↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第一節 常盤の子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/45

第五話 京の昼 

第五話 京の昼 


 朝になると、牛若は夢に出てきた兄の顔を思い出せなかった。


 常盤に髪を結ってもらっている間も、何度か目を閉じてみる。

 浮かぶのは門の形ばかりで、手に抱えていた書物の重さも、もう分からない。


「痛かった?」


 常盤の手が止まる。


「ううん。夢を思い出してた」


「昨日の?」


 牛若がうなずくと、常盤は髪を結び終え、肩を軽く叩いた。


「今日は外へ出ましょう。いい天気よ」


 通りには、焼いた餅の匂いが漂っていた。牛若は店の前で足を止め、常盤を見上げる。


「見るだけよ」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてあるもの」


 常盤が笑う。牛若は自分の頬をこすってから、そんなところに字はないと気づいた。


 餅を焼く女が二人のやり取りを聞き、声を上げて笑った。

 牛若は少し恥ずかしくなり、常盤の手を引いて歩き出す。


 陽の当たる通りには人が行き交い、店先からは値を言い合う声が聞こえる。牛若が立ち止まれば、常盤も待ってくれた。桶を運ぶ人を避けるときは手を引き、離れればまた牛若の歩幅に合わせる。


 夢の中の門は静かだった。兄が去ったあと、誰の声も聞こえなかった気がする。


 牛若は通りを振り返った。餅屋の女が客と話しながら、忙しく手を動かしている。

 すぐそばでは子どもが二人、どちらが先に買うかで言い争っていた。


「どうしたの?」


 常盤に聞かれ、牛若は首を振った。握った手が温かい。牛若はそのまま、母と通りを歩いた。


 角を曲がると、牛若の手を引く常盤の歩みが止まった。


 向こうから牛車が来る。先を行く者が道を空けるよう声をかけ、人々は店の軒下へ寄った。

 常盤も牛若を連れて下がる。


「誰が乗ってるの?」


「静かに」


 常盤は牛若の手を包むように握った。


 薪を背負った男が、道の真ん中で足を滑らせた。

 束ねた紐がほどけ、薪が牛車の前へ転がる。先を行く武士が男を叱りつけた。


 男は頭を下げ、薪を拾おうとする。だが、牛車が近づいていた。

 拾うために出れば進路を塞ぎ、拾わなければ車輪に踏まれる。


 牛若は常盤を見上げた。常盤の視線も、道に散った薪へ向いている。


 武士が足で一本を脇へ蹴った。男はさらに深く頭を下げる。

 牛車が通り過ぎるまで、そのまま動かなかった。


 軒下にいた餅屋の女が、残った薪を拾い始めた。牛若も行こうとすると、常盤が手を離した。


「車のそばには寄らないでね」


「うん」


 牛若が拾ったのは細い一本だけだった。男に渡すと、男は目を丸くし、「ありがとな」と受け取る。


 牛若は男の背に戻された薪を見た。せっかくまとめてあったのに、紐は切れたままだ。


「これ、どうやって持って帰るの」


「結び直すさ」


 男は切れた紐を見せて笑ったが、その長さでは足りそうにない。

 常盤が自分の持っていた細い紐を差し出すと、男は何度も礼を言った。


 帰り道、牛若は何度か牛車の去ったほうを振り返った。通りにはもう人が戻り、

 餅屋の女も客を呼んでいる。さっきの男だけが、紐を結ぶためにまだ道端へしゃがんでいた。


「母上、あの車に乗っていた人は、薪が落ちたのを知ってる?」


 牛若が尋ねると、常盤は少し考えた。


「見えていなかったかもしれないわ」


「外の人は、みんな見てたのに」


 牛若は道端を振り返る。薪の男は結び目を確かめ、ようやく背負い直したところだった。

 重さに身体を傾けながら、人の流れへ戻っていく。


「車の中から見えるものと、道を歩いて見えるものは、違うのでしょうね」


 常盤の答えは、牛若にも分かる言葉だった。けれど、どうしてそうなるのかは分からない。

 車の中の人が少し顔を出せば、男はあんなに何度も頭を下げなくてもよかったのではないか。


 牛若は常盤の手を引き、餅屋の前へ戻った。


「また見るだけ?」


 女に聞かれ、牛若は首を振る。


「さっき、あの人を手伝ってくれてありがとう」


 女はきょとんとして、それから笑った。


「お前さんも一本、拾ってくれただろ」


「一本だけ」


「一本、助かったよ」


 女は焼き上がった餅を並べ直す。

 牛若がじっと見ていると、常盤が横から「今日は一つだけよ」と言った。


「まだ何も言ってない」


「また顔に書いてあるもの」


 餅屋の女が笑う。牛若は頬をこすらず、今度は常盤を見上げた。


