心の在処
「…………」
真夜中。
斬影はふいに目が覚め、ぼんやりと天井を見上げる。
昨日は仕事の疲れもあって、早めに休んだのだが……
「何でこんな時間に目が覚めるかねぇ……」
今日も早朝から出掛けねばならない。
深々と嘆息し、上体を起こす。
ふと隣を見ると、大和が静かな寝息を立てて眠っているのが目に入った。
そのあどけなさに思わず顔が綻ぶ。
こうして眠っている時や、甘い物を食べている時などは本当に普通の子供と変わらない。
そう――……
(変わらねぇんだよな。こいつも……)
大和の寝顔を見ながら、斬影は胸中で独りごちた。
大和と暮らし始めて七年。これまで、大和は一切の感情を表に出さなかった。
嬉しい事も、楽しい事も、辛い事も、寂しい事も……何一つ。
自分が仕事に行っている間も、家事をこなし、おとなしく留守番をしている。
……妖魔を連れ込むのは感心出来ないが。
しかしあの日――大和を連れて祭りに行ったあの日。大和は初めて自分に縋ってきた。
俯いたまま、斬影の着物の袖を強く掴む。
その後、何を言うでもなかったが、斬影はそれだけで大和の気持ちが分かったような気がした。
(……ひとりぼっちが寂しくないワケねぇよな)
大和は何も言わず、こちらの言う事に従う。家事でも何でも、人並み以上にやってのけるから、自分は安心して仕事に行ける。
そんな風だから、斬影はあまり大和の事を心配したりはしなかった。
大和なら大丈夫だと、いつも一人で納得していた。
と――
「……ん?」
斬影が物思いに耽っていると、それまで穏やかに眠っていた大和の表情に何か苦悶の色が浮かぶ。
眉間に皺を寄せ、傍目にも苦しそうに見えた。
「……大和……?」
斬影は小さく呼び掛け、大和の顔を覗き込む。
特に体の具合が悪いという訳では無さそうだが……悪い夢でも見ているのか――少しうなされている。
「…………」
斬影はそっと大和の頭を撫でてやった。
暫くそうしていると、落ち着いてきたようで――大和の顔から苦悶の色が消える。
それを見て、斬影は安堵の吐息を漏らす。
苦笑混じりに、
(不安だったり、心細かったり……そんな事感じるのは当たり前だ)
静かに眠る大和を見て、斬影は自分が今まで勘違いしていた事に思い至った。
斬影はため息をついた。
そして――囁く。
「……言わなきゃ分かんねぇ事っていっぱいあんだぞ?」
特にお前はな。と付け加えて、ぽんっと軽く大和の頭を叩き、斬影は再び横になる。
(今日は早めに帰って来てやるか……)
そう思いながら、斬影は目を閉じた。
そして、その日の朝。
「じゃあ、行って来るぜ」
「……ん」
いつものように気のない返事をしながら見送りをする大和。
「今日は早めに帰って来るからな」
「ん」
斬影の言葉に、大和は頷く。
戸を開け、斬影は振り返った。
「んじゃ、ちゃんと留守番しとけよ」
「いつもちゃんとしてる」
キッパリと言い切る大和に、斬影は頬を引き攣らせ、
「……うん。そうだけど……毛玉家ん中入れるんじゃねぇぞ」
「…………」
「返事は!?」
「今日は早く帰って来るんだろ?」
毛玉を入れない事については返事を返さず、大和は話を切り替える。
「あ?……ああ」
「別に早く帰って来なくても良いけど」
「……そういう事言われるとちょっぴり寂しいんだぞ?」
大和は暫し口を噤んでいたが、やがて小さく呟いた。
「……遅くなっても……ちゃんと留守番してる」
「……大和」
それを聞いて、斬影は口元を緩めると、大和に手招きする。
とてとてとこちらに寄ってきた大和の頭を撫でて、
「今日は早く帰って来る。そしたら飯食いに行こうな」
「……ん」
小さく頷く大和に笑って、斬影は家を後にした。
