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8話 糸這いダンジョン

●主人公視点


 はい。糸を持って帰ってきた修羅です。


 足は二本とも無事。


 牙短剣も二本とも無事。


 一回、靴ごと蜘蛛に持っていかれそうになりましたが、結果としては問題なしです。


「問題あっただろ」


 隣でガドが言った。


「……ありましたね」


〈ガドが正しい〉

〈助けてもらったところ忘れるなw〉


 工房の台へ、巻き取った糸を置く。


 職人は手を止め、糸の端をつまんだ。


 引っ張る。


 指の間でこする。


 それから、ガドを見た。


「使えるな」


 俺は思わず笑った。


 やっと、材料に合格が出た。


「これで、袋作れます?」


「皮は?」


「……あ」


 そうだった。


 糸だけでは袋にならない。


 昨日、持ってきた分は胴当てと靴の代金まで含めて使っている。


〈布の部分がない〉

〈紐だけで帰ってきた男〉


「分かってます。今、思い出しただけです」


 俺はガドを見る。


 ガドは何も言わなかった。


 その顔が一番つらい。


     ◇


 というわけで、もう一匹。


 岩背猪を狩ってきました。


 場所も動きも分かっているので、最初ほど苦労はしなかった。


 ただ、今回は倒すこと以外にも気を使った。


 なるべく、皮を傷つけない。


 剥ぐときも、短剣を深く入れすぎない。


 これが難しい。


「……倒すより、こっちのほうが時間かかってません?」


〈前よりきれい〉

〈職人さんに見せよう〉


 工房へ戻り、台へ広げる。


 職人が皮を見た。


「前よりましだ」


「ありがとうございます!」


〈褒め言葉に弱くなってる〉


 職人は、置いてあった糸と皮を手元へ寄せた。


「すぐにはできんぞ。そっちで座ってろ」


「見ててもいいですか?」


「邪魔するなよ」


 俺は台の端へ回った。


 切り分けられた皮。


 穴を開ける道具。


 そこへ、細く整えられた糸が通されていく。


 職人の手は速かった。


 でも、雑ではない。


 力のかかりそうな場所は、何度も縫う。肩紐の付け根には、別の革まで重ねていた。


「ここ、厚くするんですね」


「お前、また肉を詰めるだろ」


「……はい」


「なら、ここが先に切れる」


 なるほど。


 形だけ袋になればいいわけではないらしい。


 俺は口を閉じ、しばらく手元を見ていた。


     ◇


「背負ってみろ」


 渡された袋は、思っていたよりしっかりしていた。


 口を紐で絞る形で、肩紐は二本。


 背負うと、小鬼の背中にちょうど収まる。


 俺は少し歩いた。


 しゃがむ。


 腕を回す。


 短剣を抜く動きも、邪魔されない。


「……おぉ」


〈背負い袋だ〉

〈装備増えたな〉


「両手が空いてるんですよ」


〈そういうものだからなw〉


 昨日まで、荷物を持つたびに片手がふさがっていた。


 戦うなら置かなきゃいけない。


 そのまま走ると、素材を落としそうになる。


 今は違う。


 俺は両手を開いて、閉じた。


 何も持っていないのに、妙にうれしかった。


【背中:岩背猪の革袋】


「ありがとうございます。大事に使います」


「濡れたものを、そのまま入れるなよ」


「はい」


「刃物も、むき出しで入れるな」


「……はい」


 危なかった。


 石の刃を、そのまま入れるところだった。


     ◇


 袋ができた。


 なら、次は中身だ。


 水を入れるための竹筒を、余った糸の一部と交換してもらう。


 焼いた肉は葉で包んだ。


 火を持っていく方法を相談すると、ガドが集落の道具置き場から松明を二本持ってきた。


「戻ったら、薪を集めて返せ」


「借り物なんですね」


「そうだ」


「燃やしていい借り物って、初めてかもしれない」


