35話 決勝トーナメント 準々決勝第一試合
●主人公視点
休憩時間の終わりが近づいても、ロックは盾を見ていた。
左腕へ通し、少し動かす。
下ろす。
今度は鎚を持って、右肘を体へ寄せる。
大きく振ることはしない。
俺は隣で、水を飲みながらその手元を見ていた。
「何か、変えるんですか」
聞くと、ロックは顔を上げた。
「少しだけ。……うまくいくかは、分かりませんけど」
盾の裏で、右手が動く。
俺には、鎚の先が見えなかった。
「予選の最後、レオンさんに近づかれたとき、鎚が外に残ってたんです」
「……振った後ですね」
「はい。だから、今度は」
ロックは、言いかけて止めた。
少しだけ、笑う。
「見ててください」
俺も笑って、うなずいた。
「はい」
全部、聞く必要はなかった。
これから見せてもらえる。
◇
【準々決勝・第一試合】
【レオン 対 ロック】
頭上へ、二つの名前が浮かんだ。
舞台には、岩も壁もなかった。
平らな石床。
周囲に、低い石柱が並ぶだけ。
ロックが、床へ足をつけた。
その音が、客席まで聞こえた気がした。
反対側には、レオン。
剣を抜く前に、一度ロックへ頭を下げる。
「また、よろしくお願いします」
「……お願いします」
ロックが盾を持ち上げた。
鎚は、体の近く。
予選のときより、少しだけ低い位置にある。
『準々決勝、最初の対戦です!』
ミナの声が、会場へ響いた。
『予選では決着のつかなかった二人が、再び向き合います! 剣士レオン選手と、自ら作った盾で勝ち上がったロック選手!』
レオンの剣が、鞘を離れた。
刃先が、静かに前へ向く。
ロックの石の指が、鎚を握り直した。
【試合開始】
◇
レオンが、右へ動いた。
ロックも、そちらへ向く。
盾の正面は、外さない。
間合いが縮まる。
剣先が、盾へ触れた。
一度。
乾いた音。
ロックは、追って鎚を振らなかった。
レオンが、もう半歩近づく。
低い突き。
脚を狙う。
盾が、少し下がる。
そこから剣先が上へ跳ねた。
予選で、見た動きだった。
「……同じように、動かすんですかね」
俺は、身を乗り出した。
ロックの盾は、上がらなかった。
代わりに、頭が沈む。
剣が、盾の上を抜けた。
その下から、鎚が出る。
短く、真っすぐ。
レオンの剣を持つ腕へ。
彼はすぐに肘を引いた。
鎚の先が、袖をかすめる。
レオンが離れた。
ロックは追わず、構えを戻した。
『ロック選手、反撃! 予選と同じ揺さぶりには、大きく盾を動かしません!』
客席から、拍手が起きる。
俺も、少し息を吐いた。
今の鎚は、横へ抜けなかった。
相手の手元へ出して、そのまま戻している。
次が来ても、まだ振れる位置だ。
◇
レオンが、剣を持ち直した。
今度は、盾の端を狙う。
上から。
ロックの左腕へ、衝撃がかかる。
それでも、盾は体から離れなかった。
次は、外側。
鉄が鳴る。
ロックの足が、半歩動いた。
その先へ、レオンが踏み込む。
右側。
鎚を持つ腕の、内側だった。
俺は、膝へ手を置いた。
予選では、ここを通られた。
レオンの柄頭が、肩へ向く。
その前へ、鎚の柄が入った。
硬い音。
ロックの右肘は、脇へ残っていた。
腕を、大きく開かない。
そのまま、鎚の先が下から跳ね上がった。
レオンが体をひねる。
完全には避けきれない。
鎚が、脇腹へ当たった。
鈍い音がした。
レオンの足が、二歩下がる。
「……入った」
俺は、思わず口にした。
〈当てた!〉
〈予選の対策してきたぞ〉
〈ロック、いい!〉
ロックは、前へ出なかった。
盾を戻す。
鎚も、戻す。
レオンが脇腹を一度動かし、息を吐いた。
笑ってはいなかった。
