37話 決勝トーナメント 準々決勝第三試合
●主人公視点
扉が開くと、盾が見えた。
まだ、遠い。
舞台の反対側だ。
それなのに、最初に目が向いたのは、バルドの顔ではなく、その大きな鉄の板だった。
厚い縁。
表面を横切る、何本もの傷。
その横から、槌の頭が少し出ている。
俺は舞台へ上がり、斧を持ち直した。
今回、中央には何もなかった。
平らな石床。
互いの間に、隠れるものはない。
『準々決勝、第三試合!』
ミナの声に、客席が応えた。
『大戦斧の修羅選手と、大盾のバルド選手! 強烈な攻撃を繰り出す鬼と、ここまで崩されていない守りが、正面からぶつかります!』
バルドが、盾を持ち上げた。
俺の顔を見る。
「それ、受けてみたかったんだ」
視線が、斧へ落ちた。
俺は、少し笑った。
「……こっちは、どうやって開こうか考えてました」
「開けてみろ」
槌が、肩から下りる。
俺も、足を開いた。
【試合開始】
◇
最初は、歩いて近づいた。
バルドも、前へ出る。
盾の後ろに、体がある。
脚。
右手。
槌が戻る場所。
盾だけを見ない。
そう思いながら、間合いへ入った。
斧を、短く振る。
盾の外側へ。
鉄が鳴った。
手のひらへ、硬い感触。
バルドの足が、半歩下がった。
でも、盾は開かなかった。
右から、槌。
「っ!」
斧を引き、柄で外す。
槌の頭が、右手のすぐ下を通った。
俺は、一歩離れた。
早い。
盾へ当てたと思ったら、もう返ってくる。
バルドが、槌を戻した。
「振れるな」
「……そちらも、早いですね」
返事をして、もう一度構える。
客席の声が、少し遠くなった。
◇
今度は、上から。
刃を持ち上げたところで、バルドの盾が傾く。
俺は狙いを変えた。
横へ。
盾の縁。
引っかけて、少し開く。
そう考えた瞬間、バルドの腰が沈んだ。
「〈重心固定〉」
斧が、止まった。
刃をかけたまま引く。
動かない。
その向こうから、槌が来た。
俺は引くのをやめ、柄を立てた。
硬い音。
衝撃が、両腕へ抜ける。
槌が当たったところのすぐ上に、俺の指があった。
「……危な」
「手、置いてくれたからな」
バルドが言う。
盾が、前へ出た。
俺は肩で押され、二歩下がった。
サラの試合で見ていた。
それでも、やられた。
「……分かりました」
柄を握り直す。
盾へかけて、引く。
それは、簡単にはさせてもらえない。
だったら。
俺は、足元へ目を落とした。
◇
左へ動く。
盾も、ついてくる。
さらに、半歩。
バルドの右足が動いた。
重心固定を使っていたときとは、違う。
床を、踏み直す。
そこへ、低く斧を振った。
盾の下端が落ちる。
刃が、鉄へぶつかった。
膝までは、届かない。
けれど、盾が下がった。
俺はすぐ斧を引き、柄の先を前へ出した。
顔。
バルドが首を引く。
頬へ、柄が当たった。
浅い。
それでも、初めて触れた。
俺は追わず、構えを戻した。
バルドが、口元を手の甲で拭う。
少しだけ、赤かった。
「……そこまで、あるか」
目が、上がる。
俺は斧を握ったまま、息を吐いた。
見た。
盾の向こうを。
今のは、ちゃんと。
◇
バルドが、前へ出た。
大盾。
さっきより、速い。
俺は横へ動こうとして、止まった。
右手の槌が、そこへ向いている。
逃げる側を、狙っていた。
なら。
斧を体の前へ寄せた。
刃の広い側面を、盾へ。
ぶつかる。
低い音がした。
体が、少し後ろへ動く。
俺は右足を引き、床を踏んだ。
「〈踏ん張り〉!」
靴底が、石を擦る。
止まった。
盾の向こうで、バルドの目が上がった。
俺は、両腕へ力を込めた。
押す。
バルドの脚が、わずかに曲がる。
その右側で、槌が動いた。
俺の脇腹。
「ぐっ!」
胴当てへ、重いものが入った。
息が詰まる。
俺は斧を引き、バルドの肩へ振った。
盾が戻る。
鉄が、鳴った。
次は、槌。
左肩へ。
受ける。
間に合わず、籠手の端をたたかれた。
腕が下がる。
