2話 不穏
信長亡き後の幕府創設。その中枢を担う奉行衆は、越前府中の菅屋長頼、近江長浜の堀秀政、同肥田の長谷川秀一、大和郡山の福富秀勝らが名を連ねていた。
本来、ここには矢部家定も列すべきであったが、不運にも病魔に冒され、既にこの世を去っていたのである。
彼ら奉行衆は一貫して信久を支持していた。
ゆえに、信孝が将軍の座に就いて後は、その家臣団である岡本良勝や長尾一勝との対立は、もはや隠しようもなきものとなっていた。
窮した彼らが、最後の望みを託して頼った先は……。
「……して、このわしに三郎殿を助けよと、そう申すか」
徳川家康は、眼前にて平伏する菅屋長頼と長谷川秀一を見やり、重苦しい溜息を漏らした。
「もはや堪忍の袋の緒が切れ申した! 本来、織田の家督を継ぐべきは三郎様。それを差し置き、天下を我が物顔で差配する信孝と、その傀儡どもにこの国を壊させてはなりませぬ!」
奉行衆筆頭、長頼が声を荒らげる。
「既に池田、柴田は取り込まれ、羽柴殿は西国の仕置にかかりきりでござれば、これに抗えるは徳川殿、ただ御一人のみにございます!」
「されど、三郎殿の日頃の振る舞いには、目に余るものがある。いかに後継の立場とはいえ、相手は叔父上にして征夷大将軍。その御方に対し、あのような不遜な態度……。そなたらの教導に、手抜かりがあったのではないか?」
「これは異なことを。信孝は言わば陣代。相国様のご遺志を、奴らが勝手に書き換えたのでございます。たとえ叔父であろうと、信孝は側室の子……。言わば、主家を乗っ取らんとする簒奪者にござる!」
家康と知己の深い秀一が言葉を重ねると、家康は苦々しく顔をしかめた。
「左様に申したところで、どうする。あの上様が自ら将軍職を退くとは思えぬ。三郎殿が近衛様を烏帽子親として元服された折にも、家督については一言も触れなんだ御方ぞ」
「それについては、治部(堀秀政)が既に長岡兵部殿や細川右京様を通じ、朝廷を動かすべく働きかけております。何卒、何卒お力添えを……」
「……ううむ、今すぐには答えが出せぬ。国元へ戻りて吟味し、諸将の動きも見たきところ。悪いが、今夜はこれでお引き取り願おう」
悔しさを滲ませて屋敷を去る二人を見送ると、家康は側近の本多正信を呼び寄せた。
「くそっ。織田の跡目争いなどという泥沼に、我らが巻き込まれてたまるか」
爪を噛みながら家康が愚痴をこぼすと、正信は含み笑いを漏らした。
「ほほほ、されど天下の差配を握るは殿にございます。いっそこの機に乗じ、天下を横合いからおさらい遊ばしては?」
「馬鹿なことを申すな! わしは己の領国を守ることしか考えておらぬ。決して、余計な首を突っ込むではないぞ」
家康はそう突き放したが、奉行衆は不退転の決意で彼を陣営に引き込む腹積もりであった。
翌日。大坂城本丸。
「つまり……信久を襲い、一気に討ち取れと申すか?」
「はっ。信久様の暴虐無尽、もはや看過し難きにございます。この際、伏見城におわす信久様を急襲し、その徒党もろとも根切りにすべきかと存じまする」
信孝にそう進言したのは、あろうことか奉行衆の堀秀政であった。
「……貴殿は奉行衆。いわば三郎殿の懐刀ではないか。何ゆえ?」
岡本良勝が鋭い眼光で問い詰めると、秀政は平然と笑ってみせた。
「ははは。私はただ、織田の家名を守らんがために動いているまでにございます。三郎様がおわしては、織田の天下が揺らぐと断じたまでのこと」
「うむ……よくぞ申した。貴殿が味方となってくれること、わしは何より心強いぞ!」
信孝は歓喜し、自ら秀政のもとへ駆け寄った。
「ははっ! なれば、諸大名が国元へ引き上げる機を窺い、上様の旗本を動かして討ち果たすべきにございます。京の村井殿へは、私から然るべく言いつくろっておきましょう」
「よし! 者ども、いつにても兵を動かせるよう備えよ! 遅れるなよ!」
信孝の力強い下知に、居並ぶ将たちは一斉に勝鬨を上げるかのように応じるのであった。




