富士山
まさに何処までも広がる大空だった。
実際、このまま飛び続ければ一周してしまうのだから文字通り無限に広がる大空といえる。
しかし、地球が丸く一周できる事は既に1万と500年前に証明されているので、改めて確認する必要はないし、そんな時間もない。
アルフレリアを出発して既に4日が経っていた。
未だにトーキョウに着いていないのには理由がある。
気球その物には何の問題もなく、快適なフライトをする事が出来たのだが、問題は別の所にあった。
バーナー部分に関してはルチアに頼むことが出来るが、熱風をエンベロープに送る事と、気球を風で行きたい方向へ進ませるのは零慈にしか出来ない。
マイスターの力を使い慣れていない零慈にとってこれはかなりの重労働だった。
そのため最初の内は頻繁に休憩が必要となり、その間は高度が下がったり、風に流されたりしていたのだ。
だが2日程そんな状態を続けているとさすがに慣れてきて、トーキョウに向かって吹く気流を見つけたこともあり、今では睡眠を取る時以外は真っ直ぐ飛び続ける事が出来るようになっていた。
「さっき雲の切れ目から陸地が見えたからトーキョウに大分近づいたわよ」
サリサがバスケットから身を乗り出して地形を確認しながら報告した。
ルチアはずっと雲の上を飛んでいて景色が見えないのがつまらないらしく、バスケットの隅で膝を抱えて座り込んでいる。
今はちょうどいい気流に乗っているので、熱風を送って高度を保つだけでいい。
「やっとかー。大分慣れたけどやっぱり疲れるわコレ」
サリサが零慈の方を振り返ってふふふと微笑む。
「そういえばさ、急に思い出したんだけどアルフヘイムに行く前に、ヴァルハラを回るのは結構大変って言ってたよな? それってどういう意味なんだ?」
サリサがバスケットの中の荷物に腰掛ける。
「そのままの意味よ……、零慈、ヴァルハラの数はいくつ?」
「9だよな」
「じゃ氏族の数は?」
「7つ」
「何で数が合わないと思う?」
それは前から零慈も気になっていた事だ。
「なんでだろう? 2つ兼任している氏族があるとか?」
「はずれ。そもそもヴァルハラにおける氏族の役割は何?」
「たしか守護、守るって事だよな」
「正解。でもね、ヴァルハラのうち2つは守る必要が無いの」
「なんで?」
「誰も行く事が出来ないからよ。アースガルツとヴィナヘイム、この2つはそれぞれ北と南の果てにあって、そこは氷に閉ざされた死の世界と言われているわ。まさに神々だけが住まう事の出来る異界。誰一人、ヴァルハラに辿り着くことなんて出来ない。だから守護する氏族も必要ないの」
それぞれの果てとは、おそらく北極と南極を指しているのだろう。
零慈のいた時代でもそれらに行くには特別の準備と機材が必要だった。
この世界のレベルでは確かに誰も行く事の出来ない世界に違いない。
「ふーん。でもこの気球なら行けるんじゃねえか?」
「どうかしら? それぞれのヴァルハラはヘイムダルと呼ばれる巨大な雲に覆われているらしいの。その中はとんでもない嵐が一年中続いているらしいからコレじゃ無理だと思うわよ」
あのハゲ野郎め。
どんどんハードルが上がっていくじゃねえか。
「聞くんじゃなかったな。まあその辺は明日考えるか」
「明日考えると何か思いつくの?」
サリサが怪訝そうな顔をしている。
「いやこれは口癖みたいなもんだ。明日になったらまた同じ事を言うと思う」
「それって考えないって事と同じじゃない」
呆れ顔のサリサ。
「まあね。でも今からそんな先の事を考えても仕方ないじゃないか。とりあえずはミズガルズに行く事が目標なんだし」
そうね、とサリサが頷く。
先の事、か。
ミズガルズが終わった後もサリサは付いて来てくれるのだろうか?
素直に聞けばいいだけなのだが、なんとなく答えを知るのが怖くて聞けない。
サリサは家出した王族だ。
彼女が行きたいと願っても、行かせてくれない可能性も十分ある。
だがサリサが居ない旅路を考えると急に心細くなる。
サリサがミズガルズに一緒に行ってくれると言った時、心からほっとした。
その時、零慈は自分が精神的にかなりサリサに頼っている事に気付いた。
出来れば旅の最後まで一緒にいて欲しい。
突然の風に巻き上げられた髪を直しているサリサを見ながらそんな事を考えていると、いつの間にか荷物を足台にして外を見ていたルチアが叫んだ。
「すごーい。くものうえにやまがあるよ!」
零慈とサリサも慌てて確認する。
すると雲の彼方に、確かに双子のように聳え立つ山があった。
「あれはフジヤマよ。あれを越えればトーキョウはすぐよ」
「富士山!? あれが?」
「あら、零慈知っているの?」
「知ってるけど、俺の知っている富士山とは全く違うぞ」
高度計を確認する。
ただ今、高度5000メートル。
眼下に広がる雲海も低く見積もっても4000メートルはある。
その雲を遥かに突き抜けた2つの頂をもつ山は、零慈の知っている富士とは似ても似つかない。
富士に近づくにつれ、その巨大さが一層引き立っていく。
雲から突き出した2つの山頂は右のほうが若干低い。
どちらの頂も、尖ってはおらず台形だ。
そういえば富士山は休火山だったな。
1万年の間に噴火を繰り返し、ここまで巨大になったのだろう。
自然の力の強大さをじみじみ感じつつ、富士山の横を抜けていく。
しばらく進むと、雲が切れ、眼下に鬱蒼とした森と山々が広がっている光景が見えた。
「見えてきたわよ。あれが私の故郷、トーキョウよ」
地平線の上に明らかな人工物が建っている。
幾つかの巨大な柱が立っているそれは、遠目にはまるでストーンヘンジのようだ。
零慈達を乗せた気球は、ゆっくりと高度を下げながら、ミズガルズ族の街、トーキョウへと静かに降りていった。




