9-4 翼族調査委員会本部にて。
そのころ、オルラジア国の首都マルソートにある国連軍本部の裏手に位置する翼族調査委員会本部65階にシンディとトシはいた。
ここは特別資料室。 ひんやりと冷えたその部屋には二人の他は誰もおらず、ただ図書館のように棚が整然と並んでいた。
大抵の情報は携帯端末に登録されているのでこの場所を訪れる者はほとんどいない。 二人は棚の間をせわしなく動き回り、そこに保管されている薄型の本のようなファイルに携帯端末をかざすことによってそのデータをコピーしていく。
「ヤダ。もうメモリーが一杯になったわ。 代えのメモリーチップをちょうだい、トシ」
シンディがメモリーが満タンになったため赤い警告灯が光る爪ほどの大きさのチップを携帯端末から外し、トシが放り投げた緑の安全灯が光るチップを差し込んだ。
「ここに来たら携帯端末の情報なんて限られたごく一部だってことがよく分かるな」
「携帯端末はあくまで公にできる資料ってことなのよ。 名簿に書かれていたレセッドの項目を見て初めて気がついたわ。 あんなに簡略化されてるはずがないもの。 私がここに囚われていた期間の本部データ全部が必要だわ」
まるで何かに取り憑かれたというか、飢餓寸前の者の前に食べ物を差し出した時のように貪るごとく資料をコピーしていくシンディを見てトシは少し不安だった。
シンディが囚われていた期間の全資料。 確かにそこにはレセッドの資料もあるだろうが、シンディの――拷問に関する資料も存在するはずなのだ。 恐怖のあまり行動室でリト達を殺させる為に狂った翼族を解き放った彼女を見ているトシとしては、彼女が手にしたデータを見たときの彼女の精神的負担を考えると両手放しに協力したい気にはならなかった。
トシの村にシンディをいったん連れて帰ったとき、シンディの希望はレセッドから託された【愛する人が出来た時に渡すために作った指輪をシゼという翼族の友に託したから受け取ってくれ】との言葉だった。
しかし、そんなもの、どこを探しても見つからなかった。
そして、レセッドの言葉はシンディに未来を向かせるための優しい嘘だと気づいたのだ。
だから逆に、シンディは記憶の整理までして悲しみを封印し、レセッドの資料を手にしようと前を向いたのだ。
彼女がこれ以上悲しまなくてすみますようにと、トシは小声で祈った。
「!」
データをコピーしていたシンディの手が弾かれるように揺れた。
「どうした?!」
トシが慌てて駆け寄ると同時に部屋の電気が一斉に落ち、トシとシンディは慌ててコピーしたデータをポケットに押し込んで背中合わせになって銃を取り出し体勢を整えた。
真っ暗闇のなか、トシとシンディの微かな呼吸音だけが絡まる。
数秒か数分、息をこらしていると、その瞬間は突然やってきた。
ポーンという機械音が部屋中に鳴り響くと同時に床が真っ白な光を一斉に放出し、眩しさから少し顔を上に向けた二人の頭上の空間に立体映像が姿を現した。
[安心して銃をしまいたまえ。 委員会シルバーメンバー296及び562]
黒いサングラスをかけた初老の紳士風の男が立体映像とともに優しい口調で二人に話しかけた。 白衣を着て胸には翼族調査委員会のマークがついたメダルをぶらさげている。
この男は調査委員会の研究室長と名のついたかなりの上役だった。 だが人柄は穏やかで有名な人物だった。
「失礼しました。 第6室長」
二人は銃をホルダーにしまう。 それを満足そうに見つめたあと、第6室長の映像は二人を先導するように宙を進み出した。
[二人とも、こちらに来るがいい。 特に、ノ ア。 君に話したいことがある]
息を止めて驚く二人を無視するように床のライトが早く行けと急かすように点滅した。
二人が通されたのは66階。 つまり特別資料室の1階上ではあるが、普段はそこへ通じるエレベーターさえ存在していない、この本部でも限りなく特殊な階であった。 実際、ここに来るまでも闇と光の点滅する空間を第6室長の映像に導かれるまま赴いたので二度と同じ通路でこの階に来ることは不可能と思われた。
壁一面に書かれた66という数字の前に立つと、微かに床が振動し、次の瞬間には広い応接室のような場所に立っていた。
応接室の奥には重厚な机と、白いついたてが立ててあり、机の前に第6室長が立っている。
その瞬間、トシとシンディは声も出ないくらい驚いた。
それは勿論、この豪奢な応接室の設備に驚いた訳でも、映像でしか会えるはずがないと思っていた第6室長本人がそこに立っていたからでもなく――白いついたての向こう側にいる者のシルエットを目にしたからである。
大きな白いついたてによって、その者の顔は見えないが、身長が高いのであろう、金色の頭の髪の毛がちらりと見える。 いいや、驚くべきはそこではない。 その者のシルエットには翼がついていた。 しかもその一部はついたてからはみだし、白い雪のような色をした羽すらも見えたからだ。
「つ、翼族」
トシが思わず声を漏らすと、そのシルエットは振り向くような仕草で動いた。
「フ。 確かニ間違いハ無いみたいだナ」
人間の発する音とは微妙に違う発音でその者は笑うように呟き、そして、まるで煙が消えるかのように空気に溶けていなくなった。
「……」
