5-4 一生に一度のお願い
小さな声をあげた「それ」がもっと思い出せと叫ぶ。
しかしその声は小さすぎて、リトの記憶にはそれ以上の情報は流れてこない。
「私が見た、手のひらの上に羽を一枚置く映像は、その時のおばあちゃんのもので……」
その言葉を聞いてラムールが視線を逸らした。
「それがおばあちゃんにとって、一番の、翼族に関する嫌な記憶……?」
リトの言葉を聞きたくないとばかりにラムールがぐっと唇をかみしめ、そして祖母はゆっくり頷いた。
「ああ。 私にとって、自分が一番情けないと悔いた時の記憶じゃ。 リト、お前もこの前、あの一緒に遭難した男の子が記憶の整理をされたのを見たであろう? あの時と同じ、記憶の詰まった羽、それがきっとその映像じゃ」
ひーるくんの両親は、ひーるくんに二度と記憶が戻らないように巳白の羽を燃やして踏みつぶして粉々にした。
「じゃあ、その羽も、ひーるくんの時と同じように――」
リトは恐る恐る口にして青くなった。 新世の羽を、燃やして粉々にしたとしたら、それはラムールにとって――
「ラ、ラムールさま、申し訳ありません!」
リトは慌てて立ち上がり祖母を守るように背にしてラムールを向いた。 ラムールは険しい顔をしたまま視線を逸らしていた。
「罰なら私が全部受けますから、おばあちゃんは……!」
ラムールは我慢するかのように目を閉じて答えた。
「――リト。 罰など……与えるつもりはありません。 羽の処理は……仕方が無かったのでしょうから」
そうは言ってもラムールの手は今にも音が聞こえてきそうなほど強く拳を握っている。
するとリトの背後で祖母がしっかりとした口調で告げた。
「――いいえ。 ラムール様。 羽は、あります」
――えっ?
その言葉で、リトのみならず佐太郎やラムール達も声を出すのも忘れたかのように何も言わずに顔を上げた。
「――し、新世の羽があるというのですか?!」
そしてこれまでにないほどラムールは驚いた。 リトが振り向くと祖母はゆっくり頷いて立ち上がり、ベット脇の棚を開け、そこから巻物が入る程度の細長い桐箱を一つ取りだした。
「す。すみません、ちょっと見せて下さい」
ラムールが慌ててリトの隣に来る。 祖母はラムールの目の前でゆっくりとその箱を開いた。
その桐箱の中には、リトの肘から指先くらいまでの長さの白い羽が一本、入っていた。 それはまるで澄んだ空に浮かぶ白い雲のように清らかで、背筋を伸ばした淑女のように凛としていた。
ラムールの目が大きく見開かれ、息をのみ、口元を押さえた。
「――新世!」
こらえきれぬようにその言葉だけが漏れる。
「なにっ? マジか?」
「本当ですか?」
佐太郎と弓も急いで近寄り覗き込む。
しかし、そこにあるのはただの白い羽だ。
「――お、おい、ライ、ラムール。 こいつがホントに新世の羽か?」
「間違いありません。 この羽、覚えています。 新世の左翼、中央部上から2段目の羽です」
「……お前の記憶能力は本当に半端じゃねぇなぁ」
佐太郎が苦笑した。
「しかし、新世の羽があるっつーことは……」
祖母は頷いた。
「この羽を手にして記憶よ戻れと念じたら、お前は新世殿に関する記憶を全て思い出す」
リトは差し出された羽を手にしようかどうか悩みながらじっと見つめた。 するとそのとき、
「あ、ですが……」
ラムールが呟いた。
「――先ほど、リトの穴を塞いでしまいましたから――」
「あっ」
佐太郎も気づく。
リトは羽とラムール達を交互に見た。
「どういうことですか?」
怪訝そうに尋ねると、ラムールは続けた。
「本来なら記憶よ戻れと念じればそのままあなたの脳内に情報が流れるのですが、いかんせん塞いだのでダイレクトには……」
「えっ? ラムールさん。 それじゃ、リトの記憶はもどらないんですか!?」
弓が代わりに声をあげた。
「ええっ?」
リトも声を裏返す。
――記憶が戻るの不安とか思ったけど、戻らないってなったらそれはそれで!!
ちらっと祖母の顔を見ると、やはりショックを受けているようで。
「こ、困ります! ラムールさま、また穴を開けて貰うことってできますかっ?」
慌てて告げると、いやいや、とラムールも慌てて答えた。
「穴がなくとも記憶は戻せます。 ただダイレクトにではないだけで」
「はっ?」
「ひーる君の時に見たでしょう。 皆が見られる映像として取り出すこともできるんです。 あなたの記憶ですから私達には映像しか見えませんが、感情はあなただけすんなりと蘇る。 ですから……リト」
ラムールが一歩近付いて、リトの両肩を掴んだ。
「他の誰にも記憶を見せたくなければあなたが部屋に一人だけになって見ても良いのですが……リト」
ラムールは一度、呼吸を整えた。
「一生に一度のお願いです。 その羽に閉じこめられた記憶を、私にも見せて下さい」
「――えっ?」
「このとおりです」
そしてリトの両肩を掴んだまま、深々とラムールは頭を下げた。
「い、い、一生のお願い……って?」
リトは面食らう。
「新世に会いたいのです」
そのラムールの口調たるや真剣そのものだ。
リトはそこで、閉ざされた地下牢で見たラムールの姿を思い出した。 新世の羽を見つけ出そうと狂ったように這い蹲っていた、あの姿を。
「で、でも……」
リトすらこの記憶はどんなものかは全く分からない。 もしもこの記憶の中で新世が言葉にできないくらい惨い目に遭っていたら? それをラムールが見たら?
「例えどんな悪い記憶が出てきたとしても、私は誓ってお祖母さま達に罰を与えたりはしません。 私が視た記憶は一カ所にまとめて遮断してしまえばいい。 私にはそれができる」
顔を上げてリトの瞳を見つめるラムールの眼差しに嘘偽りは無い。
「え、えと……」
リトの迷いを打ち消したのは祖母だった。 祖母の方を向くと祖母はゆっくりと頷いた。
「わ、わかりました。 あのっ、弓っ!」
リトは不安を打ち消すかのように弓に告げる。
「弓も一緒に見てくれる? しょ、正直、なんか一人じゃ怖い」
「うん。 分かったわ」
弓もしっかり頷き、リトの側に来た。 ラムールは二人の間を邪魔しないようにそっと一歩離れた。
「……実は私も、新世さんに会いたいから」
弓が申し訳なさそうに小さくほほえむ。
リトは何故かちょっと勇気が湧いて、やっと記憶を取り戻す決心がついた。
「よし、おばあちゃん! 私、思い出すね!」
そのリトの言葉に祖母は頷き、桐箱の中の羽をそっと取りだした。
リトはその端っこを恐る恐る摘む。 羽はつるっとしていてスベスベで、軽かった。
「――き、記憶よ、戻れ……」
リトの呟きに反応するかのように羽は小さく震えて薄もやに似た煙のようなものを吐き出し始めた。 煙のようなものは行き先を探すかのように部屋の中をぐるぐると回ったがリトの脳に穴が空いていなくて入り口が無いせいだろう、行き場を失ったそれは、やがて一抱えほどもある大きさになって空中に鮮やかなカラーの立体映像を作り始めた。
「照明を落としますね。 その方が見易いから」
ラムールの声がして、部屋は真っ暗になり、リトは慌てて弓の手を握りしめた。
過去の映像が流れ始めた。