〈労働で返す〉

〈帰ってからの仕事もできた〉


 俺は袋へ荷物を収めた。


 全部入る。


 余裕まである。


 ……もっと詰めたくなるけど、今日はやめておこう。


 職人の前で壊すのは、さすがに嫌だ。


「ガド。あの入口、行くんですよね?」


「お前が行きたいと言ったんだろ」


「はい」


 ガドは槍の穂先を確かめていた。


 昨日より、丁寧に。


「中へ入っても、今日は奥まで行くとは決めるな」


 俺はうなずいた。


「戻る道を残す。荷が多くなったら戻る。俺が戻れと言ったら、戻れ」


「……分かりました」


〈頼れる〉

〈帰る判断大事〉


「今日はちゃんと、俺も見ますよ」


 自分のスキル欄を開く。


〈索敵 Lv.1〉


 帰り道で覚えたばかりの、新しいスキル。


 これがあれば全部分かる、とは思っていない。


 ただ、昨日よりは気づけるはずだ。


     ◇


 西の森は、相変わらず静かだった。


 ガドの歩いた場所を、少し間を空けて進む。


 足元。


 木の間。


 頭の上。


 視線を順番に動かす。


 ときどき、葉の擦れる音へ意識が引かれた。


 見ても何もいないこともある。


 枝の向こうで、蜘蛛の脚が動いたこともあった。


 そのたび、ガドへ伝える。


 通れるなら避ける。


 近づいてくる相手だけ、二人で追い払う。


 やがて、木々の向こうに石の柱が見えた。


「あった……」


 昨日、引き返した場所だ。


 近くまで来ると、入口は思っていたより大きかった。


 小鬼二人が並んでも、まだ余裕がある。


 崩れた石段。


 欠けた柱。


 その間に、幾重もの糸。


 奥から、冷たい空気が流れてきた。


〈雰囲気あるな〉

〈暗い〉

〈ここが最初のダンジョンか〉


「……まだ、そうとは限らないですけどね」


 言いながら、少し期待していた。


 自分の拠点。


 素材を置く場所。


 焚き火を置いて、座って、荷物を広げられる場所。


 ただ、そのためには、今ここに住んでいるものを何とかしなきゃいけない。


 入口の糸を見て、俺は短剣を抜いた。


「切りますか?」


「端からな。奥を見たまま切れ」


 ガドが槍を構える。


 俺は柱の近くへ寄り、糸の一本に刃を当てた。


 引き切る。


 ぷつ、と切れた糸が跳ねる。


 残った糸へ振動が伝わった。


 二人とも動かなかった。


 しばらくして、奥で小さな音がした。


 かつ。


 かつ、かつ。


 俺は短剣を構え直す。


 暗がりから、脚が一本のぞいた。


 次に、もう一本。


 森で倒したものより小さな蜘蛛が、床を這って出てきた。


「来ました」


「入口でやるぞ」


 ガドが前へ出る。


 槍先が、蜘蛛の進路をふさいだ。


 蜘蛛が横へ逃げる。


 俺のいる側へ。


「っ!」


 脚先を避け、体の横へ短剣を入れる。


 抜いて、離れる。


 追ってきたところを、ガドの槍が止めた。


 俺はもう一度、側面へ回った。


 昨日より、二人の距離が分かる。


 槍の前へ出ない。


 ガドが引いたら、俺も引く。


 何度か攻撃を重ねると、蜘蛛は動かなくなった。


【経験値を獲得しました】


 俺は息を吐いた。


「……入口から、お出迎えですね」


〈歓迎されてる?〉


「たぶん、逆です」


 しばらく待ったが、次は来なかった。


 残った糸を少しずつ切り、通れる幅を作る。


 ガドが入口の内側を調べている間に、俺は松明を取り出した。


 火を移す。


 揺れる明かりが、石の壁を照らした。


 柱だけではない。


 中にも、積まれた石が続いている。


 床には割れた板のようなものがあり、壁際に糸と枯れ葉がたまっていた。


 ガドが槍の柄で、足元を軽くたたく。


 確かめてから、一歩進んだ。


 俺も続く。


 石段を越えた、そのときだった。


【ダンジョン〈糸這いの廃坑〉に進入しました】


