8話 さらなる増築 薬草畑
●主人公視点
はい。今日も家を広げたくなっている修羅でーす。
つい先日、蜂のための部屋を造ったばかりなんですが。
次に造りたいものが、もう決まってしまいました。
薬草畑です。
「……家の中に畑って、結構よくないですか?」
〈分かる〉
〈雨でも収穫できる〉
〈まず家の中に畑がある状況が分からん〉
〈普通は庭なんだよ〉
「庭だと魔物に踏まれるかもしれないでしょう。その点、中なら安心です」
もちろん、土を敷けば何でも育つとは思っていない。
その辺りも含めて、今日はリィナと相談するつもりだ。
ログインしたばかりの俺の前には、未確認の活動報告が開いている。
【不在中の活動報告】
【侵入者の討伐を確認しました】
【獲得経験値・ダンジョンポイントを反映済みです】
【配置魔物の死亡:なし】
【設備の重大な損傷:なし】
【回収待ちの討伐個体:あり】
詳細を開く。
牙鼠が数匹。
それから、黒牙走狗。
魔石の箱を閉じていても、たまに入ってくるやつはいるらしい。
猪に怪我はなく、蜘蛛の糸が一部切れた程度。
盾持蜥蜴兵の出番もなかったようだ。
「今日も、ちゃんと守ってくれたみたいですね」
〈お帰りの前に戦果報告〉
〈みんな働いてる〉
〈経験値は?〉
「増えてはいます。俺のレベルは、そのままですね」
今の俺にとっては、少しずつだ。
でも、猪や蜘蛛たちにとっては、ちゃんとした戦闘経験になる。
家を守りながら強くなってくれるのは、かなり頼もしい。
俺は報告を閉じてから、回収待ちの欄に確認の印をつけた。
あとで処理しよう。
先に、家のみんなへ挨拶だ。
「ただいまー」
食堂へ顔を出すと、リィナが机に向かっていた。
目の前に、小さな包みが三つ。
乾いた葉。
根がついたままの草。
それから、細かい種のようなもの。
隣ではイトが、頬杖をついて眺めている。
「お帰りなさい、修羅さん」
「しゅら」
「おう。ただいま。……もう、準備してた?」
リィナは少し迷ってから、うなずいた。
「もし本当に栽培するなら、何から始められるか考えていたんです」
机の端には、見覚えのある紙があった。
ダンジョンの見取り図。
ただし、俺が描いた熊の大きな丸ではない。
もっと小さな四角が、第一階層の端に書き足されていた。
「……いいですね」
〈リィナ、もう図面描いてる〉
〈家主より先に動いてる〉
〈研究室の申請書だ〉
俺は椅子を引き、隣へ座った。
「今日は、その部屋を造りましょう」
リィナの手が止まる。
「本当に、いいんですか?」
「もちろん。そのために相談しようと思ってたので」
「でも、ポイントも使いますよね。まだ、ほかに必要な場所が……」
彼女の視線が、図面の別の場所へ向く。
倉庫の拡張。
第二階層の通路。
熊の部屋。
俺はその上へ、空いていた皿を置いた。
「今日は、見ないことにします」
〈物理的に隠した〉
〈熊、皿に負ける〉
〈その手段、前にも使ってたな〉
「まず、今の俺たちが使う場所から。畑ができれば、リィナも便利でしょう?」
「……はい」
返事は、小さかった。
でも、机に置かれていた紙が、こちらへ少し寄せられた。
◇
最初に確認したのは、何を育てるかだった。
「これ、全部薬草?」
「はい。ただ、同じ場所で育てられるとは限りません」
リィナが、一つずつ指を差す。
まず、根のついた薄緑の草。
「こちらは薄葉草です。強い日差しが当たり続ける場所より、少し陰になる場所でよく育ちます」
「あぁ。俺が前に、別の草と間違えかけたやつ」
「はい」
〈覚えてた〉
〈食べる前に聞いてよかったやつ〉
〈リィナ先生、授業お願いします〉
次は、細かい種。
