7話 養蜂
●主人公視点
はい。蜂蜜のために、まず人を待っている修羅でーす。
今日はダンジョンの入口で待機中だ。
斧は壁に立てかけてある。
魔物を誘い込む魔石の箱も、閉めてある。
その代わり、机の上には図面を広げた。
「今日は、専門家の方に来てもらいます」
〈養蜂回だ!〉
〈本当に飼うんだな〉
〈蜂蜜用の瓶は買った?〉
「まだです。先に買うと、リィナに早いって言われそうなので」
「早いです」
隣から、すぐに返ってきた。
〈もう言われた〉
〈判断が早い〉
〈家計が守られている〉
リィナは机の上の紙を整えながら、入口へ目を向ける。
イトも、その隣に座っていた。
さっきから何度も外を覗いている。
「そんなに気になるか?」
「はち、くる?」
「今日は、どうすれば飼えるか見てもらうところからな」
分かったような、分かっていないような顔。
でも、ちゃんとうなずいてくれた。
その直後、入口の外から声がした。
「修羅さん。お連れしましたよ」
マルクだ。
その後ろから、二人が姿を現す。
一人は、見覚えのない若い男。
もう一人は、灰色の髪を後ろで束ねた、年配の女性だった。
女性は俺を見るなり、足を止めた。
視線が、頭から足元へ下りる。
それから、入口の広さを確かめるように周囲を見た。
「……あんたが、蜂を飼いたいっていう鬼かい」
「はい。修羅です。今日はありがとうございます」
「エダだ。魔物の飼育を見てる」
短い挨拶だった。
だが、腰に下げた道具袋と、傷の多い革手袋が、妙に頼もしい。
隣の若い男が、少し緊張した様子で頭を下げた。
「初めまして。いつも配信を見ています。コメント名は、獣医見習いです」
「おぉ! いつもありがとうございます」
〈先生の中の人きた〉
〈いつもの有識者だ!〉
〈お前もそっち側に行くのか〉
俺が手を差し出すと、男は一瞬固まり、それから両手で握った。
「……本当に、修羅さんだ」
「はい。たぶん」
「手、大きいですね……」
〈視聴者が会ったときの反応〉
〈領主と同じこと言ってる〉
エダさんが、その背中を軽くたたいた。
「感心するのは後だよ。箱、傾けるんじゃない」
「あ、はい!」
見習いさんが慌てて姿勢を正す。
背負っていたのは、四角い木箱だった。
側面に、小さな穴がいくつも開いている。
そこから、かすかな羽音が聞こえた。
「……もう、いるんですか?」
「相談どおり、小さな群れを連れてきた。置ける場所がなけりゃ、そのまま持ち帰るよ」
エダさんは、当たり前のように言った。
俺は木箱を見た。
中から、ぶうん、と音がする。
〈物件内見に入居者も同行〉
〈蜂御一行〉
〈緊張してきた〉
「じゃあ、まず場所を見てもらってもいいですか?」
「あぁ。蜂より先に、あんたの家を見ようか」
◇
エダさんは、すぐに箱を開けなかった。
最初に確認したのは、入口からの道だった。
次に、商隊の搬入場所。
それから、魔物を誘い込む迎撃室。
俺が魔石の箱を指すと、少し眉を上げた。
「ここへ、野生の魔物を寄せるんだね?」
「俺がいるときだけです。今は閉めてます」
「蜂の出入り口は、こっちに向けちゃ駄目だよ」
図面に指が置かれる。
「戻ってくる蜂と、入ってくる魔物がぶつかる。巣を守ろうとするし、騒ぎが続けば落ち着かない」
「じゃあ、反対側ですかね」
「見てからだ」
〈即答しない専門家〉
〈家主、早く決めたそう〉
俺たちは入口へ戻り、外壁に沿って歩いた。
ダンジョンの入口から少し離れたところに、岩が張り出している。
その下は雨が当たりにくく、近くに背の低い草も生えていた。
エダさんはしゃがみ、土へ手を当てる。
顔を上げて、木々の揺れ方を見る。
「奥は?」
「今は、使ってない壁ですね。第一階層の端です」
「なら、中側に小さく部屋を造って、ここへ蜂の出入り口を抜く。人が通る入口は、別だ」
俺は図面と岩壁を見比べた。
