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11話 収益化のお話

●主人公視点


 はい。


 会社の人と話すまで、あと五分。


 柊圭斗です。


 今は、自分の部屋の机に座っています。


 ネクサスはつけていない。


 斧も持っていない。


 目の前にあるのは、パソコンと、聞きたいことを書いたノート。


 そして、水。


「……水、多いな」


 念のためと思って用意したら、大きなコップになった。


 そんなに長く話す予定ではない。


 でも、途中で喉が乾いたら困る。


 俺はノートを開き、もう一度確認した。


 配信時間。


 内容の指定。


 本名の公開。


 広告の入れ方。


 収益の確認方法。


 気になることは、ひとまず書いてある。


 これなら、たぶん大丈夫だ。


 画面の端で、時計が進む。


 残り三分。


「……早く始まってくれないかな」


 待っている時間が、一番落ち着かなかった。


     ◇


『こんにちは。お時間をいただき、ありがとうございます。三浦です』


「こ、こんにちは。柊です」


 つながった。


 声が、少し裏返った。


 俺は背筋を伸ばす。


 事前の案内どおり、こちらは音声だけで参加している。


 画面には、落ち着いた雰囲気の男性が映っていた。


 背景は、明るい会議室。


 机の上には、資料らしいものが置かれている。


『本日は、柊様とお呼びしてよろしいでしょうか。それとも、修羅様のほうがよろしいですか?』


「……柊で、お願いします」


『承知しました』


 よかった。


 自分の部屋で、会社の人から修羅様と呼ばれ続けるのは、少し厳しい。


『まず、本日のご説明内容をお伝えしますね』


 画面が切り替わる。


 資料の最初に、俺のチャンネル名があった。


 修羅。


 その隣に、見慣れた鬼の姿。


 俺は、思わず口を閉じた。


 会社の資料に、自分のゲームの姿が載っている。


 妙な感じだ。


『今回は、配信サービスの収益化機能をご案内するためのお時間です。配信者として弊社へ所属していただく、というお話ではありません』


「……あぁ、はい」


『ですので、今のお話の段階で、毎月の配信時間や、配信回数をお約束いただくことはありません』


 俺はノートの一行目を見た。


 そこへ、小さく丸をつける。


 ちょっと安心した。


     ◇


 説明は、俺が思っていたより、ゆっくりだった。


 広告が表示される場所。


 視聴者から支援を受ける機能。


 月ごとに利用してもらう会員向けの機能。


 それぞれ、別々に説明された。


『すべてを一度に利用していただく必要はありません。広告のみで始めて、ほかの機能は後から検討することもできます』


「会員向けって、何か別に配信をしないといけないんですか?」


『内容は配信者の方によります。限定の配信や投稿を用意される方もいますが、継続して提供できるかを考えてから設定されるのがよいかと思います』


 俺はペンを止めた。


 今でも、平日は時間が限られている。


 そこへ、別の配信。


 約束したら、やらないと気になるだろう。


「……それは、今はやめておきたいです」


『はい。問題ありません』


 返事は、あっさりしていた。


 何となく、全部やるように勧められるのかと思っていた。


 でも、そうではないらしい。


「広告も、戦ってる途中に入ったりします?」


『設定によります。配信中に挿入するものは、タイミングを選べる機能もありますので、画面をお見せしますね』


 管理画面の見本が表示される。


 俺は、身を乗り出した。


 どこを押すと、何が変わるのか。


 説明を聞きながら、ノートへ書く。


「できれば、戦闘中とか、人と話してる途中は避けたいです」


『承知しました。柊様の配信ですと、探索から休憩へ切り替わる場面などはありますか?』


「あります。料理したり、帰って荷物を片づけたり」


『そうした区切りで、ご自身が扱いやすい方法を選んでいただければと思います』


 なるほど。


 戦闘を増やせ、ではない。


 今の配信の中で、どう使うかを考えるらしい。


 俺は、ノートの二行目にも丸をつけた。


     ◇


『配信内容についても、ご質問をいただいていましたね』


「はい」


 俺は、少しだけ姿勢を正した。


「最近、戦闘より、家を造ったりしてるんですけど」


『拝見しています』


「……畑とか」


『はい。薬草の栽培室ですね』


 見てるんだ。


 いや、仕事なんだから、見ているのか。


