↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第三章 伊豆への道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/44

第四話 山道へ

第四話 山道へ


 夜明け前、長成の屋敷では、旅支度の音が小さく続いていた。


 戸口に三人分の荷が並んでいる。替えの衣と草鞋、干飯(ほしいい)、薬。遮那王は自分の包みを背負い、肩に掛かる紐を締め直した。昨夜まで広げていた道の紙は、布に包んで懐へ収めてある。


 長成が座敷から出てきた。


「支度は整ったか」


「はい」


「山道へ入れば、足場の悪いところもある。急ぐあまり、歩みを乱すな」


「心得ました」


 奥から来た常盤が、遮那王の旅衣へ手を伸ばした。襟元の合わせを直し、袖口を確かめる。


「牛若。顔を上げて」


 母の顔を見た。


「山では冷えましょう。寒くなったら、荷の衣を重ねなさい。無理に薄着で通してはいけません」


「はい、母上」


「行っておいで。戻ったら、旅の話を聞かせてください」


「必ず」


 弁慶は戸口に立ち、預けていた薙刀を手にしていた。景綱も旅の装束に改め、腰に太刀を帯びている。


 家人が最後の包みを運んできた。弁慶が受け取って背負い、紐を引く。荷はその背に収まると、小さく見えた。


 長成が家人を呼び、裏門を開けるよう命じた。


 表の通りから、荷車の軋む音が聞こえていた。朝市へ向かう者が、もう動き始めている。


 景綱が裏門の外へ出た。路地の先を確かめ、戻ってくる。


「今なら、人はおりませぬ」


 弁慶が薙刀を持ち、門を抜けた。路地へ出ると、二人を待つ。


 遮那王は長成と母へ向き直り、頭を下げた。


「行ってまいります」


 顔を上げると、母は門のそばまで来ていた。長成はその隣に立っている。


 もう一度、二人の顔を見てから敷居を越えた。


 景綱が続き、背後で門が閉じた。


     *


 細い路地を抜け、屋敷の並ぶ通りから離れていく。


 角を曲がろうとしたところで、前を行く弁慶が足を止めた。道の向こうを、籠を背負った男たちが横切っている。


 三人は軒下に寄り、その背が見えなくなるのを待った。


 遠くで寺の鐘が鳴った。


 男たちが向かった通りには、店先を開ける音や、人を呼ぶ声が増えていた。弁慶はそちらへ目をやると、反対の細道へ歩き出した。


 後ろから景綱の足音がついてくる。


 家並みが途切れ、畑の間へ出た頃には、空が白み始めていた。道の先に山裾(やますそ)が見える。


 懐から紙を取り出す。昨日つけた道の曲がりと、目の前の細道を見比べた。


「あちらです」


 指した先を弁慶が見た。畑を回り込む細道へ、三人で足を向ける。


 紙をしまい、杖を握った。


 山裾の畑を過ぎると、道は木立の中へ入った。


 朝露を含んだ草が、草鞋(わらじ)の鼻緒を濡らす。土には木の根が張り、所々に石が浮いていた。都では気にならなかった荷の重みが、坂を上るにつれて肩へ掛かってくる。


 前を行く弁慶の歩幅は大きかった。足場を選びながら進んでも、少しずつ背が遠ざかる。


 曲がり角で、その姿が消えた。


 追って坂を上ると、弁慶は木の幹に肩を預けて待っていた。


「お待たせしました」


「この先で分かれる」


 薙刀の石突が、木々の間を指した。


 下へ続く道は踏み固められている。上の道は細く、落ち葉に半ば隠れていた。


 遮那王は懐の紙を開いた。尾根(おね)へ上がる分かれ道には、昨夜つけた印がある。


「上ですね」


「そうだ。下は村へ出る」


 紙を畳み直す間に、景綱が追いついた。歩いてきた道を振り返り、それから上の道へ目を向ける。


「先をお願いいたします」


 弁慶は坂へ足を掛けた。


