10話 現実生活
●主人公視点
朝、目が覚めて最初に思ったことがある。
薬草、枯れてないかな。
……どうも。
学校へ行く前から畑を心配している、柊圭斗です。
昨日はダンジョンの中に薬草を育てる部屋を造った。
土を運び、枠を組み、水を流し、苗を植えた。
ゲームの中で、結構真面目に農作業をしたと思う。
おかげで、寝る前まで頭の中に薄葉草が浮かんでいた。
「……そんな一晩で変わらんか」
布団の中でつぶやく。
リィナにも、そう言われた。
それなのに確認したくなるんだから、我ながら分かりやすい。
手を伸ばして、枕元のスマホを取った。
時刻を確認する。
まだ少し早い。
でも、今からログインしたら、間違いなく出たくなくなる。
畑を見るだけ。
そう言って入って、猪の様子も確認し、蜂の部屋も覗き、倉庫の荷物が気になり始める。
そして、遅刻する。
容易に想像できた。
「……駄目ですね」
布団をはねのける。
俺は修羅ではなく、柊圭斗として一日を始めた。
◇
朝飯は、焼いた食パンと卵だった。
食卓について、パンを一口。
うまい。
何もしなくても、形のそろったパンが食える。
素晴らしいことだ。
「何、そんなにじっと見てるの」
台所から母さんに声をかけられた。
「いや。きれいに焼けてるなと思って」
「トースターだからね」
「……そうですね」
昨日、ゲームの中で焼いたパンは、端が少し焦げていた。
火の強さを見ていたつもりなのに、裏返した瞬間、思っていたより黒くて驚いたのだ。
こちらは、焼けたら勝手に出てくる。
文明の力は偉大だ。
「夏休みが終わったからって、朝からぼんやりしてないでよ。忘れ物ない?」
「大丈夫。たぶん」
「その、たぶんが怪しいんだけど」
鞄を開ける。
教科書。
筆箱。
昨日やった課題。
全部ある。
少なくとも、斧を持って登校しようとしているわけではない。
問題なしだ。
パンを食べ終え、スマホを手に取った。
通知が、随分と溜まっている。
チャンネルのコメント。
過去の配信についた反応。
公式イベントの切り抜きを紹介した記事。
それから、よく分からない英語の件名。
最近は、通知の数が多すぎて、全部をすぐには見られない。
ひとまず、知り合いからの連絡だけ確認する。
佐伯から、動画が一つ送られていた。
『昨日のこれ見た?』
開く。
画面の中で、鬼が土をこぼしていた。
『……俺の力には耐えたんですけどね。袋が』
寝起きの俺に、昨日の俺が言い訳をする。
朝から、なかなか厳しい。
『見た』
短く返す。
すぐに既読がついた。
『この人、戦闘だとあんなに強いのにな』
俺は画面を見つめた。
それから、返す。
『土運びは別だからな』
『何その擁護』
俺にも、守りたいものがあるんですよ。
◇
通学路には、制服姿が増えていた。
夏休みの間には感じなかった、朝の人の流れ。
自転車が横を通る。
踏切の音が鳴る。
少し湿った空気の中を歩いていると、後ろから肩をたたかれた。
「おはよう、柊」
「おう。おはよう」
佐伯だった。
片手にスマホを持っている。
その画面を見せられる前に、俺は何となく内容を察した。
「昨日の配信、結構見たわ」
「そうなんだ」
最近、この返事が上手くなってきた気がする。
少なくとも、自分ではそう思っている。
「ダンジョンに畑造るんだな。俺、ああいうの全部、屋外じゃないと駄目だと思ってた」
「温度、変えられるらしいからな」
「詳しいな」
ちょっとだけ、足が止まりかけた。
「……動画で言ってた」
「あぁ、そうか」
危ない。
会話の中身が、自分の家の話すぎる。
俺にとっては、昨日そこにいた人たちの話だ。
でも、佐伯にとっては、画面越しに見た配信の話。
その距離を間違えると、変なことを言いそうになる。
