16話 初ハチミツ
●主人公視点
はい。
今日も、家の中を見回っている修羅でーす。
まずは、薬草の部屋。
……と言いたいところですが、今日は入口から覗くだけにしておきます。
リィナが、作業中なので。
「おはようございます。何か、運ぶものあります?」
声をかけると、作業台の前から顔が上がった。
机の上には、薬草と、小さな器。
それから、びっしり文字の書かれた紙。
「おはようございます。今は大丈夫です。あとで、水の容器を入れ替えるときにお願いしてもいいですか?」
「了解です。呼んでください」
俺は部屋の奥を見る。
最初に作ったポーションは、日付の札と一緒に置いてある。
その隣に、別の瓶が一本増えていた。
まだ、鑑定で性能が上がったわけではないらしい。
ただ、前に作ったときより、途中で迷うところは減ったそうだ。
リィナは、次に変えるところを考えている。
俺が横から「あれも試したら」と言い始めると、たぶん邪魔になる。
なので。
「今日は、蜂のほうを見てきます」
「はい。お願いします」
返事をもらい、俺は扉を閉めた。
〈家主、今日は口を出さなかった〉
〈任せられるようになったな〉
〈研究室に用もなく入り浸る人にならなくてよかった〉
「俺、そこまで邪魔しませんよ」
言いながら、少し考える。
昨日は、何回見に行ったっけ。
……二回。
いや、水を運んだときも入ったから、三回か。
「なるべく、邪魔しません」
〈言い直したw〉
〈正直でよろしい〉
俺は、養蜂室へ向かった。
◇
蜂の世話を始めてから、少し日が経った。
毎日、巣箱を開けているわけではない。
むしろ、開けない日のほうが多い。
外へ出ていく数。
戻ってくる様子。
部屋の温度。
出入り口の周り。
そういうところを見て、記録する。
点検が必要なときは、エダさんへ相談する。
分からないまま手を出して、群れを落ち着かなくさせたくはない。
「今日も、まず外からですね」
〈蜂蜜、まだかな〉
〈気持ちは分かるけど待とう〉
〈昨日は結構出入りしてたよな〉
「ですね。戻ってくるやつも、よく見えました」
俺は、養蜂室の手前で止まった。
一つ目の扉を閉める。
防護具を確かめる。
袖口。
手袋。
頭を覆う網。
慣れてきたからといって、省かない。
俺の横では、イトが小さな椅子へ座っていた。
今日は、養蜂室の中までは入らない。
巣箱を開けない日でも、狭い場所へ全員で入る必要はないからだ。
「ちょっと、見てくる」
「うん」
イトが手を上げる。
俺も軽く返し、次の扉を開けた。
低い羽音が、耳に入ってくる。
いつもの音。
……の、はずだった。
「ん?」
俺は、入口で足を止めた。
巣箱の前に、蜂がいる。
一匹、二匹。
外へ通じる穴の近くにも、何匹か。
飛んで、戻る。
また、飛ぶ。
壁へ止まる。
その動きが、何となく気になった。
〈どうした?〉
〈蜂、いつもより多い?〉
「……ちょっと、落ち着いてない気がします」
契約の状態を確認する。
強い危険を知らせるような感覚はない。
怒っている、というのとも違う。
でも。
何かが、引っかかる。
そんな感じだった。
◇
俺は巣箱へ近づかなかった。
まず、扉のそばから見る。
蜂が一匹、外へ向かう。
穴へ入る。
少しして、戻ってきた。
別の一匹も同じように動く。
出られないわけではない。
そのまま外へ抜けたやつもいる。
ただ、すんなりとはいっていない。
「……あそこかな」
〈出入り口?〉
〈外に何かいるんじゃない?〉
〈巣を狙う魔物とか〉
「その可能性もありますね。中は、今のところ触らないでおきます」
俺は一度、部屋を出た。
扉を閉める。
もう一つの扉も、順番に。
イトが顔を上げた。
「はち?」
「ちょっと、いつもと違う。外を見てくる」
防護具は、そのまま。
斧は、養蜂室へ持ち込んでいない。
俺は通路の端へ置いてあるものを手に取り、外へ出た。
ダンジョンの入口から、岩壁に沿って回る。
蜂用の出入り口は、搬入路とも、魔物を誘い込む場所とも離してある。
その近くまで来て、ようやく分かった。
「あぁ……」
庇の下。
穴の縁に、枯れ葉が引っかかっていた。
それを留めるように、細い枝が一本。
