29話 決勝トーナメント 3回戦
●主人公視点
ロックが戻ってきたとき、俺はもう一度立ち上がった。
「おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
返事の後に、少し間があった。
石の顔は、表情が分かりにくい。
それでも、鎚の柄を何度も握り直しているのを見て、まだ試合の中にいるんだろうなと思った。
「最後、盾を落とすと思いませんでした」
「持ち上がらなくて。だったら、邪魔になるところへ置こうと思ったんです」
「……それ、試合中に?」
ロックがうなずく。
俺は、少し笑った。
「すごいですね」
「でも、次はレオンさんです」
顔が、頭上の組み合わせへ向く。
俺も見た。
レオンと、ロック。
さっき決まったばかりの対戦だ。
「まず、座りましょう。次、始まります」
言うと、ロックは盾を下ろした。
その横で、ヴァイスが立ち上がる。
白い体を一度伸ばし、首を動かした。
「俺は、準備してくる」
「もう、行くんですか?」
「次の次だ。歩く時間くらい、取っておく」
そう言って、通路へ向かう。
俺は、その背中へ声をかけた。
「頑張ってください」
ヴァイスは振り返らず、尾を一度だけ振った。
◇
舞台の端から、低い石壁が沈んでいく。
代わりに、床の一部が持ち上がった。
膝ほどの段差。
大きな岩が二つ。
中央は開けているが、左右で地面の高さが違う。
俺は、その配置を目で追った。
走る相手には、足場が気になる。
魔法を使う相手には、岩が使えそうだ。
ただ、その裏へ隠れたら、次にどこへ出るかも読まれる。
セレネの戦いを見た後だと、岩があるだけでは安心できなかった。
『本戦一回戦、第三試合!』
会場へ、ミナの声が響く。
『炎と氷を操る魔法使い、セレネ選手! 対するは、剣と小盾で相手へ食らいつく犬人、ジン選手です!』
向かい合う扉が、開いた。
◇
ジンは、歩きながら小盾の位置を確かめていた。
左肘を曲げる。
右手の剣を軽く動かす。
茶色い耳が、前へ向いている。
視線は、もうセレネから離れなかった。
対するセレネは、舞台へ足をつけると、まず左右を見た。
岩。
段差。
それから、ジン。
杖を両手で持ち、静かに構える。
「……走って、詰めるんでしょうね」
俺が言うと、ロックがうなずいた。
「予選でも、ヴァイスさんを最後まで追ってました」
あの速さを追える脚。
それなら、魔法使いへ近づくのも早いはずだ。
ただ、セレネもそれは分かっている。
ジンが、少し腰を落とした。
「近づかせてもらいます」
宣言するように言う。
セレネは、小さく笑った。
「できれば、そこにいてほしいんですけど」
「それだと、俺が困るので」
短いやり取りに、客席から笑いが起きた。
けれど、二人の構えは変わらなかった。
【試合開始まで、3秒】
ジンの前足が、石床へ沈むように力を込める。
二。
セレネの杖先に、赤い光。
一。
【試合開始】
◇
火球が飛んだ。
ジンは、すでに走っていた。
真正面ではない。
右へ斜めに進み、炎の脇を抜ける。
次の火球。
今度は、進む先へ。
ジンが小盾を上げた。
爆ぜた炎が、盾の縁から散る。
左腕が少し後ろへ流れた。
でも、足は止まらない。
「……盾で抜けた」
俺は身を乗り出した。
セレネの前へ、霜が走る。
白い地面。
ジンは、その手前で歩幅を縮めた。
跳ばない。
低い段差へ片足を置き、そこから横へ。
凍った場所を避け、岩の外側へ回り込む。
〈跳ばなかったな〉
〈予選見てきてる〉
〈着地点狙われるからか〉
セレネが、杖を引いた。
岩の反対側へ下がる。
ジンが追う。
その行く先へ、地面から氷が突き出した。
一本の柱。
ジンの足が止まる。
そこで、火球。
「っ!」
ジンは体を低くし、盾を斜めに向けた。
炎が、頭の上へ抜ける。
頬が赤く照らされた。
それでも、剣は下がらない。
氷柱の横を通り、もう一歩。
セレネの杖へ、剣が届いた。
◇
木と鉄が、ぶつかった。
杖先が、外へ流れる。
ジンの左肩が前へ出た。
小盾。
セレネの胸へ当たり、体を押した。
彼女の足が、後ろへずれる。
続けて、剣。
脇腹へ、刃が通った。
セレネの顔が、しかめられた。
『ジン選手、接近しました! 魔法を避けるだけではなく、盾でしのぎながら前へ出ています!』
歓声が上がる。
俺も、思わず拳を握った。
近づいた。
あそこまで行けば、剣が届く。
ただ。
セレネの杖が、下を向いていた。
「……足元」
俺の声に重なるように、白い霜が広がった。
ジンの靴が、滑る。
前へ出ようとした体が、一瞬だけ止まった。
