6話 ハチミツの可能性
●主人公視点
はい。今日は外に出ている修羅でーす。
ここのところ、ダンジョンの入口で魔物を待つ日が続いていた。
それはそれで楽しい。
猪が走って、蜘蛛が糸を張って、ポイントが増える。
素晴らしい仕組みだと思う。
ただ、ずっと待っていると、ちょっと体を動かしたくなるわけで。
「今日は素材集めも兼ねて、散歩です」
〈家主が外に出た〉
〈箱の蓋は閉めた?〉
「閉めました。確認もしました」
〈よし〉
〈親みたいなコメント増えたな〉
斧を担ぎ直し、森の中を歩く。
今日はイトもリィナも留守番だ。
素材を整理するついでに、倉庫の置き方を変えるらしい。
俺も手伝うと言ったんだが。
『修羅さんが戻ってから、大きいものを動かしてください』
そう言われた。
どうやら、先に置き場所を決めたいらしい。
俺が途中で「こっちも広げたくない?」と言い出すことを、警戒されているのかもしれない。
〈今日はどっちに行くん?〉
「南の水場から、少し西へ。ガドが、花の多い場所があるって言ってたので」
〈花?〉
〈修羅が花摘み?〉
「薬草もあるかもしれないでしょう。俺だって、たまには肉以外を採ります」
もっとも、薬草の見分けはまだ慎重にやらなければならない。
持ち帰って、リィナに確認してもらうつもりだ。
適当に摘んで、食卓へ並べるわけではない。
木々の間から差す光が、少しずつ強くなった。
頭上の枝が途切れる。
「お」
森が、開けていた。
緩やかな斜面に、白と黄色の花が広がっている。
背の低い草の間を、風が通り抜けた。
水の音も聞こえる。
近くに、細い流れがあるのだろう。
「……いい場所ですね」
〈きれい〉
〈家の近くにこれあるのいいな〉
〈ピクニックできそう〉
「弁当、持ってくればよかったですねぇ」
そう言いながら足を進めたところで。
低い羽音がした。
ぶうん、と。
耳のすぐ横を、大きな影が横切った。
「うわっ」
思わず首を引く。
黄色と黒。
丸い腹。
半透明の羽。
蜂だ。
ただし、でかい。
俺の拳より、もう少し大きい。
「……ピクニックは、ちょっと考え直しましょう」
〈でっか〉
〈嫌だ嫌だ嫌だ〉
〈今イヤホンで聞いてたんだが〉
〈羽音、近すぎる〉
蜂は少し先で向きを変えた。
空中に留まり、こちらを見ている。
俺はすぐには斧を振らなかった。
ゆっくり、一歩下がる。
そいつも、近づいた。
もう一歩。
また、近づく。
「……俺、何かしました?」
〈巣が近いんじゃない?〉
〈後ろ見たいけど刺激したくないな〉
視線だけを動かす。
斜面の上。
太い木の根元に、暗い穴があった。
そこから、もう一匹出てくる。
まずい。
俺は花の少ないほうへ、斜めに下がった。
蜂が腹を曲げる。
先端に、細い針が見えた。
次の瞬間、羽音が高くなった。
「ッ!」
顔を狙って飛んできた蜂を、斧の腹で払う。
硬いものが当たる感触。
そいつは弾かれたが、すぐに羽を立て直した。
もう一匹が横から来る。
斧を戻す。
間に合わない。
左手で籠手を前へ出すと、針が革の表面を擦った。
「……おっと」
〈危なっ〉
〈二匹いる〉
〈巣の前から離れて!〉
「分かってます!」
後ろへ走る。
ただ、真っすぐではない。
近くの木を挟み、その幹の陰へ回り込んだ。
追ってきた蜂が左右に分かれる。
片方が先に、幹の横から顔を出した。
そこで、ようやく鑑定が通る。
【琥珀蜜蜂 Lv.27】
「蜜蜂かよ!」
〈知ってる蜜蜂と違う〉
〈蜜蜂ってそんな追ってくる?〉
〈巣の近くなら怒るだろ〉
木の陰へ引き込むように、一歩下がる。
蜂が追う。
腹を曲げた瞬間、斧の柄を短く持ち、横から打った。
潰すほど大きく振る必要はない。
まず、飛べなくすればいい。