完全に塞いでいるわけではない。
でも、入口が狭くなっている。
しかも、風が吹くと、葉が揺れて穴へかぶさる。
〈それか〉
〈昨日、風強かったもんな〉
〈通れるけど邪魔なやつだ〉
俺は、少し離れて立った。
蜂が戻ってくる。
穴の前で、一度止まる。
枯れ葉の隙間を探すように動いてから、中へ入った。
「……通りにくいんだな」
言葉にすると、さっきの感覚と重なった。
怒っているのではない。
俺を追い払おうとしているわけでもない。
ただ、いつもの道が使いにくい。
それを、巣の中でも感じていたのかもしれない。
◇
いきなり手を突っ込むのは、やめた。
蜂が通っている場所だ。
枝を乱暴に引けば、出てきた蜂を挟んでしまうかもしれない。
俺はしばらく待った。
出入りの切れ目を見る。
それから、穴の外側へ伸びていた枝の先を、そっとつまむ。
「……ちょっと、取りますよ」
蜂に言っても、分かるとは限らない。
でも、何となく声が出た。
枝を、ゆっくり横へ動かす。
葉が揺れる。
一匹が近づいてきたので、手を止めた。
通り過ぎる。
もう一度。
今度は、枯れ葉も一緒に外れた。
ぱら、と。
小さな欠片が落ちる。
俺は枝を持ったまま、穴から離れた。
蜂が出てきた。
途中で引き返さず、そのまま外へ飛ぶ。
続いて、もう一匹。
戻ってきたやつも、すぐに穴へ入っていった。
「……うん」
〈通った〉
〈スムーズになったな〉
〈家主、修繕完了〉
俺は手の中の枝を見る。
こんなものでも、蜂にとっては大きな障害になる。
俺なら、またいで終わりだ。
でも、向こうは違う。
通れるから大丈夫。
そう決めつけたら、気づかなかったかもしれない。
俺は枝と葉を、道の邪魔にならないところへ片づけた。
◇
養蜂室へ戻る。
また、扉を一つずつ。
中へ入ると、羽音は続いていた。
さっきと、全く同じ音ではない。
……ような気がする。
いや、音の違いだけではなかった。
契約を通じて、伝わってくるもの。
引っかかっていた感覚が、弱くなっている。
重たいものが、すっと外れたような。
俺は巣箱を見る。
「通りやすくなったか?」
その瞬間だった。
胸の奥へ、ふっと、何かが届いた。
声ではない。
耳で聞いたわけでもない。
でも、さっきまで曖昧だったものが、少しだけ形になった。
通れる。
戻れる。
落ち着く。
「……え?」
俺は、その場で止まった。
目の前へ、文字が浮かぶ。
【スキル〈意思疎通Lv.1〉を取得しました】
俺は表示を見る。
巣箱を見る。
もう一度、表示を見る。
「……意思疎通?」
〈え?〉
〈スキル?〉
〈何取った!?〉
〈今、通知出た?〉
俺は、ゆっくり説明を開いた。
【意思疎通Lv.1】
【交流のある動物・魔獣の感情や、単純な意思を感じ取りやすくなる】
【関係性や相手の状態により、伝わる内容は異なる】
「……話せる、ってことですかね」
そう言ってから、首を振る。
違う。
今のは、人が話す声ではなかった。
女王が口を開いて、何かを言ったわけでもない。
俺の頭の中へ、きれいな文章が流れたわけでもない。
ただ。
何を嫌がっていて。
今、どうなったのか。
それが、さっきより少し分かった。
「いや。話せるというより……気持ちが、分かる?」
〈すごいの取ったな〉
〈従属契約の効果じゃなくて、別のスキルか〉
〈蜂と会話できるようになった?〉
〈ついに住民の要望を直接聞ける家主〉
「要望は、できれば直せるうちに聞きたいですねぇ」
俺は巣箱から少し離れた場所へしゃがんだ。
急に、近づきすぎない。
取れたからといって、何でも分かるつもりになってはいけない。
「……邪魔だったんだな。気づくの遅くて、悪かった」
言葉が、どこまで伝わったかは分からない。
でも、巣箱から伝わってくる感覚は、穏やかだった。
それが、少しだけ嬉しかった。
◇
部屋を出ると、イトが立ち上がった。
俺の顔を見る。
「だいじょうぶ?」
「あぁ。出入り口に、葉っぱが引っかかってた。取ったら、落ち着いたみたいだ」
そう答える。
それから、スキルの表示を見た。
「あと、何か覚えた」
イトが首を傾ける。
俺も、少し困った。