佐伯は気にした様子もなく、スマホをしまった。
「戦闘もいいけど、最近の家造るやつ、なんか見ちゃうんだよな」
「へぇ」
「飯食いながら見られるし。途中からでも分かるし」
「なるほど」
「昨日は薬草の人、楽しそうだったじゃん」
薬草の人。
リィナのことだ。
俺は前を見たまま、少しだけ笑った。
「……そうだな」
「前より話すようになったよな。あの子」
「そうかもな」
昨日、リィナは自分から土の違いや、調べたいことを話してくれた。
最初に会ったころとは、確かに違う。
俺も、うれしかった。
ただ、今はそれを詳しく語れない。
「柊も、ああいうの好きそうだよな」
「何が?」
「黙々と家造るやつ」
「……まぁ、嫌いではない」
佐伯がうなずく。
「お前、ゲームでも変なところ片づけ始めるし」
それは、否定できなかった。
◇
教室へ入ると、窓際で数人が集まっていた。
「いや、だから、その職業は最初から選べないって」
「え、そうなの?」
「条件あるらしい。しかも、まだ分かってない」
アビス・フロンティア・オンラインの話だ。
最近、こういう会話をよく聞く。
全員がやっているわけではない。
それでも、動画だけ見ている人まで含めれば、話題に上る機会は随分と増えた。
俺は自分の席へ向かい、鞄を下ろす。
「柊、お前もやってるんだろ?」
近くにいたクラスメイトが振り返った。
「やってる」
「今、何してる?」
非常に答えにくい質問だった。
昨日は、畑。
その前は、養蜂。
少し前まで、大侵攻。
今度は、蜂蜜と廃材を交換したい。
そのまま答えると、ほぼ配信の内容になる。
「……素材集めたり、家の中整えたり」
「やっぱそういう感じか」
佐伯が横から笑う。
「こいつ、そういうの好きだから」
「戦闘は?」
「する」
「今度、一緒にやろうぜ」
言われて、俺は少しだけ迷った。
嫌なわけではない。
むしろ、普通に遊べたら楽しそうだと思う。
ただ、今、修羅として会えば。
たぶん、すぐ分かる。
俺が俺だと。
「予定が合えばな。今、ちょっと一緒に動いてるやつらもいるから」
「あぁ、固定みたいな?」
「……まぁ、そんな感じ」
イトとリィナ。
猪と蜘蛛。
盾持蜥蜴兵。
固定と呼んでいいのかは、分からない。
「じゃあ、空いたとき教えて」
「おう」
席へ座る。
鞄から教科書を出していると、少し離れたところで女子が笑った。
「昨日の、土こぼすところ見た?」
俺の手が止まる。
「見た。あんな強い人でも、ああなるんだね」
「隣の白い子、普通に『ちがう』って言っててかわいかった」
「あの子、蜘蛛なんでしょ?」
「そうそう。最初、全然知らなかった」
俺は教科書を、丁寧に机へ置いた。
昨日の配信。
確かに、面白がってもらえたとは思う。
でも、今、すぐそばで自分の失敗を振り返られるのは。
なかなか、落ち着かない。
「柊」
「ん?」
佐伯が、俺の顔を見る。
「何か、疲れてる?」
「……朝から、土の話をよく聞くなと思って」
「お前も見てたじゃん」
そうなんですけどね。
見ていたというか、こぼした側なんですよ。
◇
授業が始まると、さすがにゲームの話は止まった。
俺も、ノートを開く。
黒板へ文字が並ぶ。
先生の声。
ページをめくる音。
椅子を引く音。
ゲームの中では、岩を叩けば硬い音がする。
魔物が近づけば、足音がする。
こちらは、こちらで、毎日同じように聞いている音がある。
夏休みが終わったんだなと、改めて思った。
数学の時間。
俺は問題を解きながら、途中で妙なことに気づいた。
昨日の栽培室の維持費と、少し似ている。
最初に使う分。
毎日必要な分。
使い続ければ、合計は増える。
最初の費用だけ見て「造れますね」と言っても、そのあと困るかもしれない。