 でも、自分の口で説明する前に具体的に返ってくると、少し照れる。


「ああいうのも、そのままやってて大丈夫なんですか?」


『サービスの利用条件の範囲内であれば、収益化したことを理由に、戦闘を中心とした内容へ変更していただくことはありません』


 俺は、小さく息を吐いた。


『直近の配信も、途中から視聴される方だけでなく、長くご覧になる方が多いんです』


「長く?」


『えぇ。戦闘の配信とは、また違う見られ方をしています』


 資料が切り替わった。


 時間の長さと、線がいくつか。


 俺は詳しい読み方までは分からない。


 でも、過去の配信の名前が並んでいるのは分かった。


『こちらが薬草栽培室を造られた回です』


「……はい」


『この辺り、植え付けを始められたところですね』


 俺が、苗をつぶさないように緊張していたところだ。


『視聴者の方が、かなり続けてご覧になっています』


「土、入れてるだけの時間もありますけど」


『その作業を含めて、見たいと思われているのだと思います』


 俺は、何となく言葉に詰まった。


 昨日までなら。


 そんなものか、と思っていたかもしれない。


 でも、佐伯の言葉を覚えている。


 飯を食いながら見られる。


 途中からでも分かる。


 リィナが楽しそうだった。


 画面の向こうには、そうやって見ている人がいる。


「……そうなんですね」


 自分の配信なのに、知らないことが多かった。


     ◇


 次は、個人情報の話だった。


 俺は、ノートを少し手前へ引いた。


「手続きで本名を入れたら、それがチャンネルに出たりはしませんか?」


『登録情報と、視聴者へ公開する表示名は分かれています。通常のチャンネル表示は、修羅様のお名前のままです』


「……よかった」


 思っていたより、はっきり声が出た。


 三浦さんが、少しだけ笑う。


『現実でのお顔やお名前は、公表されない方針でしょうか』


「はい。学校でも、言ってなくて」


『承知しました。今後、何かご紹介や企画のご相談がある場合も、その点は確認して進めます』


 俺は、少し迷ってから続けた。


「学校の友達が、配信見てるんです」


『そうなんですね』


「自分の話を、目の前でされるんで……たまに、変なこと言いそうになります」


 三浦さんは、ほんの少し間を置いた。


 それから、真面目な顔のまま言う。


『それは、気を遣いますね』


「はい」


『土を運ばれた回も、ご覧になっていましたか?』


「……その話を、朝、学校でされました」


 三浦さんの口元が動いた。


 俺も、つられて笑ってしまう。


『失礼しました』


「いえ。あれは、袋の確認をしなかった俺が悪いので」


 何で、会社の人にも土袋の説明をしているんだろう。


 そう思ったら、少しだけ緊張が解けた。


     ◇


 収益の説明では、俺はもう一度、背筋を伸ばした。


 画面に、いくつかの例が並ぶ。


 見られる回数。


 広告の表示状況。


 視聴される地域や時期。


 条件によって、金額は変わるらしい。


『登録者数に対して、毎月一定の金額が支払われる仕組みではありません』


「はい」


『また、収益化の開始前に行われた配信について、過去の視聴回数すべてが、後から収益に変わるわけではありません』


「……あぁ。なるほど」


 俺は、過去の動画の一覧を思い浮かべた。


 大会。


 大侵攻。


 何度も見られている切り抜きや、配信の記録。


 あれが全部、今から何かになるわけではない。


 考えてみれば、そうか。


『過去の配信を保存した映像も、開始後に収益化の対象となる場合があります。対象の確認方法は、こちらです』


 画面を見ながら、順番に聞く。


 難しいところは、止めて聞き直した。


 収益の表示と、実際に支払われる時期も同じではない。


 登録や確認が必要なこともある。


 俺は、丸をつけるより、書き足す量のほうが増えていった。


「……結構、ちゃんと見ないといけないですね」


『分かりにくいところもありますので、今日ご説明した資料は、後ほどお送りします』


「助かります」


 この辺りを、何となく押して進めなくてよかった。


 心から、そう思った。


     ◇


 最後に、今後の予定を聞かれた。


「学校があるので、毎日は難しいです。平日は、できても短めになると思います」


『はい』


「休日も、用事があれば休みます」


『もちろんです』


 俺は、少しだけ間を置いた。


「それでも、大丈夫ですか?」


 三浦さんは、すぐに答えなかった。


 一度、机の資料へ目を落としてから、こちらへ向き直る。