どう説明すればいいんだろう。
「蜂が、通りにくいのを嫌がってたのが……少し分かるようになった、みたいな」
イトは俺を見る。
養蜂室の扉を見る。
それから、小さくうなずいた。
「はち、よかった」
「あぁ。よかった」
〈イトのまとめが一番分かりやすい〉
〈大事なのそこだな〉
〈蜂の困り事が解決した〉
俺は防護具を外した。
食堂へ戻ると、リィナも記録の手を止めた。
事情を説明する。
出入り口。
枯れ葉。
女王から伝わってきたもの。
そして、スキル。
「……そんなことも、できるんですね」
「俺も、びっくりしてます」
「では、これからは、蜂が困っていることも分かりやすくなるんでしょうか」
「そうだと、助かるんですけどね。ただ、全部分かるわけではなさそうです」
俺は説明をもう一度見た。
相手との関係。
状態。
そういうものでも、変わるらしい。
野生の魔物へ声をかけたら、突然仲間になる。
そんな話ではなかった。
「命令する能力でもないんですね。そこは、従属契約とは別みたいです」
〈なるほど〉
〈分かるだけで、従ってくれるわけじゃないのか〉
〈初対面の熊とも仲良くなれるスキルではなかった〉
「そのつもりで近づいたら、普通に殴られると思います」
俺は、あの熊の前脚を思い出した。
分かる気がする。
怒っている。
……分かったところで、避けないと死ぬ。
そういうことだろう。
◇
その日は、スキルを覚えたからといって、何度も巣へ入らなかった。
俺が面白がって出入りを繰り返したら、向こうも落ち着かない。
記録へ、起きたことを書いておく。
外側の出入り口も、確認する項目へ加えた。
今までも見ていたが、見る場所が少し変わった。
穴が開いているか。
それだけではなく、実際に蜂が通れているか。
「……見てるつもりでも、気づかないものですね」
〈今回は気づけたからいい〉
〈習慣にしていこう〉
〈スキル取るためじゃなく世話してたら取れたの、いいな〉
俺も、それは思った。
狙って取ったわけではない。
何か、いつもと違った。
だから、見た。
分からないから、探した。
その結果、少し分かることが増えた。
使い続けるなら、そういう感じでいいのかもしれない。
俺はエダさんへ、連絡を送っておいた。
実際に見つけた異変と、対処したこと。
そのあと、女王から感じた変化。
スキルの説明も、簡単に添える。
すぐに返事が来るとは限らないので、今日はそれで終わりだ。
「次の点検のときに、相談してみましょう」
俺は画面を閉じた。
◇
翌日の配信では、迎撃室の猪へ話しかけてみた。
こちらも、ずっと一緒にいる相手だ。
世話をし、指示を出し、何度も戦ってもらっている。
ただ、蜂のときと同じように分かるかは、まだ知らない。
「……どうだ?」
鼻先へ手を出しすぎない距離で、しゃがむ。
猪が、こちらを見る。
ぶふ、と鼻が鳴った。
そのあと、床へ鼻先を向ける。
「どうした?」
〈話しかけ方が雑w〉
〈何を聞きたいんだよ〉
〈とりあえず元気か聞こう〉
「元気ですか?」
猪が、俺の横を通った。
水のある場所へ向かう。
飲む。
戻る。
そして、横になった。
俺は、その動きを見ていた。
契約を通じた、いつもの指示の感覚。
そこへ、ごく薄く、別のものが混ざる。
休む。
静か。
……そんな感じ。
「今、休みたいのかな」
〈見れば分かるw〉
〈寝たからな〉
「そうなんですけど。何となく、そういうのも伝わってる気がします」
俺は猪へ手を伸ばし、背中を軽く撫でた。
目が、細くなる。
もう少し、肩のあたり。
そこで、さっきより分かりやすいものが返ってきた。
嫌ではない。
むしろ、いい。
「……ここ?」
もう一度、同じところを撫でる。
猪の体から、少し力が抜けた。
〈あっ〉
〈気持ちいいとこ見つけた?〉
〈便利なスキルの使い方が平和〉
俺は、少し笑った。
役に立つかと言われたら、役に立つ。
怪我を隠しているときや、無理をしているときに気づけるなら、かなり助かる。
でも、今、分かったのは。
「ここ、気持ちいいらしいです」
〈よかったな猪〉
〈戦闘報酬が肩もみ〉
〈もっとやってあげて〉
しばらく撫でてから、俺は手を止めた。