何日で、どれくらい使うのか。
毎日いくら増えるのか。
考える必要がある。
「……あぁ」
思わず小さく声が出た。
前の席のやつが、少し振り返る。
俺は首を振り、ノートへ目を戻した。
式を書く。
途中を飛ばさずに、順番に。
ゲームの中の俺は、巨大な斧を振り回している。
でも今は、消しゴムの角が丸くなってきたことのほうが気になる。
これはこれで、結構大事な問題だった。
◇
昼休み。
俺は弁当を机へ広げた。
佐伯が椅子を寄せてくる。
ほかの二人も、近くの机を少し動かした。
「なぁ、修羅って、もう三十万人超えてるんだろ?」
卵焼きをつかんだ箸が、空中で止まった。
どうして、飯のたびに俺の話になるんだ。
「超えてるな」
俺より先に、佐伯が答える。
「大侵攻のあと、また増えたっぽい」
「すごいよな。そんな人数に見られるの、俺だったら無理だわ」
「毎回三十万人見てるわけじゃないだろ」
「それでもすごくね?」
そうなんだよな。
登録してくれている人が全員、同時に来るわけではない。
それでも、画面に数字が並ぶと、たまに妙な気持ちになる。
教室一つより、ずっと多い。
学校全部より、多い。
顔も名前も知らない人が、俺の家の改築を待っている。
俺は卵焼きを口へ入れた。
うまい。
今は、それを考えよう。
「収入とかも、すごいのかな」
不意に、別の話が出た。
俺は、箸を置きかけた。
「配信って、広告とかあるじゃん」
「あぁ。案件とか?」
「そういうの。三十万人いたら、もう仕事にできるんじゃね?」
「人数だけじゃ分かんないだろ。見られる回数とかもあるし」
佐伯が言う。
俺は、水筒を開けた。
……収入。
正直に言うと、詳しく考えたことがなかった。
ゲームの中では、お金の使い道を結構考えている。
装備。
食材。
資材。
薬草の道具。
マルクに頼む運搬費。
でも、現実のお金は別だ。
配信を始めたときは、十人登録してくれただけでうれしかった。
見てくれる人がいる。
コメントが来る。
それが楽しくて、続けていた。
気づけば、こんな人数になっていたわけで。
「柊、どう思う?」
「え?」
「三十万人いたらさ。仕事にする?」
俺は、水筒を閉めた。
「……分かんないな」
「お前、そういうの興味なさそうだもんな」
「いや。お金は、あったらうれしいけど」
それは間違いない。
「ただ、仕事にしたら、好きにできなくなりそうじゃない?」
言ってから、自分でも少し驚いた。
あぁ。
俺、そこが気になってるのか。
「まぁ、仕事ってそういうもんだろ」
「毎日、絶対何時間配信しろとかあったら、きつそうだよな」
「学校あるしな」
「その前に俺ら、三十万人に見てもらうものないけど」
全員が笑う。
俺も、少し遅れて笑った。
弁当の端に、まだ一つ卵焼きが残っていた。
さっきより少しゆっくり、口へ運んだ。
◇
午後の授業が終わるころには、昼の話も、頭の隅へ追いやられていた。
課題が出た。
次の授業の準備も必要だ。
帰ったら、まずそれを済ませる。
それからゲーム。
今日は薬草の確認だけ。
……できれば、蜂も少し見る。
そんなことを考えながら、教室を出た。
廊下で佐伯が追いついてくる。
「今日、ログインする?」
「たぶん。やること終わってから」
「俺も少しやる。街の外、ようやく慣れてきたわ」
「お。何倒してる?」
「狼みたいなやつ」
「群れ?」
「二匹までなら。三匹いると逃げる」
「それがいいと思う」
「経験者みたいな顔するじゃん」
「……狼は、普通に怖いので」
佐伯が笑う。
俺も笑った。
以前の俺なら、何となく「倒せるだろ」と言っていたかもしれない。
でも、相手の数と周囲の地形は、結構大事だ。
強さだけで突っ込むと、思っていたより追い回される。
