第2話:4歳児、テレビの中でスマイルを振りまく 〜目指せ引退、広がるホラ被害〜
「はいっ、カット! 素晴らしい! 真理子ちゃん、今のお顔、最高に天使だったよ〜っ!」
まばゆい照明が照射される撮影スタジオの中央で、メガホンを持った監督が感極まった声を張り上げた。周囲のスタッフたちから、パチパチパチと温かい拍手が巻き起こる。
「ありがとうございまちたー!」
私は、舌足らずな可愛い声を意識的に作り出し、両手を握ってちんまりとお辞儀をした。
カメラマンやスタイリストの大人たちが「可愛すぎる〜!」「天使! 国宝級の可愛さ!」と歓声をあげ、胸をキュンキュンさせている。
——だが、その可愛らしい幼女の頭の中(34歳・元ブラックIT企業中間管理職の魂)では、殺伐とした毒づきが渦巻いていた。
(……はぁぁぁぁぁぁぁぁ、疲れる!! なんなのこの仕事!? 笑顔をカメラに向けるだけで拍手喝采されてギャラが発生するってどういうこと!? 前世で深夜2時に血ぐそ吐きながらエラーログ解析して、クライアントに『無能』って罵倒されてた私のアナログな労働価値は一体何だったわけ!?)
葛貫真理子、4歳。
現在、大手お菓子メーカーの全国CMに出演し、「可愛すぎる4歳児」「奇跡のキッズモデル」として一世を風靡していた。
……おかしい。こんなはずではなかった。
私の人生計画では、今頃はチートノートの存在を親から隠しつつ、表面上は「ちょっとおしとやかで賢い幼稚園児」として過ごし、裏で虎視眈々と株式投資のタイミングを伺い、将来は一流大学から大手ホワイト企業、そして金持ちイケメン旦那との結婚という完璧な「勝ち組ルート」を歩んでいるはずだったのだ。
それなのに、なぜ私は今、テレビの中で笑顔を振りまいているのか。
すべての元凶は——2年前の、あの地獄の公園に遡る。
1. 公園の惨劇、そして人生計画の崩壊
あれは私が2歳半を過ぎ、ようやく自分の足でしっかりと歩けるようになった頃のことだ。
当時の私は、母・智恵子に連れられて近所の公園に通っていた。
公園の砂場で、他の幼児たちが泥団子を作ったりスコップを舐めたりしている横で、私は「いかに効率よく体力を温存し、大人の目を盗んでチートノートの解読を進めるか」というビジネスライクな思考を巡らせていた。
その日は、公園のベンチで母・智恵子が、いつものように近所のママ友グループを相手に盛大なお茶会(ホラ吹き大会)を開催していた。
「ちょっと聞いてよ~、奥さんたち! うちのマコちゃんね、こう見えてモデルの才能がすごいのよぉ〜!」
砂場で静かに山を作っていた私の耳に、母の甲高い声が飛び込んできた。
私はピクッと肩を跳ねさせた。嫌な予感がする。冷や汗が背中を伝う。
「あら、智恵子さん。マコちゃん、確かに日本人形みたいで可愛いわよね」
「可愛いの域を超えてるのよ! 家でちょっとポーズさせたらね、パリコレのトップモデルかと思うくらい神々しいの! しかも感情表現が豊かでねぇ~『泣いて』って言ったら、一秒で女優みたいな美しい涙をほろりと流すんだから!」
(嘘をつけーーー!!??)
心の中で即座にツッコミを入れた。
泣くのはお腹が減った時と、胃酸が逆流した時だけだ! 2歳児にパリコレのポージングができるわけないだろ! どんな適当なホラを吹いているんだ、この母さんは!!
「おほほ、凄いでしょ~? きっとうちの子、将来はハリウッド女優ね!」
ママ友たちが「まあ〜、智恵子さんは相変わらず冗談がお上手ねぇ」と苦笑いしている。
ふぅ、と私は胸を撫でおろした。いつもの「見栄っぱり母さんの虚言」だ。相手も聞き流してくれている。実害はない、実害は……。
——そう思っていた、次の瞬間だった。
「……すいません、ちょっとそこのお母さん。今のお話、本当ですか?」
ベンチの陰から、トレンチコートを着た不審な男性がヌッと現れた。
胸元からサッと取り出された名刺には、業界最大手の子役プロダクション『エンジェルプロモーション』の文字。
(げぇぇぇっ!? 本物のスカウトマン!?)