「これは青露草。乾かしすぎると弱りますが、水が溜まったままでも根を傷めます。集落で、少し分けていただきました」
「なるほど。湿ってればいいわけでもないのか」
「そうですね。それから、こちらはまだ植えません」
最後の包みを、リィナが少し離した。
細長い、暗い色の葉。
「これは?」
「冷枝草です。採れた場所が、ほかの二つと違うんです。まず、育っていた場所をもう少し調べたいので」
俺はうなずいた。
最初から三種類全部。
そう言いかけて、やめる。
今回は、俺より詳しい人がいる。
しかも、その人が慎重にやろうと言っているのだ。
「じゃあ、最初は二種類ですね」
「はい。それと、薄葉草は同じ種類でも、場所を分けて育ててみたいです」
「場所を?」
リィナは紙へ、二つの長方形を描いた。
「こちらは今まで育っていた場所に近い土で。もう一方は、少しだけ土の状態を変えてみます」
「どっちが育つか、比べるんだ」
「はい。最初から全部変えると、何がよかったのか分からなくなるので」
〈研究始まった〉
〈ちゃんと比較するんだな〉
〈修羅に任せると全部いっぺんに変えそう〉
「……否定できませんね」
温度を上げて。
水も増やして。
明るくしたら、よく育つのではないか。
正直、ちょっと思っていた。
でも、枯れたときに、何が悪かったのかさっぱり分からなくなるわけか。
「分かりました。勝手に設定いじらないようにします」
「お願いします」
返事が早かった。
〈信頼はあるが信用は別〉
〈今のお願い、重かったぞ〉
〈温度の操作権をリィナに渡そう〉
管理画面を開く。
区画ごとの設定と、権限。
リィナへ、栽培室の温度調整と照明の操作を許可する。
ただし、大きな増築や、ポイントを多く使う変更は、俺と一緒に確認する。
これなら、俺がいない間も世話ができる。
「これで、部屋の設定は触れるはずです」
リィナが手元へ視線を落とした。
自分にも表示が出たらしい。
指先を動かし、それから俺を見る。
「……ありがとうございます」
「育て方、俺より詳しいので。そこは任せます」
そう言うと、リィナはゆっくりうなずいた。
さっきまでより少しだけ、背筋が伸びていた。
◇
候補の場所は、厨房の裏手だった。
ただし、厨房と直接つなげるわけではない。
生活区画の通路から、短い枝道を一本。
その先の、今は使っていない岩壁だ。
「蜂の部屋とは離れますね」
「はい。こちらなら、調理の煙も入りにくいと思います」
リィナが壁と通路を見比べる。
俺は管理画面を開き、現在の区画を確認した。
この奥に、ほかの部屋はない。
下の階へ抜ける予定の場所でもない。
広げても、魔物の通路とは交わらない。
「最初は、これくらい?」
画面上へ、小さな部屋を置いてみる。
リィナが首を傾けた。
「……もう少し、小さくても大丈夫です」
「え?」
〈減らされた〉
〈家主の小さい、信用されてない〉
〈最初から大農園を造ろうとするな〉
俺としては、かなり控えめだったんですが。
机を置いて。
畑を並べて。
そのうち増やすことも考えて。
……あぁ。
最後のところが、余計なのか。
「まず、試せる広さでいいんですね」
「はい。水を運ぶ距離や、手入れにかかる時間も見ておきたいので」
広ければ、植えられる量は増える。
でも、その分、世話する場所も増える。
任せると言いながら、リィナの仕事を勝手に何倍にもするのは違うだろう。
俺は部屋を縮めた。
中央に人が歩ける通路。
左右に細長い栽培用の場所。
奥には小さな作業台。
それなら、全部を見渡せる。
「これなら?」
「……はい。これくらいから、始めたいです」
必要なポイントを確認する。
掘削。
床面の調整。
排水用の浅い溝。