俺は足を踏み直し、下から斧を返した。
盾の底へ。
大盾が、持ち上がった。
その隙間へ、柄。
腹へ当たる。
バルドの口から、短い息が漏れた。
二人とも、離れなかった。
◇
『正面で、止まりました!』
ミナの声が響いた。
『バルド選手の押し込みを、修羅選手が受け止めています! そして、打ち合う! この距離で、斧と槌が止まりません!』
斧を振る。
盾へ当たる。
槌が来る。
柄で外す。
戻った盾が、胸へぶつかる。
押される。
足を、残す。
すぐに、斧。
鉄を打つ音が、何度も重なった。
手が、しびれる。
腹が痛い。
でも、目の前の盾にも、傷が増えていた。
最初は浅い線だった。
今は、刃の形にへこんでいる。
バルドの左腕が、打つたびに少し沈む。
その戻りへ、槌が来た。
右の腿。
「っ……!」
膝が、落ちかける。
俺は斧を低く引き、相手の脚へ返した。
盾の下端が、また下がった。
そこへ、上から。
重い一撃。
バルドの足が、下がった。
一歩。
俺も、前へ出た。
◇
●観客席
「……近いな」
レオンが、手すりへ置いた指を止めた。
舞台では、修羅の斧が大盾へ打ち込まれていた。
衝撃で盾が揺れる。
その裏から、槌が返る。
鬼の胴当てへ当たり、硬い鱗が一枚落ちた。
修羅は離れなかった。
槌の戻る前に、柄を突き出す。
バルドの肩へ当たる。
続けて、斧。
隣にいたセレネが、眉を寄せた。
「あそこ、私ならもう下がってます」
「僕も、一度は離れたいですね」
レオンが答えた。
その向こうで、ハルトが無言で自分の弩を見た。
さっきまで手袋の留め具を直していた手が、止まっている。
「……あれ、腕に当たったら終わりだな」
ミリアが、舞台から目を離さずに言った。
「当たっても、振ってるんですけど」
実際に、槌が修羅の左腕を打った。
鬼の肩が下がる。
それでも、斧の刃が盾へ返った。
低い音が、客席まで届いた。
リュカが、ゆっくり息を吐く。
「……龍でよかったぁ」
誰も、すぐには笑わなかった。
◇
●主人公視点
息が、熱い。
斧の柄が、手の中で震えている。
近すぎると、大きくは振れない。
だから、短く。
肩から。
腰から。
戻して、もう一度。
バルドの槌が、頬の横を通った。
俺は首を引き、柄でその腕を押した。
刃を返す。
大盾へ。
もう、何度目か分からない。
【HP:463/814】
減っている。
相手の血も、盾の横から落ちていた。
でも、槌は止まらない。
「……硬いですね」
俺が言うと、バルドの口元が上がった。
「そっちもな」
槌が、下から来た。
俺は柄を寝かせ、受けた。
衝撃で、歯が鳴る。
その向こうから、盾。
胸へ。
俺は、一歩下がった。
バルドも、踏み込む。
ここで離れれば、息がつける。
でも、もう一度あの盾へ近づくことになる。
俺は、足を止めた。
首元へ、意識を向ける。
「〈鬼力〉」
熱が、流れ込んだ。
◇
斧が、軽くなる。
痛みは、消えない。
でも、腕を戻せる。
さっきより、早く。
バルドが、盾を体へ引きつけた。
「来るか」
「……行きます」
斧を、振る。
大盾へ。
音が、変わった。
硬い金属音の奥で、低いものが軋む。
バルドの脚が、下がる。
すぐ、槌。
俺は柄で外した。
前へ。
斧を戻す。
もう一撃。
盾が、沈む。
右手へ、槌。
指を引き、刃に近い部分で受ける。
金属が、鳴った。
俺は止まらず、足を踏み込んだ。
斧を、斜めに。
盾の上端へ。
バルドの膝が、少し曲がった。
それでも、立っている。
「〈重心固定〉!」
声が、重なった。
大盾が、動かなくなる。
俺の斧が、正面で止まった。
腕が、きしむ。
バルドの槌が、俺の腹へ向かった。
俺は左肘を寄せた。
受ける。
痛い。
でも、柄を離さない。
刃を引く。
足を、踏む。
「……もう、一発!」
◇
肩から、斧を落とした。
盾が、鳴った。
大きく、へこんだ。
バルドの左足が、床を擦る。
俺は引き戻した。