 目の前に文字が浮かんだ。


「……出た」


〈ダンジョンだ!〉

〈廃坑か〉


「糸這いの廃坑、だそうです」


 俺は表示を消した。


 胸が少しだけ高鳴っている。


 ようやく、入った。


 遠くから眺めるだけだった入口の、内側へ。


 ガドが振り返った。


「どうした」


「いえ。ちょっと、うれしくて」


「喜ぶのは帰ってからにしろ」


「……はい」


 もっともだ。


 俺は明かりを壁へ向けた。


 古い木の支柱。


 床に続く浅い溝。


 その先で、通路が二つに分かれている。


 片方は、白い糸で覆われていた。


 もう片方には、何かを引きずったような跡がある。


 どちらも、奥は見えない。


 俺は目を細め、音を聞いた。


 水が落ちる音。


 火がはぜる音。


 それに混じって――。


「……左。何か動いてます」


 ガドが、ゆっくり槍を向けた。


 糸の奥で、細い脚が石を踏む。


 俺は松明を入口近くの石の隙間へ差し、二本目の短剣を抜いた。


「皆さん。ここからは、返事少なくなるかもしれません」


〈了解〉

〈集中して〉

〈帰ってこいよ〉


「もちろん」


 両足の位置を確かめる。


 背負い袋の紐は、緩んでいない。


 腕も動く。


 刃も、まだ欠けていない。


 俺は短剣を構えた。


「まず、一匹ずついきましょう」


●主人公視点


「まず、一匹ずついきましょう」


 そう言った直後。


 暗がりから、脚が二本見えた。


 四本。


 八本。


 その後ろから、さらに八本。


「……二匹ですね」


〈言ったそばから〉

〈一匹ずつとは〉


「希望を述べただけです」


 俺は短剣を構えたまま、一歩下がった。


 入口は、すぐ後ろ。


 逃げるなら今だ。


 ただ、こっちにはガドがいる。通路も狭い。


 横から囲まれないなら、まだやれる。


「右を止める」


 ガドが言った。


「俺、左ですね」


「ああ。奥へ追うなよ」


 先頭の蜘蛛が、松明の明かりへ入ってきた。


 床を低く這っている。


 後ろの一匹は――壁へ登った。


「……壁も使うか」


 森では木。


 中では壁。


 足場が違うだけで、やることは同じらしい。


 ガドの槍が、壁へ向いた。


 俺は床の一匹を見る。


 前脚が持ち上がる。


 飛びかかる、その瞬間。


 俺は体を斜めに逃がし、伸びた脚の付け根へ右の短剣を突き入れた。


 抜く。


 左で、もう一本の脚を払う。


 蜘蛛の体が傾いた。


「っ!」


 後ろへ追いかけず、その場で膝を落とす。


 低くなった胴体へ、刃を入れた。


 硬いところに当たる。


 無理に押さず、少しずらす。


 今度は通った。


 横では、ガドの槍が石を擦っていた。


 壁から落とされた蜘蛛が、床で脚をばたつかせる。


「こっちは持つ!」


「はい!」


 俺は目の前へ集中した。


 牙が動く。


 半歩引く。


 脚が伸びる。


 さらに横へ。


 体勢が崩れたところへ短剣を差し込み、すぐに離れた。


【経験値を獲得しました】


 表示が出る。


 ガドのほうを見ると、槍で蜘蛛を床へ押さえていた。


 俺は背後から近づかず、ガドに顔を見せてから横へ回る。


「入ります」


 ガドがうなずく。


 押さえられた脚を避け、短剣を突き込んだ。


     ◇


「……最初から忙しいですね」


 蜘蛛が動かなくなってから、ようやく言えた。


 俺は松明を取り、通路へ明かりを向ける。


 左の道は糸が多い。


 右には、床に二本の浅い溝が続いていた。


 昔、荷車でも通っていたのだろうか。


「右から見る」


 ガドが先へ進む。


 俺は入口側の壁に、小さく矢印を刻んだ。


 戻る方向へ向けて。


〈目印大事〉

〈地図は?〉


「開いた部分は見られますけど、戦いながら毎回開くのも怖いので」


