旅人が増えたんです」
マルクさんが、荷台の木箱へ手を置いた。
「この辺りからヴァルグへ向かう方もいますから。宿場で使う塩と油、それに包帯や裁縫道具を届けてきました」
「それで、ここに」
「はい。代わりに、向こうで集まった薬草と、加工前の革を預かって帰るところでした。今朝も通った道ですし、昼のうちに街へ戻れる予定だったんですが……」
言葉が途切れる。
マルクさんが、倒れた砕顎獣を見た。
「帰りだけ、あれがいたんですね」
「ええ。曲がり角を抜けたところに、急に」
ドランさんが続けた。
「俺が前へ出た。こいつには荷車を下げさせたんだが、車輪が溝に落ちた。逃げ道を作る前に、脚をやられた」
「荷物を全部捨てれば、もう少し早く動かせたかもしれません」
マルクさんの声が低くなる。
ドランさんは、首を振った。
「俺が止めた。背を向けて走れば追いつかれる相手だ。荷車を挟んで待ったから、今こうして生きてる」
マルクさんは、少しだけ黙った。
それから、頷く。
「……次は、道幅も含めて考えます」
「そうしろ。護衛も、もう一人だ」
「はい」
さっきまでの、少し面白い人とは違った。
失敗したところを、ちゃんと覚えようとしている。
俺も、斧へ目を落とした。
猪を倒したとき、次は武器が折れるかもしれないと思った。
この人も、同じなのかもしれない。
「修羅さんは、どうしてこちらへ?」
「ヴァルグです。初めて行こうと思って」
俺が答えると、マルクさんは顔を上げた。
「でしたら、ご案内できます」
「本当ですか?」
「はい。今朝通った道ですし、橋も確かめています。この先の分岐は、地図だけだと間違えやすいので」
「……それは、すごく助かります」
ガルゼンに教わった道はある。
でも、古い道を迂回した先からは、自分で確かめるしかなかった。
今朝、その道を通った人がいる。
頼もしさが、違う。
【マルクから地図情報の共有申請が届いています】
【共有内容:現在地から魔都ヴァルグ西門までの経路】
承認すると、地図へ細い道が加わった。
橋。
分岐。
見張り台。
街の、西門。
周囲の黒い場所は、そのままだ。
道だけが、目的地へつながっている。
「……おぉ」
〈ちゃんと情報交換で地図が増えた〉
〈商人とつながるの大事だな〉
〈街の店も詳しそう〉
「ええ。武器屋も、宿も、ご紹介できます」
マルクさんが言った。
俺がコメントを読む前だった。
「あれ。コメント、見えるんですか?」
「いえ。たぶん、そういう話になるかと思いまして」
〈視聴者歴が長い〉
〈配信の流れを理解している〉
手強いな、この人。
◇
「では、持ち上げます」
「待ってください。人を呼びに戻るか、荷物を下ろしてから――」
「よっ、と」
車輪の横へ肩を入れ、持ち上げる。
重い。
でも、持ち上がった。
溝から、車輪が浮く。
「押してもらえます?」
「……あ、はい!」
マルクさんが慌てて荷車を押した。
車輪が石畳へ戻り、がたんと音を立てる。
俺は、ゆっくり手を離した。
「はい」
顔を上げる。
マルクさんが、荷車を見ていた。
次に、俺。
もう一度、荷車。
「……そうでした」
「何がですか?」
「この方、そういう方でした」
〈納得の仕方〉
〈画面で見てても現実感ないよな〉
〈商人目線だと欲しい人材すぎる〉
マルクさんは、何かを考える顔になった。
俺の腕を見る。
荷台を見る。
指で、小さく何かを数えかける。
「……今、俺の運べる量、計算してません?」
「していません」
眼鏡を直した。
「少ししか」
〈してるじゃねえか〉
〈商人が帰ってきた〉
吹き出しそうになった。
この人と街へ行くの、楽しそうだ。
砕顎獣は、相談の結果、そのまま街へ運ぶことになった。
俺一人なら、牙と肉を少し取るくらいだったと思う。
けれど、荷車には空きがある。
素材商へ持ち込めば、状態を見て買い取ってくれるらしい。
積み込む前に、マルクさんが荷物を動かした。
「重い物は、こちらへ。薬草の箱と死体は離します。布を敷くので、少し待っていただけますか」
「はい」
「牙の向きも変えましょう。揺れたときに、隣の荷物へ当たると困りますから」
「なるほど」
俺が持ち上げる。
マルクさんが位置を決める。
縄を掛け、車輪と軸を確かめる。
一つ一つは、地味だった。
でも、そのおかげで、積んだ荷物はぐらつかない。
自分にできることを、迷わず進めていく。
戦えない、と本人は言った。
それでも、見ていて頼もしかった。
◇
ドランさんには、荷台へ座ってもらった。
最初は断られたが、マルクさんに「傷が開いたら帰りが遅くなります」と言われ、渋々従った。
俺が荷車を押す。
マルクさんが、横を歩く。
イトは、俺の袋の上に乗っていた。
時々、車輪の揺れに合わせて体が上下する。
「……イトちゃんも、ご一緒なんですね」
「はい。初めての街です」
「楽しみですね」
マルクさんが声をかけると、イトが前脚を上げた。
その顔が、ふっと緩む。
さっきまで計算していた人と同じとは思えない。
「触ります?」
「いいんですか」
早かった。
返事が、すごく早かった。
「イトが嫌がらなければ」
俺が指を差し出すと、イトが手の上へ移った。
そのまま、マルクさんへ近づける。
マルクさんは片手を出しかけて、止めた。
袖で手を拭く。
もう一度、出す。
イトの前脚が、その指へ触れた。
「…………」
