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3-5 弓とはもう、終わり

 リトは胸の中に収まりきれない怒りに全身を包まれながら、ずんずんと道を進んでいった。

 大地に怒りを突き刺すかのように足を進める。

 一歩、一歩、歩くごとに、頭にちらちらと全く反省の色のない清流の顔が浮かぶ。


「――ああもぉっ!」

 何度めかの呟きを吐き出しながら、荷物を持つ手にも力が入る。


 許せない。

 許せない。


 絶対に。 許せなかった。


 祖母が泣くなんて。

 祖母はあんなに悲しんでいたのに。

 あんなに謝ったのに、どうして許してあげないの?

 どうしてそんなに冷酷なの?


 何度も何度も自答して、負の感情がどんどん練られていく。


「ねえ、弓っ!」


 リトは歩みを止め、すぐ背後からつかず離れずの距離にいた弓に向かって声をかける。

 リトがやっと自分の方を向いたので、ちょっとだけホッとしたように表情を緩めて弓が隣にやってきた。

 二人は並んで歩き出す。


「清流くんてさ……」


 リトが口に出す。


「ちょっと言い方、キツイよね?」


 その問に、弓がうんと頷く。

 ほんの少しだけ満足したリトは歩きながら更に続けた。


「ラムール様だって大地を震わすくらいお怒りだったけど、最後は気にしないでいい、って仰ったよね? もう何年も前のことだし、時効だよね!?」

「……時効……」


 しかし弓はどこか納得いかなさそうに呟いた。


「それって、時がたてば許すべき……ってこと?」


 それを聞いてリトは頷いたが、弓は怒りのような、悲しみのような、何やら複雑そうな表情を見せて言った。


「ねぇリト。 誰かは、誰かに、謝られたら、許さなきゃいけないの? やった人が反省しているなら、許して貰えるのが当然だと思ってるの?」


 探るような弓の眼差し。

 なぜか今まで見たことのない弓がそこにいる気がした。


「当然っていうか、許してあげてもいいんじゃない? おばあちゃん、謝ってたでしょ? あんなにあんなに泣いてたでしょ? これがね、新世さんが許さないって怒ってるなら私だって、こんな事言わない。 でも、おばあちゃんに酷いことを言ったのは清流くん、だから怒ってるの」


 リトは自分の意見に同調してくれない弓に対して、ほんのわずか、心が波立つ。

 いつもの弓なら、「そうね」と頷いてくれるはずだ。

 清流が失礼な事を言ってごめんね、と。

 そうしたら自分も、弓は悪くないんだよ、気にしないで、と言えるだろう。

 一緒に、どうしたら清流を反省させきれるか話し合うこともできるかもしれない。

 黙ったまま少し歩いて、ようやく弓が言葉を発した。


「許してくれと押しつけることが、本当に正しいの?」

「えっ?」


 言われた言葉の意味が分からず、リトは思わず立ち止まって弓を見た。

 弓も歩みを止め、リトを見つめ返す。


「ねぇリト。 許してくれと謝ることが再び相手を傷つけることってあるんじゃないかしら?」

「はっ?」


 リトは再度、首を傾げた。

 弓は一体、何を言っているのか。

 ただ、祖母の擁護ではなさそうだった。


「許してくれるの? 傷つけられた人は許してくれるの?」


 なぜか弓はこだわって尋ねた。


「何言ってんの? 弓。 どうしてこっちが謝っているのに、謝られた人の方が傷つくなんて考えになるの? 謝るほうは勇気いっぱい振り絞っているんだよ?」

「だって、謝りたいから謝るだけでょ? 相手のためじゃないわ」

「弓」


 謝りたいから謝るなんて、それは謝る者に対してあまりにも失礼ではないか。

 弓にしてはめずらしく、まだまだ続ける。


「許してもらえないってことが分かっていながら、それでも許してとお願いをするってことは、相手の為じゃなくて、自分のためだけじゃないの? それって傷つけた相手に失礼にならないのかしら」

「弓! そんな考えだったの?!」


 リトは声を張り上げた。

 弓の考えは清流のそれと同じではないか。

 リトと弓は歩くのを止め、見つめ合った。

 リトと向かい合った弓は、視線を逸らさずに尋ねた。


「私の考えは変?」

「――変もなにも。 おかしいよ、弓。 絶対おかしい」


 リトは言った。


「弓の考えだと、謝った方が悪いってことよね?」

「……うん」

「おかしいって!」


 ありえない弓の言葉にリトはひどく驚いた。

 弓は何を言っているのだろう。

 祖母が謝ったことを間違いだと考えている。

 人の良心から行われた行動を否定している。

 弓は知らないのか?

 人に迷惑をかけたら謝るべきだと。

 謝らなければならないのだと。

 親から教わらなかったのか?