部屋の基本的な環境設定。
造るときの消費だけでなく、温度を周囲と違う状態に保つには、維持のためのポイントも必要になる。
「ずっと暖かくし続けると、結構かかるんですね」
〈温室の維持費〉
〈暖房無料ではなかった〉
「今の温度なら、少し調整するだけでよさそうです」
リィナが、手にしていた小さな温度計を見る。
集落で借りてきたらしい。
「最初は、無理に変えないほうがいいと思います」
「了解。じゃあ、自然に近いところから」
念のため、残るポイントも確認する。
迎撃室で稼いだ分。
持ち込んだ素材を交換した分。
その全部を使うわけにはいかない。
急な修繕に回せる余裕は、残しておく。
俺は一つずつ確認してから、決定を押した。
岩壁の奥で、低い音がした。
細かな光が、表面を走る。
やがて、何もなかった壁に、四角い入口が現れた。
「……できた」
〈開通!〉
〈この瞬間好き〉
〈部屋が増えるたびにわくわくする〉
まだ、畑ではない。
床も壁も、ただの岩。
土もなければ、葉っぱもない。
でも、リィナは入口で足を止めたまま、しばらく中を見ていた。
「どうした?」
「……いえ」
彼女は首を振る。
それから、少し笑った。
「本当に、造ってもらえたんだなと思って」
俺は中へ入り、振り返った。
「ここからですよ。たぶん、俺の出番は」
〈土木担当〉
〈筋力の使いどころ〉
〈さあ働け家主〉
「はいはい。働きますよ」
◇
畑にする場所は、床へ直接土を敷く形にはしなかった。
左右に、腰より低い木枠を置く。
修理に使うため確保していた板材から、使えるものを選んだ。
数が足りない分は、集落で作ってもらう。
今日は、まず用意できた分だけ。
木枠の下へ石を並べ、床との間に隙間をつくる。
水が抜ける場所も塞がないようにする。
「……こういうの、ちゃんと考えるんですね」
重い枠を持ち上げながら言うと、リィナがうなずいた。
「土を替えるときも、場所が分かれていたほうが扱いやすいので」
「なるほど。床一面だと、全部掘り返すことになるのか」
俺は指示された位置へ、ゆっくり下ろした。
「そこから、少し右です」
「このくらい?」
「はい。……もう少しだけ」
ちょっと動かす。
「そこです」
両手を離した。
板の枠が、きれいに並ぶ。
真ん中の通路は、俺が土袋を持って歩ける幅。
ただし、斧を担いだままでは、たぶん引っかかる。
「ここへ来るときは、武器置いてこないとですね」
〈斧で薬草なぎ倒すなよ〉
〈収穫に斧術使うなよ〉
〈鬼震も禁止〉
「使いませんよ!」
奥にいたイトが、俺の声で振り返った。
手には、小さな木片。
リィナに頼まれて、植える場所の札を集めていたらしい。
そのうち一本を、俺へ差し出す。
白い表面に、短い線が引いてある。
「これ、なまえ」
「お。ここに薬草の名前を書くのか」
「うん」
俺は受け取り、作業台へ並べた。
リィナが文字を書く。
薄葉草。
青露草。
植えた日。
土の違い。
俺には、もう立派な研究用の札に見えた。
〈イトも参加してる〉
〈家族で畑づくり〉
〈札があると一気にそれっぽい〉
ただ、土がない。
ここまでは、まだ箱を並べただけだ。
次は外へ行かなければならない。
俺は入口へ向き直った。
「じゃあ、持ってきますか。畑の本体」
◇
土は、どこからでも掘ってくればいいわけではなかった。
集落で栽培に使っていたものを、少し分けてもらう。
それから、リィナが状態を確かめた土。
必要な分を相談して、邪魔にならない場所から集める。
森の足元を、見境なく削ることはしない。
ガドには、蜂のときと同じ顔をされた。
「木の根を切るなよ」
「分かってる。あと、道の近くも掘らない」
「分かってりゃいい」