 自分の目でも分かるようにしておく。


 さっきの森で、見ていたつもりでも糸を踏んだ。


 分かっていることを増やしておかないと、落ち着かない。


 奥へ進むと、小さな部屋に出た。


 壊れた箱。


 錆びた道具。


 壁際には、崩れた棚がある。


「……お宝?」


〈宝箱ある?〉

〈何か残ってそう〉


 俺は箱へ手を伸ばしかけた。


 止める。


 箱の角から、壁へ一本の糸が伸びていた。


「ガド。これ」


「ああ」


 ガドが槍の柄で、箱の横を軽く押した。


 糸が揺れる。


 棚の裏で、脚が動いた。


「……箱まで罠にするなよ」


〈触らなくてよかった〉


 蜘蛛を通路へ誘い出し、二人で倒す。


 それから箱を開いた。


 中身は、ぼろぼろの布切れだけだった。


「……はい」


〈お宝〉

〈貴重な布だぞ〉


「持って帰りますけど」


 乾いていて、まだ使えそうな部分を選ぶ。


 新しい袋へ入れた。


 袋の初仕事が、古布回収になった。


     ◇


 部屋の奥には、板が一枚、斜めに倒れていた。


 泥を払うと、何か書いてある。


 古い文字だったが、見つめていると意味が分かった。


 これもゲームの補助だろうか。


「坑内案内……?」


 板には、簡単な図が刻まれていた。


 入口から通路。


 その先に階段。


 さらに、その下へもう一つ。


 俺は指でたどった。


「第一坑道、第二坑道……第三坑道」


〈三階層?〉

〈思ったよりある〉


「みたいですね。図が残ってる範囲では」


 三階層。


 入口で蜘蛛を二匹倒して、ちょっと進んだ気になっていた。


 まだ、一階層目の途中らしい。


「……家にするには広いな」


「誰の家だ」


 ガドがこちらを見た。


「いえ。将来的な話です」


 板をもう一度見る。


 第一坑道は横へ広い。


 第二坑道には枝分かれが多く、第三坑道は大きな空間が一つ描かれていた。


 ただ、欠けたところもある。


 このとおりに歩けるとは限らない。


 俺は図を配信にも映し、形を覚えた。


「とりあえず、一階を見ましょう」


     ◇


 第一坑道では、入口近くと同じくらいの蜘蛛が出た。


 でも、楽にはならなかった。


 一匹を見つけても、その後ろにもう一匹いる。


 糸を切ると、別の通路から出てくる。


 倒した後に壁を見上げると、そこにも脚。


「……数、いますね」


 俺は竹筒の水を飲んだ。


 少しずつ。


 休める場所を見つけたら、ちゃんと休む。


 ガドも槍先を拭いていた。


「刃は?」


 聞かれ、短剣を見る。


 先端は無事。


 けれど、右の刃に小さな欠けができていた。


「まだ使えます。ただ、右がちょっと」


「硬いところに当てすぎるな」


「……気をつけます」


 肉を一切れ食べる。


 袋の中には、まだ食料も水もある。


 それだけで、もう少し進める気がした。


 荷物を準備するって、大事なんだな。


〈遠足みたいだったのに、全部役立ってる〉

〈袋作ってよかったな〉


「本当に」


 俺は肩紐を持ち直した。


     ◇


 下り階段は、最初の分岐から大きく回り込んだ先にあった。


 段の端が欠けていて、壁には糸が垂れている。


 ガドが明かりを下へ向けた。


 動くものは見えない。


 けれど、音はする。


 石を掻く、小さな音。


「……下にもいますね」


「ああ」


「一度、上から見ます?」


 ガドは俺の顔を見てから、階段へ視線を戻した。


「降り口を確かめるだけだ」


 俺はうなずいた。


 壁へ目印を残す。


 一段ずつ、足を置いた。


【第二階層に進入しました】


 空気が湿っていた。


 松明の明かりを受けて、床が光る。


 水かと思った。


 違う。


 糸だ。


 地面近くを、何本も走っている。


「……うわ」


 通れそうな場所を探す。


