第三章 第四幕
回想スタート(負けフラグ)
すぅ、と呼吸を整え、弦を構える。
すぐ近くの姉と視線を交わし、それだけでタイミングを合わせーーー二人は演奏を始めた。
自分のヴァイオリンと姉のピアノ。二つの楽器がそれぞれ奏でる音はまるで違うのに、まるで一つの音であるかのように調和し、融け合っていく。
この瞬間が彼は好きだった。
まるで世界が自分と双子の姉の二人だけになり、それすらも溶けて消えていくような底無しの虚無感と充実感。
このなんとも言えない一体感こそが、彼がヴァイオリンを弾く理由と言って良い。
そしてやがて演奏が終わりーーー双子はペコリと観客にお辞儀をした。
途端観客から微笑みとともに拍手が与えられる。六歳の子供二人が見せた見事な合奏に、心から感心しているのだろう。
舞台袖からはけた二人を迎える大人がいる。
「お疲れ。エル、アーサー」
「うまくできてたわよ」
「本当に?お母さん」
「僕たちうまく演奏できてた?」
それが、アーサーの家族。
レッドフィールド家の人間だった。
「銅賞かぁ…」
今回アーサー達が参加していたのは、6歳までの子供が参加するジュニアコンクールだ。4歳から参加しているコンクールだし、今年が最後ということもあって、かなり気合いを入れて望んだのだが、現実はそううまくいくものでは無いらしい。
無論賞を取れないよりは遥かに良い状況だろうが、やはりモヤモヤとしたものが残る。
不満げなアーサーにたしなめるように母親が言う。
「そんなにむくれないの。良い成績なのは間違いないんだから。明日からはお婆ちゃんの家に旅行なんだしね」
◇◇◇
「お婆様?」
「ああ。俺の母親はアイルランド人とイラク人のハーフでな。俺の黒髪は母親譲りだ」
「それでイラクに?」
「そうだ、そこで俺の人生は変わった」
◇◇◇
「お母さん!お父さん、お母さんが!」
「振りかえるなアーサー!今は逃げることだけ考えろ!」
辺りには爆音と銃声が響いていた。
その時は何が何だか理解できなかったが、あとになって知ったところによるとテロ集団が町に無差別テロを仕掛けたらしい。
そのせいで、アーサーと姉のエルは目の前で母親が撃たれて死ぬのを目の当たりにした。
始まりは一つの爆音だった。
テロリストの一人が町の警察署を自爆テロで吹き飛ばしたのを皮切りに、町中で殺人が始まった。
逃げ惑う人々を嗤いながら殺すテロリスト達から、アーサー達は必死に逃げる。
しかし無駄だった。
アーサー達の祖母の家は、運悪く町の中央近くにあり、町の外は絶望的に遠かった。
「あっ…!」
道端の瓦礫に躓き、アーサーは転倒してしまう。
手を握りあっていた姉もろとも勢いよく地面に倒れ込み、ガリガリと砂利で皮膚が削れた。
「ご、ごめんなさいお父さん」
一刻を争うこの状況で、転んで時間をロスするのは最悪だ。
「…?」
そこでアーサーは不審に思う。
何故か父親の返事がない。
立ち上がったアーサーの目に最初に飛び込んできたのは、頭から血を流して倒れる父の遺体だった。
アーサーは頭がぐるぐると回り、世界が歪むのを感じた。
なんだ。
なんなんだコレは。
「もういや…!もう嫌よ…っ!」
何かを振り払うように頭を振りながら姉のエルが蹲る。
「…ッ姉さん!とにかく隠れないと!」
姉を守らなければいけないーーーその一心で辛うじて判断能力を残したアーサーは、子供の足で逃げ切るのは不可能だと悟り、近くの家の地下室に隠れる。
無力な子供でしかないアーサー達は、ただ震えて見つからないようにじっとしているしかなかった。
◇◇◇
「よこせよッ!!」
アーサーは同年代の子供を殴り付け、無理矢理パンを奪う。
あの日、奇跡的にテロリストに見つかることなく生き延びたアーサーとエルは、イラクの片隅にあるスラム街でストリートチルドレンに成っていた。
この世界のルールは単純にして絶対。ただ弱肉強食、それだけだ。
弱い人間は強い人間に搾取され、より強い人間は下を見ることもなく足下を踏みにじって生きていく。
アーサーは天性の才能があったのか、ストリートチルドレンの中で暴力によってそれなりの地位を築いて、エルと生活していた。
一年近くこんな生活が続き、アーサーはただ、姉のために奪い、戦って生きていた。
そしてアーサーが廃材で作られた家に帰宅すると、家の前に見覚えのないジープが停まっていた。
嫌な予感と共に、扉を蹴破るようにして家のなかに駆け込むと、
そこには姉を、
アーサーの唯一絶対の存在意義であるエルを誘拐しようとする軍服の男達がいた。
「なっ…なにしてんだよッ!!!」
アーサーは男達に飛びかかり、蹴りを放つ。
スラム街を暴力でのしあがったアーサーの蹴りだ。大人相手でも十分にダメージを与えられるほどの威力を秘めているし、アーサーは相手を蹴る時、必ずフェイントを交ぜて分かりにくくした上で急所を狙っている。
まともに食らえば大の男でものたうち回るーーー筈だった。
男はあっさりとアーサーの足を受け止め、そのまま棒切れでも振り回すような気軽さでアーサーの矮躯を放り投げ、壁に勢いよく叩きつけた。
「カッ……!!」
背中に強い衝撃を受け、アーサーは思わず息を吐き出す。
そこに男の追撃の拳が襲いかかり、アーサーの鳩尾に深々と突き刺さった。
声も出せずに崩れ落ちたアーサーの顔に手早く麻袋を被せると、男はアーサーとエルを家の前に停めてあったジープに放り込む。
ブロン、と音をたてて、ジープは町の外へと走っていった。
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