短いやり取りのあと、土の入った袋を渡される。
俺が片手で持ち上げると、ガドが少しだけ目を細めた。
「……便利だな、その体」
「便利ですよ。たまに、細かいところに入らなくて困りますけど」
〈戦闘と土運びに便利〉
〈進化してよかったこと、畑づくり〉
〈阿修羅の用途が平和〉
袋を運び、戻る。
また運ぶ。
収納鞄も使ったが、詰めればいいというものではない。
土がほかの道具に混ざらないよう、口をしっかり閉じてから入れる。
栽培室へ戻ると、リィナが袖をまくって待っていた。
「こちらの枠からお願いします」
「了解」
袋の口を開け、少しずつ傾ける。
土が落ちる。
乾いた音と、湿った匂い。
石の部屋に、森の地面ができていく。
「……おぉ」
〈畑になってきた〉
〈土入るだけで変わるな〉
〈なんかいい〉
俺は最後の一袋を持ち上げた。
そのとき、袋の縫い目が、嫌な音を立てた。
「……あ」
ぶつっ。
底が抜けた。
土が、俺の足元へ落ちる。
派手に。
思ったよりも、派手に。
部屋の中が、しんとした。
俺は、空になった袋を見る。
足元を見る。
もう一度、袋を見る。
〈あーあ〉
〈やったw〉
〈入れすぎた?〉
〈袋の耐久も確認しよう〉
「……俺の力には耐えたんですけどね。袋が」
リィナが口元を押さえる。
イトは、床の土と枠の中を交互に見た。
そして、小さく言う。
「ちがう」
「はい。ここじゃないですね」
〈冷静な指摘〉
〈イト先生、厳しい〉
俺はしゃがみ、散らばった土を集め始めた。
思っていたより、地味な作業だった。
強い魔物を倒すときは、一撃で終わることもある。
土をこぼすと、そんなわけにはいかない。
隅へ入ったものまで、少しずつ拾わなければならなかった。
◇
土を入れ終えると、次は水だった。
俺は大きな樽を運ぼうとした。
リィナが止めた。
「全部、ここへ置くんですか?」
「そのほうが、運ぶ回数が減るかなと」
「でも、使い切るまで長く置くと、状態が変わってしまうかもしれません」
「……なるほど」
大きいものを置けば解決する。
どうも俺は、そう考えがちらしい。
ひとまず、蓋付きの容器を二つ。
必要なときに汲み直す形にする。
床の端には浅い溝をつくってある。
こぼれた水が、生活区画へ流れ出さないようにするためだ。
さらに、植える前に水を少し流して確認した。
溝へ入る。
奥へ流れる。
ただ、一か所で止まった。
「……あれ」
しゃがみ込む。
途中に、小さな石の出っ張りが残っていた。
俺は管理画面を開き、そこだけ整える。
もう一度、水を流す。
今度は、ちゃんと抜けた。
〈試してよかった〉
〈畑より先に排水確認〉
〈戦闘じゃないのに結構やることあるな〉
「ですねぇ。部屋を造るだけじゃ、駄目でした」
風の流れも確認する。
入口の扉を閉めた状態で、空気がこもりすぎないように。
ただし、乾きすぎるほどの風を、薬草へ直接当てるわけではない。
この辺りは、リィナの指示を聞きながら少しずつ調整した。
照明は、手元を見るためのものを先につける。
灯火が使えるからといって、それだけで日光の代わりになるとは限らない。
薄葉草はもともと木陰にあったものを使うが、ずっと地下で育てられるかは、これから確かめる必要がある。
リィナは、予備の苗を残していた。
「こちらが弱ってきたら、元の環境に近い場所へ戻します。無理に全部、ここへ移さないでおきたいです」
「それがいいですね」
〈ちゃんと逃げ道ある〉
〈枯れるまで置いとく実験じゃないの安心〉
すると、コメントにマルクの名前が流れた。
〈荷台のすみ:栽培向けの照明器具はあります。ですが、まず今の状態を確認されてからでもよろしいかと〉