猪は、そのまま目を閉じていた。
分かったからといって、ずっと構い続ける必要もない。
「じゃあ、休んでてくれ」
小さく言って、俺は立ち上がった。
◇
それから、何日かが過ぎた。
平日は、短い配信。
薬草の様子を見て。
蜂の出入りを確かめて。
必要な荷物を運ぶ。
迎撃室を使う日もあれば、片づけだけの日もある。
〈意思疎通〉は、急に何でも分かるようになる能力ではなかった。
蜂の群れが静かだから、何も問題がないとは限らない。
何か気になる感じがしても、原因まで分かるわけではない。
外を見て。
巣箱の周囲を見て。
記録を比べる。
やることは、あまり変わらなかった。
ただ、見る前に気づけることが、少し増えた。
それが、ありがたかった。
ある日は、外から戻る蜂が少なかった。
少し気になって、外へ出た。
空が暗い。
風も、いつもより強い。
しばらくすると雨が降った。
「……今日は、無理して出ないほうがいいんですね」
〈蜂も天気見るんだな〉
〈修羅のところは屋根あってよかった〉
そんな日もあった。
別の日は、出入りが多かった。
脚に、黄色いものをつけて戻る蜂がいた。
巣の中へ、活気のようなものが伝わってくる。
俺は、それを見て記録した。
良さそう。
でも、何がどれだけ集まったかまでは、分からない。
スキルを覚えたことで、かえって、分からないところもはっきりした気がした。
◇
そして、次の点検の日。
エダさんは、予定していた商隊の荷馬車でやって来た。
前と同じく、見習いさんも一緒だ。
今日は天気がいい。
入口で挨拶すると、エダさんは俺の顔を見るなり言った。
「面白いものを覚えたそうだね」
「はい。ちょっとだけ、分かることが増えました」
「ちょっとだけ、と言えるなら上等だ」
俺は、少し笑う。
〈先生きた〉
〈報告回だ〉
〈新スキルの答え合わせ〉
中へ案内する前に、外の出入り口も見てもらった。
枝が引っかかっていた場所。
風が吹いた方向。
葉を取り除いたあと、蜂がどう動いたか。
エダさんは、俺の説明を聞きながら、庇と岩壁を確かめた。
「たまたま引っかかることはある。毎日、どこもかしこも塞ぐのが正解じゃないよ」
「はい。穴の周りを狭くしようとは思ってないです」
「それでいい。直すなら、何が原因だったか見てからだ」
見習いさんが、記録を取る。
俺も、横から覗いた。
蜂を飼い始めたら、壁の前で風の話をするようになった。
生活って、いろいろつながっているらしい。
◇
養蜂室へ入り、点検の準備をする。
いつもの確認。
防護具。
扉。
道具。
俺は巣箱の前へ立つ前に、女王とのつながりへ意識を向けた。
落ち着いている。
ただ、俺たちが来たことには、反応している気がする。
「……今から、見てもらいます」
声に出した。
それから、言葉だけではなく、静かに確かめたいのだと意識する。
巣を壊すつもりはない。
終わったら、閉じる。
どこまで伝わったかは分からない。
でも、強い拒否のようなものは感じなかった。
俺はエダさんを見る。
「今は、落ち着いてると思います」
「じゃあ、実際の動きも見ようか」
彼女は、いつもどおりだった。
スキルを覚えたからといって、手順は飛ばさない。
蓋が開く。
蜂が動く。
俺たちは、横から見る。
見習いさんが道具を渡す。
エダさんが、中の様子を確かめていった。
俺にも、前回と違うところを見せてくれる。
「ここは、前に見たときより進んでる」
「……あ。本当だ」
巣の形。
蜂が使っている場所。
俺には全部は分からないが、同じではなかった。
ここで、ちゃんと暮らしている。
あらためて、それが実感できた。
〈増えてる?〉
〈巣ができてきてるな〉
〈こんなに変わるんだ〉
エダさんが、しばらく黙る。
場所を変えて、もう一度確かめる。
俺は、何も聞かずに待った。
今日は、蜜はどうですか。
そう聞きたくなるのを、ちょっとだけ我慢した。
やがて、彼女が顔を上げる。
「……今回は、少し分けてもらえそうだね」
俺は、止まった。
「……蜜、ですか?」
「ほかに、何を分けてもらうんだい」
〈きた!?〉
〈ついに?〉
〈初収穫!〉
〈修羅の返事が遅れたw〉