 細道では薙刀を肩に担げなかった。枝へ引っかからぬよう、柄を身体に沿わせて進んでいく。その後ろを、少し間を空けて追った。


 斜面を回るところで、太刀の鞘が幹に当たった。


 足を止め、吊った位置を直す。飾りの金が、葉の間から差す日に光った。


「扱いにくいか」


 弁慶が振り返っていた。


「山道では、杖のほうが頼りになります」


「橋でも、そうであったな」


 答える前に、弁慶は歩き出した。


 杖の先を土へつき、後を追う。あの夜、薙刀の柄を受けた場所には傷が残っていた。握る位置を少し変えると、手の内にいつもの感触が戻った。


     *


 尾根に近づくにつれ、登りが緩くなった。


 細道は山腹を横切るように続いている。右手には斜面が迫り、左手は木々の間へ落ち込んでいた。下から時おり人の声が届く。姿は見えなかった。


 弁慶が立ち止まった。


 倒れた木が道を塞いでいる。根元は山側の土を抱え、幹が谷へ向かって斜めに掛かっていた。周りの枝も巻き込まれ、そこだけ木立が途切れている。


 幹は腰より少し高かった。


 弁慶が谷側をのぞく。土が崩れ、根が露わになっていた。


「端へは回るな」


 その場で身を沈め、幹の下をくぐった。背負った荷が樹皮に擦れ、途中で止まる。片手で荷を押さえ、身体を横にして抜けていった。


 遮那王は荷を下ろした。幹の下へ押し出すと、向こうで弁慶が受け取る。


 片膝をつき、頭を低くしてくぐった。最後に景綱の荷を受け取り、三人とも道の向こうへ出た。


 背負い直そうとすると、弁慶が包みの紐を指した。


「緩んでおる」


 結び目が枝に擦れ、片方だけ長く垂れていた。


「ありがとうございます」


 紐を結び直し、木立の中へ入る。二十歩ほど先で、道は岩の張り出しを回っていた。


「少し、お待ちを」


 景綱の声に足を止めた。


 視線は下の木立へ向いている。


 耳を澄ますと、葉の擦れる音に交じり、何か硬いものが触れ合って鳴った。続いて、人の声がする。


 弁慶の手が動き、薙刀の石突が土を離れた。


 景綱が山側へ寄った。低い枝の間から、斜面の下をうかがう。


 遮那王も隣へ膝をついた。


 下には、幅の広い道が通っていた。


 数人の男たちが歩いてくる。先頭の者が立ち止まり、後ろを振り返った。腰の太刀へ手を添え、何かを言っている。声は聞き取れなかった。


「六波羅の者です」


 景綱が声を落とした。


「あの先頭の男に、見覚えがございます」


 男たちは旅人のように荷を背負っていなかった。後ろには弓を持つ者もいる。


 弁慶が木立へ近づく。袖を引くと、その場で身をかがめた。


 下の道で、一人が山側を指した。


 先頭の男がそちらを見る。三人が進む方向の、少し先だった。細い登り道が、斜面を折れながら上へ延びている。


 途中からは岩に隠れ、どこへ出るのか見えなかった。


 懐の紙に手を掛けかけ、やめる。遮那王は目の前の道へ視線を戻した。


 先へ続く細道も、同じ岩の向こうへ回り込んでいる。


「景綱殿。あの登り道は、こちらへつながっていますか」


「上がれば、この辺りへ出るはずです。ただ、合わさる場所までは存じませぬ」


 先頭の男が登り口へ入った。


 後ろの者たちも続く。草を押し分ける音が、先ほどより近くなった。


 弁慶が薙刀を握り直す。


「先へ行くか」


 岩陰の向こうは見えない。今進めば、登ってきた者と鉢合わせる恐れがある。


 来た道を振り返った。


 倒木の辺りだけ、斜面が下の道へ開けていた。戻るなら、もう一度あそこを横切ることになる。


 登り口には、弓を持つ男が一人残っていた。時おり顔を上げ、上の斜面にも目を向けている。


「伏せてください」


 弁慶が膝を折った。景綱も枝の陰へ身を寄せる。


 倒木の幹には、荷で擦った白い跡が残っていた。上がってきた者があそこまで進めば、目に留まるかもしれない。