また、振る。
槌が、脇腹へ入る。
構わず、刃を当てる。
盾の縁が、裂けるように曲がった。
『止まりません! 修羅選手、止まりません!』
ミナの声が、ほとんど叫びになっていた。
『バルド選手も返しています! 槌は当たっている! それでも、斧が戻ってくるーっ!』
歓声が、大きくなる。
俺には、顔まで見る余裕がなかった。
盾。
右手。
脚。
そこだけを、追う。
バルドが、左肩を盾へ寄せた。
足は、残っている。
動かない盾の後ろに、体がある。
俺は、斧を引き上げた。
今度は、鉄へ振らない。
足元へ。
「〈鬼震〉!」
◇
石床が、砕けた。
赤い衝撃が、大盾の下を走る。
バルドの盾が、前へ傾く。
それでも、足は離れなかった。
膝が、深く沈む。
槌の先が、床へ触れた。
耐えた。
あの衝撃を。
俺は、息を吸った。
ここで、戻させない。
「〈踏み込み〉!」
砕けた床を蹴る。
斧の広い側面を、盾へ押し当てた。
肩を、その後ろへ。
ぶつかる。
腹の奥から、声が出た。
「――っ、らぁ!」
押す。
バルドの足が、滑った。
重心固定が、まだ残っているのかは分からない。
でも、床が砕けていた。
靴の下で、小石が動く。
一歩。
大盾が、下がった。
俺は、もう一歩出た。
バルドの槌が、肩へ落ちる。
頭の横が、熱くなる。
視界が、揺れた。
それでも、前を見る。
盾の上端。
そこから、相手の顔が見えた。
◇
斧を、引いた。
バルドが盾を戻そうとする。
俺は、横へ半歩。
その外側から、刃を打ち込んだ。
へこんでいた鉄へ、深く入る。
抜く。
戻す。
槌が来る。
柄で、たたき落とす。
もう一撃。
大盾の上端が、内側へ折れた。
バルドの左腕が、下がる。
顔が、見えた。
俺は、短く柄を出した。
肩へ。
体が、後ろへ揺れる。
そこへ、斧。
今度は、盾へ当たらなかった。
右肩。
槌を持つ腕の付け根へ、赤い刃が入った。
「ぐっ……!」
バルドが、声を漏らした。
槌が、まだ動く。
俺の胸へ。
まともに、入った。
息が止まる。
でも、両手は残っていた。
俺は歯を食いしばり、斧を抜いた。
相手も、俺を見ている。
盾は下がっている。
右腕は、もう一度振ろうとしていた。
俺は、先に斧を戻した。
「――っ!」
短く。
横へ。
刃が、胴へ通った。
◇
槌が、俺の脇腹へ触れた。
衝撃は、軽かった。
力が、途中で抜けていた。
バルドの膝が、床へつく。
左手が盾を離した。
大きな鉄が、倒れる。
その音の後で、体が光へ変わった。
【バルド選手、戦闘不能】
【勝者:修羅】
俺は、その場で止まった。
斧を持ち上げたまま。
次が来ると思って、肩に力が入っていた。
でも、槌は来ない。
盾も、もう目の前にはなかった。
俺は、ゆっくり斧を下ろした。
「……勝った」
息が、うまく吸えなかった。
◇
『決着、決着です!』
ミナの声が、会場を突き抜けた。
『な、な、なんという打ち合いでしょうかーっ! 大盾が下がるまで、斧を振った! 槌を受けながら、それでも前へ出た!』
歓声が、ひときわ大きくなる。
手すりの向こうで、何人も立っていた。
『最後に押し切ったのは、修羅選手! ベスト4進出ですーっ!』
俺は、片膝をついた。
立っているつもりだったのに、脚が曲がった。
斧を支えにする。
柄を握った指が、うまく開かない。
【HP:218/814】
喰命で回復して、それだ。
食らいすぎた。
分かっている。
でも、あそこで離れたくなかった。
息をしたら、少し咳が出た。
鬼力の熱が、体に残っている。
会場の音も、まだ大きい。
俺は顔を上げ、客席を見た。
ロックが、手すりの前にいた。
両手を上げて、何か叫んでいる。
その隣で、ヴァイスが立っていた。
白い耳が、まっすぐこちらを向いている。
俺は、斧から片手を離し、小さく上げた。
ロックの手が、さらに大きく動いた。
◇
●選手観戦席
「……あれを受けるのか」
ハルトが、ぽつりと言った。
