31話 決勝トーナメント5組目
●主人公視点
扉を抜けると、歓声が体へ当たった。
予選のときも、大きかった。
でも、今度は舞台に二人だけだ。
どこを見ても、こちらへ顔が向いている。
「……すごいですね」
〈修羅、手振って!〉
〈頑張れ!〉
〈斧見せてくれー!〉
歓声を受けて、片手を上げかけて、やめた。
斧を持っている。
今は、両手で持っていたほうが落ち着く。
軽く頭を下げ、中央へ向かった。
舞台には、高さの違う岩が並んでいた。
低いものは、膝ほど。
中央の大きな岩は、俺の胸より高い。
その向こうに、ノエルが立っている。
細い杖を持つ手が、静かだった。
「よろしくお願いします」
俺が言うと、ノエルは会釈した。
「こちらこそ」
視線が、俺の斧へ落ちる。
「やはり、大きいですね」
「……そちらまで、持っていくつもりです」
ノエルが、少し笑った。
「では、遠くにいていただけるように頑張ります」
杖が、上がる。
俺も、足を開いた。
【本戦一回戦・第五試合】
【修羅 対 ノエル】
呼吸を、一つ。
【試合開始】
◇
最初の一歩を出す前に、風が来た。
頬へ、細いものが触れる。
「っ!」
右へ動く。
少し遅れて、背後の岩に白い傷が入った。
風刃。
見えにくいとは聞いていた。
でも、これは。
光の筋を探していたら、間に合わない。
ノエルの杖先が、左へ動く。
俺は岩の陰へ入った。
石を削る音。
欠片が、肩へ落ちる。
「……はい」
返事をしながら、斧を持つ位置を変えた。
右手を、刃へ近づける。
岩の横から、少し顔を出す。
ノエルは、もう移動していた。
足が、床からわずかに浮いている。
滑るように、岩の向こうへ。
「……それ、足音しないんですね」
思わず漏れた。
向こうから、声が返る。
「便利ですよ」
杖が、光った。
俺は、頭を引っ込めた。
◇
このまま隠れていても、勝てない。
俺は岩の反対側へ回り、足元を確かめた。
前に一つ。
右に、低い岩。
ノエルまでは、十歩くらい。
行ける。
そう思って、走り出した。
すぐに杖が向く。
細い風が、脚へ来た。
俺は膝を上げ、岩を越える。
着地。
その瞬間、足元から空気が持ち上がった。
「うおっ!」
体が、浮く。
ほんの少し。
でも、踏むはずだった床が遠くなった。
そこへ、風刃。
左腕に、熱い痛みが走る。
俺は転がるように着地し、斧を引き寄せた。
【HP:746/814】
ノエルは、さらに離れていた。
追いかけるだけで、距離が開く。
「……なるほど」
口に出す。
浮歩で下がる。
近づけば、足元を浮かせる。
その間に、切る。
さっきレオンが言っていたとおりだった。
踏み込む足を、残してくれない。
◇
ノエルが、杖を胸の前へ引いた。
その先に、薄い光が集まる。
一本。
さらに、もう一本。
矢みたいな形だった。
弓から放つものではない。
細く絞られた風が、杖の周りで震えている。
『ノエル選手、ここで風の矢を形成します! 細い刃を重ね、逃げる方向を絞る攻撃です!』
ミナの声が聞こえた。
俺は、斧を構える。
一本目が、飛んだ。
横へ。
二本目。
そちらへ避けると、三本目が来る。
右肩へ、衝撃。
「っ……!」
鱗の防具が、硬い音を立てた。
腕は、動く。
次の一本が、顔へ来た。
反射的に、斧を持ち上げた。
広い刃の側面。
そこへ、風の矢が当たる。
高い音が、手元で鳴った。
柄が、少し震えた。
俺の足は、下がらなかった。
「……あ」
斧を見る。
幅の広い、分厚い刃。
さっきの一発を受けても、形は変わっていない。
顔の前へ、もう少し寄せてみた。
刃の横から、ノエルの姿が見える。
向こうも、こちらを見ていた。
俺は、柄を握り直した。
左右に振られれば、全部は防げない。
でも、今の風なら。
少なくとも、真正面から顔へ来るものは。
「……試してみますか」
◇
俺は、前へ出た。
走らない。
まず、一歩。
斧の刃を、顔と胸の前へ。
次の風の矢が、来る。
鉄が鳴った。
手のひらへ、衝撃。
でも、進める。
もう一歩。
ノエルの眉が、わずかに動いた。
杖先が下がる。
脚。
