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私、あなたの愛妻ですから。〜施設育ちOLですが、ノンデリ冷徹御曹司の偽恋人を演じた結果、義両親に何故か溺愛されています〜  作者: あらん


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冷徹御曹司との出会い

 

(副社長……?)

 

見間違い?と、桜子はぱちぱち瞬きをする。が、見れば見るほど、どう見たって副社長――有山商事の社長の息子・有山一騎その人であると理解が及んで、全身の血の気がズザァッと一気に引いた。


桜子のような平社員でも、5階フロアの人間であれば誰もがその人相を知っていた。何故なら、彼は営業担当との打ち合わせのため月に何度も現れるから。


今日もきっと、午後一の会議で皆を萎縮させていたに違いない。聞くところでは、彼は不要と判断した人材はたとえ付き合いが深くとも、《合理的判断》の名のもとに容赦なく切り捨てるらしい。

その無情さゆえに、裏では密かに " 鬼 " だの " 冷徹 " などと不名誉な渾名で呼ばれているが――。



(どうして副社長が……こんなえっちな所にいるの?)



曲がりなりにも御曹司と呼ばれる人が、チープなラブホテル街にいる理由はなんなのか。しかも、下っ端平社員である自分を庇うかのように――明らかに庇って立っている。


混乱する桜子をよそに、一騎は対峙する男を冷めた視線で見下ろしながら今一度淡々と言葉を発した。


「この女性は私の連れです。はぐれてしまって探していました」


「は、はあ……」


「後は私が対応します。どうぞお引き取りを」


「あぁ……はいはい……わかりました……」


男は口元をもごつかせつつ、一騎の有無を言わせない眼差しに気圧されて頷くことしかできなかった。早足にその場を去っていき、場には二人が取り残される。



(……ど、どうしよ……気まずい……)



「………ふ、副社ちょ――」


「比良坂さん」


「申し訳ありませんっ!」


桜子は姿勢を正して腰を折る。それまで放心状態であったことが夢か幻に思えるくらい、焦りによって脳はクリアになっていた。


「ご迷惑をお掛けしました!助けてくださってありがとうございます!」


「迷惑は別に。後は帰るだけですので」


一騎はじっと桜子を見つめ、一際低いトーンで尋ねる。


「何時間も前に早退したはずのあなたが、おかしな様子で歩いているのを目にしたもので気になって追ってきました。この界隈に来ている理由は?」


「り、理由……」



(この感じ、もしかしなくても仮病だと疑われてる?)



冷たい目の末恐ろしさに、桜子は怖気づいて横を見る。

するとそこにはホテルの看板。



宿泊7980円。

『ラブ♡パワー』の文字と、ボインな女性のえっちなパネル。



(ひいぃ……逃げ場がないよぉ………)



「比良坂さん、聞いていますか」


「はっ、はいっ!早退したのは、本当に気分が悪くて………ちなみに、何故ご存じなのですか?私が早退したことを」


「戸塚さんがそのようなことを言っていました。あなたが復調して出社し次第、最短で資料をブラッシュアップさせます、とね」


「戸塚さんが……そうでしたか」



(バカみたい、私)



この瞬間、身に沁みて理解した。

凌にとって、もはや自分という存在は恋人でも同僚でもない。どれほど軽んじようが構わない、都合の良いコマにしかすぎないのだということを。



(終わりだ、終わり。全部終わった――)



「っ……」


張り詰めていた心の糸がぷつっと切れる。堪らえようと努力はしたが頑張りきれず、ぽろ、と涙が頬を濡らした。突然泣き出した桜子に、一騎は切れ長の目を不審に細める。


「比良坂さん、何を泣いて――」


「わたしっ……私今日で退職します!今まで本当にありがとうございました!!」


「えっ、はっ?ちょっと!」


走って去ろうとする桜子を、一騎は慌てて捕まえる。説明をと口を開くが、往来の視線に場を一旦移さなければと判断して反論を許さぬ口調で言った。


「来てください。家まで送ります」


「ぐすっ……一人で、帰れますからぁっ……」


逃れようにも強い力で引っ張られ、桜子は抗えずについていく。


「離してっ……ほっといてくださいっ!」


「その状態で一人で歩かせられません。車があるので遠慮なさらず」


「い……今、家がなくて」


「……はい?」


聞き間違いか。

予想外の発言に、一騎は一瞬言葉を失う。


「家がない?と言いました?」


「はい……それで、ホテルに……」


「ホテル?」


「ちちち違います!!」


ピンクの看板を見上げた一騎に、桜子は首を振って否定した。


「ここではなくけやき通りのビジネスホテルに……っ」


殺風景なホテルの部屋を思い出す。すると芋づる式に、そこに泊まる羽目になった経緯や凌の罵声がフラッシュバックしてしまい、桜子の目からは再び涙がボロボロこぼれた。


「もう辞めっ……辞めますからっ……」


「認めません」


足取りは緩めず、冷ややかな口調で一騎は言った。


「届け出なしの退職は社内規則に違反しています。第一、非常識だ」


「関係ないです、もう………」



(マスカラ、ウォータープルーフにしてて良かった)



麻痺した心で安堵して、袖をつまんで目元を押さえる。


「終わりです、何もかも。疲れたんです、だから……もう、いっそ……誰もいないところに……」


凌と姫奈がいる場所に、今までと変わらず居続けることなどできるわけがない。今後大きくなるであろう姫奈の腹を想像するのも吐き気がするし、仕事とはいえ凌のために資料を作成しなければならないと思うと――。


「………辞めさせて……」


「口ではなく脚の方を動かしてください。話は後で改めて聞きます」


「………ぐすっ……」


「今のあなたの状態では……判断のしようがない」


数分後、コインパーキングに到着する。


「乗って」


一騎は黒い車の助手席を開けて、桜子をグイと押し入れた。自身も運転席に乗り込むと傍らを見、めそめそと泣いている姿にため息をつく。


間もなく、エンジンがかかる。

ヴン、と駆動音が鳴り、車は夜の東京を滑るように走り始めた。


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