33話 決勝トーナメント7組目
●主人公視点
舞台へ、低い壁がせり上がってきた。
腰ほどの高さのものが三つ。
奥には、大きな岩。
中央から左右へ抜ける道があり、どちらを通っても、一度は相手の姿が見えなくなる。
「……今度は、隠れるところ多いですね」
俺が言うと、ロックがうなずいた。
「弩を構え直す時間、作れそうです」
「近づく側にも、使えますよね」
壁の陰まで行けば、矢は来ない。
でも、出る場所を狙われる。
俺もノエル相手に岩を使ったばかりだった。
手前の扉が開き、ハルトが舞台へ入ってくる。
弩を両手に持っていた。
受付で握手したときと、同じ手袋。
弦を引く指の付け根が、厚い革で補強されている。
彼は中央へ向かいながら、壁の端を一つずつ見た。
反対側からは、ミリア。
黒い耳が、わずかに動く。
腰の二本の短剣へ手を添え、何度か指を開いていた。
『本戦一回戦、第七試合!』
ミナの声が響く。
『相手の隙へ飛び込む双短剣使い、ミリア選手! 対するは、狙い澄ました一射で接近を阻む、ハルト選手です!』
ハルトが、弩を少し上げた。
「さっきから、近づかれると大変な試合ばっかりですね」
ミリアが笑った。
「じゃあ、離れててくれます?」
「それは、こっちの台詞なんですけど」
客席から、笑いが起きた。
ハルトも笑った。
ただ、弩の先は下がらなかった。
【試合開始】
◇
弦が鳴った。
ミリアの体が、横へ動く。
肩のあった場所を、太い矢が抜けた。
後ろの壁へ、深く刺さる。
「……最初から、狙ってましたね」
俺は、思わずその矢を見た。
あれが、防具の隙間へ入れば。
自分の脇腹に残った感触を、思い出す。
ミリアは、もう壁の陰へ入っていた。
ハルトの左手が動く。
弩の脇にある金具を引き、弦を戻す。
矢を置く。
構える。
早い。
俺と戦ったときも、こうやって次を用意していたのか。
ミリアが、壁の右端から少しだけ顔を出した。
矢が飛ぶ。
すぐに引っ込む。
ハルトは、追わずに後ろへ歩いた。
弩を下げ、また装填する。
その視線は、壁の左側へ向いていた。
ミリアが、そちらから出た。
弩が上がる。
彼女は、飛び出しかけた足を戻した。
撃たない。
ハルトの指は、まだ引き金に触れたままだった。
〈撃たなかった〉
〈今の誘いか〉
〈ちゃんと見てるな〉
俺は少し、背筋を伸ばした。
見えたら、撃つ。
そういう単純な話ではないらしい。
◇
ミリアが、壁の上へ手をかけた。
体が持ち上がる。
ハルトの弩が、上を向いた。
そこで、彼女は越えなかった。
手を離し、壁の向こうへ落ちる。
弦は、鳴らない。
少し間があった。
壁の陰から、ミリアの声。
「……よく我慢しますね」
「一本ずつなので」
ハルトが答える。
次の瞬間、左から黒い影が出た。
低い。
地面すれすれに身を沈め、ミリアが走る。
ハルトは半歩、後ろへ下がった。
弩の先が、彼女の進む場所へ向く。
撃った。
ミリアの肩が、跳ねた。
矢が当たった。
でも、止まらない。
黒い耳が、さらに低くなる。
「〈瞬歩〉!」
一歩が、伸びた。
俺の踏み込みより、体が横へ流れる。
ハルトの脇へ。
短剣が、下から来る。
ハルトは弩を、両手で前へ出した。
刃が、木の台へ当たる。
硬い音。
弩ごと押され、ハルトが一歩下がった。
ミリアの左手が、もう動いている。
二本目。
腹へ。
ハルトは腰の剣を抜いた。
短剣へ、刃を合わせる。
完全には外れない。
脇腹に、赤い線が走った。
『ミリア選手、被弾しながらも接近! ハルト選手は、弩から剣へ持ち替えます!』
ミナの声が、会場へ通った。
俺は、手元を見ていた。
弩を離す。
剣を抜く。
その動きが、迷いなくつながっていた。
近づかれたらどうするか。
ハルトも、ちゃんと練習してきている。
◇
ミリアの右肩には、矢が刺さっていた。
右の短剣が、少し低い。
それでも、左は止まらない。
剣の外側から、手首を狙う。
ハルトが腕を引く。
その足へ、右。
浅い傷。
ハルトは下がった。
ミリアが追う。
二本の刃が、交互に出る。
ハルトの剣は、そのたびに構えを戻していた。
でも、右を外せば左が来る。
左へ合わせれば、右が低く入る。
少しずつ、後ろへ押されていく。
「……接近すると、やっぱりミリアさんですね」