細い風が、脛当てへ当たった。
痛い。
鱗の隙間へ、刃が入る。
それでも、脚は折れなかった。
俺は、もう一歩出した。
「……痛いですけど」
息を吐く。
ガルゼンの斧。
あの一撃を受けたときは、体ごと持っていかれた。
今は、違う。
切られる。
傷はつく。
でも、足を前へ出せる。
「止まるほどじゃ、ないですね」
首元へ、意識を向けた。
「〈鬼力〉」
熱が、胸から広がった。
斧が軽くなる。
脚へ、力が入る。
俺は、腰を落とした。
◇
ノエルが、後ろへ動く。
浮歩。
足が床を離れ、岩の横へ流れる。
その杖から、風の矢が続けて放たれた。
一本。
二本。
斧の刃が、鳴る。
三本目は、肩へ。
四本目は、腿。
体へ、痛みが増える。
でも、俺は走り始めていた。
刃を前に。
柄を両手で引きつける。
低い岩は、踏み越える。
ノエルが右へ動けば、俺もそちらへ。
細かく避けるのを、やめた。
顔と胸だけ、守る。
あとは、進む。
ノエルの足元が、近づく。
杖が、下へ振られた。
床の砂が、舞い上がる。
また、浮かされる。
俺は走る足を止め、両脚を床へ落とした。
「〈踏ん張り〉!」
風が、下から来た。
胴当ての裾が、持ち上がる。
足の裏が、軽くなる。
それでも、膝を曲げたまま耐えた。
体が横へずれる。
靴底が、床を擦る。
俺は歯を食いしばり、前脚へ重さを戻した。
立っている。
まだ、地面へ足がついていた。
「……今度は、浮きませんよ」
ノエルの顔から、笑みが消えた。
◇
『前進を止めません!』
ミナの声が、会場へ響いた。
『修羅選手、大戦斧を盾のように構え、風の矢の中を進んでいます! ノエル選手の攻撃は当たっている! それでも、止まらない!』
俺は、声を遠くに聞いていた。
目の前の杖。
足の位置。
次に向かう場所。
見るものを、そこへ絞る。
風の矢が、刃へ当たる。
腕へ来た一本が、籠手の革を切った。
無視する。
あと、四歩。
ノエルの背後に、岩。
右へ動く。
俺は、その出口へ足を向けた。
杖が、横へ振られる。
目の前に、空気の壁ができた。
砂ぼこりが、薄い幕のように立ち上がる。
「〈風壁〉!」
近づいた斧の刃が、押された。
腕へ、重さ。
足が、少し鈍る。
向こうでは、ノエルが次の岩へ移ろうとしていた。
ここで止まれば、また最初から。
俺は、左足を前へ置いた。
肩を、斧の後ろへ。
「……悪いですけど」
両腕へ力を込める。
押す。
「今日は、そっちまで行きます」
◇
風が、顔の横を鳴った。
斧の側面へ、見えない力が当たっている。
後ろへ押し返そうとする。
俺は、さらに腰を落とした。
右足で、床を蹴る。
「〈踏み込み〉!」
重い刃が、前へ動いた。
風の幕が、へこんだ。
一歩。
腕が伸びる。
その先で、砂が一気にはじけた。
体が、壁の向こうへ抜ける。
ノエルが、目を見開いた。
もう、近い。
俺は斧を前へ出したまま、肩から入った。
刃の側面が、杖へ当たる。
杖が外へ流れた。
その向こうへ、俺の体が届く。
鈍い衝撃。
ノエルの足が、床から離れた。
背後の岩へ、肩がぶつかる。
俺も、そこで止まった。
斧を、両手で引き戻す。
ようやく、届く場所だ。
ノエルが、杖を上げる。
赤い傷の走る右手。
その先に、薄い風の刃が生まれた。
俺は、斧を短く持った。
◇
風刃が、頬を切った。
近いぶん、避けきれない。
でも、杖の戻る先も見える。
俺は柄を、その横へ当てた。
押す。
杖先が外れる。
右脇へ、斧を振った。
ノエルが、体を浮かせた。
刃が上着を裂く。
浅い。
そのまま、俺の横を抜けようとする。
俺は振り切らず、柄を戻した。
先端を、胸へ。
ノエルが息を漏らした。
浮いていた体が、床へ落ちる。
靴が、石を擦った。
逃がしたくない。
俺は、前へ出た。
斧を肩へ。
ノエルが杖を立てる。
受けるつもりではない。
その前に、風を作る。
分かった。
でも、止めなかった。
「〈鬼装〉」
刃へ、赤い光が走った。
風の膜が、斧へぶつかる。
俺は、両手を振り下ろした。
重さを、最後まで通す。
薄い壁が裂けた。
刃が、肩口へ入った。
◇