「あるんですか」
〈荷台のすみ:あります。安くはありません〉
〈先に言ったw〉
〈家主の目が輝いたからな〉
〈見積もり前に釘を刺す商人〉
俺は、伸びかけた指を止めた。
「……まず、今の状態で」
リィナが、ほっとした顔をした。
やっぱり、俺が一番余計な設定を触りそうだった。
◇
最初に植えたのは、薄葉草だった。
リィナが、根のまわりの土を崩さないよう持ち上げる。
俺は隣で見ていた。
彼女の指先が、少しずつ動く。
伸びた根を、無理に引っ張らない。
植える場所の土を開き、そこへ静かに収める。
まわりを押さえる力も、強すぎない。
「……俺、握りつぶしそうですね」
「強く握らなければ、大丈夫です」
「その、強くない加減が」
〈筋力が高すぎる悩み〉
〈斧なら自信あるのに〉
〈今こそ器用を生かせ〉
リィナが、小さな苗を一つ差し出した。
「やってみますか?」
俺は手袋を外した。
土を触るなら汚れてもいい。
でも、根の状態は、自分の指で確かめたかった。
掌に乗った苗は、随分と小さい。
葉が、二枚。
その下に、細い茎。
これがあとで材料になる。
そう思うと、適当に扱えなかった。
「ここに、入れるんですね」
「はい。根を折らないように、そのまま」
土のくぼみへ下ろす。
少し、傾いた。
慌てて持ち直しそうになる。
「大丈夫です。まわりへ土を寄せてください」
「……はい」
指で土を動かす。
押しつけすぎないように。
逃げないから、つかまなくていい。
自分にそう言い聞かせて、手を離した。
苗が、立っていた。
「……できた?」
「はい」
リィナが笑う。
俺はしばらく、その葉を見ていた。
〈初植え成功〉
〈猪倒したときより慎重〉
〈今、全員息止めてたろ〉
「これは緊張しますね。殴られたら殴り返せるんですけど」
〈薬草は殴るな〉
〈だから誰も殴ってないだろw〉
隣ではイトが、自分もやりたそうに手を上げていた。
リィナが説明する。
イトが聞く。
いつも糸を扱っているからか、指先の動きは、俺よりずっと細かかった。
土を少し寄せて。
葉を避けて。
そっと離す。
「……うまいな」
俺が言うと、イトは苗を見る。
それから、俺を見る。
少しだけ、胸を張った。
〈かわいい〉
〈植え付け担当、決まりました〉
〈家主は土運びで〉
「分業ですね。適材適所です」
俺は素直に、次の土袋へ向かった。
◇
青露草は、種からだった。
こちらは、すぐに姿が見えるわけではない。
リィナが決めた間隔で、少しずつまく。
札を立てる。
水をやる。
それで、今日は終わりだ。
見た目は、ただの土。
俺は腕を組んで眺めた。
「……出てきませんね」
〈早い早い〉
〈さっきまいたんだぞ〉
〈魔石開けたときと同じこと言ってる〉
「分かってます。言ってみただけです」
でも、ちょっとだけ期待していた。
ゲームなので。
種をまいた瞬間に、ぽん、と葉っぱが出てもおかしくないかな、と。
どうやら、そういうものではないらしい。
リィナが記録をつける。
種をまいた日。
場所。
水をやった量。
今の温度。
隣の薄葉草も、葉の向きや状態を簡単に書き留めていた。
「そんなところまで?」
「あとから、違いが分かるようにしたいので」
「なるほど……」
俺は机の横から、その紙を覗き込んだ。
文字だけではない。
葉の形が、簡単な線で描いてある。
色の変化を忘れないために、短い言葉も添えられていた。
元気。
少し垂れている。
端に傷。
一つずつ、見ているのだ。
俺は床の端に残っていた土を、ほうきで集めた。
その音を聞きながら、リィナが言う。
「以前、薬草を扱っていたときは、採ってきたものを見ることのほうが多かったんです」
「育てるのは、あんまり?」