俺は、巣箱を見る。
それから、エダさんを見る。
「取っても、大丈夫なんですか?」
食べたい。
それは、かなりある。
でも、前に言われたことは覚えている。
この群れが使うものが、先だ。
エダさんは、俺の顔を見てうなずいた。
「巣全体を見たうえで、残す分を確かめた。今回は、ほんの少し。売る量にはならないよ」
「……はい」
俺は、少し深く息を吐いた。
そのあとで、ようやく笑えた。
「お願いします」
◇
今日は、採蜜の道具も用意してあった。
ただ、使うかどうかは、点検してから決める。
事前に、そう聞いていた。
清潔な器。
小さな道具。
受けるための容器。
エダさんが置き場所を決める。
俺は、言われたものを渡す側に回った。
いきなり自分だけでやろうとは思わない。
蜂が動いている。
巣も、簡単には元へ戻らない。
最初は、ちゃんと見て覚える。
「ここへ、器を」
「はい」
「傾けないでね」
「はい」
〈返事がいい〉
〈今日、一番慎重〉
〈斧より器を持つほうが緊張してそう〉
実際、そうだ。
斧なら、自分がどれくらい動かせばいいか、ある程度分かる。
蜂蜜を受ける器は、まだ分からない。
余計に動かしたら、こぼすかもしれない。
俺は、両手を固定するようにして待った。
エダさんが、必要なところだけ扱う。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
やがて。
器の中へ、琥珀色のものが落ちた。
「……お」
声が、勝手に出た。
とろりと。
光を通しながら、底へ広がる。
量は、少ない。
鍋一杯どころか、小さな瓶を満たすほどでもない。
それでも。
俺は、目を離せなかった。
〈見えた〉
〈きれい〉
〈うちの蜂蜜だ!〉
〈ようやくだなぁ〉
「……うちで、採れたやつですね」
言ってから、少し変な気持ちになった。
俺が作ったわけではない。
花から集めてきたのは、蜂だ。
巣を造って、運んで、蓄えたのも。
俺は場所を用意して、世話を覚えている途中。
それでも、この家で採れたものだった。
エダさんが手を止める。
「今日は、ここまで」
俺はうなずく。
もっと欲しいとは、言わなかった。
器の底に溜まった分だけで、十分に嬉しかった。
◇
採り終わったあとは、片づけまで見せてもらった。
巣の状態を確かめる。
道具を戻す。
蓋を閉じる。
俺は、女王とのつながりを意識した。
さっきより、少しざわついていた。
当然だ。
巣を開けて、人が手を入れた。
穏やか。
何も気にしていない。
そういう都合のいい反応ではなかった。
「……今、ちょっと落ち着かない感じがします」
エダさんがうなずく。
「そうだろうね。だから、ここからは静かにしておく」
「はい」
「分かるようになったなら、分かったあとに、どうするかを考えるんだよ」
俺は、巣箱から離れた。
もっと話しかけてみたい。
今、何を感じているのか確かめたい。
でも、それは俺の都合だ。
今日は、必要なことをした。
終わったら、休んでもらう。
俺は小さく頭を下げた。
「少し、もらいます。ありがとうな」
返事は、分からなかった。
ただ、羽音が続いていた。
俺たちは、静かに部屋を出た。
◇
蜂蜜は、小さな瓶へ移された。
瓶の底から、少し上。
机へ置くと、随分と小さく見える。
これを目当てに、部屋を造った。
専門家に来てもらった。
道具もそろえた。
今日まで、毎日、様子を見てきた。
費用と量だけ比べたら、今は全然、見合っていないだろう。
でも。
「……きれいですねぇ」
俺は、そう言った。
〈分かる〉
〈量じゃないんだよな〉
〈最初の収穫だもんな〉
〈今日までの流れ見てると嬉しい〉
リィナも、作業を止めて来ていた。
瓶を手に取らず、少し屈んで見る。
「前にいただいたものより、色が薄いですね」
「あぁ。見比べると、違う」
以前、エダさんにもらった瓶も、少し残してある。
二つ並べる。
色が違う。
同じ名前の蜂なのに。
「集めた花も、場所も違うからね」
エダさんが言う。
「いつ採っても、同じになるとは限らない。だから、採れた日も残しておくんだ」
リィナが、すぐ札を用意した。
俺は、その横から瓶へ目を向ける。