岩背猪で、十分学んだ。
「柊、装備とか余ってないの?」
「装備?」
「使わなくなったやつ。買うと高いんだよな」
粗末な棍棒。
牙の短剣。
鬼用の防具。
俺は頭の中へ並べた。
たぶん、サイズからして困る。
「……あんまり、人に渡せるようなのないな」
「残念。まぁ、最初はそんなもんか」
そうだな。
最初は、そんなもんなんですよ。
俺は曖昧にうなずき、昇降口で靴を履き替えた。
◇
家へ帰って、鞄を置く。
制服から着替え、机へ向かった。
課題を開く。
先に済ませる。
そう決めていた。
スマホは、手を伸ばせば届く場所に置いた。
それが、よくなかった。
途中で一度、画面が光った。
無視する。
次に、もう一度。
通知の種類によって、光り方が違うわけではない。
気にする必要はない。
俺は問題の続きを書いた。
……書いたんだが。
何となく、気になる。
「休憩。一回だけ」
自分に言い訳して、スマホを取った。
チャンネルの通知。
コメント。
それから、配信サービスの管理画面に、新着メッセージ。
いつものコメント一覧とは、違う場所だった。
【運営からのお知らせ】
俺は指を止めた。
ゲームのアップデートだろうか。
何か、不具合でもあったのか。
アプリを開く。
管理画面へ入る。
新着の一件を押した。
『チャンネル収益化および配信活動に関するご相談』
「……収益化?」
思わず、読み上げる。
本文は、丁寧な挨拶から始まっていた。
『修羅様
平素より弊社配信サービスをご利用いただき、ありがとうございます。
配信事業担当の三浦と申します。
このたび、修羅様のチャンネルの収益化設定、および今後の配信活動について、一度オンラインにてご説明の機会をいただきたく、ご連絡いたしました』
俺は、そのまま画面を見た。
次の段落へ、指を動かす。
『広告収益の分配、および視聴者向けの支援機能等について、ご利用条件とお手続き内容をご案内できればと存じます。
本件は、現時点で配信頻度の増加や専属契約をお願いするものではございません。
ご関心がございましたら、管理画面よりご返信ください』
読み終える。
もう一度、最初へ戻る。
また読む。
「……俺に?」
ほかに誰がいるんだという話だ。
宛名は、修羅。
俺のチャンネルの管理画面に届いている。
でも、すぐには実感が湧かなかった。
ゲームの中では、領主に呼ばれた。
商人と相談した。
組合で報酬を受け取った。
そういうことは、何度もあった。
今、俺が見ているのは、現実の会社から届いた、現実の連絡だ。
部屋の中は、静かだった。
ネクサスが、ベッドのそばに置いてある。
机の上には、まだ解いていない課題。
その横で、スマホだけが明るかった。
◇
俺は、とりあえずスマホを置いた。
椅子の背もたれへ、ゆっくり体を預ける。
「……何だこれ」
うれしい。
たぶん、うれしいんだと思う。
でも、それより先に、戸惑っていた。
収益。
俺の配信で。
お金が。
昼休みに話していた言葉が、急にこっちへ近づいてきた。
俺は机の上のシャープペンを持った。
課題を見る。
問題文を読む。
……全然、頭に入らない。
「駄目だな、これ」
ペンを置く。
もう一度、スマホを取った。
案内のページを開く。
これまで、チャンネルの管理画面はほとんど配信の開始と終了、コメントの確認にしか使っていなかった。
登録者数。
視聴回数。
過去の配信。
その隣に、確かに別の項目があった。
『収益化』
見たことはある。
ちゃんと開いたことは、なかった。
押す。
表示されていたのは、未完了の手続きだった。
説明事項の確認。
必要な情報の登録。
利用する機能の選択。
どれも、終わっていない。
「……そりゃ、何も起きませんね」
配信していれば、勝手に全部進むわけではないらしい。
