20年後のシンデレラ
「もう女として見れねんだって!!さっさと出てけよ!!」
「っ!!痛っ……」
怒鳴られ、突き飛ばされて後ずさる。目前で仁王立ちしている男――戸塚凌は、心底うんざりした顔で桜子を睨みつけていた。
「なんで?出てけってどうして」
「あ?」
威圧する視線に、桜子ははっと息を飲む。
(どうしちゃったの、凌。帰ってきて早々、何をそんなに怒っているの?――)
凌と桜子。
二人は同じ商社に勤務する同僚であり、いわゆるカレカノの間柄だった。
凌は花形の営業、桜子は裏方の営業事務。
入社してすぐ、凌の熱烈アプローチにより交際が開始し、ワンルームでの二人暮らしもほぼ同時期に始まっていた。
(私にとって、初めては全部凌だった。二人で暮らす毎日も、コンビニで一緒にアイスを買うのも、手を繋いで歩くのも、キスも、それより先のことも、全部――)
凌が好きで、結婚相手はこの人しかいないと信じていた。たとえ、乱暴な仕打ちをされたとしても、彼を慕って五年もの歳月を共に過ごしてきたはずなのに。
「無理なんだよ、お前といるの」
「私、あなたに何かした?」
「女として見れなくなった」
「だからそれは理不尽でしょって!」
別にレスでもなんでもない。むしろ昨夜も、凌の求めに応じる形でそういう行為を許していたのだ。
「納得できる説明をして!急にそん――」
「急じゃねぇ!!」
ちゃぶ台がガンッ!と跳ね上がる。
大きな音に、桜子は思わず肩をすくめる。
その反応さえ、凌の苛立ちを煽ったらしい。
「きゃっ!?」
下腹を蹴られ、桜子は大きくよろめく。ドタンッ、とフローリングに尻もちをつくが、凌は謝るでもなく吐き捨てた。
「お前連絡しつこいんだよ!この束縛女が」
「束縛なんてしたことないっ……!」
「してんだろうが!帰りが遅いと『大丈夫?』とか『今どこにいるの?』とか毎回うざいのなんのって」
「え……」
(それって、束縛?)
単に心配していただけだ。
この半年、終電を過ぎても帰らない日が増えていたから。
"終点まで行ってないかな。"
"体調崩して、倒れてない?"
桜子としては、凌の安否を知りたいがために連絡していたわけなのだが――。
「あとさ、言いたくなかったけどこの際だから言っとくわ」
呆然としている桜子を鼻で笑って凌は続ける。
「ぶっちゃけもうお前じゃ勃たない。ムダ毛はあるし、可愛げも減ったし……あと老けたよな、全体的に。女としてするべき努力が圧倒的に足りてないんだよ」
「な……なに、それ………」
ショックだった。
比良坂桜子、二十八歳。
春になれば、二十九歳。
とは言え、老けた自覚は特にない。
そもそも老化は人類皆お互い様であるからして、そこを責めるのはさすがに意地が悪いと言おうか、いやその前に。
(私じゃ無理って、昨日普通に……)
反論しようと顔を上げる。が、ガン!と再びちゃぶ台が跳ね、桜子の語気は怯えによって控え目になる。
「で、でも……そんな理由で別れられるの?」
「そんな?オレにとっちゃ十分だよ」
「昨日の夜、してるのに……?」
「情だよ情。情でヤってやっただけに決まってるだろ」
「………ひどい」
無情な言葉で語られる情。
般若の面のような顔。
(この人、誰?こんな顔をする凌を、私は知らない……)
「凌は私を……もう好きじゃないってこと?」
「そうだよ。いいから早く出ていってくれ。ここの契約者はオレだからな。いつでもお前を追い出せるんだ」
「契約は、そうだけど……」
(家賃はずっと折半してるよ?)
などと、言い返してやる気力も、もはや残っていなかった。
あちこちひりつく体をさすり、桜子はふらりと立ち上がる。見慣れたはずのこの部屋も、今や他人の家と変わらないくらい居心地悪く感じられる。
「荷物、なるべく持っていけ」
「……凌、もし何かに悩んでるなら」
「早く行けって。オレを自由にしてくれよ」
「自由……」
(ひどい言い草。まるで私が、鎖か何かで縛りつけてきたみたいじゃない……)
震える息を吐き出して踵を返す。クローゼットを開けてメタルピンクのスーツケースを引っ張り出すと、黙々と荷物をまとめ始めた。
その間、凌は一言も発さなかった。
荷物を詰め終え、玄関に行って靴を履く。ドアノブを掴んでひねる直前、一縷の希望を持って振り向く。
凌は、スマートフォンをいじっていた。
桜子の方には目も向けず、画面に文字を一心不乱に打っていた。
「じゃ、さよなら……」
「あっ、おい!」
彼の視線が自分に向く。
もしかして、後悔して引き止め――
「鍵、そこに置いてけよ」
「………。」
鍵を置き、ドアを押して外に出る。
冬の寒さが、氷の風が、熱い頬をちくちくと刺す。
「……信じられない」
長年一緒にいる以上、ケンカをするのは仕方ない。ただ、今回のは史上最悪。災害クラスと言っていい。
簡単に許すことなど、到底できはしないだろう。
それでも――。
(本気で「ごめん、悪かった」って言ってくれたら……許してあげよう)
簡単には、離れられない。
また捨てられたなんて、思いたくもなかったから。