「半分ずつ食べよう」


「ええ、そうしましょう」


 包んでもらった餅を二人で分け、歩きながら食べた。

 さっき牛車が通った道にも、もういつもの人声が戻っていた。


 数日後、常盤は牛若を連れて今若のいる寺を訪ねた。


 迎えに出た今若は、二人の姿を見つけると足を速め、途中で僧の目を気にして歩みを緩めた。

 常盤の前ではきちんと頭を下げる。


「元気にしていた?」


「はい、母上」


 返事も少し大人びている。けれど牛若が駆け寄ると、今若は膝をつき、両腕で受け止めた。


「大きくなったな」


「歩いて来たよ」


「母上に抱いてもらわずに?」


「うん。坂も」


 牛若が得意になって話すと、今若は「それは偉い」と笑った。

 常盤は隣で、今朝、牛若を抱いて坂を上ったことは黙っている。


 今若が袖から折り畳んだ紙を出した。


「乙若にも、渡してくれますか」


 常盤が受け取ろうとすると、牛若が先に手を伸ばす。


「ぼくが持つ」


「大事なものだぞ」


「なくさない」


 今若は少し迷ってから、牛若の手に紙を載せた。牛若は両手で持ち、今若の真似をして袖へしまおうとする。紙が落ちそうになり、常盤がそっと支えた。


 兄と別れたあと、牛若は何度も袖を押さえて歩いた。


「乙若兄上のところへ、次に行くの?」


「ええ。今若からの文を届けましょう」


 牛若はうなずく。自分の手から乙若へ、文が渡るところを早く見たかった。


 乙若は、牛若が差し出した文を見るなり声を上げた。


「兄上から?」


「ぼくが預かったんだ。落とさずに持ってきたよ」


「ありがとう」


 乙若は文を開いた。牛若も隣からのぞき込む。

 今若の字を目で追いながら、乙若はときどき小さく笑った。


「何て書いてあるの?」


「ここのところ、朝早く起きられるようになったかって」


「起きられる?」


「……ときどき」


 乙若は文を持ち上げ、牛若に見えないようにする。


「ほかには?」


「寺の庭に花が咲いたんだって。牛若がもう少し大きくなったら、見せてやりたいって書いてある」


「もう大きいよ」


「じゃあ、兄上にそう返事を書こうか」


 牛若がうなずくと、乙若は常盤に筆と紙を借りたいと言った。

 牛若は返事も自分が届けると言い張り、乙若に「まだ一字も書いてないよ」と笑われる。


 帰る時刻が近づいても、乙若は今若からの文を手元に置いていた。

 牛若が門のところで振り返ると、文を持つ手を上げて見せる。


「返事、忘れないでね」


「分かってる。書けたら頼むよ」


 牛若は大きくうなずいた。


 寺を出てしばらく歩いても、牛若は何度か袖を確かめた。

 今朝、今若の文を入れていた場所は空っぽだ。


「返事ができたら、また来ようね」


 常盤が言うと、牛若は袖を押さえるのをやめ、母の手を握った。


 家に戻ると、祖母が牛若の袖を見て笑った。


「今日は文を入れていないのかい」


「乙若兄上に渡した。今度は返事を持って帰るんだ」


「それなら、袖を破らないようにしないとね」


 牛若は慌てて袖を確かめる。祖母がからかっていると分かると、「破らないよ」と言い返した。


 夕餉のあと、常盤が畳に座ると、牛若もその隣へ来た。昼間に買った餅のことを祖母に話し、

 薪を拾ったことも話す。車が来て、男が叱られたところでは、牛若の声が小さくなった。


「その人は、帰れたのかい」


 祖母に聞かれ、牛若は常盤を見た。


「紐を結んで、歩いていったよ」


「なら、よかった」


 牛若はうなずく。餅屋の女が笑っていたことも、話しておけばよかったと思った。


 夜、常盤が寝床に来ると、牛若はまだ起きていた。


「兄上たち、今ごろ何してる?」


「もう眠っているでしょうね」


「明日も?」


「明日は起きるわよ」


「そうじゃなくて、明日もお寺にいる?」


 常盤は牛若のほうを向いた。牛若は昼間、二人と話したばかりだった。


「ええ。今若も乙若も、あちらで暮らしているの」


 牛若は返事をせず、袖に手を入れた。文のあった場所を探り、何もない手を出す。


「返事が書けたら、また会いに行きましょう」


 常盤が言うと、牛若は「うん」と答えて目を閉じた。


 眠りの中で、遠くから人を呼ぶ声がした。兄たちの声かと思ったが、違う。

 追いかける前に途切れてしまい、牛若が目を覚ましたときには、何と呼ばれたのか思い出せなかった。





「ここまでお読みいただきありがとうございます!

評価(下の★★★★★)や一言感想、応援のブクマなど、少しでもいただけると執筆の大きな励みになります! ぜひよろしくお願いします!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。