相手の右手を、長く見ていた。
◇
レオンの剣が、静かに下がった。
切っ先は、ロックの膝より少し高い。
右へ。
左へ。
小さく動きながら、間合いの外を歩く。
ロックも、その場で向きを変えていた。
低い体。
盾。
その裏へ隠れた鎚。
少し前まで、何度も金属が鳴っていたのに、急に静かになった。
俺は、レオンの足を見た。
飛び込む前に、止まる。
ロックが反応しなければ、また離れる。
そのたび、剣先だけが少し位置を変えていた。
「……見てますね」
隣にいたヴァイスが、鼻先を舞台へ向けた。
「どこまで来たら、あいつが振るのかだろうな」
鎚の届く距離。
そのぎりぎり。
レオンは、そこを何度も通っていた。
ロックも、分かっているのだと思う。
出かけた右手を、二度、止めた。
そして三度目。
剣が、盾の横へ伸びた。
ロックの鎚が、手首を狙う。
レオンは腕を引いた。
ほんの少し。
鎚の先が、届かない。
その下から、剣が返った。
石の手首へ、刃が入る。
小さな欠片が散った。
ロックの腕が、わずかに下がる。
レオンは、その前へ出なかった。
剣を戻し、また離れた。
◇
ロックが、右手を握り直した。
鎚は、落ちていない。
けれど、同じ場所へもう一度入れられれば、分からない。
俺は、柄を握る石の指を見た。
レオンの剣が、また動く。
盾の横。
ロックは、振らなかった。
切っ先が、腕の近くを通る。
盾で、隠す。
レオンが、左へ回る。
盾も追う。
その瞬間、剣の軌道が変わった。
低く。
ロックの右足へ。
刃が、石を削る。
ロックの体が沈んだ。
そこへ、柄頭。
盾の縁を押す。
ロックが踏み直す。
剣が、肩へ向かった。
当たる。
そう思った直前、石の体が濃い灰色になった。
「〈硬化〉!」
刃が、肩へ食い込む。
けれど、深くは入らなかった。
ロックが、前へ出た。
盾。
レオンの胸へ、鉄がぶつかる。
剣を引こうとしていた腕が、わずかに止まった。
その腹へ、鎚。
今度は、しっかり入った。
レオンの体が、折れるように沈んだ。
ロックが、さらに踏み込む。
鎚が戻る。
もう一撃。
レオンの剣が、その柄へ当たった。
軌道が外へずれる。
肩を、鎚の端がかすめた。
レオンが横へ抜ける。
ロックの盾が、そこへ向いた。
追いきれない。
二人の間へ、また距離ができた。
会場が、沸いた。
『ロック選手、打たれた直後に反撃! 〈硬化〉で剣をしのぎ、盾と鎚をつなぎました!』
俺は、立ち上がりかけたまま止まっていた。
入った。
今のは、ちゃんと効いている。
レオンの呼吸が、少し大きくなっていた。
◇
「……それ、待ってました?」
レオンが聞いた。
ロックは盾の裏で、鎚を持ち直す。
「肩は、来ると思ってました」
「なるほど」
レオンが、短く息を吐いた。
声に、余裕を作ろうとしている感じはなかった。
ただ、今起きたことを確かめている。
ロックも、答えた後は黙っていた。
左肩には、剣の跡。
右手首。
右足。
傷は、少しずつ増えている。
一方でレオンも、腹と肩を打たれた。
無傷で終わる試合では、もうない。
俺は、舞台の中央を見た。
どちらも、相手を見ている。
次に同じことをすれば、さっきと同じにはいかない。
そういう時間だった。
◇
レオンが、前へ出た。
さっきより、剣が短い。
握りを変えたわけではない。
肘を伸ばしきらず、体の近くで動かしている。
盾へ、一撃。
ロックが、受ける。
鎚は出ない。
もう一撃。
下から、盾の縁。
鉄が持ち上がる。
ロックの足が、踏み直される。
レオンは、その脚を狙わなかった。
剣を引き、反対側へ動く。
盾が追う。
また、縁へ。