「実は私、今度始まる大手乳業メーカーのCMに出演してくれる『圧倒的な存在感を持つ幼児』を探していましてね。失礼ですがお嬢さん、ちょっと私に笑顔を見せてくれませんか?」
スカウトマンの鋭い視線が、砂場に座り込む私に突き刺さる。
(やばいやばいやばい! ここで下手な対応をしたら、本当に子役になっちゃう! 私は芸能界なんて興味ないの! 静かに勉強してホワイト企業に行きたいの!)
私は焦った。
断らなければ。2歳児らしく、知らないおじさんに恐怖して大泣きすれば、スカウトマンも諦めて去っていくはずだ。
(よし、泣け! 泣くんだ私! 2歳児の特権を行使しろ!)
私は顔を歪め、涙を絞り出そうとした。
——しかし、ここで私の「32年分の社畜の業」が最悪の形で裏目に出た。
前世の私は、営業先の無理難題にも、理不尽な上司の説教にも、常に「完璧な営業スマイル」で対処してきたプロの社畜だった。
顔の表情筋をコントロールし、相手に不快感を与えず、かつ好印象を与える「アルカイックスマイル」が、思考よりも先に肉体に染み付いていたのだ。
結果——私が見せたのは、涙を浮かべながらも、どこか儚げで、かつ完璧に計算された「慈愛と営業力に満ちた奇跡のスマイル」だった。
「……っ!!!!」
スカウトマンが劇的に息を飲んだ。
「な、なんだこの表情は……!? 2歳児にして、切なさと愛らしさとプロ意識が同居した奇跡の笑み……! 泣き真似ではなく、演技としてこの笑顔を作っているのか!? 天才だ……! 奇跡の原石がこんな公園に転がっていたなんて!!」
「でしょ〜〜〜〜っ!?」
母・智恵子がドヤ顔で胸を張った。
「お母さん! ぜひ、ぜひお嬢さんを我が社に所属させてください! 即CMに起用します! ギャラは弾みます!!」
「まあぁっ! いいわよぉ~!」
(勝手に決めるなーーーーーーっ!!)
こうして私の「静かな幼少期計画」は、母のホラと私の社畜の習性という悪魔の合体技によって、木っ端みじんに打ち砕かれたのだった。
2. 天才子役の憂鬱と、取り返しのつく人生
それから2年。
私はあれよあれよという間に人気子役となり、テレビCM、教育番組、キッズファッション誌の表紙を総なめにしていた。
「真理子ちゃん、お疲れ様〜! これ、今日のおやつの高級プリンね!」
「わーい! ありがとうございまちゅ!」
楽屋に戻った私は、スタッフからもらった高級プリンを受け取り、ソファにぽすんと腰掛けた。
スタッフがドアを閉めて出て行ったのを確認すると、私はスーッと表情を消し、深く溜め息をついた。
(……はぁ。まったく、とんだ寄り道だわ)
スプーンでプリンを掬いながら、私は冷徹に現状を分析する。
(でも……まあいいわ。まだ4歳よ。幼いんだから、いくらでも取り返しは付く)
そう、子役の寿命なんて極めて短いのだ。
成長期になれば顔つきも変わるし、視聴者も飽きる。小学校に入学するタイミングで「学業に専念するため」とかなんとか理由をつけて芸能界を引退すればいい。
それに、災い転じて福となす、ではないが……この芸能活動には大きなメリットもあった。
(ギャラよ、ギャラ!)