刃が羽の付け根へ入った。
蜂が地面に落ちる。
すぐに二匹目が回り込んできた。
俺は幹へ背中を向けず、足を入れ替える。
迫る針。
斧の柄で腹を外へ押し、そのまま刃を返した。
一匹目より、少し深く入る。
蜂が草の中へ落ちた。
まだ動いていた一匹目にも、とどめを刺す。
【琥珀蜜蜂を討伐しました】
【経験値を獲得しました】
表示を確認してから、俺はさらに木二本分、距離を取った。
羽音に耳を澄ませる。
……追ってはこない。
「ふぅ」
〈おつ〉
〈斧で蜂を落とすな〉
〈あの大きさなら落とせそうだけど俺には無理〉
「俺も、顔に来られると嫌ですね。針が普通に見えるので」
籠手を見る。
表面に細い傷はついているが、突き抜けてはいなかった。
念のため、状態表示も確認する。
毒などの異常はない。
「防具、大事ですねぇ……」
拾った蜂を、草の少ない場所へ運ぶ。
ここまで来れば、巣からも十分に離れている。
そこで初めて、じっくり観察した。
腹に細かい毛が生えている。
脚にも、黄色い粉のようなものがついていた。
「これ、花粉ですかね」
〈っぽい〉
〈蜜蜂だしな〉
〈蜜、持ってない?〉
「蜜?」
コメントを見て、手が止まった。
蜂を見る。
花を見る。
遠くの、木の根元を見る。
「……蜂蜜?」
〈気づいた〉
〈食べ物を見つけた顔〉
〈さっきまで針にびびってた人です〉
そうか。
蜜蜂。
だったら、あるんじゃないか。
蜂蜜が。
◇
俺は巣へ近づかず、離れた木陰から様子を見た。
木の根元へ、蜂が戻っていく。
別の蜂が出てくる。
出てきた一匹は、こちらへ向かってはこなかった。
そのまま花の上へ降り、腹を揺らしている。
「……普通に、蜜を集めてますね」
〈巣に近づかなければ平気なのかな〉
〈さっきは家の前に斧持った鬼が来たわけだし〉
「言い方。いや、そうですけど」
地面に置いた二匹へ目を向ける。
倒したのは、襲ってきたやつだけだ。
巣の中にどれだけいるかも分からない。
ましてや、蜂蜜が欲しいからといって、ここから突っ込むつもりもない。
だが。
「……採れるんですかね。蜂蜜」
〈採れるよ〉
〈街の露店で見た〉
〈小瓶でも結構した記憶〉
〈パンに塗って食べた。うまかった〉
「へぇ」
食べた人がいる。
なら、食材としては確実に存在するわけだ。
それも、売り物になる。
俺の頭に、厨房の棚が浮かんだ。
焼いたパン。
温かいお茶。
それから、肉。
「猪肉に塗って焼いたら、うまそうですね」
〈絶対言うと思った〉
〈まず肉〉
〈蜂蜜パンじゃなくて猪に行くのが修羅〉
「パンも食べますよ。両方いきましょう」
口にしたら、余計に食べたくなった。
ただ、今の俺に採り方は分からない。
巣を殴って、出てきた蜂を全部倒せばいい。
……なんて方法だと、次がないだろう。
それに、蜂蜜ごと土や木くずまみれにしそうだ。
せっかく手に入れるなら、きれいに採りたい。
〈獣医見習い:その種類なら、こちらの飼育場にも巣があります〉
「お」
見覚えのある名前だ。
魔石の話を教えてくれた人。
「飼えるんですか?」
〈獣医見習い:はい。ただ、今から野生の巣へ手を出すのはおすすめしません。女王や巣の状態を見られる人が必要です〉
〈先生きた〉
〈専門家がいる安心感〉
「ですよね。俺も、採り方は全く分かってないです」
〈獣医見習い:働き蜂を一匹捕まえれば巣が増える、というものでもないので〉
俺は、そっと召喚一覧を閉じた。
〈今開いてたな?〉
〈見逃さないぞ〉
〈一匹呼べば蜜が出ると思いましたね?〉
「……出たら便利だな、くらいは」
〈正直でよろしい〉
どうやら、そんなに簡単ではないらしい。
花の場所。
巣を置く場所。
群れの状態。
余った蜜を、どれくらい採っていいのか。