生活区画から、少し離れている。
迎撃室とも反対側。
ここなら、搬入のたびに蜂の前を横切る必要もない。
「なるほど。じゃあ、ここを広く――」
「最初から広くしなくていい」
言い切られた。
〈止められたw〉
〈掘りたかったんだな〉
〈専門家、家主の扱いが早い〉
「巣箱を一つ置いて、人が扱える場所があればいい。大きくするのは、その群れがここで暮らせてからだ」
「……はい」
図面の大きな丸を、小さく描き直す。
その横で、リィナが小さく笑った。
◇
部屋を造る前に、気になっていたことを聞いた。
「ちなみに、蜂って、俺たちを刺したりしないんですか?」
木箱が気になる。
さっきからイトも、少し離れた場所でじっと見ていた。
飼うからには、俺だけ平気ならいいわけではない。
リィナもいる。
ガドも来る。
商隊や、村の人だって入ってくる。
「絶対に刺さない、とは言わないよ」
エダさんは、はっきり答えた。
「踏まれりゃ抵抗する。巣を壊されても同じだ。だから、触らなくて済む造りにする」
「あぁ……」
「それと、この群れには従属契約を結ぶ」
俺は顔を上げた。
「……従属契約?」
〈お?〉
〈そんなのあるんだ〉
〈テイマー系の人が使ってるやつ?〉
「魔物を飼育するための契約だよ。そこの蜘蛛たちとは、違う形になるがね」
エダさんの視線が、イトへ向く。
イトは俺の後ろから、顔だけを出した。
「召喚した魔物みたいな扱いですか?」
「同じじゃない。野生の魔物と関係を結ぶためのものさ。相手がいれば何でも通る、なんて便利なものじゃないよ」
見習いさんが、木箱を慎重に地面へ下ろした。
「今回の群れは、飼育場で人の世話に慣れた女王から分かれたものです。女王を中心に、巣の群れとして契約を結びます」
「一匹ずつ、じゃないんですね」
「この種類は群れで暮らしますから。巣の働き蜂も含めた契約になります。ただ、別の場所にいる野生の蜂まで従うわけではありません」
〈巣単位なのか〉
〈野生の巣を見つけて即契約とはいかんのね〉
〈ちゃんと飼育用の群れを連れてきてくれたんだ〉
俺は木箱を見下ろした。
つまり、先日見つけた巣を、そのまま取りに行くわけではない。
あの蜂たちは、あそこで暮らしたまま。
ここへ来るのは、人の管理に慣れた、小さな群れ。
それなら、少し安心した。
「契約すると、何ができるんですか?」
「世話をする者を認識させる。巣へ戻らせる。危ないときに待機させる。その程度からだね」
「リィナやイトも、覚えてもらえます?」
「会わせて、覚えさせる。だが、契約したからといって、誰でも巣へ手を突っ込んでいいわけじゃない」
エダさんが、俺を見る。
「蜜も全部持っていかない。餌が足りなきゃ足す。具合が悪けりゃ調べる。あんたの指示を聞くようになっても、世話が要らなくなるわけじゃないよ」
「……はい」
〈しっかり説明してくれる〉
〈契約で全部解決じゃないのいいな〉
〈修羅、真面目に聞いてる〉
そりゃ、聞く。
住む場所を用意するのは俺だ。
分からないまま飼い始めて、あとから困るのは嫌だった。
蜂たちにとっても。
家のみんなにとっても。
「じゃあ、安全のために契約して、さらに部屋もちゃんと分ける、と」
「そういうことだ」
エダさんが、初めて少し笑った。
◇
必要な部屋は、小さかった。
第一階層の端。
今は使っていない壁際を、巣箱と作業場所が収まる分だけ広げる。
ポイントの消費予定を見て、俺は少しだけ黙った。
〈減るぞ〉
〈貯金が減るぞ〉
〈蜂蜜への投資〉
「……必要経費です」
「無理なら、今日はやめておけるよ」
エダさんが言う。
俺はもう一度、数字を確かめた。
大きな部屋を掘るわけではない。
これを造っても、ほかの魔物の維持や、急な修繕に困るほどではなかった。
「大丈夫です。ここは、ちゃんと造ります」
決定する。