「家の近くで、少しだけでした」
筆が止まる。
「でも、同じ場所で採っても、効き方にばらつきがあることがあって。それが採る時期なのか、乾かし方なのか……ずっと、気になっていたんです」
俺はほうきを止めた。
リィナは、植えたばかりの薄葉草を見ていた。
「ここなら、育つところから見られます」
その声は、静かだった。
でも、何かを我慢しているような小ささではなかった。
俺はうなずいた。
「じゃあ、ちゃんと調べましょう」
リィナがこちらを見る。
「すぐ売れるようにならなくても、大丈夫です。俺たちも使えますし」
「……はい」
「いいのができたら、俺も使わせてもらいます」
ポーションには、随分と世話になっている。
今後も、たぶん必要になる。
リィナが育てて、作ったものなら。
使うときに、ちょっと誇らしいかもしれない。
彼女は少しだけ笑い、それからまた記録へ目を落とした。
〈いい場所もらえたなぁ〉
〈リィナが楽しそうでよかった〉
〈研究の成果、配信でも見たい〉
俺も、それは見たい。
土の中から芽が出て。
葉が増えて。
そのうち材料になる。
狩りとは違うが、待つ楽しみがあった。
◇
栽培場所の隣には、小さな作業場所を残した。
今日は、専用の調合室まで造らない。
机。
棚。
道具を分ける箱。
まずは、それだけだ。
薬草を扱う道具は、厨房のものと混ぜない。
食べるものと、調べているものが一緒になったら困る。
俺が適当に鍋を持っていきかねないので、札もつけた。
『調合用』
『調理には使わない』
「……俺向けですね」
「皆さん向けです」
リィナの返事は、優しかった。
でも、俺の目を見ていた。
〈名指しはしない優しさ〉
〈家主が一番使いそう〉
〈薬草の鍋で猪煮込むな〉
「さすがに、札があればやりません」
乾燥させる場所も、土をいじる場所とは分ける。
今日、植えたものがすぐ使えるわけではない。
今まで持っていた薬草を整理するだけでも、十分に意味があるらしい。
作業台へ置かれた小さな乳鉢を見て、俺は尋ねた。
「ポーション作りも、ここから?」
「はい。ただ、まだ教えていただきたいことが多いです」
リィナは、すぐにできるとは言わなかった。
「今まで扱っていた薬草の知識だけで、安定したものが作れるとは限らないので。材料の状態も、確かめたいです」
「じゃあ、道具も先生も、少しずつですね」
「はい」
俺は図面の余白に、書き足した。
『調合の相談』
『栽培照明の価格確認』
『薬草の記録用の紙』
……紙が、結構いるな。
部屋を一つ造ると、必要なものが次々に出てくる。
俺がその一覧を眺めていると、配信の端にマルクの名前が流れた。
〈荷台のすみ:次の便で、お持ちできるものをまとめておきます。調合について相談できる方も探してみましょう〉
「ありがとうございます。まだ買うか分からないものもあるので、見積もりからお願いします」
〈言えるようになった〉
〈家主、成長〉
〈以前なら全部くださいだった〉
「俺だって、学びますよ」
リィナが隣で、少しだけうなずいた。
たぶん。
◇
作業が一段落したところで、食堂へ戻った。
手を洗う。
顔を洗う。
靴についた土も、ちゃんと落とす。
そのつもりだった。
食堂の入口で、リィナが俺の足元を指した。
床に、土が二つ。
いや、三つ。
「……すみません」
〈畑を運ぶ家主〉
〈苗は置いてきたのに土はついてくる〉
俺は布を取りに戻った。
イトは入口に座り、俺の靴をじっと見ている。
なぜか、自分の足まで確認していた。
そこは真似しなくていい。
掃除を終えたころには、ちょうど腹が減っていた。
厨房から、温かい匂いがする。
今日の飯は、肉と根菜の煮込み。