 右端に、狭い隙間。


 その先には、水の流れる浅い溝があった。


 奥から、脚音が近づく。


 一階より、重い。


 俺は短剣を抜き、ガドの横へ立った。


「来ます」


 現れた蜘蛛は、脚が太かった。


 胴体にも、硬そうな節がある。


 名前は分からない。


 レベルも分からない。


 ただ、入口のやつとは違う。


 蜘蛛が腹を持ち上げた。


「横だ!」


 ガドが俺の肩を押した。


 白い塊が飛んできた。


 さっきまで俺が立っていた壁へ、べたりと張りつく。


「……飛ばすの!?」


〈糸吐いた〉

〈遠距離あるのか〉


 壁から糸が垂れていた。


 あれが腕についたら、短剣を振れなくなる。


 俺は柱の陰へ下がった。


 ガドも反対側へ動く。


 蜘蛛の頭が、二人の間で揺れた。


「俺を見たら、お前が出ろ」


「分かりました」


 ガドが槍先を出す。


 蜘蛛の腹が動く。


 俺は待った。


 白い糸が、ガドの隠れた柱へ飛ぶ。


 その直後に、踏み込んだ。


 床の糸をまたぐ。


 あと二歩。


 蜘蛛が向き直る前に、前脚の付け根へ刃を入れた。


 浅い。


 相手の脚が、俺の胸へ当たった。


「ぐっ!」


 胴当てが鳴る。


 体が押し戻された。


 痛い。


 でも、動ける。


 俺は倒れる前に足をつき、すぐ下がった。


「修羅!」


「大丈夫です!」


 HPは減っている。


 ただ、傷口はない。


 俺は一瞬、胴当てを見た。


 硬い皮に、白い擦り傷がついていた。


 ……作ってもらってよかった。


 ガドの槍が、蜘蛛を近づけさせない。


 俺は右の短剣を握り直した。


 狙う場所を、もっと絞る。


 糸を吐かせる。


 出る。


 一撃だけ入れて、戻る。


 次は、ガドが刺す。


 相手がどちらかを追えば、もう片方が動く。


 何度目かの攻撃で、太い脚が折れた。


 蜘蛛の体が下がる。


 ガドが槍で押さえ、俺は横から刃を入れた。


【経験値を獲得しました】


 俺は柱へ背中を預けた。


「……こっちは、面倒ですね」


 壁の糸を見る。


 まだ、べったりついている。


「ガド、あれって採れます?」


「欲しいなら、自分で剥がせ」


「……今はいいです」


〈珍しく諦めた〉


「袋の中身、全部くっつきそうなので」


     ◇


 第二階層の奥へは、時間をかけて進んだ。


 糸を吐く蜘蛛を見つけたら、隠れられる場所を先に探す。


 なければ、引き返して待つ。


 焦って追わない。


 途中、崩れて通れない道もあった。


 古い案内図に描かれていた通路が、全部使えるわけではないらしい。


 その代わり、壁際の箱から小さな金属の留め具が見つかった。


 錆びているが、壊れてはいない。


「こういうの、職人さん使うかな」


「持って帰れば分かる」


 俺は袋へ入れた。


 倒した魔物の素材。


 使えそうな古い道具。


 少しずつ、袋が重くなっていく。


 ここで暮らしていた誰かの跡を拾いながら、今は蜘蛛の住処になった道を進む。


 そう思うと、周りの見え方が少し変わった。


 削られた壁も。


 積み上がった石も。


 全部、最初から迷路として作られたわけじゃないんだな。


 やがて、さらに下へ続く階段が見つかった。


「……三階」


 口にすると、ガドが立ち止まった。


 俺たちは、その場で装備を確かめた。


 松明は、予備の二本目。


 水は半分ほど。


 食料は残っている。


 ただ、俺の短剣もガドの槍も、最初と同じ状態ではない。


「下の様子だけ見る。戦うとは決めるな」


 ガドが言った。


 俺はうなずく。


 階段の上から、耳を澄ませた。


 何かが擦れている。


 脚音だけじゃない。


 もっと大きなものが、ゆっくり動く音だった。


     ◇


【第三階層に進入しました】


 階段の先は、短い通路だった。