指定した壁が、低い音を立てて奥へ広がった。
現れたのは、何もない、小さな石の部屋。
そのままでは、ただの穴だ。
ここから先は、持っている資材を使う。
巣箱を置く台。
湿った床へ直接触れないための脚。
点検用の明かりを取り付ける場所。
それから、人が出入りする扉。
「扉は二つだね」
「二つ?」
「一つ閉めてから、もう一つ開ける。蜂がついてきても、生活区画へ抜けにくい」
〈二重扉か〉
〈家の中を飛ばれるのは困る〉
〈食堂に来たらイトが追いかけそう〉
イトを見る。
ちょうど木箱を見ていた。
俺の視線に気づき、首を傾ける。
「……捕まえないでな」
「はち?」
「そう。うちで飼うやつは、仲間だから」
少し間を置いて、イトがうなずいた。
「なかま」
〈かわいい〉
〈採用されました〉
〈イト先輩、よろしくお願いします〉
見習いさんが、声を出さずに胸を押さえていた。
エダさんに見られ、すぐ板材を持ち直した。
外へ通じる蜂用の穴は、高い位置に開けた。
その周りには、雨が入りにくい小さな庇。
穴の前を、人が普段から横切らないようにする。
内側には閉じられる仕切りもつけた。
ただし、出入りを止めるのは、点検や移動など必要なときだけ。
ずっと閉じ込めて飼うわけではない。
「近くの花も見てきました」
見習いさんが、書きつけを見せてくれる。
「今の時期に使える花はあります。ただ、時期が変わると減るので、そのときは補助の餌が必要になります」
「ずっと、同じように採れるわけじゃないんですね」
「はい。蜜が採れない時期もあります」
なるほど。
毎日、瓶に蜂蜜が湧くわけではないらしい。
俺はそのことを、図面の余白へ書き込んだ。
〈売上予測が修正されていく〉
〈農業の話になってきた〉
「何事も、始めてみると覚えることありますねぇ」
部屋の片隅には、道具を置く棚もつけた。
採蜜用の道具と、防護用の装備。
普段の武器や解体道具とは、混ぜない。
扉を開けた正面には、巣箱を置かない。
人が入ってくるたびに、真正面から巣を刺激しないためだそうだ。
小さい部屋でも、配置に意味がある。
俺はエダさんの言うとおり、巣箱の台を少し横へ動かした。
◇
部屋が整うと、エダさんは全員をいったん外へ出した。
扉を確かめる。
蜂の出入り口を確かめる。
巣箱を置く台に手を置き、ぐらつきがないか調べる。
「よし。じゃあ、契約をやろうか」
俺は斧を、部屋の外へ置いた。
エダさんに渡された防護具を身につける。
頭まで覆う網越しに、視界が少し暗くなった。
〈鬼の養蜂家〉
〈角のところ、ちゃんと収まってる〉
〈それ専用サイズ?〉
「事前に、大きさを聞かれた理由が分かりました」
革手袋もはめる。
準備ができたところで、見習いさんが巣箱を台へ乗せた。
羽音が、少し強くなる。
俺は息を止めかけて、ゆっくり吐いた。
「まず、女王にあんたを覚えさせる」
エダさんが、小さな仕切りのある枠を取り出した。
その中に、一匹の蜂がいた。
働き蜂より、腹が長い。
そいつが脚を動かし、こちらを向く。
「この子が?」
「あぁ。急に動かすなよ」
言われた場所へ、手を近づける。
触るのではない。
枠の外側へ、手を添えるだけ。
エダさんが俺の手首へ触れた。
「少し、魔力を流す。強く押しつけるんじゃない。相手に渡すつもりで」
俺は、自分の手を見た。
鬼装を使うときとは違う。
武器を包むように広げず、もっと小さく。
指先へ意識を向ける。
女王の触角が動いた。
近づいてくる。
俺の手袋を、枠越しに探るように触れた。
……待つ。
エダさんも、何も言わない。
やがて、目の前に文字が浮かんだ。
【琥珀蜜蜂の女王との従属契約を行いますか?】
「……出ました」
「相手が、こちらを受け入れた。条件を読んでから決めな」
俺は表示を開いた。
契約の対象は、この女王と、その巣に属する群れ。
世話をする者の登録。