 遮那王は杖を身体へ引き寄せた。


「いったん、道から離れましょう」


 山側の木陰を示し、腰を低くしたまま二人を招いた。


 低い枝の下へ入り、幹を背にした。


 すぐ脇の道を、登ってくる者たちの声が伝ってくる。まだ岩の向こうだ。枝越しに見える下の道では、弓を持つ男が腰を下ろしかけ、また立ち上がった。


 弁慶が薙刀を引き寄せる。


「ここなら、一度には掛かってこられぬ」


 声は低かった。


「拙僧が留める。その間に先へ行け」


 遮那王は斜面の上へ目を向けた。


 道から離れるにつれ、地面は急になっている。途中に土が削れた段があり、その上に太い木が生えていた。根が土を抱え込み、段の下に窪みを作っている。


 そこを越えれば、岩の張り出しの上へ出られそうだった。


「上へ出ましょう」


「道はないぞ」


「岩の向こうを見ます。登ってきた者たちが、どちらへ進むかも」


 弁慶が斜面を見上げた。


「荷を下ろしてください。ここでは枝に掛かります」


 景綱が包みを足元へ置いた。弁慶も紐を肩から外す。


 遮那王は杖を斜面へついた。土が崩れ、先端が滑る。少し横へずらすと、石に当たって止まった。


 杖を景綱へ預け、そこへ足を掛ける。


 根をつかみ、身体を引き上げたところで、下から声が届いた。


「二人はそちらへ回れ」


 動きを止めた。


 岩陰から男が出てくる。続いて、もう一人。三人が歩いてきた細道を、こちらへ向かって進み始めた。


 幹の陰で、景綱が身を低くする。


 男たちは落ち葉を踏み、時おり道の脇を見ていた。まだ、こちらに気づいた様子はない。


 二人が木の陰へ入った。


 その間に膝を段の上へ乗せ、腹ばいになる。肘で身体を引き、太い幹の裏へ身を寄せた。


 景綱が杖を差し上げた。受け取って脇へ置き、もう一度手を伸ばす。


 今度は弁慶が荷を持ち上げた。続いて景綱の荷、最後に自分の荷を差し上げる。受け取るたび、幹の裏へ寄せた。


 布が枝に掛かった。


 片手で枝を押さえ、少しずつ外す。


 下で足音が止まった。


「ここを通った者がおるな」


 倒木の方だった。


 景綱は幹に身体を寄せていた。弁慶の背も、その隣に沈んでいる。薙刀は斜面に沿わせ、穂先(ほさき)を枝の下へ収めてあった。


 男の足が木々の間を動く。


「下へは回れぬ。くぐったのか」


「向こうまで見ろ」


 衣の擦れる音がした。


 倒木を越えてくる。


 遮那王は景綱へ手を差し出した。景綱が斜面へ片足を掛け、根をつかむ。下から弁慶が腰を支えた。


 段の上へ届いた手をつかみ、引き寄せる。


 景綱は声を立てずに這い上がった。


 残る弁慶へ目を向ける。


 太い指が根へ掛かった。


 足を置こうとした土が崩れ、小さな塊が道へ転がっていく。


「何だ」


 足音が近づいた。


 遮那王は、根の下にできた窪みを指した。


 弁慶が身を沈める。上げかけた頭を引き、肩を幹の裏へ寄せた。握った根から手を離さず、そのまま動きを止める。


 景綱が太刀の柄へ手を添えた。


 その手首を押さえ、首を横に振る。


 男の草鞋が枝の間に見えた。


 止まった。


 太刀の鞘が道端の草を払う。男は斜面へ顔を向けた。


 鞘が根元の枯れ草を押し分けた。


 その奥で、弁慶は窪みに身を押し込んでいた。大きな背は土の段に隠れ、肩は幹の陰に収まっている。


 男が一歩、道の端へ寄った。


 遮那王は腕を伸ばさなかった。今、弁慶を引けば、根の上へ姿が出る。


 鞘が下りた。


「どうした」


 倒木の向こうから、もう一人が呼んだ。


「土が落ちてきた」


 男はしばらく斜面を見上げていた。それから鞘を腰へ戻し、倒木の方へ歩いていった。


 景綱の手首から指を離す。


 弁慶は、まだ動かなかった。


 倒木をくぐった男が戻ってくる。二人は言葉を交わし、岩の方へ引き返した。