 リトはそこまで考えて、やっと思い出す。

 弓の、弓の親は――そして、育ててくれた人は――

――この子、危ない。

 そんな思いが心の隅に沸く。

 それは弓を怖がる意味での危ない、ではなくて、このままでは弓自身が危険な立場になる、という憂慮。

――今のうちに弓の常識を覆してあげないと、この子、危ない。

 心臓の裏側あたりが冷気を帯び、強く静かに鼓動を奏でる。 心臓から出される血液が冷たく体を冷やしていく。 


「弓を育ててくれた翼族の人がいい人だってことは認める」


 リトは口を開いた。


「でもね、普通は翼族は危険って思われてるんだよ? 実際に、危険な人がほとんどなんだよ?」


 その言葉を黙って弓は聞いている。


「人間は翼族を迫害してるんじゃないの。 予防してるだけなの」

「……予防?」


 弓は小さく首を傾げながら呟き、ほんの少し眉を寄せた。

 リトは大げさに頷いた。


「そう、予防! だって翼族が本気になったら人間なんてひとたまりもないんだもの。 だから、多少の予防線を張られても仕方がないことなんだよ。 人間だって、やりたくてやってる訳じゃない。 おばあちゃん達もそう。 やりたくて翼族を牢に繋いだ訳じゃない。 翼族調査委員会とかもあるし、仕方なかったの」

「……」

「そんななか、昔のことなのに、おばあちゃん達はずっと心を痛めてて。 私、おばあちゃん達、偉いと思う。 翼族に対して優しい気持ちを持ってあげられるって余程のことがないと無理だよ? だから清流君達は逆に感謝すべきなの。 我が身の危険もかえりみず、翼族側に立って可哀想だって思ってあげたんだから」

「……」

「だから、謝ったおばあちゃん達を責めるのは間違いなの。 弓は、間違ってるんだよ?」


 リトは一生懸命まくしたてた。

 このままでは、弓は、危険だ。

 翼族に肩入れしすぎているぶん、危険だ。


「本当ならね。 相手は翼族なんだから、牢に繋いだりしたことも仕方が無いことなんだから、こっちは気にしなくていいことなんだよ?」


 リトは知っている。

 翼族がほんのちょっと本気を出せば人間なんてひとたまりもないことを。

 きっと牢に繋がれそうになっても、相手が本気になりさえすれば、あっさりと人間達を振りほどいて逃げきれるはずなのだ。 

 ならば。

 ならば牢に入ったのは、その入れられた翼族も納得していたのであろう。


「翼族に育てられたぶん、そっちよりの気持ちになるのは分かるけど、でも弓は翼族じゃないんだか……」

「やめて!」


 弓はいきなり大声を上げるとリトの言葉を制した。


「……弓?」


 リトは驚きながら弓の顔を見た。

 弓の瞳が苦しそうに歪み、その口がゆっくりと言葉を繋いだ。


「――あなた、誰?」


――はっ?

 リトはその言葉の意味が分からなかった。

 やや呆然とするリトに向かって再度弓が問う。


「あなた、リトじゃない。 リトはそんな事言わない。 あなた、誰? リトを返して」

「な……」


 ”私”をリトでないと言うなんて。

 弓はいったいどうしてしまったのだろう?

 私はリトで、リトは私だ。


「何言ってんの? 弓。 私がリトじゃなかったら何?」


 その問に弓は答えず、ただ悔しそうにリトを見つめていた。

 ”私”を拒否したその態度が、ただただ不快だった。


「何? 弓は私が、絶対に翼族の味方だって思っていたわけ? 翼族はね、私を危険な目に遭わせたのよ? 殺そうとしたんだよ? 知っている巳白さんならともかく他の翼族が来たら、私は絶対怖がると思う。 ううん、怖い!」


 何かを言い返そうとした弓が戸惑う。

 リトは絞り出すように告げた。


「私に、あってほしい姿を押しつけるのはやめてよ」

「押しつけてなんかいない! 今のリトは、リトじゃないわ! ねぇお願い、リトを返して!」

「だから私は私だってば! もういい加減にして! 沢山よ! 勝手に私を決めないで!」

「だからあなたはリトじゃないっ!!」

「う、る、さ、いっ!!」


 二人とも感情的に叫んでいた。

 叫びすぎて、二人とも肩で軽く息をした。


「――やっぱり翼族に近すぎると、危険な考えに染まるのよ」

「リト」

「こんなに考えが違うんじゃ、やっていけないよ」

「リト」

「友達、止めよう」

「――リト」


 青白くなった弓の顔をリトはじっと見つめた。

 弓は謝るか?

 自分の考えが常識とかけ離れていることを認めることができるか?

 これはリトにとって、賭けだった。

 弓の常識を人間側に引き寄せることができるか、賭けだった。

 そしてぽつりと出てきた弓の結論は。


「あなたはリトじゃない……」


 リトの頭にかっと血が上る。


「弓の馬鹿! 弓なんか、知らないッ! さよならっ!」


 勢いよくひぎすを返すとリトは早足で歩き出した。

 弓の追ってくる気配はない。

 いいのだ。

 もう、あんな危険な奴とは縁を切った方が良い。


「リトの馬鹿ッ! リトなんか、もう知らないっ!」


 少し離れた背後から、弓の言葉が風に乗って追いついた。

 弓とはもう、終わり。



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