セレネは杖を引き寄せ、床へ先端を向ける。
氷柱。
二人の間へ、白いものがせり上がった。
ジンの剣が、氷へ食い込む。
その向こうへ、セレネが下がる。
小さな炎が、柱の横から飛び出した。
ジンが盾を戻した。
間に合った。
でも、距離はまた開いていた。
◇
ジンは、氷へ刺さった剣を引き抜いた。
刃を見ず、相手を追う。
セレネは、左手で脇腹を一度押さえた。
傷は、浅くなさそうだった。
杖を持ち直すと、今度は段差の高い側へ向かった。
「……上、取りますね」
ロックが言った。
少し高いだけでも、脚を狙う魔法は見づらくなる。
ジンが下から近づけば、足を上げる必要がある。
その一瞬を、セレネは待つつもりなのかもしれない。
ジンも、すぐには上がらなかった。
段差の下を、横へ走る。
セレネの杖が追う。
火球。
ジンは岩へ寄り、身を隠した。
炎が岩をたたく。
次を撃つため、杖先が明るくなる。
その前に、ジンが飛び出した。
さっきとは、反対側。
低い姿勢で走り、段差へ手をかける。
小盾の縁で体を支え、脚を持ち上げた。
地面へ、霜。
セレネが狙う。
ジンは、すぐには着かなかった。
段差の縁を蹴り、横へ抜けた。
杖先が動く。
火球が、追う。
小盾が、その間へ入った。
炎を受けながら、ジンが着地する。
膝が沈む。
そこから、前へ。
セレネの目が、わずかに開いた。
「……速い!」
俺は、膝から手を離せなかった。
ジンの剣が振られる。
セレネは後ろへ下がり、杖で刃を外した。
完全には逃げきれない。
肩口へ、赤い線が走る。
ジンの盾が、また前へ出た。
セレネが、横へ逃げる。
その方向へ、ジンの足が動いた。
「〈追走〉!」
距離が、離れない。
◇
右へ。
セレネが動けば、ジンも右へ。
杖を向ければ、小盾が上がる。
魔法を撃とうとした手元へ、剣が伸びる。
火球が、上へ逸れた。
セレネの髪が、熱い風で揺れる。
「……ついていきますね」
俺の言葉に、ロックが短く答えた。
「戻す暇を、あげてないです」
予選で、ヴァイスを追っていたときもそうだった。
攻撃を外しても、追う。
向きを変えられても、追う。
ジンは、小盾を大きく出さなかった。
自分の顔と胸を守れるところへ残し、剣だけを短く使う。
セレネは杖を体へ引きつけた。
次の霜が、地面を走る。
ジンが、それを見た。
すぐに脚を引く。
踏まない。
白い地面の外へ出る。
セレネの杖が、その先へ向いた。
ジンの足が止まる。
火球。
小盾で受けた。
重い音とともに、左腕が開いた。
その隙に、彼女は二歩離れた。
ジンが追おうとして、片膝をついた。
俺は、足元を見た。
靴の端に、氷がついている。
完全には、避けられていなかった。
ジンは剣を支えに立ち上がり、地面へ足を打ちつけた。
氷が砕ける。
その間に、セレネの前へもう一本、氷柱が立った。
◇
少しだけ、二人の間に時間ができた。
ジンの呼吸が、深い。
盾の表面は黒く焦げ、縁の革がめくれている。
セレネも、肩を上下させていた。
右腕の袖が赤く染まっている。
見た目には、ジンが押している。
けれど、俺は先ほどの足を見ていた。
あの一度の遅れで、距離が戻った。
それがもう一度起きたら。
〈ジンかなり削ってるぞ〉
〈セレネ、近距離きつそう〉
〈でも追走もスタミナ使うよな〉
俺は、二人の足へ視線を落とした。
ジンは、まだ前へ出られる。
セレネも、まだ逃げる脚がある。
どっちが先に、間に合わなくなるのか。
ジンが、盾を少し下げた。
息を吐く。
剣先が、相手の胸へ向く。
「もう一回」
小さな声が、拾われた。
セレネは、返事をしなかった。
ただ、杖を握る手に力が入った。
◇
ジンが走った。
氷柱の右へ向かう。
セレネが杖を動かした。
そこへ、火球。
ジンは、柱の前で方向を変えた。
左。
隠れていた肩が、反対側へ出る。
セレネの杖が戻る。
間に合わない。
剣が、杖の柄をたたいた。
右手が、外へ開く。
ジンが踏み込んだ。
盾を、胸へ。
「〈盾打ち〉!」
鈍い音。
セレネの上体が、後ろへ揺れた。
足が、もつれる。
ジンの剣が、下から来る。
彼女は体をひねった。
脇腹を、刃が切り上げた。
深い。
会場から、声が上がる。
ジンは止まらなかった。
もう一撃。
肩へ。
セレネが、膝をつきかける。
杖先が、地面へ触れた。
白い霜が、二人の足元へ広がった。
ジンは、すぐに下がろうとした。
だが、今度はセレネが逃げなかった。
◇
彼女の左手が、小盾の縁をつかんだ。
ジンの腕が、引かれる。
わずかだった。