俺が広告を入れていなくても、サービス側の案内が表示されることはある。
でも、それを見て俺にお金が入っているのかどうかさえ、今まで考えていなかった。
画面の中では、いろいろな数字が動いている。
その数字が何を意味しているのか。
分からないままでは、さすがに返事もできなかった。
俺はメモ帳を開いた。
『聞きたいこと』
そう書いてから、指を止める。
まず、何を聞けばいいんだ。
しばらく考えて、順番に書いた。
『配信時間を増やす必要があるか』
『配信内容を指定されるか』
『学校があるので、毎日はできない』
『広告はどのくらい入るか』
『個人の名前が視聴者に出るか』
最後の一行を書いて、俺は少しだけ深く息を吐いた。
そう。
そこだ。
ゲームの中の俺は、修羅。
学校にいる俺は、柊圭斗。
今は、その二つを、できれば分けておきたい。
配信のために何かを登録したら、それが画面へ出るのか。
何となくで進めるのは、嫌だった。
それから、もう一つ書き足した。
『イトやリィナが映る配信も、そのまま続けられるか』
あの家には、俺以外もいる。
俺だけが映る映像とは違う。
ゲームの中のことでも、どんな扱いになるのかは知っておきたい。
書き終えると、少しだけ落ち着いた。
分からないことが、全部なくなったわけではない。
でも、何が分からないのかは、さっきより見えた。
◇
部屋の扉が、軽くたたかれた。
「圭斗。ご飯、もう少しでできるけど」
「あぁ。分かった」
返事をする。
母さんが、扉の隙間から顔を出した。
「課題、終わった?」
「……あと少し」
「ゲーム始める前に、ちゃんとね」
「分かってる」
そこで、少し迷った。
別に、隠す必要はない。
でも、どう言えばいいのか分からなかった。
「……あのさ」
「何?」
俺は、スマホを見る。
それから、母さんを見た。
「ゲームの配信、してるんだけど」
「うん」
知っていたらしい。
そりゃ、部屋で何かしゃべっていることはあった。
ネクサスを使っている間は、現実ではそこまでうるさくないにしても、配信の前後に独り言が増えた自覚もある。
「それで、会社から連絡が来た」
母さんの顔が、少し変わる。
「何の会社?」
「使ってる配信サービスの運営。収益化の説明をしたいって」
「……配信で、お金が入るってこと?」
「たぶん。まだ、説明を聞いてないから分からないけど」
母さんが、部屋へ一歩入った。
俺は画面を見せる。
文章を読む間、何も言わなかった。
読み終えたあと、もう一度、俺を見る。
「あなた、どれくらい見てもらってるの?」
来た。
たぶん、そこを聞かれるとは思った。
俺は管理画面へ戻る。
数字を見せる。
母さんが黙った。
もう一度、数字を見る。
「……三万?」
「三十万」
「三十万?」
「登録してくれてる人が、だから。毎回、その人数が見てるわけじゃない」
昼に聞いたような説明を、今度は俺がする。
母さんは、しばらくスマホを見ていた。
それから、妙な顔で俺を見た。
「それ、すごいんじゃないの?」
「……俺も、そう思う」
口に出すと、少しだけ照れくさかった。
自分がすごいと言いたいわけではない。
ただ、見てくれる人が増えたのは、事実だ。
それが、うれしいのも。
「何をしてる配信なの?」
「ゲーム」
「それは分かるけど」
「……戦ったり。料理したり。家を造ったり」
「家?」
「今は、畑造ってる」
母さんの顔が、余計に分からなそうになった。
俺も、説明しながら少し分からなくなった。
何のゲームなんだろうな、これ。
◇
夕飯の席で、もう少しだけ話した。
顔や本名は、出していないこと。
ゲームの中の姿で配信していること。
夏休みの間に、見てくれる人が増えたこと。
