過去と未来と 5
「大和さんっ!」
椿が悲鳴をあげる。
「そんな……どうして……」
狼狽する椿の背後から声が響く。
『結論から言えば、力不足だな』
「!」
椿が振り返ると同時に、腕を引かれ、彼女の体は鬼の腕の中に捕らえられる。
「…………っ」
椿は逃れようともがくが、びくともしない。
鬼は彼女を抱いたまま、ゆっくりとした口調で告げる。
『どんなに強い力を持っていようと、訓練を経ずにそれを扱う事は出来ぬ。お前が言った通りだ。それはその娘とて例外ではない。娘の力は訓練されていない未熟な力。娘はお前の精神を支えるだけで精一杯だったのだ』
「…………」
『力を扱うのはお前であっても、力の源はその娘にある。無理に力を引き出そうとするモノに対して、娘が自身の精神を崩壊から守る為に無意識に力を抑制したとしても不思議はない』
椿は、はっと顔を上げた。
『その結果……お前の術を維持するのに力が足りず、俺を押さえる事が出来なかったと言う訳だ。まあ……それでもほんの一瞬は効いていたがな。お前が完全にその娘を支配しておれば、そんな事もなかっただろうに』
「…………」
椿は黙って鬼を睨む。
これ以上、小夜の精神を抑え付ける事は出来なかった。
彼女の精神を壊す事だけは――してはならない。
『椿』
「……なんです」
『お前……もう一度生きるつもりは無いか? その体があれば、お前は生きられるだろう? 心がお前なら、俺はお前がどんな姿であっても構わぬぞ』
「…………」
鬼は椿の顔を持ち上げる。
椿は真っ直ぐ鬼を見据え、言い切った。
「私は過去を生きた者です。未来を生きる者の時間を奪ってまで生きるつもりはありません」
それを聞いた鬼は、僅かに微笑む。
『……お前なら……そう言うだろうと思った』
鬼は目を細め、
『ならばせめて……お前の魂は俺が喰ろうてやる』
「!」
椿は身を捩った。
だが鬼に押さえ付けられ、身動きが取れない。
(駄目……このままでは小夜さんまで……!)
先程の術で、彼女自身の力もほぼ使い果たしている。
鬼の動きを封じるだけの力は残っていなかった。
(なんとかしないと……小夜さんだけでも……!)
焦るが何も出来ない。
纏っていた光の衣も消え、彼女は完全に無防備な状態だった。
(もう――……)
駄目だと、椿がきつく目を閉じた――その時。
鬼と椿。二人の足元に亀裂が生じ、二人を別ける。
そして純白の輝きと共に、竜巻が全てのモノを巻き込み吹き荒れた。
『…………っ!』
「これは……!?」
巨大な竜巻は、鬼も巻き込み吹き飛ばす。
竜巻が消え、椿は目を開いた。
城の天井部分はほぼ吹き飛び無くなっている。床も支えを失い、城全体が軋んだ音を立てていた。
「…………」
椿は辺りを見回す。
背後を見やると、瓦礫を踏み越え、歩いて来る大和の姿が目に映った。
「大和さん!」
椿は大和の許へ駆け寄る。
「……椿……」
大和は、荒い呼吸の合間を縫うように口を開く。
「……無事……だったか……」
「はい。私は大丈夫です。でも……大和さんが……」
「……悪い。アンタが刀に込めてくれた力……使い切った。そうでもしなきゃ……届かなかった……から……」
「あ……」
大和の刀は輝きを失っている。
椿はかぶりを振った。
「いいんです。大和さんが生きていて良かった。すみません……私の力が至らないばかりに……そんな大怪我を……」
大和が押さえている脇腹からは、血が滲んでいるのが見える。
椿は大和の腕に手を添え、
「とにかく……止血だけでも……」
「……そんな事する暇はくれないみたいだぞ」
「え……?」
大和がそう言った時だ。
瓦礫を押し退け、埃を払いながらこちらに歩み寄る鬼の姿が、そこにはあった。
『その体で、よくこれだけの力を捻り出せたものだ』
鬼は感嘆というより、呆れたような調子で言ってくる。
「…………」
大和は無言で椿を下がらせた。
「大和さん……」
「……アンタ、もう力が残って無いんだろ? 後は俺がやる」
「でも……! その怪我じゃ……それに……今のままでは……」
「何とかする」
そう言って、大和は鬼の方へ向き直る。
「大和さ……っ……!」
大和を止めようとした椿だったが、突然酷い眩暈がして、その場に膝をつく。
小夜の体が淡く光り……次の瞬間、椿は小夜の体から弾き出された。
「…………!」
小夜はそのまま床に倒れ込む。彼女も限界だったのだ。
大和は、一瞬だけ視線を背後に向け、
「……小夜を頼む」
そう告げると、大和は鬼に向かって行った。
大和が振り下ろした刀を、鬼はあっさりと受け止める。
「くっ……!」
『……勝てないと分かっていてなお向かって来るとは……』
鬼は大和の刀を受け流すと、大和を蹴り飛ばした。
「がっ……!」
「大和さん!」
大和は風で蹴りの衝撃を殺し、刀を床に突きたてると、何とか上体を起こす。
「くっ……そ……」
『…………』
鬼は椿――そして大和を交互に見やり、嘆息した。
鬼の持つ巨大な刀が紅蓮の輝きを放つ。
「!?」
『……お前らともう少し遊んでやりたい気もするが……そろそろ終いにするか』
そう言った直後、鬼の刀は灼熱の炎を帯びる。
「炎っ!?」
大和は驚愕した。
鬼は笑いながら、真紅の刀を大和らの方へ向ける。
『こんな話を聞いた事は無かったか?「白き鬼……彼の者――天を駆け、風を、炎を、自在に操る妖力無辺の妖であった」……と。俺の力が風を操るだけだなどと一言も言っておらぬぞ。俺はその気になれば大地を揺るがし、この地を沈める事も出来る』
「…………!?」
その言葉に、大和は絶句する。
鬼は僅かに目を伏せた。
『“人の身”で俺を止められる者などおらぬ……』
そう言って開いた鬼の瞳に、恐ろしく冷たい殺気が宿る。
全身が凍り付くような凄まじい威圧感。
鬼は刀を構えた。
『止められるものならば止めてみせろ』