腕ではない。
肩でもない。
盾を、たたいている。
「……何してるんでしょう」
俺がつぶやくと、ヴァイスの耳が前へ向いた。
「同じところだ」
よく見る。
盾の外側。
左手で握っている位置から、少し遠い縁。
そこへ、何度も力がかかっていた。
ロックは、体ごと向きを変える。
だから、盾は開かない。
でも、そのたびに脚が動く。
傷ついた右足が、床を擦った。
レオンが、もう一度回る。
ロックが追う。
右足が、少し遅れた。
そこへ、剣先が下がった。
◇
ロックは、盾を落とそうとした。
脚を隠す。
けれど、レオンの剣は足へ来なかった。
盾の裏。
左腕を通しているところへ、切っ先が入る。
革が、裂けた。
俺は、目を見開いた。
盾が、傾く。
左手の握りだけで支えようとして、重さが腕へかかった。
レオンの剣が、もう一度走る。
盾の下から、上へ。
残った留め紐が切れた。
鉄が、ロックの腕から外れる。
床へ落ちた。
大きな音だった。
『レオン選手、盾の固定具を切りました! ロック選手の左腕から、盾が外れています!』
会場が、ざわめく。
俺は、ロックの左手を見た。
握りをつかんでいた指が、開く。
盾を、拾わない。
代わりに、その手が前へ伸びた。
レオンの剣を持つ腕へ。
右手の鎚が、胸の高さへ上がった。
あの一回戦と、同じ。
捕まえれば、届く。
◇
レオンが、手首を引いた。
石の指が、袖へ触れる。
あと、少し。
ロックが踏み込んだ。
傷ついた右足。
そこへ、レオンの剣が来た。
低く、短く。
膝の横を切った。
ロックの体が沈む。
左手が、届かない。
鎚だけが、振られた。
レオンは、その内側へ入った。
肘に、柄頭。
鎚の先が、上へ外れる。
石の腕が持ち上がった。
その下へ、剣。
脇の継ぎ目へ、深く入る。
ロックが、声を漏らした。
でも、倒れない。
左手が戻り、レオンの腕へかかる。
今度は、つかんだ。
俺は、息を止めた。
レオンの足が、止まった。
ロックの右手が動く。
鎚を戻す。
胸へ向けて、短く。
レオンは、剣を引き抜こうとしなかった。
柄を握ったまま、体をロックへ寄せる。
鎚の頭が加速する前に、その腕へ肩を当てた。
鈍い音。
レオンの顔が、痛みで歪む。
それでも、内側に残った。
剣の柄が、ゆっくり回る。
ロックの左手から、力が抜けた。
レオンが、刃を引いた。
すぐに、次の一撃。
肩の継ぎ目を、斜めに通る。
ロックの膝が、床へついた。
◇
鎚が、まだ上がろうとしていた。
小さな石の手が、柄を握っている。
レオンは、半歩離れた。
切っ先を向ける。
ロックが、顔を上げた。
盾は、足元。
右足は、うまく動かない。
それでも、左手を床へついて、立とうとした。
俺は、何も言えなかった。
頑張れ、とも。
もういい、とも。
ロックが、鎚を持ち上げた。
最後に、一歩。
レオンの剣が、その腕を外した。
鎚が、横へ流れる。
開いた胸元へ、切っ先が届いた。
【ロック選手、戦闘不能】
【勝者:レオン】
光が、石の体を包んだ。
俺は、膝の上で握っていた手をほどいた。
◇
拍手が聞こえた。
最初は、少し遠かった。
すぐに大きくなり、客席全体へ広がっていく。
『決着です! 準々決勝第一試合、勝ったのはレオン選手!』
ミナの声が響いた。
『ロック選手の守りに、何度も反撃を受けました! それでも攻め方を変え、最後は盾の固定具を断ちました! 剣士レオン、ベスト4進出です!』
レオンは、剣を下ろしていた。
腹へ、一度手を当てる。
それから、ロックが消えた場所を見た。
俺は立ち上がり、手をたたいた。
勝ったほうへ。
負けたほうへ。
どちらにも、届けばいいと思った。