シンディとトシはただ立ちつくす。 もう、ついたての向こう側には何もいない。
第6室長が手元に小さなリモコンを操作すると、白いついたてが行儀良く折りたたまれて部屋の隅に収まり、応接室中央にあるテーブルの面の一部がスライドするように空いて中から入れ立てのコーヒーが3つせり上がってきた。
「まあ、かけたまえ」
第6室長はゆっくり歩いて中央のソファーに腰掛け、反対側のソファーに座るよう手を差し出して進めた。
「あっ、あの……」
シンディは戸惑いながら反対側の席につく。
「今のは、翼族ですかっ!」
テーブルについた手がカクカクと小さく震える。
「な、なぜ? 本部ですよここはっ!」
第6室長はまるでシンディの驚きなんて気にしていないかのように胸元から電子煙草を取り出して美味しそうに火をつけた。
「翼族の中にも委員会の活動に賛同して協力――取引といった方がしっくりくるかな――を、してくれる者だっているさ。 さっきの彼はね、今日はたいした理由で来ていた訳じゃないよ。 だが、丁度良かったのでね、君を軽く見せておこうと思って」
「私を?」
全く理解ができずにシンディが眉をしかめた。 第6室長は電子煙草の電源を節約モードに切り替えて、再度おいしそうにふかしてからゆっくりとシンディを見た。
「君に話したいことがあるんだがね。 とりあえず腰掛けてくれるかな? ノア」
ノア、と呼ばれてシンディが軽くこわばったのでトシが隣に来てそっと肩に手をやった。
「シンディ。 座って話を聞こう」
「え、ええ……」
狼狽えた瞳のまま、シンディとトシは並んで座り、第6室長と向き合った。
「まず、ね。 テノス国のラムール教育係から、先日、質問書が届いた」
「質問書ですか?」
「ああ。 彼が国を留守している間に、調査委員会メンバーが地下に行動室を自分に断りもなく作っていたと。 よってその行動室は破壊消滅させてもらった、と。 それと同時に、テノス国近辺にて翼族を殺滅したとの情報が挙がってきているため、殺されたレセッド・アルバタイン・ロスに関する詳細な資料と、殺滅者g-∞についての情報開示を求める、との内容だったよ」
トシとシンディはお互いに顔を見合わせた。
すると第6室長は訳知り顔で頷いた。
「この質問書が届いた時には、君たちが殺滅されたと思って青くなったよ。 今ここにいるということは、その時行動室を留守にしていたということか、ともかく、無事に逃げてくれていたんだね。 確かに行動室の破壊は設備投資の意味合いからすれば残念だが、君たちがラムール教育係に殺滅されなかっただけでもホッとしたよ。 アレはテノス国に不利と判断したときは容赦ないからな。 優秀な人材をみすみす失う事にならなくて本当に良かったよ」
「は、はぁ……」
「でも、第6室長」
トシが何か言おうとしたが、第6室長は電子煙草を軽く左右に振って「心配しなくていいよ」と微笑んだ。
「セルビーズ・ターニャなら捕獲笛で呼び寄せて確保済だよ。 別館の牢にきちんと繋いでいる。 委員会で翼族を飼っていることは秘密のままだから、君たちに罰が及ぶことはない」
――えっ?
セルビーズが確保済であるはずがないのに、第6室長はなぜこうも堂々と言い放つのか。
動揺するシンディを励ますようにトシが軽く手に触れて、身を乗り出した。
「セルビーズの存在は公になっていないってことですね! 良かったです!!」
トシが明るい声を出したので第6室長は嬉しそうに微笑んだ。
「室長。 僕らはですね、実際のところ、調査の為行動室を空けて帰ってきたら行動室が見る影もなく破壊されていまして、セルビーズの姿も見えなかった訳でしたから逃がしてしまったと思い、もう、どうしようかと考えていたんです」
「そうだろうね。 その点は安心したまえ。 何しろ相手はラムール教育係だ。 誰にも阻止できん」
トシの言葉がでまかせだったとは気づかなかった第6室長は溜息をつきながら電子煙草のスイッチを切った。
「翼族共存派である彼にセルビーズを飼っていることがばれたら、国連本部で議題に取り上げられるやもしれん。 面倒なことになるところだったよ」
トシは第6室長の言葉に賛同するように頷いた。
「とにかく、セルビーズの件は良かったとして、もう一つ、大事な話がある。 ノア」
第6室長はシンディの両手を包むように握った。
「レセッドのことは大変残念だった」
シンディは第6室長が何を言いたいのか分からずにただ青ざめたまま見つめ返した。
「君は、レセッドのせいで酷い目に遭うこととなって、彼に裏切られ、翼族に仕返しをするために委員会メンバーになったのだったね」
「……はい」
「しかし、君の中ではずっとレセッドを愛していた、違うかい?」
「それは……」
シンディはなんと返事をしてようか分からず視線を彷徨わせたが、第6室長はあからさまに励ますようにシンディの手を少し優しく掴んだ。
「だから、レセッドが殺滅されたという情報を得て、その殺滅した人物が誰か探しだそうとしている、違うかい?」
押し黙ったシンディの態度を見て、第6室長は肯定と受け止めたようだった。
「初めて愛した相手だし、人間の憎悪と愛は紙一重だ。 彼が死んだことで愛の方が勝ってもなんら不思議はない。 その、君が愛したレセッドからの唯一の贈り物が君には与えられた」
「……え?」