ちゃんと覚えることがある。
俺は見つけた場所を地図へ記録した。
巣のすぐそばではなく、近づきすぎないための目印もつける。
あとでガドにも伝えておこう。
「じゃあ、今日は場所だけですね。詳しい人に聞いてからにしましょう」
〈珍しく即決で突っ込まない〉
「蜂蜜を泥まみれにしたくないので」
〈理由は食欲〉
〈一貫してる〉
◇
倒した蜂を包み終えたところで、またコメントが流れた。
〈荷台のすみ:琥珀蜜蜂なら、蜜の取引はできますよ〉
「マルクさん。いたんですか」
〈荷台のすみ:途中から拝見しています。針が刺さらなくて何よりです〉
〈商人、蜂蜜の話に間に合った〉
〈食材の匂いを嗅ぎつけた〉
「これ、売れるんですね」
〈荷台のすみ:品質と採取後の扱いによりますが。定期的に用意できるなら、なお助かります〉
定期的に。
俺は、その言葉をもう一度頭の中で繰り返した。
蜂が蜜を集める。
余った分を採る。
俺たちも食べる。
さらに余れば、売る。
……いいな。
何より、家に蜂蜜がある生活は、かなりいい。
ポイントだけを考えていたときとは、違う楽しみが出てきた。
「ただ、飼うとなると場所が要りますねぇ」
〈結局改築になる〉
〈ポイントを稼ぐために部屋を造るためのポイント〉
〈家主、また悩む〉
花畑を眺める。
蜂はせっせと花の間を移動していた。
ダンジョンの奥に巣を置くだけでは、駄目だろう。
外へ出入りできなければならない。
来客とぶつからない場所も必要だ。
魔物を誘い込む入口と、同じところに置くのも嫌だな。
「……まずは、蜂蜜が採れるようになってからですけど」
そこで、ふと思いついた。
俺はマルクのコメントを探し、口を開く。
「蜂蜜を渡す代わりに、素材を運んでもらうのってできます?」
〈荷台のすみ:素材、ですか?〉
「使い道のない骨とか、殻とか。普通に買うにはもったいないけど、俺のところなら使えるやつです」
一階の迎撃室。
交換待ちの素材。
減っては増える、ダンジョンポイント。
それから、商隊の荷台。
頭の中で、つながった。
「行きに小鬼の集落の商品を持っていって、帰りにそういうのを積んでくる。で、こっちで蜂蜜を渡す、みたいな」
〈お?〉
〈物々交換か〉
〈蜂蜜が部屋になる〉
〈花から始まるダンジョン増築〉
もちろん、運んでもらう分のお金はかかる。
使える骨や皮なら、向こうだって普通に売るだろう。
何でも無料でもらえるとは思っていない。
ただ、余って困るものを、俺が使えるなら。
わざわざ高い素材を買うより、ずっとよさそうだ。
〈荷台のすみ:条件を合わせれば可能です。運搬費も含めて、交換する量を決めましょう〉
「おぉ」
〈荷台のすみ:ただ、蜂蜜がどれだけ採れるか、まだ分かりませんよね〉
「……はい」
〈荷台のすみ:では、まずそこからですね〉
〈商談の前に養蜂〉
〈商品、まだ一滴もないんですよこの人〉
〈未来の蜂蜜で交渉するなw〉
言われてみれば、その通りだった。
巣を遠くから眺めているだけだ。
俺のものですらない。
「じゃあ、とりあえず詳しい人を紹介してもらえます?」
〈獣医見習い:師匠に、相談を受けてもらえるか確認してみます〉
〈荷台のすみ:私も採蜜をしている方に心当たりがあります。お話はつなげますよ〉
「ありがとうございます。助かります」
いきなり巣を持ち帰らなくてよかった。
俺だけでやっていたら、箱に蜂を入れて、どうして蜜が増えないんだと首をひねいていたかもしれない。
いや、それ以前に箱へ入れるところで刺されていたな。
何匹も。
◇
帰り道では、予定どおり薬草らしいものを少し採った。
確信がないものは、根こそぎにせず、葉を見本として包む。