俺が言うと、ロックがハルトの足元を指した。
「でも、壁へ向かってます」
俺は、舞台の端を見た。
低い壁。
ハルトは、そこへ下がっていた。
背中が詰まる。
さっきのガランも、後ろを使われた。
そう思ったところで、ハルトの左手が壁へ触れた。
剣を、横へ振る。
ミリアが少し引く。
その一瞬で、ハルトは壁へ腰を乗せた。
向こう側へ、体を落とす。
姿が消えた。
ミリアの短剣が、石の縁を切った。
俺は、目を見開いた。
「……逃げ道にしたんだ」
壁へ追い込まれたわけではない。
あそこまで、下がっていた。
◇
壁の向こうで、金具の音がした。
ミリアの耳が、そちらへ向く。
装填。
弩だ。
剣を追って越えれば、正面から撃たれる。
回れば、その出口を狙われる。
彼女は、一度足を止めた。
右肩から矢を抜く。
短く息を吐いた。
白い石へ、血が落ちる。
ハルトの姿は見えない。
でも、壁の向こうで足音が動いた。
右へ。
ミリアも、そちらへ首を向ける。
俺は、観客用の映像を見た。
ハルトは、逆へ動いていた。
右へ転がしたのは、石だった。
「……うわ」
〈音で誘ってる〉
〈耳いいの分かってるからか〉
ミリアが右側へ近づく。
ハルトが左から出た。
弩が上がる。
彼女の背中へ。
弦が、鳴った。
◇
ミリアは、振り返らなかった。
前へ倒れるように、身を沈めた。
矢が、背中をかすめる。
上着が裂け、体が少し横へ流れた。
それでも、床へついた手で体を支える。
顔だけが、ハルトへ向いた。
耳が、ぴんと立っていた。
今の音は、聞こえたのだろう。
弦が鳴った、その瞬間。
ハルトは、すぐには再装填しなかった。
弩を下げ、岩の陰へ走る。
ミリアが立つ。
今度は、追った。
「……撃った後ですね」
俺も、そこは狙いたい。
一発。
それをしのげば、次まで少し時間がある。
ハルトは大きな岩を回った。
ミリアも、その外を走る。
そこで、一度だけ足を緩めた。
中から剣が出てくるかもしれない。
そう考えたのだろう。
その慎重な一歩の間に、金具が鳴った。
俺は、口を閉じた。
たった、それだけ。
あれだけで、次が間に合う。
◇
岩から出たハルトの弩は、もう構えられていた。
ミリアが、壁の陰へ飛び込む。
矢が、その端を削る。
今度は、外れた。
彼女はすぐ、また走った。
瞬歩。
横へ、大きく距離を詰める。
ハルトが下がる。
弩を離し、剣。
ミリアの短剣が、それへ当たった。
右。
左。
短い金属音が、続いた。
ハルトの腕へ、傷が増える。
剣の戻りが、少し遅くなった。
ミリアは、その腕へ左の刃をかけた。
外へ。
右の短剣が、胸へ向く。
ハルトの肩が、彼女へぶつかった。
刃が、わずかにずれる。
脇腹へ入る。
深い。
それでも、ハルトは前へ出た。
ミリアを押し返し、剣の柄頭を右肩へ当てる。
矢が刺さっていたところ。
彼女の顔が、初めてはっきり歪んだ。
右腕が下がる。
ハルトは、その瞬間に離れた。
剣を、戻す。
走る。
また、壁の向こうへ。
『ハルト選手、間合いを取り戻しました! 傷は増えていますが、ミリア選手も右腕を痛めています!』
ミナの声に、客席がざわめく。
俺は、二人の腕を見た。
ハルトは剣を持つ右腕に、何本もの切り傷。
ミリアは、右肩。
どちらも、次の動きへ響いている。
まだ速い。
でも、最初とは違う。
◇
ミリアは、壁の前で止まった。
呼吸を整える。
左の短剣を持ち直し、右手を一度だけ開く。
刃は、落とさなかった。
壁の向こうから、足音。
今度は、追わない。
彼女は耳だけを動かしていた。
金具が、鳴る。
その音が終わる。
少し、静かになった。
ハルトが、壁の端へ近づく。
弩の先だけが、外へ出た。
ミリアの左手が、動いた。
短剣が、飛ぶ。
「投げた!」
俺は、思わず声を上げた。
刃が、弩の先へ当たる。
ハルトの腕が、跳ねた。
矢が放たれる。
ミリアは、その下を走っていた。
頬へ、赤い線。
それだけ。
距離が、一気に詰まる。
右手の短剣。
ハルトが剣を抜く。
彼女は、その腕へ踏み込んだ。
抜ききる前。
刃が、上腕へ入った。
ハルトの剣が、落ちかける。
ミリアが、さらに前へ。
今度こそ、離さない。
◇
ハルトの背中が、壁へ当たった。
低い壁。
さっき、逃げ道に使ったものだ。
