第2話:4歳児、朝ドラヒロイン(三女)になる〜英語ペラペラバグを添えて〜
「マコちゃん、次カメ準備できまーす! スタンバイお願いしまーす!」
スタジオ内に響き渡るフロアディレクター(FD)の威勢の良い声。
天井にズラリと並んだ巨大な照明機材がギラギラと熱を放ち、プロ仕様のデカいカメラが三台、私を捉えている。
スタジオの片隅には、モニターを食い入るように見つめる監督と演出家、そして「うちの子最高!」と言わんばかりに両手を組んでうっとりしている我が母・葛貫智恵子(30歳)の姿があった。
(……なんで?????)
私は心の中で、今日何度目か分からない血の涙を流していた。
前世で三十二年の社畜人生を事故死で終え、三十年前の2歳児にタイムリープした私、葛貫真理子。
現在、御歳四歳。
本来の人生計画では、今頃幼稚園で静かに「普通のおしとやかで賢い子」を演じ、裏でチートノートを駆使して将来の優良株をじわじわ買い集めているはずだった。
なのに。
2年前、公園で砂遊びをしていた私を見たスカウトマンに声をかけられ、気付けばキッズモデルになり、子供服のカタログの表紙を飾り、あれよあれよという間に大手芸能事務所に所属。
そして今日、私はNHKの全国放送、朝の連続テレビ小説——通称「朝ドラ」の撮影現場で、主要キャストとしてライトを浴びている。
私の完璧だった「静かな金持ち社畜回避プラン」は、跡形もなく崩れ去っていた。
1. 母のホラ話(自慢)と、世界を侵食する「バグ」
なぜこうなったのか。
すべての元凶は、母・智恵子の「盛大すぎるホラ話」である。
ことの始まりは一ヶ月前。キッズモデルの撮影現場でのインタビューだった。
記者から「真理子ちゃんは何か習い事をされているんですか?」と聞かれたのだ。
私は当然、ニッコリ微笑んで短く答えた。
「してないよ〜」
当然だ。習い事なんて行っている暇はない。2歳児の身体から4歳児の身体へ成長したとはいえ、体力をつけるのとチートノートの秘匿に忙しいのだ。それに、習い事の月謝を払うくらいならその金をインデックスファンドにぶち込みたい。
しかし、私の「してない」という素直な回答に、横から割り込んできたのが母だった。
『あらやだ記者さん! うちのマコちゃんたら謙遜しちゃって! 習い事なんて行かせてませんけどね、この子、英語がペラペラなのよ〜! 朝起きたらね、ネイティブも顔負けの流暢な発音で「グッドモーニング、マザー」って挨拶してくるんだから! 独学で英和辞典を丸暗記しちゃってねぇ〜!』
(言うてへん!!!!)
私はその場で白目を剥きそうになった。
言ったのは「おはよう」だ! 「グッドモーニング、マザー」なんて言った日には速攻で精神病院か研究所行きだろうが!
だが……恐ろしいのはここからだった。
母がそのホラを吹いた直後、私の脳内に強烈な「違和感」が走った。
まるで、世界のシステムデータが書き換えられたかのようなバグが発生したのだ。
試しに口を開いてみると——
「Oh, standard English? Yes, I can speak natively. (あ、標準的な英語ですか? ええ、ネイティブ並みに話せますよ)」
流暢なニューヨークアクセントの英語が、スラスラと口から飛び出してきたのだ。
(ファッ!????)
私の前世の英語力なんて、TOEIC 350点、「アイ・アム・ア・ペン」「ディス・イズ・ア・ペン」レベルだったはずだ!
それがどうだ。母が「英語がペラペラ」というホラを吹いた瞬間、私の脳と舌に世界のバグ(仕様変更)がかかり、本当にネイティブ級の英語が喋れるようになってしまったのだ!