4歳児にして、私の年収は前世の32歳社畜時代の年収(420万円)を軽く突破している。
問題はそのギャラの管理だが……我が葛貫家の金銭管理はどうなっているかというと。
『真理子、今日もお疲れ様。真理子が頑張って稼いだお金だけどね、パパとママでしっかり将来のために運用しておくからね』
父・智樹(相変わらず不憫なシステムエンジニア)が、真面目な顔で銀行口座の通帳を見せてくれたことがある。
普通親なら「子供の稼ぎで家を建てる」とか「散財する」という毒親ムーブに走りがちだが、我が葛貫夫妻は違った。
母・智恵子は、なぜか私のギャラを使って、「チートノートに書かれていた将来爆伸びする企業の株」をせっせと買い集めていたのだ。
理由を母に問いただした時の会話がこれだ。
『お母さん、なんでこの株買ってるの……?』
『あらぁ? だってねぇマコちゃん。お母さん、夢を見たのよ。マコちゃんが未来から来て『この会社の株を買っておけば将来大金持ちになれるよ』って囁く夢! だから直感で買っといたの!』
(感性が恐ろしすぎるだろ!!!)
夢枕に立った私の生霊(?)の助言に従い、母は我が家の資産を任〇堂や初期のIT関連株にぶち込んでいた。その結果、我が家の総資産はすでに億単位に膨れ上がっている。
(ふふふ……怪しくも怪我の功名ね。芸能界を引退する頃には、働かなくても一生遊んで暮らせる配当金収入が手に入っているはず! あとは予定通り、高偏差値の学校に入って、イケメンの旦那を見つければ私の勝ち組人生は完成よ!)
プリンを口に運び、私はフフッと黒い笑みを浮かべた。
大丈夫。人生計画は少し回り道をしただけだ。すべては私の手の平の上にある。
……はずだった。
3. 暴走するホラ吹き母さんと、過剰評価の恐怖
ガチャリ、と楽屋のドアが開いた。
「マコちゃ〜ん! 撮影お疲れ様ぁ〜!」
能天気な声をあげて入ってきたのは、私のマネージャー気取りで同行している母・智恵子だ。その背後には、今回のCMのクライアントである大手お菓子メーカーの専務取締役(60歳・貫禄のある厳格そうな男性)が立っていた。
(げっ、クライアントの偉い人……!)
私は瞬時に「天使の4歳児モード」に切り替えた。
「専務しゃん、こんにちわー!」
「おお、真理子ちゃん! 今日も素晴らしい笑顔だったよ。我が社のお菓子の売上も、君のおかげで前年比150%アップだ!」
専務が目尻を下げてニコニコと微笑む。
よしよし、クライアントの満足度は高い。これで今日の仕事は無事終了だ。さっさと帰って知育パズルでもしよう。
そう思って立ち上がろうとした私を、母の言葉が引き止めた。
「ちょっと専務さん、聞いてくださいよ〜! うちのマコちゃんね、ただ可愛いだけじゃないんですよぉ〜」
(……はい?)
背筋に悪寒が走った。
このイントネーション、この独特の自慢げな口調。
出た。母の「ホラ吹きモード」だ!!
(やめろ……! お母さん、クライアントの偉い人の前で余計なホラを吹くのはやめてくれ!!)
私の必死の目力を、母は完全に無視して喋り続けた。
「うちのマコちゃんね、実は我が家のお金の管理を全部やってるんですよぉ〜! 新聞の経済面を毎日チェックしてね、『この商品はターゲット層のニーズと乖離してる』とか『マーケティング戦略が甘い』とかダメ出ししてくるんですから!」
(言ってない!! 1ミリも言ってない!!)
私は心の中で血の涙を流しながら絶叫した。
経済面なんて見てない! チートノートを隠れて読んでいただけだ! 4歳児がマーケティング戦略なんて喋るわけないだろ!!
「ほう……? 経済面を……?」
専務の目が、怪しく光った。
「やだぁ〜冗談ですよぉ〜! ホラですホラ!」と母が笑い飛ばせばよかったのだが、母はさらに言葉を重ねた。
「ホラじゃないですよぉ〜! ほら、マコちゃん! 今回の専務さんのお菓子について、いつもの持論を言って差し上げなさいな!」
(無茶振りにも程があるだろぉぉぉぉぉぉぉ!!??)