マルクさんが、黙った。
〈代表?〉
〈商談成立したときよりいい顔してる〉
〈スクショ撮った〉
「……商会の皆さん」
マルクさんが、イトから目を離さずに言った。
「活動報告の写真は、こちらでお願いします」
「そっちなんだ」
俺は、とうとう声を出して笑った。
◇
しばらく進むと、川が見えた。
幅が広い。
水面が光り、流れの中央には白い波が立っている。
そこへ、石造りの橋が架かっていた。
「……おぉ」
橋の上を、人が歩いている。
角のある人。
長い耳の人。
甲羅を背負った、大柄な人。
反対側から来た荷車を避けるため、マルクさんが手を上げる。
向こうも手を上げた。
何気ない、すれ違い。
それが、妙に新鮮だった。
「人、多いですね」
「ここからは、街への往来が増えます」
橋の中ほどで、牛の獣人がこちらを見た。
砕顎獣の死体。
俺の斧。
顔。
「……あんた、闘技大会の」
「あ、はい」
「いい試合だったぞ」
そう言って、笑う。
俺は、慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます」
相手は片手を振り、そのまま去っていく。
俺は少しだけ、振り返った。
「……外でも、分かるんですね」
「よく分かると思いますよ」
マルクさんが言った。
「角と斧と、イトちゃんが揃っていますので」
〈本人確認三点セット〉
〈最後が一番強い〉
〈修羅だけだと似た鬼いるかもしれんがイトで確定する〉
「俺の目印、イトなんですね……」
橋を渡る。
分岐を、左へ。
やがて、道幅が広くなった。
道端の草が刈られている。
車輪の跡が、何本も重なっていた。
そして、木々の向こうに。
壁が見えた。
灰色の、大きな壁。
左右へ長く伸び、その上には見張り台が並んでいる。
さらに奥には、建物の屋根。
太い塔。
風にはためく旗。
「……でか」
それしか、出なかった。
近づくにつれ、音が聞こえてくる。
車輪の軋み。
誰かを呼ぶ声。
鉄を打つ音。
笑い声。
門の外にまで店が並び、大きな鍋から湯気が上がっていた。
肉の焼ける匂いがする。
香辛料の、知らない匂いも。
マルクさんが、俺の横で足を緩めた。
「到着です」
街を見上げながら、言う。
「魔都ヴァルグ。僕が今、商売をしている街です」
俺は、門の向こうを見た。
地図にあった印。
ガドから聞いた、街の名前。
そこに、ちゃんと人が暮らしている。
〈到着!〉
〈ヴァルグだあああ!〉
〈街配信始まるぞ〉
〈武器屋行こう〉
〈宿も見たい〉
〈料理! 街の料理!〉
「……全部、見たいですね」
口に出すと、急に実感が湧いた。
俺は、ここへ来たんだ。
自分の足で。
途中からは、荷車も押しながら。
門の列へ並ぶと、前にいた豚の獣人が振り返った。
俺を見る。
斧を見る。
それから、イト。
「……おい」
隣の連れをつつく。
「あれ、修羅じゃねえか」
聞こえています。
すごく、聞こえています。
連れも振り返る。
その横の人も、つられて見る。
俺は、何となく背筋を伸ばした。
「……どうも」
「本物か! 大会、見たぞ!」
「ありがとうございます」
「街に来たのか?」
「はい。初めてで」
「そりゃいい。飯はうまいぞ、ここ!」
その言葉に、つい通りの屋台を見た。
鉄板の上で、肉が焼けている。
店主が薄い生地を広げ、その上へ肉と野菜を載せた。
包む。
香ばしい匂いが、風に乗ってくる。
腹が鳴った。
ちょうど、全員が黙ったところだった。
豚の獣人が笑う。
マルクさんも、肩を揺らした。
〈完璧なタイミング〉
〈さっき鳥食べたよね?〉
〈健啖、絶好調〉
「……歩いたので」
「ええ。よく働いていただきましたから」
マルクさんが、真面目な顔で頷いた。
「まずはドランさんを診療所へ。その後、素材商へ寄りましょう。荷物を預けたら、ご飯をご馳走させてください」
「いいんですか?」
「もちろんです」
少しだけ、声が弾んだ。
「いつも、食べているところを見せてもらっていますから。今日は、こちらがおいしい物をご紹介します」
〈強い〉
〈視聴者による餌付け〉
〈商人の案内する店、期待できるな〉
門番へ事情を話し、魔物の出た場所を伝える。
ドランさんの傷を見た門番は、すぐに人を呼んでくれた。
荷物の確認を終え、通行を許される。
俺は荷車を押した。
大きな門の下へ入る。
一瞬、光が陰る。
その先で、街の景色が開けた。
広い通り。
両側に並ぶ店。
吊るされた布。
磨かれた武器。
籠いっぱいの果物。
人と荷車が行き交い、二階の窓から誰かが通りへ声をかけている。
頭の上で、イトが体を持ち上げた。
俺も、自然と足が遅くなる。
「……すご」
マルクさんが、こちらを見て笑った。
「いかがですか?」
「何日あっても、足りなそうです」
「でしたら、宿もご紹介しないといけませんね」
「お願いします」
俺は頷く。
それから、少し気になって聞いた。
「ちなみに、その宿って」
「はい」
「角と、斧と、蜘蛛、大丈夫ですか?」
マルクさんは、真剣な顔で考えた。
「角は問題ありません。斧も、置く場所はあります」
「おぉ」
「蜘蛛は……」
イトが、マルクさんへ前脚を伸ばした。
視線が合う。
一拍。
「僕が、交渉します」
〈落ちた〉
〈商会代表、陥落〉
〈イトの営業力〉
頼もしい案内人ができた。
ただ、うちの蜘蛛には、少し弱いらしい。