〈ロックよくやった〉
〈ちゃんとレオンに当てたぞ〉
〈盾の紐狙うのすごいな〉
〈最後まで鎚離さなかった〉
「……はい」
俺は、返事だけした。
もう少し何か言いたかったが、うまく言葉にならなかった。
◇
回復したロックが、舞台の端へ戻ってきた。
盾も、元どおりだった。
腕を通す革帯に、切れた跡はない。
ロックは、それを指でつまんだ。
少し引く。
それから、レオンを見上げた。
「……そこ、切れるんですね」
「見えていたので。狙えるところまで、盾を動かしたかったんです」
レオンが答えた。
ロックの顔が、盾へ戻る。
「鎚は、前より戻せました」
「ええ。だから、近くへ入りにくかった」
レオンは、自分の脇腹へ手を置いた。
「二回、ちゃんと打たれました」
ロックは、少し黙っていた。
それから、うなずいた。
「次、もう少し困らせます」
「……それは、困るな」
レオンが笑った。
ロックも、笑ったように見えた。
石の手と、人間の手が重なる。
拍手が、また強くなった。
◇
俺は通路へ出て、ロックを待った。
ヴァイスも、そばにいた。
白い耳が、ときどき選手用の扉へ向く。
少しして、こつ、こつ、と足音が聞こえた。
ロックだった。
盾を背負い、鎚を腰へ下げている。
俺を見つけると、足が少し緩んだ。
「……負けました」
最初の言葉が、それだった。
俺は、うなずいた。
「見てました」
ロックが、盾を下ろす。
壁へ立てかけ、その横へ座った。
俺も隣へ腰を下ろす。
しばらく、誰も話さなかった。
通路の向こうから、会場の拍手がまだ聞こえている。
ロックの指が、盾の留め具へ触れた。
「ここ、裏へ回せるように作り直します」
「……はい」
「あと、右手。振って戻すだけじゃなくて、触られたときも残せるように」
指が、鎚の柄へ移る。
そこで、止まった。
「考えることは、あるんですけど」
声が、少し小さくなる。
俺は、黙って待った。
「……もう一回くらい、当てたかったです」
石の手が、ぎゅっと閉じた。
俺は、その手を見た。
盾が外れた後も。
脚を切られた後も。
最後まで、鎚を戻そうとしていた。
「二回、入れました」
俺が言うと、ロックは顔を上げた。
「レオンさんが、言ってました。ちゃんと打たれたって」
「……はい」
「次は、三回ですね」
言ってから、単純すぎたかもしれないと思った。
でも、ロックの手が少し緩んだ。
「三回当てたら、勝てますかね」
「……四回いるかもしれません」
ロックが、短く笑った。
俺も、笑う。
その横で、ヴァイスが鼻を鳴らした。
「当てる話だけしてると、また切られるぞ」
「それも、そうですね」
ロックは盾を引き寄せ、膝へ載せた。
さっきより、少しだけ顔が上がっていた。
◇
頭上へ、次の案内が浮かんだ。
【準々決勝・第二試合】
【セレネ 対 ヴァイス】
白い狼が立ち上がる。
首を動かし、前脚を一歩出した。
俺も、壁から背中を離す。
「次、ですね」
「ああ」
ヴァイスが、ロックを見る。
「盾、次に会うときは変わってるんだろうな」
ロックが、うなずいた。
「変えてきます」
「なら、また見る」
それだけ言って、ヴァイスは通路の奥へ向かった。
俺は、その白い背中を見送った。
今度は、炎と氷。
速い脚を、止めようとする相手だ。
足音が遠ざかっていく。
ロックが、盾を持って立ち上がった。
「見に行きましょう」
俺は、うなずいた。
隣にいた人が、舞台へ行く。
戻ってくると、もう次の人が向かう。
そのたび、名前が一つずつ減っていく。
俺も、次の次には呼ばれる。
斧を握り直し、ロックと並んで客席へ戻った。