今は学校があるので、時間を決めていること。
母さんは、途中で何度か質問した。
俺は分かる範囲で答えた。
分からないところは、分からないと言った。
「じゃあ、まず説明を聞くんだね」
「うん。いきなり何か決めるんじゃなくて」
「それでいいんじゃない?」
意外と、あっさりした返事だった。
俺が少し驚いていると、母さんが続ける。
「ただ、分からないまま返事しないこと。学校を休んでまで何かしようとしないこと」
「分かってる」
「あと、あなた、時間を忘れるから」
「……それは、はい」
そこは反論できなかった。
母さんは味噌汁の椀を持ち上げる。
「お金になるかどうかも大事だけど、今まで楽しくできてたんでしょう?」
「うん」
「じゃあ、それが嫌になるようなことは、ちゃんと考えてからにしなさい」
俺は箸を止めた。
少しして、うなずく。
「……そうする」
別に、大げさな話をされたわけではない。
でも、頭の中にあったものが、少し整理された気がした。
収益化したいのか。
したくないのか。
それを決める前に、どう変わるのかを聞けばいい。
俺はまだ、何も知らない。
だから、説明を受けたい。
今のところは、それでよかった。
◇
部屋へ戻って、課題を終わらせた。
今度は、スマホを伏せて置いた。
手を動かす。
解き直す。
最後の一問を終えてから、時計を見る。
いつもより、少し遅い。
それでも、まだログインできる時間はあった。
ただ、その前に返事をしよう。
俺は管理画面を開いた。
返信欄へ、文字を打つ。
『ご連絡ありがとうございます。
収益化について、詳しい説明を伺いたいです。
現在、学校があるため、平日は夕方以降、または休日であればお時間を調整できます。
配信頻度や内容、個人情報の取り扱いについても確認したいです。
よろしくお願いいたします。』
読み返す。
……固い。
でも、会社へ送るんだから、これくらいでいいのか。
変に「どうも、修羅です」と始めるよりは、たぶん。
もう一度読む。
誤字はない。
学校があることも、書いた。
聞きたいことも、少し入れた。
俺は送信を押した。
【メッセージを送信しました】
「……送った」
それだけなのに、妙に疲れた。
ゲームの中で、知らない魔物の前へ出るときとは違う。
相手の顔も、声も分からない。
どんな返事が来るのかも分からない。
俺は椅子から立ち、軽く肩を回した。
そこで、スマホがもう一度光る。
佐伯だった。
『今日、修羅まだ始めないな』
俺は画面を見つめた。
それから、机へ額をつけそうになった。
「……待ってるのかよ」
少し迷って、返事を打つ。
『忙しいんじゃないか』
『まぁ学校とか仕事とかあるか』
俺は、ゆっくり息を吐いた。
そう。
学校とか。
課題とか。
会社への返事とか。
いろいろあるんですよ。
◇
ネクサスを手に取る前に、配信のお知らせを出した。
『今日は少し遅めですが、短時間だけ。薬草の様子を見ます。』
投稿した直後に、反応がつく。
『了解!』
『芽、出た?』
『今日も農業か』
『無理せずなー』
その中に、佐伯らしい名前は見当たらなかった。
どの名前で見ているんだろう。
少し気になったが、探すのはやめた。
知らないままのほうが、普通に話せる気もする。
ベッドへ腰を下ろす。
ネクサスを装着する。
視界が切り替わる前に、もう一度、部屋を見た。
机。
教科書。
閉じたノート。
充電中のスマホ。
ここが、今の俺の生活だ。
そして、その続きに、もう一つの家がある。
◇
目を開けると、見慣れた天井だった。
石の壁。
少し柔らかくなった寝床。
近くに置いた、鬼用の靴。
「……よし」
体を起こす。
現実の制服とは、まるで違う感覚。
手が大きい。
腕も、肩も。
足を床へ下ろすと、いつもの重さが戻ってくる。