楽屋内に重苦しい静寂が流れる。
専務が興味津々の目で私を見つめている。試されている。ここで「あーうー」と愚鈍な幼児のフリをすれば、母のホラは「ただの頭の親バカの嘘」として処理され、私は無事に帰れるはずだ。
……そう、そのはずだった。
だが、私の脳裏に、前世のブラック企業時代のトラウマがフラッシュバックした。
『葛貫さんさぁ、クライアントの専務の前で気の利いた意見一つ言えないわけ? 君って本当に気が利かないよね』
かつて上司に大勢の前で恥をかかされた記憶。
そして、社畜として10年間叩き込まれてきた「クライアントの課題に対するプレゼン欲」が、制御不能なレベルでウズウズと頭をもたげてしまったのだ!
(くそっ……! 社畜の血が……! 提案したい欲求が抑えられない……!!)
私は気付けば、机の上にあったお菓子のパッケージ(新商品のチョコレート)をちいさな手で指差していた。
「……これ、パッケージの文字が小さくて、おじいちゃんやおばあちゃんが見にくいと思うの」
「む……!?」
専務が眉をひそめた。私は止まらない。前世のマーケティング知識が口から溢れ出る!
「あとね、子供向けにしては甘さが控えめすぎるから、大人のオフィスワーカー向けの『デスクで食べる小分けチョコ』として売り出した方が、単価も高くできて売れると思うの……あぅ」
ハッと正気に戻り、慌てて語尾に「あぅ」をつけた。
静寂。
楽屋の中が、凍りついたように静まり返った。
(やってしまった……! 4歳児が『デスクで食べる小分けチョコ』とか『単価』とか言っちゃった……!! 終わりだ、新興宗教の教祖か化け物として通報される……!)
私が顔を青くして震えていると——
ドシャァァァン!!
専務が感極まったようにデスクを両手で叩いた。
「て……天才だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
(えぇぇぇぇぇぇぇ!?)
「素晴らしい! 素晴らしいマーケティング視点だ! 実は試食会でも『大人は買うが子供には甘さが足りない』というデータが出ていたんだ! それを『デスク消費を狙った大人向け商品』としてリブランディングする……! なんという画期的な発想!! 4歳にして我が社のマーケティング部長以上の見識!!」
専務は興奮のあまり私の両手を握りしめ、ボロボロと感動の涙を流した。
「真理子ちゃん! ぜひ我が社の『特別商品開発アドバイザー』になってくれ! ギャラは今の3倍出そう!!」
「まあぁっ! 3倍!? 嬉しいわねぇマコちゃん!」
(嬉しくないーーー!! 助けてーーー!!)
4. 逃げられない未来と、膨らむホラ
その日の夜。
自宅のベッドに転がりながら、私は天井を見上げて絶望していた。
(どうして……どうしてこうなったの……?)
取り返しがつくどころか、事態は悪化の一途を辿っている。
「キッズモデル」から、いつの間にか「天才マーケター幼女」へと肩書が進化してしまった。
翌日には、お菓子メーカーの専務から「真理子ちゃんのアドバイス通りに商品を改良したら大ヒットしました!」という感謝の胡蝶蘭が自宅に届き、テレビ番組では『4歳で企業を救った天才子役』として特集が組まれることになってしまった。
居間でビールを飲みながらテレビを見ている母・智恵子が、上機嫌で父に話している。
「ねぇあなた、見た? 今度の特番、マコちゃんの密着取材なんですって! 私、プロデューサーさんに『うちのマコちゃん、実は家でプログラミングもやってるのよ』って言っておいたわ!」
(言ってへん!! プログラミングなんてまだやってない!!)
「あらぁ、ついでに『次はハリウッド映画のオーディションを受ける予定です』って言っちゃおうかしらぁ〜!」
(やめてぇぇぇぇぇぇ!! ホラを吹かないでぇぇぇぇぇ!!)
私は布団を頭からかぶり、ガタガタと震えた。
母がホラを吹く。
それがなぜか現実を引き寄せ、私の社畜の習性と噛み合い、爆発的な成果を生み出してしまう。
この地獄の無限ルーティンから逃れる術はないのだろうか。
(私の……私の『静かで平和なホワイト人生計画』は……どこへ行ってしまうの……!?)
4歳の真理子は、来るべき「ハリウッド映画オーディション(母のホラ)」という新たな恐怖に怯えながら、夜の闇へと意識を沈めていくのだった。