 その背が隠れてから、遮那王は弁慶へ頷いた。


 先ほど杖で確かめた石を指す。


 弁慶の足がゆっくり横へ移り、石を踏んだ。


 肩が段の上へ出る。


 薙刀を先に受け取り、景綱へ渡した。空いた手を伸ばすと、弁慶が腕をつかむ。


 重い。


 膝を土へ押しつけた。隣から景綱も腕を伸ばす。


 弁慶は自分で根をたぐり、身体を持ち上げた。二人で腕を支え、大きな肩が段を越える。


 三人とも、しばらく動かなかった。


 岩の向こうから声が届く。


「そちらはどうだ」


「倒れた木の先にも、道は続いておる」


「では、二人は先を見てこい。こちらは下へ戻る」


 遮那王は顔を上げた。


 岩の上から、先ほど見えなかった道がのぞける。登り道は岩の裏で細道へ合わさっていた。戻った二人は、そこで待っていた二人と別れた。


 二人が先へ進み、残る二人が斜面を下りていく。


 弁慶も同じ方を見ていた。


「このまま待つのか」


 耳元で問われた。


「先の二人が、もう少し離れるまで」


 木立の間を、太刀の鞘が揺れている。


 やがて姿が消え、足音も遠ざかった。


 景綱が下を確かめた。戻った二人は、弓を持つ男と何か話している。こちらを見上げてはいなかった。


 遮那王は斜面の先を指した。


「道へは下りず、この上を回ります」


 山側には木が生え、根の間に足を置ける場所があった。平らではないが、岩の上を横切ることはできそうだった。


 景綱から薙刀を受け取った弁慶が、荷へ手を伸ばす。


「一つ寄こせ」


「ご自分の荷もあります」


「先に立つなら、身を軽くしておけ」


 荷を渡すと、弁慶は二つをまとめて肩へ掛けた。


 遮那王は脇に置いた杖を拾い、先へ進む。


 足を置く前に土を確かめた。木の根をまたぎ、幹を回る。浮いた石を踏まぬよう、歩幅を狭めた。


 後ろから二人が続いてくる。


 下の道へ目を向けながら、少しずつ岩から離れた。


     *


 再び道が見えた頃には、日が高くなっていた。


 斜面を回り続けたため、どれほど進んだかは分からない。景綱が木立の端まで下り、道の前後を確かめた。


 男たちの姿はなかった。しばらく待っても、足音は聞こえてこない。


 三人は木立の奥で腰を下ろした。


 弁慶から荷を受け取る。肩へ掛けようとしたが、腕が重い。そのまま足元へ置いた。


 景綱の手の甲にも土がついていた。


 干飯を口へ入れ、水でふやかしながら噛む。


 弁慶は食べる手を止め、こちらを見ていた。


「拙僧が出ておれば、斬らずとも退けられた」


「できたでしょう」


「ならば、なぜ止めた」


 遮那王は水の筒を閉じた。


「一人でも下へ戻れば、人を呼びます。逃がさぬために追えば、あの弓の前へ出ることになる」


 弁慶は道の方へ目を向けた。


 やがて、根をつかんでいた手を開く。掌についた土を、膝の上で払った。


 景綱は食べ終え、木々の間から道を見ている。


 残りの干飯を包み直した。懐の紙を開くと、折り目に汗がにじんでいた。


 予定していた道から、山側へ大きく回っている。日が落ちる前に水を得られる場所を、確かめ直さねばならなかった。


「この辺りに、沢へ下りる道があったな」


 弁慶の指が紙の上へ伸びた。


「昨日お話しくださった道ですか」


「そうだ。まず、下り口が残っておるか見てこよう」


 遮那王は木々の向こうを見た。


「一緒に参ります。道が分かれるところでは、待っていただけますか」


「今朝も待ったであろう」


 顔を上げると、弁慶は包みをしまっていた。


「では、またお願いします」


 弁慶が荷を背負う。


 今度はその背が遠ざかる前に、遮那王も立ち上がった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。