配信を開始した。
「はい。こんばんは。ちょっと遅くなりました、修羅でーす」
〈きた!〉
〈こんばんはー〉
〈お疲れ〉
〈今日は短め?〉
「そうですね。明日も朝からやることあるので、長くはできません」
〈了解〉
〈無理なくやってくれ〉
〈畑見るだけでもいいぞ〉
コメントが、いつものように流れる。
俺は少しだけ、ほっとした。
さっきまで、収益化の説明や、会社への返事を考えていた。
でも、配信を始めたら。
目の前には、いつも来てくれる人がいる。
俺が何かをすれば、反応する。
変なことを言えば、笑う。
それは、変わらなかった。
「じゃあ、まず畑です。昨日植えたやつ、どうなってるか」
〈結局、一番気になってたんだな〉
〈朝から見たかっただろ〉
「……何で分かるんですか」
〈顔に出てる〉
〈家主が分かりやすすぎる〉
寝室を出る。
食堂の明かりが見えた。
リィナが棚へ器を並べている。
イトは椅子の上。
俺を見るなり、顔を上げた。
「しゅら」
「おう。ただいま」
「お帰りなさい。今日は少し遅かったんですね」
「ちょっと、向こうでやることがありまして」
学校。
課題。
それから、初めての会社への返事。
言葉にすると、随分と普通だ。
でも、今日はその普通の中に、少しだけ知らないものが混ざっていた。
リィナは何も聞き返さず、うなずいた。
「薬草は、さっき確認しました。大きな変化はありませんが、弱っている様子もないです」
「おぉ。それは、よかった」
〈まず一日目クリア〉
〈無事でよかった〉
〈家主、安心した顔〉
俺は栽培室へ向かった。
◇
薄葉草は、昨日と同じ場所にあった。
当たり前だが。
勝手に歩いて移動していたら、俺はちょっと困る。
葉の色を見る。
茎を見る。
昨日植えた、自分の苗を探す。
あった。
少しだけ傾いている。
でも、ちゃんと立っていた。
「……よし」
〈それが修羅の?〉
「はい。俺が植えたやつです」
〈見守りすぎw〉
〈毎日名前呼んでそう〉
「名前までは、つけてませんよ」
イトが隣へしゃがむ。
同じように、苗を見る。
それから、小さくうなずいた。
「いる」
「いるな」
青露草の枠も確認する。
こちらは、まだ土のままだ。
「……出てないですね」
〈だから早いって〉
〈毎日言う気か〉
〈発芽した日の反応が楽しみ〉
リィナが記録を見せてくれる。
温度。
水やり。
葉の状態。
俺のいない間も、丁寧に見てくれていた。
「ありがとうございます」
「私も、見たかったので」
そう言って笑う。
俺は紙へ視線を落とした。
この部屋には、何も売り物がない。
まだ。
でも、ここで過ごしている様子を、たくさんの人が見てくれる。
それが、現実の仕事の話にまでつながった。
不思議なことだと思った。
◇
今日の配信では、大きな改築はしなかった。
回収待ちの素材を片づける。
猪の背中を見る。
蜘蛛の待機場所を確認する。
蜂の部屋は、外から出入りの様子だけ確かめた。
巣箱は開けない。
今のところ、専門家に教わったとおりにする。
「今日は、こんな感じですかね」
〈平和だ〉
〈こういう日も好き〉
〈戦闘ないとき、飯だけでも見たい〉
「飯は、あとで食べます。今日はちょっと、時間が」
時計を見る。
自分で決めた終了時刻が近い。
以前なら、あと少しだけと伸ばしていたかもしれない。
でも、学校が始まった。
明日の俺にも、ちゃんと動いてもらわなければ困る。
それに、今日の俺には、もう一つやることがあった。
会社から返事が来ているか、確認したい。
そんなことを考えた自分に、少しだけ笑ってしまった。
〈何笑った?〉
〈蜂蜜のこと考えた?〉
「違いますよ。……まぁ、蜂蜜も楽しみですけど」
〈結局考えてる〉