それから、ガドに会ったので蜂の巣の場所を伝えた。
「あそこか」
「知ってた?」
「近づくなよ。追われる」
「……もう、ちょっと追われた」
ガドが俺の籠手を見る。
傷を見つけ、鼻を鳴らした。
「だろうな」
〈先に聞けばよかった〉
〈ごもっとも〉
「今度から気をつけます。それで、あの蜂、飼えないか調べようと思って」
「蜜か」
「あぁ。食べたいし、余ったら交換に使えるかなって」
ガドは少し考えた。
「花のある場所を潰すなよ」
「巣を置くために?」
「木を切って、全部広げるな。咲く場所が違う」
俺は、後ろの森を振り返った。
明るく開けた花畑。
木陰に咲いていた、小さな花。
確かに、同じものばかりではなかった。
「……なるほど」
空いている場所を見つけて、広く掘ればいい。
そんな話ではないらしい。
部屋を造る前に、また覚えることが増えた。
でも、今度はそれほど面倒には感じなかった。
先に、蜂蜜のかかった肉が待っているからかもしれない。
◇
「ただいまー」
ダンジョンへ戻ると、食堂の机に布が広げられていた。
リィナが顔を上げる。
「お帰りなさい。何か見つかりましたか?」
「蜂」
その一言で、イトもこちらを向いた。
「はち?」
「あぁ。これくらいの」
手で大きさを示す。
イトの視線が、俺の手から荷物へ移る。
近づいてきたので、包んでいた一匹を見せた。
白い頭が、ゆっくり傾く。
脚を見る。
羽を見る。
それから、前へ手を伸ばしかけた。
「針があるから、そこは触るなよ」
ぴたりと手が止まる。
〈いい子〉
〈イトから見ても珍しいんだな〉
リィナにも巣の話をする。
花畑で追われたこと。
蜂蜜が採れるらしいこと。
詳しい人へ聞いてから、飼えるか考えたいこと。
「蜂蜜ですか」
リィナの顔が、少し明るくなった。
「知ってる?」
「はい。前に、少しだけ食べたことがあります」
「うまかった?」
「甘くて、花の香りがしました」
その説明は、よくない。
まだ食べられない俺には、かなりよくない。
「……パン、焼きましょう」
「蜂蜜は、まだですよね?」
「練習です」
〈待ちきれなくなってる〉
〈養蜂の話が製パンに逸れる〉
〈まず何も塗ってないパンを食う配信〉
イトが、俺の袖を引いた。
「あまい?」
「そう。甘いやつ」
「たべる」
「俺も食べたい」
意見が一致した。
これはもう、調べるしかない。
俺は図面を取り出した。
ただし、今日は壁を掘るためではない。
入口の外側。
商隊が来る道と、魔物を誘導する場所。
それぞれに印をつけてから、まだ何もない余白へ、小さく丸を描く。
その中に、書いた。
『蜂の巣候補』
〈増設予定、増えました〉
〈我慢するって言ったそばから〉
「まだ候補です。場所も、ちゃんと相談してから」
その横に、もう一つ書き足す。
『蜂蜜 → 交換用素材』
リィナが覗き込み、俺を見る。
「蜂蜜を売るんですか?」
「余ったらな。マルクさんに、使えない素材を持ってきてもらえそうなんだ。それをポイントにして、少しずつ広げる」
「なるほど……」
「もちろん、食べる分は残すぞ」
イトが大きくうなずいた。
〈そこ最重要〉
〈イトの承認が下りました〉
〈この家、食べ物が絡むと話が早い〉
俺は図面の端を押さえた。
魔物を待って稼ぐ一階。
外で集めた素材。
それから、いつか採れるかもしれない蜂蜜。
まだ何も始まっていない。
だが、部屋を広げるために外へ出て、帰ってきたら、広げたい場所がまた増えていた。
「……困りましたねぇ」
〈楽しそうだぞ〉
〈全然困ってない顔〉
俺は図面を見たまま、笑った。
「とりあえず、蜂蜜用の瓶って、どこで買えます?」
〈気が早い〉
〈荷台のすみ:そちらも扱っております〉
〈逃がさない商人〉