『収益化機能を利用することと、配信を生活の中心に置くことは、同じではありません』


 落ち着いた声だった。


『柊様が続けられる範囲を、まず決めていただければと思います』


 俺は、ノートへ目を落とした。


 最初に書いた、学校がある、という一行。


 その下へ、新しく書き足す。


『今の生活で続ける』


 それから、うなずいた。


「……分かりました」


     ◇


 話し合いが終わったのは、予定より少しだけ後だった。


 最後に、三浦さんから提案があった。


『もしよろしければ、後日、弊社へお越しいただくことも可能です。管理画面の設定など、実際にご覧いただきながらご説明できます』


「会社へ、ですか?」


『はい。もちろん、オンラインのままでも構いません』


 俺は、少し考えた。


 知らない会社へ、一人で行く。


 ……それは、結構緊張する。


 今日、話してみて、説明は分かりやすかった。


 でも、まだ分からないことはある。


「家族と一緒でも、大丈夫ですか?」


『えぇ。ぜひ、ご一緒に。ご都合を確認されてから、お返事をいただければと思います』


「ありがとうございます」


 挨拶をして、通話を終える。


 画面が、いつもの待ち受けに戻った。


 部屋が、急に静かになる。


 俺はコップを持った。


 水は、ほとんど減っていなかった。


「……用意した意味」


 そこで、ようやく一口飲んだ。


     ◇


「どうだった?」


 部屋から出ると、母さんが聞いてきた。


 ちょうど、洗濯物を畳んでいるところだった。


 俺は食卓の椅子へ座る。


 ノートを持ってきたのに、何から話せばいいか迷った。


「……思ってたより、普通だった」


「普通?」


「もっと、毎日配信してくださいとか、こういうのやってくださいとか、言われるのかと思ってた」


「あぁ」


「そういう話じゃなくて、使える機能の説明だった」


 母さんが、畳んだ服を重ねる。


 俺はノートを開いた。


「学校があるって言ったら、今の生活で続けられる範囲でいいって」


「それはよかったね」


「本名も、画面に出るわけじゃないらしい。登録する情報と、公開する名前は別なんだって」


 自分が聞いたことを、順番に説明する。


 広告。


 支援の機能。


 会員向けの機能は、今はやめておこうと思っていること。


 金額は、登録者数だけでは決まらないこと。


 母さんは、途中で何度かうなずいた。


「じゃあ、今までどおり遊んで、その配信を見てもらうところからなんだね」


「うん。何かを約束して増やすのは、まだやめとく」


「それで?」


「今度、会社に来てもいいって」


 母さんの手が止まった。


 俺は続ける。


「一緒に行ってもいいって聞いたら、大丈夫だって」


「私も?」


「……できれば」


 口に出すと、少し照れくさかった。


 一人でゲームの中を歩くのは平気だ。


 でかい魔物の前へ出るのも、まぁ、考えてからならできる。


 でも、知らない会社へ行って、現実のお金の話をするのは。


 別の難しさがあった。


 母さんは、俺のノートを見る。


 文字が、途中から少し乱れている。


「分からないことは、聞けた?」


「聞いた。たぶん、結構」


「じゃあ、資料も一緒に見せて。行くなら、予定を合わせよう」


 俺は、少しだけ肩の力を抜いた。


「……ありがとう」


「ただし、私に聞けば何でも分かると思わないでよ」


「分かってる」


「分からないところは、一緒に聞くから」


 その言い方が、何となくありがたかった。


     ◇


 後日。


 俺は、母さんと並んで、駅前の道を歩いていた。


 会社へ行く日だ。


 事前にもらった案内を、何度目か分からないくらい確認する。


 建物の写真。


 入口。


 受付の階。


「合ってる?」


「合ってる。たぶん」


「また、たぶん」


「写真と同じだから、大丈夫」


 言いながら、建物を見上げた。


 大きい。


 思っていたより、普通に大きい。


 入口のガラスに、空と、通りを歩く人が映っている。


 俺は自分の服を見る。


 襟のあるシャツ。


 落ち着いた色のズボン。


 家を出る前に、母さんから一度、靴まで確認された。


 装備を整えてきた、という意味では間違っていない。


 ただし、どこにも防御力は表示されない。


「……行こうか」


「あなたが呼ばれたんだからね」


「分かってます」


 自動ドアをくぐる。


 涼しい空気。


 広い入口。


 壁に並んだ案内。


 俺は受付へ向かい、名前を伝えた。


「三浦さんと、約束している柊です」