それから、少し焼き色の濃いパン。
「……いいですねぇ」
椅子へ座る。
リィナとイトも、向かいに腰を下ろした。
湯気が上がる。
今日は斧を振っていない。
でも、腕は結構使った。
土袋は重かったし、木枠を持ったまま少しずつ動かすのも、意外と疲れる。
パンをちぎり、煮込みへ浸す。
口へ入れた。
「うま」
〈労働のあとの飯〉
〈畑仕事回、よかった〉
〈今日できたのは何種類?〉
「植えたのは二種類ですね。薄葉草と青露草。片方は苗で、片方は種です」
リィナがうなずく。
「薄葉草は、土を少し変えた場所と比べます。青露草は、まず芽が出るかを見たいです」
〈芽が出たら報告頼む〉
〈ログインしたとき楽しみになるな〉
〈討伐報告と発芽報告が並ぶゲーム〉
「そうですね。管理の記録も見られるようにしておきましょうか」
もちろん、勝手に薬草の品質が全部分かるわけではない。
でも、部屋の温度設定が変わったか。
誰が確認したか。
水やりをしたか。
そういう作業の記録なら、残せる。
俺が気まぐれに水をやって、リィナも同じ日に水をやる。
そんなことにならないように。
「俺が勝手に触ると、ちょっと怖いので」
「やるときは、声をかけてください」
「はい」
〈家主へのルールが増えた〉
〈勝手に温度を変えない〉
〈勝手に水をやらない〉
〈勝手に収穫しない〉
「俺、結構信用されてません?」
「大きいものを運んでいただけるので、とても助かっています」
返答が、上手だった。
反論するところがない。
俺はパンをもう一口食べた。
◇
食後、マルクへ簡単な連絡を送った。
栽培室ができたこと。
薬草は、まだ植えたばかりであること。
しばらく販売できる量はないこと。
それから、買い取ってもらうとしたら、どんな状態がよいのか。
返事は、少しして届いた。
『乾燥させた薬草も扱えます。ただし、種類と品質を確認できるよう、混ぜずに保管してください。まずは少量から相談しましょう』
その下に、もう一文。
『なお、薬草をすべてポイント用の素材と交換する必要はありません。栽培や調合の費用も残しておきましょう』
「……先回りされましたね」
〈読まれてる〉
〈全部ダンジョンに入れるつもりだったか?〉
「全部ではないですよ。少しは、と思ってましたけど」
俺はリィナへ、届いた内容を見せた。
「売れるようになったら、次に育てるものや、調合の道具に使いましょう」
彼女は画面の文字を読み、それから俺を見た。
「改築のほうは、いいんですか?」
「迎撃室でも稼いでますし。何でもそっちへ回したら、畑が育たないでしょう」
まだ、植えたばかりだ。
売り物ができるかも分からない。
そんなうちから、全部の使い道を俺が決めるのも変だった。
「必要なものは、リィナが考えてください。大きい買い物だけ、一緒に相談しましょう」
リィナは、しばらく何も言わなかった。
それから、手元の紙をそっとそろえた。
「……では、まず記録を続けられるようにしたいです」
「紙ですね」
「はい。それと、収穫したものを、同じ条件で乾かして比べられる棚を」
「分かりました」
マルクへの返事に、書き加える。
薬草の乾燥に使う棚。
記録用の紙。
それから、必要な道具の相談。
熊の部屋までの道のりは、ちょっと遠くなったかもしれない。
でも、これはこれで、悪くない。
〈研究費、確保〉
〈リィナ工房、準備中〉
〈そのうちポーションに名前つくのかな〉
俺は、そのコメントを見て笑った。
「まだ早いですよ。今日、植えたばっかりなんですから」
〈お前が言うのかw〉
〈青露草に今すぐ生えろって顔してたやつが〉
……それは、そう。
◇
配信を終える前に、もう一度、栽培室へ行った。