誰へ向けた言葉でもなかった。
自分の弩を膝へ置いたまま、舞台を見ている。
ミリアは腕を組み、少し前から黙っていた。
「途中、槌が何回も入ってましたよね」
セレネが言う。
レオンは、うなずいた。
「入ってました。普通なら、そこで離れたいです」
「離れなかったですね」
「ええ」
短い返事の後、また斧を見た。
刃の縁が、大きく欠けている。
盾へ当たったところだ。
リュカが、自分の肩へ手を置いた。
「……あの盾で、ああなるんだ」
フィーネが、隣で視線を向ける。
「鱗のこと、考えてます?」
「少し」
彼は正直に答えた。
誰も笑わなかった。
舞台へ倒れた大盾の表面には、斧の跡が重なっていた。
◇
●主人公視点
回復が始まると、ようやく指が開いた。
斧を持ち直す。
刃の欠けが消え、柄についた傷も戻っていく。
俺は、それをしばらく見ていた。
職人に、見せたくない傷だった。
試合で戻るとはいえ、岩や鉄へ打ち込みすぎだ。
「……帰ったら、ちゃんと見てもらいましょう」
小さく言う。
足音がした。
バルドが、戻ってきていた。
大盾も、元どおり。
へこんでいた場所へ手を当て、それから俺の斧を見る。
「……押されたな」
俺は立ち上がった。
「はい。……かなり、無理しました」
「だろうな。手応えはあった」
バルドが槌を持ち上げる。
俺は、思わず腹へ触れた。
「あれ、ずっと痛かったです」
「なら、効いてはいたか」
「効いてましたよ」
言うと、バルドが笑った。
俺も、笑ってしまった。
さっきまで、あれだけ殴り合っていた相手だ。
今は、普通に話している。
「最後、足場を砕いたな」
「あ……はい。盾が動かなかったので」
「脚は残せても、下が崩れたら同じではいられん」
バルドが、床へ目を落とす。
砕けた石の一部が、まだ残っていた。
「次は、あそこへ立たん」
俺は、その言葉を聞いて顔を上げた。
次。
もう、考えている。
「……俺も、次はもう少し食らわないようにします」
「それは、そうしろ」
即答だった。
差し出された手は、分厚かった。
握り返すと、指へ力が伝わる。
さっきは盾の裏にあった手だ。
「いい斧だ」
バルドが言った。
俺は、左手に持つ武器へ目を向けた。
「はい。……気に入ってます」
握手が解ける。
会場の拍手が、また大きくなった。
◇
通路へ戻ると、ロックが待っていた。
俺を見る。
斧を見る。
もう一度、俺を見る。
「……大丈夫ですか」
「はい。今は」
「今は、って」
声が、少し呆れていた。
ヴァイスが、その横から近づく。
「お前、避けるの忘れたか」
「……途中から、あんまり避けられなくて」
「避けられないのと、避けないのは違うぞ」
言い返せなかった。
ロックが、俺の斧の刃へ触れかけ、手を止めた。
「盾、動かしましたね」
「……ええ。最後は、無理やりでしたけど」
石の顔が、少し上がる。
「作る側としては、ちょっと見たくない試合でした」
俺は、笑った。
「すみません」
「でも」
ロックが、もう一度斧を見る。
「受けてみたいって言ったの、取り消すつもりはないです」
今度は、俺が黙った。
隣でヴァイスが、短く息を吐く。
「こっちも、十分おかしいな」
それには、少し同意した。
◇
頭上の表示が変わった。
【準決勝進出:修羅】
俺の名前が、一つ先へ進む。
反対側の枠は、まだ空いていた。
【ハルト 対 リュカ】
次の試合で、相手が決まる。
弩か。
龍か。
俺は、斧の柄を握った。
手の中には、まだ盾を打った感触が残っている。
それでも、もう次を考えていた。
「……見に、戻りましょうか」
ロックが、俺の顔を見た。
「少し座ってからにしません?」
差し出された杯を、俺は両手で受け取った。
水が、少し揺れた。
指に、まだ力が入っていたらしい。
「……そうします」
壁際へ座る。
歓声は、まだ向こうで続いていた。
俺は冷たい水を飲み、ようやく大きく息を吐いた。