「お待ちしておりました。こちらへお願いいたします」


 受付の人が、手元を確認する。


 俺へ視線を戻し、少しだけ笑顔が深くなった。


「修羅様ですね」


 母さんが、隣で俺を見た。


 俺は、前を向いたままうなずく。


「……はい」


 現実で呼ばれると、やっぱり、少し厳しい。


     ◇


 渡された来訪者用の札を首から下げる。


 そこには、柊と書いてあった。


 よかった。


 修羅と書かれていたら、ちょっと落ち着かなかったと思う。


 待っていると、奥から一人の男性が来た。


 画面で見た顔。


 三浦さんだった。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 俺が頭を下げる。


 隣で、母さんも挨拶した。


 三浦さんは、それぞれへ名刺を差し出す。


 俺は、両手で受け取った。


 会社名。


 部署。


 名前。


 ちゃんと、現実のものだった。


 いや、ずっと現実なんだが。


 どうも、まだ不思議な感じが抜けない。


「では、こちらへどうぞ」


 案内され、通路を進む。


 ガラス越しに、机が並んでいるのが見えた。


 画面へ向かう人。


 何かを相談している人。


 資料を持って歩く人。


 誰も、俺を見て騒いだりはしない。


 当然だ。


 ただの来訪者なのだから。


 ゲームの中で街へ入ったときとは、全然違う。


 俺は、少し安心した。


 その直後、通路の壁に置かれた画面へ、見覚えのある映像が流れた。


 大きな斧。


 砕ける地面。


 魔都の城壁。


 そして。


『な、何という一撃でしょうかぁーッ!』


 公式放送の声が、控えめな音量で聞こえた。


 俺は、足を止めそうになった。


 母さんも、画面を見上げる。


 そこに映っていたのは。


 巨大な魔物へ向かって走る、鬼だった。


 俺だ。


 母さんが、ゆっくりこちらを見る。


「……これ?」


「……うん」


「あなた?」


「……ゲームの中の」


 母さんはもう一度、画面へ顔を戻した。


 斧が振り下ろされる。


 観客の声。


 光。


 俺は、その場から早く移動したくなった。


     ◇


 会議室へ案内されると、先に一人の女性が待っていた。


「配信者サポートを担当しております、森田です。本日はよろしくお願いいたします」


 こちらも名刺をいただく。


 俺は、机の端へ丁寧に置いた。


 椅子へ座る。


 母さんが隣。


 三浦さんと森田さんが、向かい。


 机の中央に、資料とパソコン。


 いつもの食堂の机とは、随分と違う。


「お飲み物は、こちらをどうぞ」


「ありがとうございます」


 俺は水の入ったコップを見る。


 今日は、ちゃんと飲もう。


 そう思った。


     ◇


 最初は、先日の説明の確認だった。


 母さんにも分かるように、三浦さんが改めて話してくれる。


 配信サービスの仕組み。


 今回案内されている機能。


 何を選び、何を使わないか。


「収益化を始めることで、配信する内容を変える必要はないんですか?」


 母さんが聞いた。


「はい。利用条件をご確認いただいたうえで、これまでの活動を続けていただくことを想定しています」


「毎日配信しなければいけない、ということも?」


「今回の手続きでは、そのような義務はありません」


 母さんがうなずく。


 俺は、少しだけ安心した。


 自分が説明した内容と、違っていない。


 ちゃんと聞けていたらしい。


 森田さんが、画面をこちらへ向ける。


「こちらが、収益化機能の管理画面です。実際に使う場合に、どのように表示されるかをご覧いただけます」


 例の画面。


 今度は、目の前で操作してもらえる。


「ここを変更すると、次の画面で確認が出ます」


「あぁ。すぐに全部変わるわけじゃないんですね」


「はい。保存前に、内容をご確認いただけます」


 俺はノートへ書き込む。


 母さんが、その手元をちらりと見た。


 何も言わなかったが、少しだけ口元が緩んでいた。


     ◇


「ところで」


 説明の区切りで、母さんが尋ねた。


「先ほど入口で流れていた映像は、こちらで紹介していただいているものなんですか?」


 俺は、水を飲む手を止めた。


 そこ、聞くんだ。


 三浦さんがうなずく。


「はい。先日のワールドイベントの、公式放送の映像です」


「……あんなことをしていたんですね」


 母さんが、俺を見る。


「畑を造ってるって聞いていたので」


 森田さんが、わずかに目を見開いた。


 それから、笑いをこらえるように口元へ手を添えた。