〈初収穫まで言い続けそう〉
俺は食堂へ戻った。
リィナが、机の端へ湯を入れた器を置いてくれる。
イトが、その隣に座った。
いつもの光景。
俺は配信画面へ向き直る。
「今日は短かったですけど、ありがとうございました。また、時間が合うときに」
〈おつ修羅!〉
〈ちゃんと寝ろよ〉
〈学校か仕事か知らんけど頑張れ〉
〈畑の報告待ってる〉
〈イトとリィナにもよろしく〉
そのコメントを読んで、胸の奥が少し温かくなった。
相手は、俺の現実を知らない。
名前も。
教室も。
今日、何を考えていたかも。
それでも、頑張れと言ってくれる。
「……ありがとうございます」
俺は少しだけ、頭を下げた。
「それじゃ。また」
配信を終了する。
流れていた文字が、止まった。
◇
ログアウトすると、部屋は静かだった。
ネクサスを外す。
少しだけ、目を閉じる。
石の壁はない。
薬草の匂いもしない。
机の上に、教科書が積んである。
俺はスマホを取った。
管理画面に、新着の通知。
会社から、返事が来ていた。
『ご返信ありがとうございます。
ご学業を優先されている旨、承知いたしました。
まずは説明のお時間として、今週末に三十分から四十五分程度のオンライン面談をご提案できればと存じます。
面談は音声のみでも差し支えございません。
ご質問いただいた配信内容、活動頻度、個人情報の取り扱いについても、当日ご説明いたします。
また、今回の面談へのご参加をもって、契約や収益化への同意となることはございません。』
候補の時刻が、いくつか並んでいた。
俺は予定を確認する。
課題。
買い物。
特に外せない用事はない。
空いている時間を、一つ選んだ。
『こちらのお時間でお願いいたします。』
送る。
今度は、一回読み返すだけで押せた。
少し慣れたのかもしれない。
机の上へスマホを置く。
そこで、また通知が鳴った。
佐伯だった。
『今日、短かったな』
俺は画面を見て、笑った。
『そうだな』
『でも畑、枯れてなくてよかったな』
指が、少し止まる。
俺だけではない。
あの小さな苗を、気にしてくれているやつが、ここにもいる。
『だな』
短く返した。
そのあと、少し迷ってから書き足す。
『明日、提出するやつ終わった?』
すぐには、既読がつかなかった。
数秒後。
『忘れてた』
俺は思わず、声を出して笑った。
◇
寝る前に、もう一度だけ、会社からのメッセージを開いた。
収益化。
面談。
広告。
まだ、自分には似合わない言葉に見える。
でも、画面の向こうに人がいる。
丁寧に文章を書いて、俺へ連絡してくれた人。
そして、そのきっかけになったのは、配信を見てくれる人たちだ。
大きなイベント。
強い魔物との戦闘。
それだけではない。
火がつかなくて困った日も。
肉を焼いて喜んだ日も。
土袋の底が抜けた日も。
全部、俺がやってきたことだった。
「……まさか、畑造ってる間にこんな話が来るとはな」
ベッドへ横になる。
明日は、また学校だ。
たぶん、佐伯が課題の話をする。
誰かがゲームの話をする。
俺は知らないふりをして、自分の配信の感想を聞くかもしれない。
放課後には、家へ帰る。
課題を済ませて。
時間があれば、ログインする。
薬草を見る。
蜂を見る。
みんなの顔を見る。
そこへ、一つだけ、新しい予定が加わった。
週末。
会社の人と、俺の配信について話す。
「……ちゃんと、聞こう」
お金のことも。
続け方のことも。
分からないところは、分からないままにしない。
それで、これからどうするか決めればいい。
スマホを伏せる。
画面が暗くなった。
俺は布団を引き寄せ、目を閉じる。
そして、眠る直前。
結局、最後に考えたのは。
青露草、明日は芽が出るかな。
……だった。