 突き当たりに、広い空間がある。


 明かりを近づけると、白い糸が何層にも重なっていた。


 床。


 壁。


 天井。


 そのすべてに、糸が張られている。


 俺たちは通路の陰から、中をのぞいた。


「……あれは」


 奥に、蜘蛛がいた。


 さっきまでのやつより、ずっと大きい。


 脚の一本が、俺の身長より長い。


 腹には白い模様があり、下には丸い塊がいくつも並んでいた。


 卵だろうか。


 その近くを、小さな蜘蛛が動いている。


〈ボス?〉

〈でかすぎ〉

〈子供までいるのか〉


 俺は返事をしなかった。


 大蜘蛛が脚を動かす。


 糸が揺れる。


 部屋のあちこちで、小さな蜘蛛が向きを変えた。


 ……全部、つながっている。


 一本踏めば、あいつにも分かるのかもしれない。


 俺は明かりを少し引いた。


 巨大な腹の向こう。


 糸の隙間から、赤い光が見えた。


 石の台のようなものに、何かが浮いている。


 一定の間隔で、明るくなって、暗くなる。


 心臓みたいに。


 核。


 そう思った。


 まだ、表示で確かめたわけじゃない。


 でも、あれを手に入れれば。


 俺は短剣の柄を握った。


 ガドの手が、腕に触れた。


「戻るぞ」


 声は小さかった。


 俺は大蜘蛛を見る。


 その足元を見る。


 天井を見る。


 糸の位置も、逃げる道も、まだ分からない。


 そのうえ、明かりは残り一本。


 俺はゆっくりうなずいた。


「……はい」


〈帰ろう〉

〈場所分かっただけでも十分〉


 一歩下がる。


 石を蹴らないように。


 糸へ触れないように。


 大蜘蛛の脚が、一本だけ持ち上がった。


 俺は息を止めた。


 脚は、近くの小蜘蛛を避けて置き直された。


 こちらへは向かない。


 ガドが先に階段へ戻る。


 俺も、その後を追った。


     ◇


 一階層目へ戻るころには、肩紐が食い込んでいた。


 外の明かりが見えたとき、思ったよりほっとした。


 入口を抜ける。


 風が顔に当たる。


「……帰ってきたぁ」


〈おかえり〉

〈お疲れ!〉

〈三階層、長かったな〉


 俺は入口から少し離れ、袋を下ろした。


 どさ、と重い音がする。


 糸。


 素材。


 古布。


 留め具。


 ちゃんと、持ち帰れた。


「今日は、下見です」


〈急に言い訳っぽい〉


「大事な下見です。奥まで分かりましたから」


 ガドが隣へ座った。


 槍を膝に置き、穂先の傷を見る。


「次も行くのか」


「……行きたいです」


「なら、あいつをどう動かすか考えろ。正面から入れば、糸の上で囲まれる」


 俺はうなずいた。


 巨大な蜘蛛。


 周りの小蜘蛛。


 床と天井をつなぐ、何本もの糸。


 強そうだった。


 今の装備で、そのまま戦って勝てる気はしない。


 でも、姿は見た。


 部屋も見た。


 考える材料はある。


 俺は配信のほうへ顔を向けた。


「皆さん。集落に戻ったら、今日の映像、見直しません?」


〈作戦会議か〉

〈付き合う〉

〈まず飯食え〉


「……それもですね」


 葉に包んだ肉を取り出す。


 もう、冷めていた。


 かじりながら、俺は廃坑の入口を見上げた。


 三階層。


 一階は、越えた。


 二階も、通れた。


 残っているのは、一番奥。


「次は、あそこまで荷物を取りに行くだけじゃないですよ」


 短剣の柄へ目を落とす。


「主に、挑みに行きましょう」


 隣でガドが、短く鼻を鳴らした。


「先に薪を集めろ。松明の分だ」


「……はい」


〈まず返済〉

〈冒険から生活に戻されたw〉


 俺は肉を飲み込み、立ち上がった。


 作戦会議の前に、仕事が一つ残っていた。



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