第三話 六波羅へ
第三話 六波羅へ
「都へ戻ります」
常盤が告げると、家の女は持っていた布を畳む手を止めた。
「……そう」
止められると思っていた。常盤が顔を上げると、女は何も言わず、畳みかけた布をもう一度広げる。
「牛若には、これを使って。あなたの袖だけじゃ寒いでしょう」
厚手の布だった。常盤が受け取ると、乙若が横から手を伸ばす。
「ぼくのは?」
「あなたのもあるよ」
女は乙若の肩にも布を掛けた。乙若は裾を引っぱり、牛若のものと見比べる。
「牛若のほうが大きい」
「牛若は自分で歩いて温まれないもの」
「じゃあ、ぼくは歩く」
乙若が胸を張る。今若は「昨日は足が痛いって言ってたのに」と笑った。
乙若が抗議し、二人の声が重なる。
常盤も笑いかけて、うまく笑えなかった。女が布を持つ手に触れる。
「ありがとう」
「礼は、帰ってきてから聞くよ」
女の手が常盤の手を握り返した。
都へ入るころには、乙若はすっかり歩くのに飽きていた。
今若に袖を引かれながら、見覚えのある家を見つけては声を上げる。
「ここ、前に来たよね?」
「もっと母上のそばへおいで」
「見えるところにいるよ」
乙若はそう言って、今若の手を握り直した。
牛若が常盤の腕の中で目を覚ます。布から顔を出し、行き交う人を不思議そうに見つめていた。
常盤はその頬に布を寄せる。
いつもの都の道だった。荷を運ぶ人も、軒先で話す人もいる。その間を、常盤は三人の子と歩いていく。女に渡された布の端を握り、今若と乙若がすぐ横にいるのを確かめながら。
「母上、あれ」
乙若の指す先で、飴売りが小さな鐘を鳴らしていた。
人が集まり、子どもが一人、背伸びをして品をのぞき込んでいる。
「前にも買ってくれたよね」
「よく覚えているのね」
「兄上がぼくの分まで食べたから」
「食べてない。落としたのを拾ったんだ」
今若が言い返す。乙若はまだ何か言いたそうだったが、常盤が「帰りに見ましょう」と言うと、飴売りの鐘を聞きながら歩き出した。
帰りに。
口にしてから、常盤は牛若を抱く腕を締めた。帰れるかどうかも分からないのに、
乙若には聞かせてしまった。
通りが六波羅へ近づくと、人の流れが変わる。荷を運ぶ者が道を譲り、武士が数人、
こちらへ歩いてきた。常盤は今若と乙若を自分の側へ寄せる。
すれ違うだけだ。
そう思ったとき、武士の一人が足を止めた。
「常盤殿か」
常盤は振り返る。見知った顔ではない。男の目は、常盤から三人の子へ移った。
今若が乙若を背中へかばう。常盤はその前に出ようとして、思いとどまった。
ここで逃げれば、今若は乙若を連れて走るだろう。牛若を抱いた自分も追われる。
「母に会いに来ました」
常盤は男を見て言った。
「六波羅へ、案内してください」
男は仲間に目をやり、道を開けた。今若が常盤の袖をつかむ。
乙若は飴売りの鐘が聞こえなくなった方角を、一度だけ振り返った。
六波羅の門をくぐると、乙若が急に静かになった。
案内の武士が足を止め、建物の中へ声をかける。その間に今若が常盤へ寄った。
「おばあさま、ここにいるの?」
「そう聞いているわ」
「会える?」
「会わせてほしいと、頼む」
今若はそれ以上聞かなかった。乙若の手を引き、常盤の横に並ぶ。
通された部屋には、火がなかった。常盤は子どもたちを壁際へ座らせる。
乙若が布にくるまり、今若もそばに腰を下ろした。牛若は起きていたが、泣かずに二人を見ている。
廊下から足音が聞こえた。常盤が顔を向けると、開いた戸の向こうに母がいた。
「母上」
立ち上がりかけた常盤を、母は目で制した。役人がすぐ後ろにいる。
「子どもたちは、無事なのね」
常盤がうなずくと、母は今若と乙若へ笑いかけた。
乙若が立とうとして、今若がその手を押さえる。母の後ろにいる男が気になったのだろう。
牛若が声を出した。母はその声に顔をほころばせ、手を伸ばす。
あと少しで触れられるところで、役人に呼ばれた。
「話はそこまでだ」
母の手が止まる。
「常盤」
低い声だった。常盤にしか聞こえないほどではない。今若も母を見ている。
「私のことは、気にしなくていい」
「それはできません」
答えると、母は困ったように笑った。
常盤が幼いころ、言うことを聞かずにいると見せた顔と同じだった。
役人が母を促す。戸が閉まるまで、常盤は座ったまま見送った。