また、越える。
俺は、そう思った。
でも、ハルトの左手には、弩が残っていた。
捨てていない。
ミリアも、それを見た。
右の短剣が、弩の腕へ向く。
ハルトが、手首を引いた。
刃が、革の手袋を切った。
弩は、離れない。
その先が、彼女の腹へ押しつけられる。
「……まだ、ある?」
俺の声が、小さくなった。
再装填の音は、さっき聞こえていた。
そして、短剣が当たった直後。
矢は、確かに飛んだ。
ミリアも、そう思ったはずだ。
だから、今、前へ出ている。
映像が、ハルトの手元へ寄った。
弩の上。
矢が載る溝は、二つあった。
◇
ミリアの左手が、弩を押し外そうとした。
右の短剣が、ハルトの胸へ向かう。
弦が鳴った。
至近距離で、矢が入る。
ミリアの体が、後ろへ折れた。
それでも、右手は止まらなかった。
短い刃が、ハルトの肩口へ深く入った。
二人が、ほとんど同時に崩れる。
俺は、立ち上がりかけた。
光が、上がる。
どっちだ。
先に消えたのは、ミリアだった。
【ミリア選手、戦闘不能】
【勝者:ハルト】
ハルトは、壁へ背中を預けていた。
肩には、短剣。
左手には、弩。
立とうとして、やめた。
そのまま、長く息を吐く。
『決着です! ハルト選手、最後の一射でベスト8進出ーっ!』
会場の声が、一気に大きくなった。
『一発目の後へ飛び込んだミリア選手! ですが、ハルト選手の弩には、もう一射が残っていました!』
俺は、画面の中の武器を見ていた。
二つの溝。
左右に分かれた、短い弓。
構えていたときは、手と腕に隠れていた。
自分の予選では、気づかなかった。
「……あれ、二本なんですね」
ロックが、小さく息を吐いた。
「同時に、引いてたんだと思います。速装填で」
最初から、二本。
一発撃った後、すぐに金具を動かしたり、剣へ持ち替えたりしていた。
だから、残っているように見えなかった。
俺は、自分の脇腹へ手を置いた。
あのとき、もう少し近づくのが遅ければ。
自分にも、二本目が来ていたのかもしれない。
◇
ミリアが、舞台の端へ戻ってきた。
傷は消えていた。
でも、右手を肩へ当てたまま、ハルトへ近づく。
「……二本?」
最初の言葉が、それだった。
ハルトも、回復を終えて立ち上がる。
「はい」
「一本ずつって、言いましたよね」
「撃つのは、一本ずつです」
ミリアは、しばらく黙った。
それから、笑った。
額へ手を当て、少しだけ顔を伏せる。
「……覚えました」
「次は、隠せませんね」
「次は、二本とも撃たせます」
ハルトが、苦笑した。
「それ、困るんですけど」
手が差し出される。
ミリアはその手を握り、空いた手で弩を指した。
「後で、近くで見せてください」
「もちろん」
二人の間で、少し会話が続いた。
俺は座り直し、握っていた手を開く。
言われたこと。
見えたもの。
そこから、勝手に決めつけてしまう。
一本撃ったら、次まで時間がある。
そのつもりで、俺も見ていた。
「……ちゃんと、確かめないとですね」
〈あれは分からん〉
〈ハルト、残してたな〉
〈修羅との予選でも使ってた?〉
「……俺も、後で聞きます」
知りたいことが、また増えた。
◇
組み合わせが、更新される。
【準々決勝進出:ハルト】
その隣の枠には、まだ二つの名前が残っていた。
【フィーネ 対 リュカ】
俺は、舞台へ顔を戻した。
弓使い。
幼龍。
予選で、途中までしか見られなかった戦いだ。
ロックも、同じところを見ていた。
「今度は、終わるまでですね」
「……はい」
フィーネの矢が、翼へ入ったところ。
リュカが、木を折って逃げ道を塞いだところ。
どちらも、覚えている。
今度は、横から別の選手が来ることもない。
残り人数の合図で、終わることもない。
『さあ、一回戦も最後の試合となりました!』
ミナの声に、会場が沸いた。
『フィーネ選手、リュカ選手は、準備エリアへお越しください! 第四組では決着のつかなかった二人が、再び向き合います!』
舞台の地形が、動き始めた。
俺は斧を脚の間へ立て直す。
次の相手は、バルド。
でも、その先へ進めたなら。
あの弓とも、龍とも、戦うかもしれない。
だから、最後まで見よう。
さっきの二本目みたいに、見えていないものが、まだあるかもしれない。