ノエルの体が、膝から崩れた。
杖が床をたたく。
俺は、斧を引き抜いた。
まだ、光にならない。
構えを戻す。
呼吸が、喉へ引っかかった。
目の前で、ノエルが顔を上げる。
杖を、握っている。
俺は、もう一度踏み込んだ。
風が、床を走る。
右の脛へ、鋭い痛み。
膝が揺れた。
それでも、足をつけた。
斧の刃を、顔の前へ寄せる。
最後の風の矢が、鉄へ砕けた。
そこから、短く。
横へ。
赤い刃が、ノエルの胴を通った。
【ノエル選手、戦闘不能】
【勝者:修羅】
光が、目の前を満たした。
俺は斧を引きつけたまま、止まった。
息を吸う。
吐く。
もう、風は来なかった。
◇
『決着ーっ!』
会場の音が、一気に戻ってきた。
『修羅選手、ベスト8進出です! 大戦斧を盾に、魔法の正面を突破しました!』
歓声が、降ってくる。
俺は斧を下ろし、膝へ手をついた。
腕が、じんじんしていた。
斧に当たった風の衝撃が、まだ残っている。
【HP:392/814】
……半分、減ってる。
倒した直後に喰命が働いて、それでこれだ。
「……普通に、痛かったですよ」
声に出すと、少し笑ってしまった。
矢をものともせず。
そう見えたのかもしれない。
実際は、当たるたびに痛かったし、脚が動くかどうかも気にしていた。
でも、止まるほどではなかった。
だから、進んだ。
今まで上げてきた筋力。
耐久。
職人に作り直してもらった防具。
ガルゼンから取った、この斧。
全部、役に立った。
「……頑張って、準備してきてよかったですね」
刃を持ち上げる。
広い側面に、細かい傷が何本も走っていた。
試合後には戻る。
それでも、指で確かめたくなった。
◇
回復が終わるころ、ノエルが舞台の端へ戻ってきた。
上着も杖も、元どおり。
俺のほうへ歩いてくる。
さっきより少しだけ、困った顔をしていた。
「……本当に、持ってきましたね」
視線が、斧へ落ちる。
俺は、息を整えてから答えた。
「近づく方法、ほかに思いつかなくて」
「いえ。あれは、困りました」
ノエルは自分の杖を見た。
「避けてもらうつもりで撃ったものを、受けて来られると。次の場所を、作りきれませんでした」
俺は、最初に切られた腕へ触れた。
傷はない。
でも、あの見えにくい刃は覚えている。
「最初、全然見えませんでした。風のやつ」
「途中から、あまり避けませんでしたね」
「……避けるの、諦めました」
少し間があった。
ノエルが笑った。
俺も、つられて笑う。
「次は、もう少し違う攻め方を考えます」
「俺は……もう少し、食らわないようにしたいです」
手が差し出される。
俺は斧を左へ寄せ、右手で握った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。次も、頑張ってください」
細い指が離れる。
会場から、また拍手が聞こえた。
◇
扉へ戻る途中で、トーナメントの表示が更新された。
【準々決勝進出:修羅】
自分の名前が、一つ先へ進む。
その下には、二つの名前。
【バルド 対 サラ】
盾と槌。
長い槍と、跳ぶ脚。
次の相手は、どちらかだ。
俺は一度立ち止まり、その枠を見た。
四勝。
優勝まで、四つ必要だった。
ようやく、一つ。
「……まだ、ありますね」
俺は、扉の向こうへ目を向けた。
通路の奥に、小さな石の姿が見える。
隣には、白い狼もいた。
ロックが手を上げる。
ヴァイスは、俺の斧を見た。
「風、捕まえたか」
俺は、柄を持ち直した。
「……押し通りました」
白い狼が、短く笑った。
「見てた」
それを聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
俺は二人のところまで歩き、壁へ斧を立てかけた。
「ちょっと、水飲んでいいですか」
ロックが、用意していた杯を差し出してくれた。
両手で受け取る。
冷たい水が、喉へ落ちた。
うまい。
今日、何度そう思ったか分からない。
杯を下ろし、俺はもう一度、舞台のほうを見た。
次の試合も、見ておこう。
まだ、この斧を下ろして帰るつもりはなかった。