 俺はコップを置いた。


「畑も造ってる」


「うん。でも、あれは畑じゃなかったね」


「……そうですね」


 三浦さんまで、少し笑っていた。


 俺は、何となくノートを開き直す。


 ここに、逃げ道はない。


「戦闘の配信も、多くの方にご覧いただいています」


 三浦さんが言う。


「ただ、最近は生活や生産の場面を楽しみにされている方も、かなりいらっしゃいます」


「土を運んでいたというのは?」


 母さんが聞く。


 俺は顔を上げた。


「それは、見なくていいんじゃないかな」


 遅かった。


 森田さんが、資料の横に開いていた画面を操作する。


「こちらですね」


 やめてください。


 会議室の画面に、土袋を持ち上げる鬼が映った。


 縫い目が切れる。


 土が落ちる。


 俺が黙る。


『ちがう』


 イトの声。


 母さんが、吹き出した。


「……何やってるの」


「袋が、弱くて」


「入れすぎたんじゃないの?」


 同じことを、視聴者にも言われた。


 俺は椅子へ深く座り直した。


 現実でもゲームでも、失敗した事実は変わらないらしい。


     ◇


 ただ、その映像が終わったあと。


 森田さんは、少し真面目な顔で言った。


「こういう場面を含めて、見ている方がいらっしゃるんです」


 俺は画面を見る。


 土を片づける俺。


 横で苗を守っているリィナ。


 札を持って歩くイト。


「いつも完璧に進めるから見たい、ということだけではないんだと思います」


 俺は、何も言えなかった。


 自分では、失敗したところだった。


 できれば、こぼさないほうがよかった。


 でも、あの場面を見て笑ってくれる人がいる。


 そのあと、ちゃんと片づけて植えたところまで、見てくれる人もいる。


 画面の中で、俺が初めて苗を植えていた。


 やたら慎重で。


 少し、情けないくらい緊張している。


 母さんが、それを見ながら言った。


「家でも、これくらい丁寧にやってくれればいいのにね」


「……やってるつもりではあります」


「この前、卵の殻入ってたよ」


 俺は口を閉じた。


 会社で、何の話をしているんだろう。


     ◇


 その後は、今後の連絡方法を確認した。


 普通の問い合わせ。


 収益化機能の相談。


 もし、企業から何かを紹介してほしいという話が来た場合。


 そうした相談は、今回の設定とは別に考えるものだと説明された。


「紹介する商品や企画に関心がなければ、引き受けない、という判断もできます」


「……何でも受ける必要はないんですね」


「はい。ご自身が理解できないものを、無理に紹介する必要はありません」


 俺はうなずいた。


 何となく、分かった気がした。


 お金が入るようになる。


 だから、今までと全部変えなければならない。


 そんなことではないらしい。


 変わる部分はある。


 確認することも増える。


 でも、俺がどうしたいかまで、勝手に決まるわけではない。


「まずは、広告の機能だけ、考えたいです」


 俺は、ノートを閉じた。


「会員向けのものは、今は続けられるか分からないので。支援の機能も、もう少し見てからにします」


「承知しました」


 森田さんが、選んだ内容へ印をつける。


「本日の内容をまとめてお送りしますので、ご自宅でもう一度ご確認ください。設定は、その後でも大丈夫です」


 母さんが隣でうなずいた。


 俺も、同じようにうなずく。


「お願いします」


 その返事は、最初の挨拶より、ちゃんと声が出た。


     ◇


 帰る前に、通路から制作スペースを少し見せてもらった。


 公式放送で使う映像の確認をしている場所や、配信サービスの画面を調整している部署。


 当然、何でも見られるわけではない。


 それでも、画面の向こうにいた人たちが、実際に働いているのを見るのは、新鮮だった。


 俺が配信を始める。


 コメントが流れる。


 映像が残る。


 普段は、その先を考えていない。


 でも、こういう場所で、誰かが支えている。


「……すごいですね」


 思わず言うと、三浦さんがこちらを見た。


「ありがとうございます」


「俺、始めるボタンしか、あんまり見てなかったので」


「使う方には、そう感じていただけるのが一番です」


 そんな返事が来た。


 俺は、少しだけ笑った。


 マルクも、似たようなことを言いそうだ。


 荷物が届く。


 そのために、道を調べ、荷台を用意し、運ぶ人がいる。


 便利に使っているものの向こうには、知らない仕事がある。


 今日は、それを少しだけ見た気がした。