扉を開ける。
先ほどまで人が動き回っていた部屋は、静かだった。
左右の木枠。
湿った土。
小さな札。
その間に、薄葉草が並んでいる。
照明を少し落とすと、石の壁の白さが和らいだ。
「……家の中に、緑がある」
思っていた以上に、いい。
厨房や寝室ができたときとも違う。
ここには、育っていくものがある。
明日、俺がいない時間も。
学校で授業を受けている間も。
土の中で、少しずつ何かが変わっていく。
イトが俺の横へ来た。
植えた苗の前でしゃがむ。
触らずに、見るだけ。
「おおきく、なる?」
「うまく育てばな」
イトは、葉を見つめた。
「……たべる?」
「これは、薬の材料。勝手に食べちゃ駄目だぞ」
すぐに振り返る。
食堂で蜂蜜の話をしたせいか、畑も食べるものだと思っていたらしい。
リィナが隣へしゃがんだ。
「元気になれる薬を作るために、育てるんです」
イトはリィナを見て、また苗を見る。
それから、小さくうなずいた。
「しゅら、つかう?」
俺は少しだけ、言葉に詰まった。
リィナが笑う。
「必要なときには、使ってもらいましょう」
イトが、真面目な顔で苗へ向き直った。
「……おおきく、なれ」
〈かわいいなぁ〉
〈大事に育てよう〉
〈これは収穫のとき絶対うれしい〉
俺もしゃがもうとして、通路の狭さに少し苦戦した。
膝をぶつけないように。
木枠を押さないように。
ようやく姿勢を落とす。
葉の先に、小さな水滴が残っていた。
「まずは、枯らさないところからですね」
リィナがうなずく。
「はい。毎日、見ていきます」
「困ったら、俺にも言ってください。土運びでも、棚づくりでも」
「お願いします」
返事をした彼女は、もう入口で遠慮していたときの顔ではなかった。
奥の机へ戻り、記録の最後へ何かを書き加える。
その横に、イトが立つ。
俺は入口の柱へ背中を預け、二人を眺めた。
ここへ最初に入ったときは、糸だらけだった。
暗くて。
魔物がいて。
奥まで進むために、武器を握っていた。
それが今は、畑の水を確認している。
〈ダンジョンって何だっけ〉
〈生活が充実していく〉
〈蜂蜜と薬草、次の交易便が楽しみ〉
〈そのうち商人が住みつきそう〉
「いやぁ。さすがに、そこまでは」
笑って答える。
そのとき、マルクから追加の連絡が届いた。
『栽培を始められたのであれば、次の便に、薬草を扱う者を一人同行させてもよろしいでしょうか。ご相談に乗れるかと思います』
俺は文字を読む。
隣のリィナを見る。
彼女の目が、少し輝いた。
「……来てもらいましょうか」
「はい。ぜひ」
〈早速一人増えるぞ〉
〈人が来る理由ができた〉
〈家主、部屋足りる?〉
「相談に来てもらうだけですからね?」
そう言って、俺は返事を送った。
送ってから、少し考える。
せっかく来てもらうなら、座る場所は要る。
机も、今の食堂でいいか。
資料を広げるなら、もう少し――。
俺の視線が、壁へ動いた。
リィナが気づく。
「修羅さん」
「はい」
「今日は、もう掘りません」
〈止めたw〉
〈研究担当、管理能力も高い〉
〈家主は学校があります〉
ちょうど、その言葉を追いかけるように、設定していた通知が鳴った。
ログアウトの時間だ。
俺は壁から目を離す。
「……じゃあ、続きはまた今度ですね」
小さな栽培室を、もう一度見渡す。
まだ、何も収穫していない。
売れるものも増えていない。
でも、ここへ来る理由と、明日確かめたいものは増えた。
「明日、ちょっと育ってたりしますかね」
「一日では、そんなに変わらないと思いますよ」
「ですよねぇ」
それでも。
ログインしたら、たぶん最初に見に来る。
そんな気がした。