母が去ってまもなく、廊下に人の声がした。
戸が開き、先ほどの役人が頭を下げる。その後ろから入ってきた男を見て、
常盤は牛若を抱えたまま身を正した。
平清盛だった。
清盛は三人の子に目をやり、常盤の前に座る。乙若が今若の袖をつかんだ。
「母に会うため、戻ってきたそうだな」
「はい」
「子らを連れて」
常盤は答える前に今若を見た。兄の役を懸命に務めているが、まだ幼い。
乙若はその腕に身を寄せ、牛若は常盤の膝で布を握っていた。
「この子たちを、ほかへ預けることはできませんでした」
清盛は今若を見た。
「お前は、母に連れられて来たのか」
今若の手が乙若の肩に回る。
「ぼくが一緒に行くと言いました」
「ほう」
清盛の目が細くなった。今若は視線をそらさない。常盤が名を呼ぶと、ようやく清盛に頭を下げた。
「母を助けてください」
常盤は言った。
「それから、子どもたちを。お咎めを受けるなら、私が受けます」
「そなた一人の望みで決められる話ではない」
清盛の声は静かだった。常盤は返す言葉を探したが、容易に見つからない。
そのとき牛若が身をよじり、掛けていた布から顔を出した。清盛が視線を向ける。
牛若は見知らぬ男をしばらく見つめ、それから常盤の胸へ顔を伏せた。
清盛は何も言わなかった。
「母のことも、子らのことも、よく考えたうえで参りました」
常盤が言うと、清盛は再び彼女を見た。続きを待っている。
常盤は牛若の背に手を添え、口を開いた。
常盤の声に、清盛はすぐには答えなかった。
「子らより先に、母を願うか」
「子どもたちの命も、お助けいただきとうございます」
「願いが多いの」
常盤は頭を下げた。膝の上で牛若が身じろぎし、衣にしがみつく。常盤はその背に手を添える。
「我が身は、こちらへ置いてくださいませ。
母と子どもたちをお帰しいただけるなら、ほかには何も望みませぬ」
「そなたと離れて、子らが行くと思うか」
常盤は答えられなかった。
乙若はきっと泣く。今若は牛若を抱き、母について行こうとするだろう。
それでも、この場に三人を留めるよりはいい。常盤はそう自分に言い聞かせ、顔を上げた。
清盛は今若へ目を向ける。
「母がここに残ると言う。お前はどうする」
今若が常盤を見た。常盤は首を横に振る。けれど今若は乙若の手を握ったまま、清盛に向き直った。
「母上を置いては行けません」
「今若」
「母上が残るなら、私も残ります」
乙若が「ぼくも」と言いかけ、今若の袖をつかむ。清盛は二人をしばらく見ていた。
「母の言いつけには背くか」
「……それは」
今若が初めて言葉に詰まる。常盤が手を伸ばすと、今若はその手を取った。
清盛は戸口の役人を呼んだ。
「常盤の母を、ここへ連れてまいれ」
役人が廊下を去る。常盤は今若の手を握ったまま、清盛の次の言葉を待った。
母が戻ってきた。今若が乙若の手を引いて立ち上がり、牛若も常盤の腕の中から顔を出す。
「この者は帰す」
清盛が告げると、母は驚いたように常盤を見た。常盤も、まだ頭を下げられずにいた。
「子らも斬らぬ」
戸口にいた家人が顔を上げる。
「しかし、義朝の男子を三人とも――」
「誰が、発言を許した?」
清盛は家人のほうを向きもしなかった。家人は口を閉じ、深く頭を下げる。
乙若が今若に寄り添う気配がした。
常盤は牛若を抱いたまま、清盛に向かって頭を下げた。
「ご慈悲、かたじけのうございます」
「礼は要らぬ」
清盛は母のほうを見た。
「そなたの娘は、己をここへ置けと申した。子らを帰しても、長子は母から離れぬと言う。
親子を引き離しても、また揃ってこの門を訪ねてこよう」
今若はうつむいた。清盛の言葉を否定はしない。
「常盤。子らを連れて帰れ。ただし、今日助けた命を、明日も無条件で守れると思うな」
「……承知いたしました」
常盤が答えると、母がようやくそばへ来た。乙若は今若の手を離して祖母に駆け寄る。母は膝をつき、乙若を抱きしめた。
牛若が常盤の腕の中で身をよじった。祖母の声がするほうへ手を伸ばし、その途中で清盛と目が合う。
清盛は幼子を見返しただけだった。
常盤が母のもとへ歩き出すと、牛若の手は清盛から離れていった。
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