当然、現場は大騒ぎ。
「すごい! 4歳でバイリンガル!」「天才子役だ!」と記者たちは大興奮。
そのニュースは瞬く間に業界内に広まり、結果として舞い込んできたのが——
朝ドラ『フレー!フレー!太陽!』の、主要キャストオーディションだった。
2. 朝ドラ『フレー!フレー!太陽!』と三女・咲良
『フレー!フレー!太陽!』。
前世の記憶を掘り起こせば、このドラマは平成初期に爆発的なヒットを記録し、最高視聴率30%を超えた伝説の朝ドラだ。
【ドラマのあらすじ】
昭和三十年代、貧しさのあまり実の父親に売り飛ばされてしまった三姉妹。
彼女たちを引き取ったのは、気性の荒い見知らぬ義母(演:大物ベテラン女優・高峰かおる)だった。
冷たそうに見えて実は不器用な愛を持つ義母と、実の親に捨てられた傷を抱える三姉妹。血の繋がらない家族が、ぶつかり合いながらも本当の絆を結んでいく感動のストーリー。
私が演じるのは、三姉妹の三女・咲良(4歳)。
長女は反抗的で義母とバチバチにやり合い、次女は心を閉ざして口をきかない。
そんなギスギスした家庭の中で、幼い三女・咲良は「義母と姉たちの仲を懸命に取り持つ、天使のような橋渡し役」という、超・重要ポジションである。
ちなみに、なぜ英語ペラペラバグが役に立ったかというと、「将来アメリカに憧れる天真爛漫な三女」という設定が急遽付け加えられたからだ。完全に母のホラに合わせて脚本が書き換えられている。こわい。
(まあ……いいわ。ドラマ出演なんて人生計画の外側だけど、幼い今のうちならいくらでも取り返しがつく)
撮影現場の片隅で、私は自分に言い聞かせる。
(朝ドラで知名度を上げておけば、将来子役を引退した時に「元天才子役の投資家」としてタレント本でも出せるかもしれない。出演料は全額株に回せばいい。それに、社畜時代に叩き込まれた「空気を読む力」と「社内政治の立ち回り」を使えば、子役の演技なんて朝飯前よ!)
三十二年間の社畜生活で培ったのは、理不尽な上司(演出家)の顔色を伺い、難アリのクライアント(共演者)に合わせ、完璧な「求められているペルソナ」を演じる技術だ。
4歳の可愛らしい見た目に、中身は経験豊富な社畜アシスタントマネージャー。完璧なビジネスマインドで乗り切って見せる!
3. 撮影開始! 昭和の居間と、大物女優の圧
「『フレー!フレー!太陽!』第12話、本番イレーす!」
カチンコが鳴る。
『よーい、ハイ!』
昭和三十年代の木造アパートを再現したセットの中。
ちゃぶ台を挟んで、重苦しい空気が漂っている。
義母役の大物女優・高峰かおる(50代・凄まじい大御所オーラ)が、鋭い目つきで白飯を食んでいる。
向かいに座る長女役(12歳)はフンと横を向き、次女役(8歳)はビクビクと震えてうつむいている。
空気は最悪。まさに社畜時代に体験した「炎上プロジェクトの進捗報告会議」と同じ空気感だ。
ここで、私の出番である。
三女・咲良は、この冷え切った空気を和らげるために、天真爛漫に口を開くのだ。
「おかあさん! きょうのたくあん、とってもおいしいよ!」
私は4歳児特有の舌足らずな可愛らしさを120%にブレンドし、満面の笑みで高峰かおる演じる義母を見上げた。
前世の社畜時代、理不尽に激怒している取引先の社長に「社長、今日のネクタイ素敵ですね!」と擦り寄ったあのスマイルである。
「……そうかい。たくさんお食べ」
高峰かおるの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
よし! 手応えあり! 完璧な「愛され三女」の演技だ!
だが、ここからが脚本の難所だった。
長女が箸をバンと叩きつける。
『ふん! 実の親でもないくせに、母親ぶらないでよ! 私たちを買い取ったくせに!』
怒鳴り散らして部屋を飛び出そうとする長女。
義母は黙って目を鋭くする。緊迫した空気。
ここで、三女・咲良が長女の袖を引っ張り、泣きそうな顔で訴えかけるのだ。
『おねえちゃん、いかないで! おかあさんはね、わたしたちのために朝早くから働いてくれてるの!』
(よし、セリフのタイミング……バッチリ!)