それでも、下がろうとした足が、白い地面へ着いた。
滑る。
膝が伸びる。
ジンの上体が、後ろへ傾いた。
セレネは盾を離した。
杖を短く持ち直し、先端を前へ。
盾の外。
ジンの腹へ、赤い光が生まれる。
彼は、剣を引き戻した。
杖へ。
刃が、木を削る。
でも、光は消えなかった。
至近距離で、火球が爆ぜた。
ジンの体が、後ろへ飛ぶ。
盾が床へ当たった。
転がる。
俺は、思わず腰を浮かせた。
「……まだ!」
ジンが、剣を床へ突いた。
立とうとしている。
片膝。
前を見る。
セレネも、倒れかけていた。
杖を支えに、どうにか立っている。
ジンが、床を蹴った。
もう一度。
その一歩へ、白い柱が上がった。
◇
氷柱は、ジンの体を狙っていなかった。
前へ出た足の、その先。
進む道を塞ぐ位置だった。
ジンは止まろうとした。
だが、後ろ脚はもう地面を離れている。
肩が、氷へぶつかった。
体が横へ流れる。
それでも、小盾は前へ向いた。
顔を守る。
胸を隠す。
セレネの杖が、下がった。
炎は、盾の下を通った。
脚。
ジンの膝が、崩れる。
次の火球を見て、彼は盾を下げた。
その瞬間、セレネの杖先が上へ動く。
赤い光が、肩へ届いた。
ジンの剣が、床を擦った。
体が、光へ変わる。
【ジン選手、戦闘不能】
【勝者:セレネ】
合図が、響いた。
◇
セレネは、すぐには杖を下ろさなかった。
ジンが消えた場所を、見ていた。
それから、ようやく肩の力が抜ける。
片膝が、床へついた。
『決着です! 最後の接近戦を制したのは、セレネ選手! ベスト8進出です!』
ミナの声に、拍手が重なった。
『ジン選手も、魔法の間合いを何度も突破しました! 勝負を分けたのは、最後の足場と、一瞬の判断でした!』
俺は、ゆっくり座り直した。
胸の奥が、まだ落ち着かない。
近づいたら、剣が届く。
それは、間違っていなかった。
ジンは何度も、届かせた。
でも、セレネは最後まで、自分の魔法が使える場所を残していた。
目の前に相手がいても。
傷を負っていても。
「……近づいても、終わりじゃないですね」
言うと、ロックがうなずいた。
「最後、逃げませんでしたね」
「はい」
逃げると思った。
俺も、ジンも。
だから、前へ出た。
その脚を、止められた。
俺は、自分の靴底を床へつけ直した。
踏み込み。
強く地面を蹴る、一歩。
あれを使う相手は、よく見ないといけない。
◇
舞台の端で、ジンが転送されて戻ってきた。
盾も、剣も、元に戻っている。
セレネは立ち上がり、彼へ向かって歩いた。
傷は消えていたが、二人とも少し疲れた顔をしていた。
「……近かった」
セレネが言った。
ジンが、苦笑する。
「近づくところまでは、よかったんですけど」
「十分、嫌でした」
その言葉に、ジンの耳が少し動いた。
笑ったらしい。
「最後、盾つかむと思わなかったです」
「逃げたら、また追ってくるでしょう」
「はい」
「だから」
セレネが手を差し出す。
ジンが、それを握った。
「次は、足を残します」
「次は、つかませてくれなさそうですね」
握手が解ける。
客席の拍手は、二人が舞台を下りるまで続いていた。
◇
【準々決勝進出:セレネ】
組み合わせの枠が、一つ埋まった。
その下には、まだ二つの名前。
【ヴァイス 対 ユズリハ】
俺は、通路のほうを見た。
白い背中は、もうなかった。
さっきまで隣にいた場所が、空いている。
「……次、ヴァイスさんですね」
ロックも、そちらを見た。
速い脚。
鋭い牙。
予選では、隣で何度も助けられた。
今度の相手は、糸を張る蜘蛛。
イトの糸へ足を取られた魔物を、俺は何度も見てきた。
速く走るほど、気づいたときには遅い。
ヴァイスも、分かっているはずだ。
俺は、配信のコメントへ目を向けた。
〈次も面白そう〉
〈狼対蜘蛛か〉
〈修羅も準備そろそろじゃない?〉
その文字を読んだところで、通知が浮かんだ。
【第五試合・出場選手へ】
【第四試合開始後、準備エリアへ移動してください】
「……はい。そろそろですね」
俺は、大戦斧へ手を伸ばした。
握った柄が、いつもより少し硬く感じる。
ロックが、こちらを見る。
「緊張してます?」
「……してます」
正直に答えた。
ロックは、少しだけ黙った。
それから、自分の盾へ手を置く。
「俺も、しました」
それだけだった。
でも、少し息がしやすくなった。
舞台へ続く扉が、開く。
白い狼が、静かに歩き出した。
俺は立ち上がり、手すりの向こうへ顔を向けた。
「……見てますよ」
自分も、もうすぐそこへ行く。
だから、最後まで見ておきたかった。