鑑定。
文字が、浮かぶ。
【琥珀蜜蜂の蜂蜜】
【品質:並】
【用途:食材】
「……普通の品質、みたいです」
〈十分!〉
〈初めてで並なら上出来じゃない?〉
〈蜂が頑張った〉
俺は、うなずいた。
「そうですね。蜂が、頑張ってくれました」
俺の仕事は、これを変に傷めないことだ。
瓶を落とさない。
勝手に全部食べない。
保存の仕方も、ちゃんと聞く。
今日は、最後まで慎重にいこう。
◇
イトが、机の端から瓶を見ていた。
目が、動かない。
前に蜂蜜を食べたときのことは、覚えているらしい。
「……はちみつ?」
「あぁ。今日は、うちで採れたやつ」
イトが、瓶を見る。
俺を見る。
「うち?」
「そう。あの部屋の蜂たちが、集めたもの」
少し考える。
それから、養蜂室へ続く通路へ顔を向けた。
戻ってきて、もう一度瓶を見る。
「……すごい」
俺は笑った。
「すごいな」
見習いさんが、横で静かにうなずいていた。
エダさんは、その様子を見てから椅子を引く。
「じゃあ、少し味を見てみるかい」
俺は、顔を上げた。
「いいんですか?」
「そのためにも、分けてもらったんだろう?」
……確かに。
採れたことが嬉しくて、食べるところまで、一瞬忘れていた。
〈珍しい〉
〈修羅が食べるの忘れた〉
〈今日は相当嬉しかったんだな〉
「いや。今、ちゃんと思い出しました」
俺は立ち上がった。
「パン、持ってきます」
◇
大きなパンを、丸ごと持ってくるのはやめた。
蜂蜜が少ない。
たくさん塗れば、すぐなくなってしまう。
リィナに小さく切ってもらう。
器も、小さいもの。
人数分を並べた。
俺。
リィナ。
イト。
エダさん。
見習いさん。
五人。
「……足りますかね」
俺が瓶を見て言うと、エダさんが笑った。
「味を見るだけならね。厚く塗るんじゃないよ」
「はい」
匙へ、少し。
パンの表面へ、薄くのばす。
それだけで、甘い匂いがした。
前にいただいたものより、軽い。
花の香りも、何となく違う。
森を歩いているときに、似た匂いがあった気がした。
「……いただきます」
口へ入れる。
パンを噛む。
甘さが、広がった。
濃すぎない。
そのあとに、少し爽やかな香り。
俺は、ゆっくり噛んだ。
すぐ飲み込むのが、何となく惜しかった。
「……うま」
声が、小さくなる。
俺は、もう一度瓶を見た。
こんな少しの量なのに。
前に食べたときとは、また違う嬉しさがあった。
〈いい顔するなぁ〉
〈食レポの語彙は変わらないw〉
〈でも伝わる〉
〈うまいだろうな〉
リィナも、口へ運ぶ。
少し考えるように、目を伏せた。
「……香りが、優しいですね」
「あぁ。前のと、違いますね」
「はい。こちらも、好きです」
イトは、何も言わなかった。
ゆっくり噛む。
飲み込む。
自分の器を見る。
もう、ない。
瓶を見る。
それから、俺を見る。
俺は、少し笑った。
「今日は、少しだけな」
イトは、すぐにはうなずかなかった。
もう一度、瓶を見る。
でも、手は出さない。
やがて、小さくうなずいた。
「はち、のこす」
俺は、一瞬だけ黙った。
群れに残す分は、もう巣に残している。
この瓶は、分けてもらったものだ。
でも、イトは、ちゃんと覚えていた。
全部、持っていかない。
全部、食べない。
「あぁ。ちゃんと残してきたぞ」
そう伝えると、イトの顔が少し明るくなった。
「また、採れるようになったらな」
今度は、大きくうなずいた。
◇
味見を終えると、リィナが札へ書き込んだ。
採れた日。
巣の場所。
鑑定の結果。
俺たちが感じた、色と香り。
薬草の記録とは、少し違う。
でも、残しておく意味は同じだ。
次に採れたとき、比べられる。
俺はコメント欄へ目を向けた。
〈売るなら、これくらいの量でも買いたい〉
〈初回の蜂蜜は記念に残しておいてほしい〉
〈荷台のすみ:初採蜜、おめでとうございます〉
「マルクさん。ありがとうございます」
〈荷台のすみ:本日は、ご自宅で楽しまれてください。お取引は、余剰が安定してからで結構です〉
俺は、ほっとしたように笑った。
「ですね。今回は、売るほどありません」