斬影が出掛けてから大和はいつも通り、掃除やら洗濯やらの家事をこなす。
ここ数日、斬影の帰りは遅い事が多かった。従って、夕飯も一人で済ませる事が多い。
それは慣れた事であるし、これまであまり気にしてこなかったのだが……
「…………」
箒を手に、大和は窓の外を見る。
斬影は普段、「あまり遅くならないようにする」とは言うが、早めの帰宅を約束するような事は言わない。
事実、「遅くならないように」とは言うものの――早く帰って来た例しは無かった。それが、「早く帰って来る」と言うのだから、今日は日のあるうちに帰るのかもしれない。
――今日は早く帰って来る。
大和は、その言葉が少し嬉しく感じた。そんな風に思ったのは初めてだ。
いつもは退屈で仕方ない留守番も、今日は少し気分が軽い。
大和が部屋の掃除を終えた――ちょうどその時。
窓辺に、ちょこんと白い毛玉が姿を現した。
「…………」
今にもこちらに飛び付いてきそうな毛玉を、大和は指で弾いて転がす。
「……今日は家の中に入れないって約束だから」
そう言って窓を閉めると、大和は外へ出た。
それから――日が傾き始めた頃。
毛玉はぴょこぴょこ跳ねながら森の奥へと消えていく。
それを見送って、大和は家の中へ戻る。そろそろ夕飯の支度をしなければならない。
早く帰って来ると言っていたが……
そう思いながら、かぶりを振る。
(……いつもの事だし……)
胸中で呟き――大和は、こんな事で一喜一憂している自分に少し戸惑った。
以前の自分なら考えられない事だ。
ちらと戸口の方を見やるが、斬影が帰って来る気配は無い。
大和は小さくため息をついて、台所へと向かう。
と――その時。
「…………?」
バタバタと忙しない足音が聞こえて来たかと思うと、次の瞬間。
バンッ! と、勢いよく戸が開き、次いで声が響く。
「大和っ!」
「……斬影」
斬影は戸口の前で座り込み、肩で息をしながら、
「今……帰った……」
「……ん。お帰り」
ぐったりとした様子の斬影に、大和はとりあえず手拭いと水を差し出した。
斬影はそれを有り難く受け取る。
「おお……ありがとよ」
「何そんなに慌ててるんだ?」
斬影は水を飲み干すと、嘆息し、
「今日は早く帰るって約束したろ?」
「……それで急いで……?」
「そーだよ。飯。まだ用意してねぇよな?」
訊かれて、大和は頷いた。
「今用意しようと思ってたところ」
それを聞いて、斬影は大和の頭に手を乗せる。
「よしよし。なら出掛けるぞ」
「…………」
一息ついて落ち着いたのか、斬影は立ち上がると、大和を連れて町へ向かった。
斬影の後を付いて歩きながら、大和は小さく斬影に問い掛ける。
「……何で今日はわざわざ外で食事するんだ?」
すると斬影は事も無げに、
「たまにゃあこういうのも良いだろ? それにだ……」
と、言葉を切って、斬影は懐から何かを取り出した。それは二枚の紙切れ。
斬影はその紙切れを示し、
「知り合いの店で食事券を貰ったんだが、ここんところ忙しくて足運べなくてな。よく見たら券の有効期限が今日までだったんだ。せっかく貰ったのに行かねぇのは勿体ねぇだろ?」
「…………」
大和は無言で斬影の持っている券を見詰める。
確かに、有効期限は今日までになっていた。
歩きながら、
「……ならあんな急いで帰って来なくても、斬影だけで行って来れば良かったんじゃ……」
「せっかく二枚あるんだから、一人より二人で行った方が得だろうが」
斬影は大和の言葉を遮るように口を開く。
券を懐に仕舞い、
「何だ? 飯食いに行くの嫌だったか?」
「……別に。嫌じゃないけど」
「ならほれ。行くぞ」
それから、店に着くと早速料理が振る舞われた。