     ◇


 受付で来訪者用の札を返し、建物を出る。


 外の空気が、さっきより暖かく感じた。


「……終わった」


 俺が言うと、母さんが笑う。


「緊張した?」


「した」


「分かりやすかったよ」


「そんなに?」


「最初、水を持ったまま置けなくなってた」


 見られていた。


 俺は空を見上げ、息を吐いた。


 駅へ向かって歩き始める。


 しばらくして、母さんが言った。


「ちゃんと話を聞いてもらえて、よかったね」


「……うん」


「あなたも、聞きたいことを聞けてたし」


「ノート、書いていったから」


「それは、よかったと思う」


 俺は鞄の中を、少しだけ意識した。


 資料。


 名刺。


 聞きながら書き足したノート。


 ゲームの素材でも、装備でもない。


 でも、今日持ち帰るものとしては、結構大事な気がした。


「収益化、やってみるの?」


 母さんが聞く。


「資料、もう一回見てから。でも、広告だけなら、始めてみたい」


「そう」


「配信は、今までどおり。学校がある日は短くて、無理な日は休む」


「うん」


「それで、入った分は……ネクサスのために貯めたり。必要なもの買ったり」


 そこで、少し考える。


 ゲームの中の金とは、違う。


 蜂蜜を売って、廃材を運んでもらう。


 そういう使い道ではない。


「……最初に、何かおごろうかな」


 母さんが、俺を見る。


「誰に?」


「母さん。今日、一緒に来てもらったし」


 言ってから、少し照れた。


 母さんは、一瞬だけ驚いた顔をした。


 それから、笑う。


「じゃあ、楽しみにしてる」


「まだ、入ってもないけど」


「うん。だから、楽しみにしてる」


 それ以上、大げさなことは言わなかった。


 俺も、何も付け足さなかった。


     ◇


 帰りに、二人で昼飯を食べた。


 普通の店。


 普通の定食。


 俺は、焼いた肉の乗った皿を前にして、箸を取った。


 母さんが、その皿を見る。


「ゲームの中でも、よく肉を食べてるの?」


「……何で?」


「少し見せてもらった動画、大体肉が出てきたから」


「狩ったら、あるので」


「そうなんだ」


 一口食べる。


 うまい。


 甘辛い味がついている。


 ご飯が進む。


 俺は少し考えてから、つい口にした。


「これ、蜂蜜入れても、うまそうだな」


 母さんが、笑った。


「それも、ゲームでやるの?」


「その予定」


「今度は、土をこぼさないようにね」


「蜂蜜は、土に入れないから」


「こぼすかどうかの話」


 俺は反論をやめて、肉を食べた。


 たぶん、今日の話はしばらく言われる。


     ◇


 帰宅したあと、机へ資料を広げた。


 母さんと、もう一度確認する。


 分からないところには、印をつける。


 聞いて分かったところは、ノートと見比べる。


 急いで全部を終わらせる必要はない。


 そう言われていたので、落ち着いて読めた。


 ひと段落したころ、スマホが光る。


 佐伯からだった。


『今日、何してた?』


 俺は、机の上を見る。


 会社の資料。


 名刺。


 ノート。


 少し迷ってから、返事を打った。


『母さんと出かけてた』


 嘘ではない。


 すぐに返事が来る。


『俺、今日ようやく盾買った』


 画像が添付されていた。


 小さな丸盾。


 傷のない、新しい装備。


『これで狼三匹いけるかな』


 俺は笑った。


『まず二匹で試したら』


『慎重だな』


 そう言われた。


 でも、今日は何となく、それでいいと思った。


 新しいものを手に入れたら。


 まず、使い方を確かめる。


 どこまでできるか、ちゃんと知る。


 斧も。


 盾も。


 配信の収益化も。


 いきなり全部、分かるわけではない。


 俺はスマホを置き、ネクサスへ目を向けた。


 今日は、少しだけ入れる。


 リィナとイトの顔が見たい。


 それから、畑。


 きっと、また「まだ出てませんね」と言って、コメントに笑われるだろう。


 俺は資料を一つの袋へまとめた。


 机の端へ、丁寧に置く。


 それから、ベッドへ腰を下ろした。


「……さて」


 知らない会社へ行って。


 知らない仕組みの説明を聞いて。


 少しだけ、自分のしていることが大きく見えた一日だった。


 でも、帰る場所は変わらない。


 俺はネクサスを手に取り、いつもの世界へ向かった。

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