私は長女役の着物の袖を掴み、ウルウルとした瞳を作り上げた。目薬なしで自力で涙を溜めるのは、前世で「徹夜残業明けに上司に怒られた時」に習得したスキルだ。
「おねぇちゃん……いかないで……!」
完璧だ。現場のスタッフから「おお……」と小さな息を呑む音が聞こえる。
このまま感動のカットがかかる——そう思った、その時だった。
4. 出た! 母の新たなホラ話(自慢)
「カット! カットー!」
監督の声が響いた。NGではない。撮影の合間の小休止だ。
「うん、真理子ちゃん素晴らしいよ! すごい演技力だ!」
監督が絶賛し、スタッフたちがパチパチと拍手を送る。
ふふん、伊達に32年社畜やってませんからね。これくらい朝飯前ですよ。
私は謙虚に「ありがとーございます!」とペコリとお辞儀をした。
すると、セットの脇でモニターを見ていた母・智恵子が、嬉しそうに監督や主演の高峰かおるに近づいていった。
「いやぁ〜監督さん、うちのマコちゃんを褒めてくださってありがとうございますぅ〜!」
(あ……ヤバい)
私の社畜センサーが、猛烈な警報を鳴らした。
母のあの顔。鼻の穴が少し膨らみ、調子に乗っている時の顔だ。
頼むから静かにしていてくれ。大御所の高峰かおるさんの前で変な発言をしないでくれ!
「葛貫さん、お嬢さんの真理子ちゃん、本当に素晴らしいわね」
高峰かおるが、大物らしい威厳のある声で母に微笑みかける。
「4歳にしてあの立ち振る舞い。何か特別な演技指導でもされているの?」
やめて! 聞かないで高峰さん! 母に質問を振ったら最後、ろくなことにならない!!
「やだぁ〜高峰さん! 指導なんてそんなそんな〜!」
母は手をひらひらと振りながら、声を弾ませた。
「うちのマコちゃんね、生まれる前から演技の勉強をしてたみたいでねぇ〜!」
(はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??)
スタジオの空気が凍りついた。
生まれた前???? 胎教で演技指導????
「ほら、うちのマコちゃんってば、シェイクスピアの戯曲を全部暗唱できるのよ〜! 昨日の夜もね、『ハムレット』の独白を感情たっぷりに演じて見せてくれたんだからぁ〜! おほほほほ!」
(言ってねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!)
スタジオ内で、心の中で絶叫する私。
言ってへん! 昨日の夜、私が言ったのは「お風呂やだー!」だけだ!!
なんで『ハムレット』になるんだよ! 2歳で株、4歳で英語ペラペラ、そして今度はシェイクスピアかよ!! 盛るにも程があるだろ!!
「ほ、ホントですかお母さん……? シェイクスピアを……暗唱……?」
監督が引きつった笑顔で尋ねる。
「ええ、本当ですよぉ〜! ねー、マコちゃん?」
母がニコニコと私を振り返る。
(やめろ! こっちを見るな! 私は4歳児だ! シェイクスピアなんて……)
その瞬間。
ズキュゥゥゥゥン!!
まただ。脳内に世界のデータが書き換わる強烈なバグが走った。
頭の中に、シェイクスピアの全戯曲『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『マクベス』『リア王』の原文(英語&日本語訳)が、膨大なデータベースとして一瞬でインストールされたのだ!
(うそ……嘘でしょ……!? 記憶が……勝手に生えてくる……!?)
口が勝手に動き出す。
"To be, or not to be, that is the question..."
(生きていくべきか、死んでいくべきか、それが問題だ……)
幼く愛らしい4歳の声で、しかし英国王立シェイクスピア劇団も青ざめるほどの圧倒的な抑揚と感情を込めて、私は英文で『ハムレット』の有名な独白をそらんじてしまった。
「……っ!?」
スタジオ全体が息を呑んだ。
照明スタッフの手からライトのカポックが落ちそうになる。
大物女優の高峰かおるが、目を見開き、プルプルと震えている。
「な……なんて見事な『ハムレット』なの……! 英語の発音も、感情の乗せ方も完璧……! まるで、何十年も演劇の舞台に立ち続けてきたベテラン女優の魂が宿っているみたい……!!」
(いやベテラン女優じゃなくてベテラン社畜です!!!!)