〈荷台のすみ:量が読めるようになりましたら、交換用の素材と運搬費を含めて、改めて相談しましょう〉
「はい。お願いします」
蜂蜜と引き換えに、廃材を持ってきてもらう。
その話は、まだ先だ。
でも、遠すぎる話ではなくなった。
瓶の底にある蜜を見れば、少し実感できる。
ここで、採れる。
今は少し。
それでも、確かに。
「……次、いつ採れるかは、まだ分からないですね」
俺が言うと、エダさんがうなずいた。
「分からない、でいいんだよ。今日採れたから、明日も同じだけ採れると思わないことだ」
俺は、素直にうなずく。
「しばらく、また世話を続けます」
「それが一番だね」
◇
エダさんたちが帰る前に、〈意思疎通〉についても、もう少し話した。
俺は、猪の背中を撫でたときのことを説明した。
休みたそうだったこと。
気持ちいい場所が、何となく分かったこと。
見習いさんが、興味深そうに顔を上げる。
「相手によって、伝わり方は違いますか?」
「違いますね。蜂は、女王とのつながりを通じて、群れの落ち着かなさが分かる感じで。猪は、もっと目の前のやつの気分、というか」
言いながら、自分でも言葉を探す。
はっきり文章にできるものばかりではない。
「ただ、分かったつもりになってるだけかもしれないので。動きも、一緒に見てます」
エダさんが、俺を見る。
「それを忘れなければ、いい助けになるだろうさ」
「はい」
「嫌だと分かったら、何でもやめればいいわけでもない。必要な点検も、治療もあるからね」
俺は、少し考えた。
確かに。
巣を開けるときだって、完全に何も気にしていないわけではなかった。
でも、だから一度も見ない、では困る。
猪に怪我があれば、嫌がっても確かめる必要があるかもしれない。
「……分かるようになっても、考えることは増えるんですね」
「相手がいるんだから、そういうものだよ」
エダさんが言う。
俺は、笑ってうなずいた。
便利な能力を覚えた。
それで全部、簡単になった。
そんな話ではないらしい。
でも、相手が何を感じているか、前より分かる。
それは、やっぱりありがたかった。
◇
二人を、入口まで見送る。
帰りの荷馬車は、集落で用事を済ませてから迎えに来ていた。
荷台へ道具を積む。
エダさんは、最後に俺へ言った。
「今日は、しばらく静かにしておきな。巣を見に入るのは、明日でいい」
「はい。外から、出入りを見るだけにします」
「それでいい」
見習いさんが、荷台から手を振った。
「初採蜜、おめでとうございます。また、様子を教えてください」
「ありがとうございます。今日は、本当に助かりました」
荷馬車が動き出す。
俺も手を上げた。
隣では、イトが同じように手を振っていた。
〈先生たちありがとう〉
〈今日は来てもらってよかったな〉
〈一人でやるより安心感が違う〉
「ですね。俺だけだと、何をどこまで採っていいか、分からなかったので」
俺は、道の先を見送った。
人に来てもらう。
教わる。
そのための時間も、費用もかかる。
でも、今日は、ちゃんと頼んでよかったと思った。
◇
食堂へ戻り、蜂蜜の瓶を決めた場所へ置いた。
横には、エダさんにもらった蜂蜜がある。
二つ。
色の違う、小さな瓶。
俺は、その前へ札を置いた。
『初採蜜』
日付も書く。
リィナが、それを見て少し笑った。
「最初のポーションと、同じですね」
俺は顔を上げた。
そういえば、彼女の作業台にもある。
粗製回復ポーション。
最低品質。
初めて、自分の手で作った一本。
こちらは、蜂が集めてくれた最初の蜜。
「……最初のもの、増えてきましたね」
「はい」
リィナは瓶を見る。
「次に採れたときも、比べるのが楽しみです」
「ですね。もっと濃いかもしれないし、香りも違うかもしれない」
俺は、少しだけ先を想像した。
薬草が育つ。
ポーションが、もう少しよくなる。
蜂蜜が、また採れる。
使える素材が増えて、部屋が広がる。
どれも、明日いきなり全部そろうわけではない。
でも、待つ理由があるのは、悪くなかった。
◇
配信を終える前に、外へ出た。
養蜂室の中には入らない。
エダさんに言われたとおりだ。
少し離れた場所から、蜂の出入り口を見る。
一匹、戻ってきた。
