5-5 リトの過去
まずそこに表れた映像は、床と、小さな手がもじもじと動いているものだった。
「リトの記憶ですから、全部リトの視点なのですよ。 指あそびをしているみたいですね。 ――やはり画像は荒いなぁ……」
ラムールが説明がてら呟く。
「画像、荒いですか? 私には綺麗に見えますけど」
リトは思わず尋ね返した。
「いやいや、気にすんなリト。 ライ、……ラムールは俺達とは違うモノの見え方ができるみてーだからよ。 それよりどうだ? 俺達には映像と音しか体験できてねぇけど、お前さんには感情の部分がリンクし始めている筈なんだがよ」
佐太郎がとりつくろう。
「感情……って」
――つまんない。 つまんなぁーい。
胸の奥で、今とはかけはなれた感情が微かに姿を現す。
「……退屈してるみたいです」
――おとーさんも、おかーさんも、おばーちゃんも、どこかに行ってて、つまんなーい
どうやら、過去のリトは一人で遊んでいるらしかった。
そのとき、男達の声が部屋に響いた。
『もう10日になるんだぞ?! いい加減、委員会メンバーが迎えに来ないと!』
『翼族が助けにきたら、俺達はどうしたらいいんだ?』
『しっ! 翼族なんて言葉、簡単に口にするんじゃないよ!』
最後に聞こえたのは若かりし祖母の声だ。
リトは手遊びをするのを止めてポテポテと歩き出す。 声のした方に進むと、玄関で祖母と前村長達が話していた。
――おばあちゃーん、あそびたーい
過去のリトは祖母に近付いた。
「わっ、おばあちゃん、若い~。 っていうか、こんな事話してるところに堂々と入っていく私って一体……」
リトが目の前に浮かんだ今より元気な祖母の姿を見て呟くとラムールが解説をする。
「記憶ですからね。 音声として保存されていますから。 あなたが幼子の時は彼らが何を話しているか分かっていなかったでしょう。 今だから理解できているのですよ」
「ああ! 主は来ませりって言葉を、シュワッキーマッセリーっていう名のお菓子か呪文って勘違いしてたみたいな感じですね?」
「これリトっ!」
祖母は恥ずかしそうに頭を抱えた。 ラムールは軽く笑って答える。
「リトの例えが正しいのかどうか私には理解不能ですが、多分、そうです。 さ、続きを見ますよ」
過去の祖母達はリトにかまう暇などなかったようで、全く相手にしない。 祖母の服の裾を引っ張るが
『とにかく俺達にはあいつが生きてるか死んでるか確認もできないわけだし』
『若いモノ達に、このままばれずに済むのか?』
『こんなおそろしい事、息子夫婦に話せる訳がないだろう? 幼子を喰うと言われるあいつがこの村にいるなんて』
そこまで話して、やっと祖母達は一斉にリトの顔を見る。
『こうしていても仕方が無いね。 みんなで集まって相談しようじゃないか』
祖母が他の村民達にそう話しかけ、それから腰をかがめてリトと視線を合わせる。
『リト。 ババはちょっと村長さんの家まで、お話し合いに行ってくるでの。 いい子じゃから、一人で遊んでおけるね?』
――えーっ? ひとりー?
過去のリトは不満だったが祖母はさっさとリトを抱き上げて祖母の部屋に連れて行くと一人置き去りにする。 祖母の部屋は昔ながらの玩具などが置かれており危険なものは特にない。
そしてしばらく絵を描いていたリトだが、ふと視線を向けるといつもは閉じているはずの窓が少し開いている。 祖母が鍵を閉め忘れたようだった。
ガタガタと窓を揺らすとリトの通れるほどの空間ができる。
――おそとに行こう!
リトは胸をわくわくさせながらそこから抜け出した。
外はとても天気が良く気持ちいい。 そしてリトは足下の蟻の行列や石ころと遊ぶ。
掴んだ石ころが手から逃げ出した。
石の進んだ先を目で追うと、綿毛を揺らすタンポポに目が止まる。
ゆらゆら風にそよぐそれは、遊んでと誘っているようで。
咲いている場所は、入ってはいけないと柵が設けられているところより少し先だが、さほど遠くない。
リトは柵の隙間をぬって崖際に寄る。 タンポポを取って座っても、崖際まではまだ余裕がある。
真っ白でふわふわの綿毛をフウッと吹き、空へ舞うそれらに見とれる。
――リトも、ふわふわ~
リトの心はタンポポの綿毛になって、立ち上がって空を見上げてクルクルと回る。
見えるのは青い空と白い雲。
雲がクルクル回って、とても楽しい。
キャキャッと自らの笑い声が響く。
明るい調子の歌を歌って、笑う。
「……リト、何をしているんですか?」
グルグル回る空の映像を見ながらラムールが聞いた。
「……タンポポになったつもりで遊んでいます。 すごく楽しい」
リトは顔を赤らめながら答えた。
純真無垢な頃の事とはいえ、テキトーな歌をテキトーな節で歌っている姿はちと恥ずかしい。
「ああ、確かに楽しそうですね。 でもこれでは見えているのは空だけで――」
ラムールの声と同時に画面が揺れた。
――!