監督の目が血走り始めた。
「すごい……すごいぞ葛貫真理子……! 4歳の天才子役どころの騒ぎじゃない! これは……世紀の超天才だー!!」
歓声と拍手がスタジオを包み込む。
母は「ほらねぇ〜?」と自慢げに胸を張っている。
(終わった……私の「普通の子供」としてひっそり暮らす計画、完全に終わった……!!)
5. 歪んでいく撮影現場と、社畜の決意
母のホラ(バグ)によって「シェイクスピアも暗唱できる超天才」のレッテルを貼られた私は、その後、さらに地獄を見る羽目になった。
「はい! 第15話のシーン、真理子ちゃん! 監督からリクエストです! 咲良が義母を説得するシーン、シェイクスピアの『リア王』みたいな悲劇的な感情を乗せて演じてもらえますか!?」
「……あい!(無理難題を現場で突きつけるなブラック現場がよぉ!!)」
前世の社畜時代、突然クライアントから「明日までに仕様変更して」と言われた時の記憶が蘇る。
私は引きつる笑顔を必死に抑え、4歳の体で『リア王』レベルの迫真の悲劇演技を披露した。
「咲良……お前って子は……!」
高峰かおるがマジ泣きしている。大御所女優を本気で泣かせてしまった。
「カットォォォ! 素晴らしい! 朝ドラの歴史に残る神回だー!!」
監督が涙を流して叫んでいる。
周りのスタッフたちももらい泣きしている。
撮影が無事に(?)終了し、控室に戻った私。
楽譜や台本が散らばるパイプ椅子にドカッと腰掛け、缶の麦茶(2歳児用)をぐびぐびと煽った。
(はぁぁぁぁ……疲れた。なんで4歳児が朝ドラの現場で大御所相手に演技無双しなきゃいけないのよ……)
パイプ椅子に深々と背をもたれかけ、天井を見上げる。
前世の社畜時代、深夜のオフィスでエナジードリンクを飲んでいた時と同じ脱力感だ。
だが、絶望ばかりもしていられない。
社畜の強みは「与えられた劣悪な環境下で、いかに最大の利益を叩き出すか」という強靭なメンタリティだ。
(冷静になれ、葛貫真理子。たしかに「普通の子」として生きる計画は潰れた。だが……これはチャンスでもある)
頭の中で電卓を叩く。
【朝ドラ出演による莫大なギャラと知名度】
朝ドラ『フレー!フレー!太陽!』は大ヒット確定。私のギャラは跳ね上がる。この資金を親の管理口座からうまいこと投資に回せば、チートノートの資産形成スピードは10倍以上になる!
【母のホラ(現実改変バグ)の利用】
母のホラは恐ろしいが、見方を変えれば「母が吹いたホラが自分のスキルになる」ということだ。英語ペラペラ、シェイクスピア暗唱……これらを味方に付ければ、将来どんな業界でも生きていける超スペック人間になれる!
(よし……決めたわ)
私は小さくてモチモチの拳を強く握りしめた。
(母さんのホラ話で人生計画が狂うなら、その狂った人生ごと買い叩いて、私が裏でコントロールしてやる!!)
「マコちゃ〜ん! 撮影お疲れ様ぁ〜! 次はね、NHKのニュース番組から『天才バイリンガル子役』として生放送の出演オファーが来ちゃったわよ〜!」
控室のドアをバーンと開けて、満面の笑みで入ってくる母・智恵子。
「あーうー!(上等だゴルァ! 生放送でも何でも持ってこい! 全部打ち返してやるわ!!)」
4歳の社畜子役・葛貫真理子。
母の暴走するホラと、世界を巻き込むバグの渦中で、彼女は今日も笑顔で芸能界(と投資の世界)を生き抜いていくのだった。