穴の前で止まり、すぐ中へ入る。
枯れ葉は、引っかかっていない。
俺は、それを見てから岩のそばへ腰を下ろした。
「……ちゃんと、帰ってきますね」
〈自分の家だからな〉
〈見てると落ち着く〉
〈今日は嬉しいこと多かったな〉
「ですねぇ」
俺は、取得したスキルの表示を開いた。
【意思疎通Lv.1】
まだ、レベルは一。
蜂の言葉が、何でも分かるわけではない。
どこの花が一番うまいとか。
今日、何匹で出かけたとか。
そんな話は、できない。
でも、困っていたことに気づけた。
直したら、落ち着いたのが分かった。
それだけでも、前より身近だった。
俺は、巣のあるほうへ意識を向ける。
少し、静かになっている。
点検の直後にあった、ざわつく感じは弱くなっていた。
俺は小さく息を吐いた。
「今日は、分けてくれてありがとうな」
声にする。
その言葉が、どう届いたかは分からない。
女王から、返事の文章が返ることもない。
ただ。
巣へ戻って、落ち着いている。
そんな穏やかな感覚が、かすかにあった。
俺は、それ以上、確かめようとしなかった。
今日はもう、静かにしておく。
◇
隣へ、イトが来た。
人の姿のまま、俺の横へ座る。
蜂の穴を見る。
しばらく、黙っていた。
やがて、小さな声。
「はち、がんばった」
俺は、うなずいた。
「あぁ。頑張った」
イトは、もう少し考える。
それから、俺の手袋を指した。
「しゅら、も」
「……俺も?」
うなずく。
世話をしていたこと。
葉を取ったこと。
そういう話なのかもしれない。
俺は、少し照れた。
「まだ、教わってばっかりだけどな」
イトは、それには答えなかった。
代わりに、もう一匹戻ってきた蜂を見た。
同じように、穴へ入っていく。
俺も、そちらへ顔を向けた。
〈いいな、この時間〉
〈初収穫おめでとう〉
〈次の蜂蜜も楽しみにしてる〉
〈蜂たちもお疲れ〉
〈家主、今日はゆっくり飯食ってくれ〉
俺はコメントを読み、笑った。
「ありがとうございます。今日は、もう蜂蜜は食べませんよ。残りは、また今度です」
〈我慢できるか?〉
〈夜中に一口だけってやるなよ〉
「そこは、信用してください」
言ったところで、背後からリィナの声がした。
「瓶には、残りの量も書いておきますね」
俺は、ゆっくり振り返った。
リィナは、普通の顔をしていた。
俺も、別に食べるつもりはなかった。
なかったんですけど。
〈対策されたw〉
〈記録係が強い〉
〈家主のつまみ食いまで管理〉
「……分かりました。食べるときは、ちゃんと言います」
素直に答えると、イトが隣でうなずいた。
お前も、食べたい側だろうに。
俺は笑いながら、立ち上がった。
◇
今日、手に入った蜂蜜は、少なかった。
売り物には、ならない。
改築用の資材と交換するには、まだ足りない。
それでも、食堂の棚には、新しい瓶が一本増えた。
最初に採れた、うちの蜂蜜。
その横へ、日付の札。
俺は配信の最後に、それを一度だけ映した。
「今日は、ここまでです。初めて採れたところを、一緒に見てもらえてよかったです」
〈こちらこそ〉
〈ずっと見てたから嬉しかった〉
〈蜂を飼うところから見ててよかった〉
〈次は取引できるくらい増えるといいな〉
「ですね。でも、まずは今の群れを、ちゃんと世話していきます」
新しい巣を、すぐ増やすつもりはない。
今日できたことを、次もできるようにする。
それから、必要になったら考える。
俺は、棚の瓶から目を離した。
「それじゃ、また。今日は、ありがとうございました」
手を上げる。
配信を終える。
食堂に、いつもの静けさが戻った。
リィナが記録を片づける。
イトが椅子へ座る。
俺は、夕飯の用意を手伝うために厨房へ向かった。
肉を出す。
野菜も出す。
蜂蜜の瓶へ、ちらりと目が向いた。
その瞬間、リィナがこちらを見た。
俺は、何も言われる前に首を振る。
「今日は、塩でいきます」
リィナが笑った。
イトも、なぜか笑っていた。
俺も、つられて笑う。
明日は、また外の出入り口を見よう。
蜂の様子も、見よう。
分かることが、少し増えた。
今日は、それが、蜂蜜と同じくらい嬉しかった。