店主と斬影は顔馴染みらしく、新しい料理の試作品という事もあって無料で提供されたのだが、見た目も味も悪くなかった。
近々、店の献立表に並ぶそうだ。
食事を済ませ、店を出ると斬影は満足げに笑う。
「やっぱ来て正確だったな♪」
上機嫌で歩く斬影の後ろを、大和は黙って付いて歩く。
夜の町は昼間とは勿論――祭りの夜とも違い、随分静かで落ち着いた雰囲気だった。
しかし、一本通りが変わると賑わっている所もあり、大和にはなんだか不思議な感じがする。
特に何を見るでもなく、ぼんやり町を眺めていると斬影が振り返り、
「どうだ? 悪くなかっただろ?」
「……ん」
訊かれて、大和は小さく頷く。
そして、ぽつりと付け加えた。
「……けど……家で食べる方がいい」
すると斬影は軽く吹き出し、
「家で食う方がいいか。そりゃ何か? 俺が作る飯の方が旨いって事か?」
と、冗談半分で言ってみる。
が――
「…………」
「あれ」
無反応な大和に、斬影は半眼になって呻く。
「……大和。今のは突っ込むところだろ」
大和は暫し無言で斬影を見詰めていたが、やがて視線を逸らす。
それを見た斬影は、大和の顔を覗き込んで、
「……ひょっとして……ホントに俺の飯のが旨いと思ってたのか?」
「…………」
何やら期待を込めたような眼差しを向ける斬影に、大和は小さく呟いた。
「……俺が作った方が旨い」
「おーまーえーなぁーっ!」
その瞬間、斬影は大和の頭をガシガシと掻き撫でる。
大和は斬影の手から逃れようと身を捩った――その時。
「――……」
大和は目の前に映った光景に動きを止めた。
「……ん? 何だ?」
抵抗が止んで、斬影は怪訝な顔をする。
大和の視線を目で追うと、両親と手を繋いで笑う子供の姿が目に止まった。自分達と同じように、家族で食事をした帰りなのだろう。
大和は斬影が動きを止めた隙に、スルリと斬影の腕から抜け出す。
そして、そのまま家へ向けて歩き出した。
「…………」
斬影はひとつため息をつくと、大和の後を追い、
「大和」
「…………」
「ほれ」
「……何」
「手」
「…………」
斬影は大和の前に手を差し出す。
大和は、差し出された手を見詰め――それをかわして歩を進める。
「あ~っ! もうっ!」
斬影はガシガシと頭を掻きむしり――かぶりを振ると、ぱしっと大和の手を取った。
「…………!」
一瞬、驚いたような表情をする大和に斬影はニッと笑い、
「こうしたかったんだろ?」
「……別に」
大和はぷいと顔を背ける。
それには構わず、斬影は繋いだ手をぶらぶらと揺らし、
「あのなぁ。大和。いいか? 今のうちだけだぞ。こんなん出来るのは。そのうちこっ恥ずかしくて出来なくなんだから、甘えられる時は素直に甘えとけ」
「…………」
大和は繋がれた手を見る。
大きくて温かい掌――
この温もりに包まれている時は、何だか安心する。
「結局……今日はあの券使う為に早く帰って来たんだろ?」
大和がそう言うと、斬影は笑った。
「それもあるけどよ。まあ……何だ。最近、忙しくてあんまりお前に構ってやれてなかったし、たまにはこうやって外で飯食うのも良いかと思ってな」
と、繋いだ手を少し持ち上げ、
「それに、家ん中じゃこんな事出来ねぇだろ?」
「……別にしなくていい」
素っ気なく言う大和に斬影は苦笑する。
と――
「……おっ?」
それまで、ただ斬影が大和の手を掴んでいただけだったが、その手をキュッと――大和が握り返してきた。
「またこうやってどっか出掛けるか?」
「……気が向いたら」
暗がりで顔を背けたままの大和の表情は窺えないが、否定の言葉が出なかった事に斬影は破顔する。
月明かりに照らされた二つの影は、ゆらゆらと繋いだ手を揺らしながら、町の外へと消えていった。