基本的な指示の伝達。
そして、飼育環境の維持。
召喚ではない。
一覧から呼び直せるようになる契約でもない。
ここにいる群れを、ここで飼うためのものだった。
「……よろしくな」
俺は承諾した。
【従属契約が成立しました】
【契約対象:琥珀蜜蜂の群れ】
羽音が止まったわけではない。
蜂が急に、かわいい声で返事をしたわけでもない。
ただ、不思議と分かった。
巣箱の中に、群れがいる。
女王がいる。
そして今、落ち着いている。
「……なんか、分かりますね」
「最初は、そのくらいさ。慣れりゃ異変にも気づきやすくなる。ただし、目で見るのをやめるんじゃないよ」
「はい」
〈契約成立!〉
〈蜂が仲間になった〉
〈これで修羅の家に新しい住民が〉
〈次は何が住むんだ、この家〉
エダさんが女王を巣箱へ戻す。
しばらくしてから、出入り口を少し開けた。
一匹、蜂が顔を出す。
ゆっくりと台の縁を歩いた。
羽を震わせる。
俺の肩が、勝手に少し上がる。
〈家主、緊張してる〉
〈さっきまで契約してたのにw〉
「顔の高さを飛ばれると、やっぱり構えますよ」
蜂は俺へ向かってこなかった。
巣箱の前を短く飛び、壁へ止まる。
また飛ぶ。
何度かそれを繰り返してから、外へ通じる穴へ向かった。
光の中へ、小さな影が抜けていく。
「……出た」
「周りを覚えるところだ。今日は、様子を見る」
続いて、二匹目。
三匹目。
部屋の中の羽音が、少しずつ外へ広がった。
◇
リィナとイトにも、エダさんが付き添って会わせた。
登録したからといって、勝手に巣箱を開けていいわけではない。
慣れるまでは、必ず俺か、扱いを覚えた者と一緒。
扉も、片方ずつ閉める。
採蜜は、今日しない。
「えっ」
思わず声が出た。
エダさんが、俺を見る。
「引っ越してきた日に、食い物まで持っていく気かい」
「……いえ」
〈正論すぎる〉
〈家主、蜂蜜の口になってた〉
〈入居初日に家賃を回収するな〉
イトが俺を見上げる。
「みつ、まだ?」
「まだだって」
「……まだ」
二人で巣箱を見る。
その隣で、リィナが笑いをこらえていた。
マルクは完成した部屋を確認してから、俺へ向き直る。
「取引のお話は、最初の収穫量を見てからにしましょう」
「ですね。俺たちが食べる分も要りますし」
「えぇ。群れに残す分も、その次に忘れずに」
「……もちろんです」
〈今、一瞬順番間違えたな〉
〈まず蜂のごはん〉
〈次に修羅とイト〉
〈最後に商人〉
「随分、後ろになりましたね」
マルクが苦笑する。
俺も笑った。
まだ、蜂蜜は一滴も手に入っていない。
ポイントは、むしろ減った。
養蜂の道具も、防護具も、専門家へ払う費用もある。
今日だけを見れば、普通に出費だ。
それでも。
外の穴から、蜂が一匹戻ってきた。
部屋を少し回り、巣箱へ降りる。
脚には、黄色いものがついていた。
「……戻ってきましたね」
エダさんが、その動きを見てうなずく。
「あぁ。まずは、いい出だしだ」
俺は扉のそばへ寄り、邪魔にならない位置から巣箱を眺めた。
ここで暮らしてくれればいい。
俺たちも、少しずつ世話を覚える。
そのうち蜜が余ったら、分けてもらう。
さらに余ったら、マルクに渡して、改築に使うものを運んでもらう。
急がなくても、その順番でいい。
〈蜂蜜ダンジョン、始まった〉
〈今日は増設したのに、前と違ってちゃんと目的ある〉
〈初収穫の配信、待ってる〉
〈パンも用意しておいてくれ〉
「パンは、ちゃんと練習しておきます」
俺が答えると、イトが袖を引いた。
「いま?」
「……今日は、何も塗ってなくてもいいか?」
イトは少し考えた。
それから、うなずく。
「たべる」
〈食べるんかい〉
〈結局パン回も始まる〉
俺は巣箱へ、もう一度目を向けた。
「じゃあ、みんな。よろしくな」
返事の代わりに、低い羽音が続いていた。