空がものすごい勢いで横に倒れて海と視界を半分こにした。
円を描くように岩壁が視界に混ざり合う。
「落ちた!」
佐太郎が叫ぶ。
リトも息を飲んだ。
画面は茶色の岩壁から青い空が映り――真っ暗に。
そう、リトは誤って崖から落ちてしまったのだ。
「ラムール様、真っ暗になったってことは……?」
「おそらく意識を失ったのでしょう」
「……ですよね……」
リトはじっと次の瞬間を待った。
そして、続きは意外とすぐに現れた。
幼いリトが目を開けたのだろう。 そこには自分を取り囲む真っ白な柔らかそうな何かと、その向こう側遠くに、横に倒れたまま海に沈んでいく赤い夕日が見えた。
どうやら過去の中での時間は何時間か進んだらしい。
『もし、もし? お嬢ちゃん?!』
部屋に少女の声が響き、それを耳にしたラムール達が体を強張らせた。
『お嬢ちゃん?』
少女の声は聞こえるが、リトの視界はずっと夕日を見つめたままで。
――赤いお日様、 きれいだな、気持ちいいな、きれいだな、周りがフワフワして気持ちいいな……
そして再び、今度は柔らかい速さで視界は真っ暗になった。
「す、すみません。 なんか気持ちよかったみたいで寝ちゃいました」
リトが頭をかいた。
そして再び、視界がゆっくりと開く。 今度は視界が全体的に揺れている。 夕日は先ほどよりも深く海に沈んでいたが、周囲はまだ明るかった。 横に倒れていた視界がきちんと水平に戻る。 おそらく起きあがったのであろう。 手元や足下を見る。 それは真っ白な羽が敷き詰められてカーペットのようだった。
『お嬢ちゃん、こっちにおいで?』
背後から少女の声がした。
ゆっくり振り向くと、そこには長い金髪を一つ三つ編みにした少女が心配そうにこちらを見ていた。
「新世さん! 若い!」
「新世!」
弓とラムールが、ほぼ同時に声をあげた。
リトはもう一度、じっくりと少女の顔を見た。
白い肌。 鮮やかな金髪。 ぱっちりとした、暖かな春の空のような優しげな青い瞳。 ピンク色の唇。 陽炎の館に遊びに行った時に見せて貰った写真の中の新世よりもやはり幼さが残っている。 年令はリトと同じくらいだろう。
新世とリトの間には鉄の格子がある。
――うーんと、だれだろう? ま、いいか。 今日はきっと、このお姉ちゃんがお世話してくれるんだ
幼いリトはハイハイしながら新世に近付く。 それを見る新世の表情はホッとしたように緩んだ。
「これって、新世さんが柵越しに翼を伸ばして落ちた私を受け止めた、ってことですよね」
周囲は真っ白のふわふわ、正面には新世、二人の間には柵、な映像を見てリトは呟いた。
何と言っても感情こそ記憶に戻ってはくるものの、状況はいまいち分からない。 幼いリトは親や祖母達が仕事で忙しい時は誰かが預かってくれる日常を送っていた。 だからこの時も、目が覚めたら知らない人のウチだけど、きっと後でババ達が迎えに来るのだろうと早合点していたのだ。
だから崖から落ちたことなど綺麗さっぱり忘れてるようである。
どうして間に柵があるのかよく分かっていなかったらしく不安感はどこにもない。
幼いリトは柵の目の前まで来た。 幸いギリギリで通れる幅だ。 リトは体を横にして柵の内側に手を伸ばし、新世の肩に手を乗せる。 すると新世がリトの両脇に手を差し込んでサポートしながら抱き寄せ、すっと牢の中に身を引いた。
『あぁ。 良かった……』
安堵のため息が新世の口から漏れる。 抱っこされた新世の背後に、白い壁、いや白い翼が見える。
『ケガは無い?』
優しい瞳で尋ねられて、リトは思わず頷く。
――かわいいお姉ちゃんだなぁ
子供ごころにいたく感心しながら、まじまじと新世を見る。
『お嬢ちゃん、お名前は?』
『いとあ』
『いとあ、ちゃん?』
――違う違う
『い・と!』
『イト?』
――なんかちょっと違う気もするけど、そんな感じかな?
リトはコクンと頷いた。
『そっかぁ。 イトちゃんね。 おとしは?』
――おとし、って?
『あわわ』
『あわわ? え、えっと、なんさい? ふたつ? みっつ?』
幼いリトは指を微かに折り曲げながら突きだした。
『ふたつ、みつ』
『……3才?』
リトは首を横に振った。
『じゃあ2才?』
頷く。
『もすぐ、みつ』
『もうすぐ3才なのね。 お利口ねぇ。 ちゃんと自分のお名前とお年が言えるのね』
新世に優しく頭を撫でられて、リトはとても嬉しくなった。
『お父さんやお母さんが探しに来てくれるからね、大丈夫よ』
――お仕事おわったら、むかえにきてくれるって、リト、しってるもん
幼いリトは何の疑問も抱かずに元気よく頷く。
『それじゃあそれまで、何して遊ぼうか?』
新世はそう言うと、跪きながらそっと自分の翼を床に広げ、その上にリトを乗せた。
きしゅっ、と気持ちの良い音が耳に届く。
やわらかくて、すべすべで、ほんのり温かくて、いい匂い。
きしゅっ、の音が楽しくて、リトは何度も翼を掴んでその音を確かめた。
『気に入った?』
新世の問いかけにリトは元気よく頷く。
『んとね、いいにおい』
『そう?』
『おひさまと、おはなと、おかしのにおい!』
その言葉を聞いて、15歳のリトは息をのんだ。




