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義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第一節 常盤の子

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第二話 帰る道

第二話 帰る道


 雪が小降りになった昼過ぎ、常盤たちは家を出た。


 男は戸口まで見送りに出て、今若に道を教えた。しばらく行けば二つに分かれるが、

 右の道は川へ下りてしまう。雪の下では分かれ目を見落としやすいという。


「大きな松を過ぎたら、左だ」


 今若は何度もうなずいた。自分が先を歩いて確かめるつもりらしい。


 常盤が礼を述べると、男は牛若を見て、戸を閉めた。

 名を聞かれることも、こちらから告げることもないまま、家は林の木々に隠れていった。


 歩き出してまもなく、乙若が振り返る。


「あの人、怒ってた?」


「どうして?」


「朝、あんまり喋らなかったから」


「静かな人なのよ」


 常盤が答えると、乙若は少し考えてから今若の後を追った。


 道の先に松が見える。今若が雪を踏み分け、根元まで行って立ち止まった。

 枝には昨夜からの雪が残っている。


「左だよ、母上」


「ええ。よく覚えていたわね」


 今若は得意そうに歩き始めたが、すぐに足を止めた。

 乙若がついて来られるよう、手を差し出している。


 常盤は二人の背を見ながら、牛若を抱き直した。袖の中は温かい。

 男の家を出るときに巻かせてもらった布が、風を防いでくれていた。


 林の先に、家が一軒見えた。屋根から煙が上がっている。


 今若が足を止める。常盤はその肩に手を置き、木の陰へ寄せた。

 乙若も今若に引かれて、二人の間に入る。


「母上、あの家には行かないの?」


「ここから少し、様子を見ましょう」


 常盤は家の前の道を見た。雪の上には、何人もの足跡が残っている。誰の足跡かは分からない。


 牛若が袖の中で身じろぎした。常盤はその背を撫で、二人の兄に目を向ける。


「もう少し歩ける?」


 今若は乙若の顔を見る。乙若がうなずくと、今若も「歩ける」と答えた。


 常盤は家へ続く道を避け、林沿いに伸びる細い道へ二人を導いた。


 煙の見える家へ向かう道は、途中から畑の間を通っていた。


 常盤は林を出る手前で今若を呼び止める。家の戸口に人影が見えたのだ。

 男が二人、外に立って話している。風に乗って声は届くものの、言葉までは聞き取れない。


「母上?」


 今若が振り返った。常盤は答える代わりに、その手を取って木の陰へ戻る。乙若も続いた。


 男たちの一人が道へ顔を向けた。常盤は牛若の頭を袖に入れ、自分も身を低くする。

 足元の雪が衣に触れたが、払う気にはなれなかった。


「見つかったの?」


 乙若が小声で聞く。


「まだよ」


 家のほうから笑い声がした。二人は知り合い同士で話しているだけかもしれない。

 それでも、あの前を通るには、今若と乙若を連れて隠れる場所のない畑道へ出なければならなかった。


 常盤が目を向けた先には、林沿いに細い道が続いている。少し遠回りになるだろう。


「家には行かないの?」


「ええ。こちらを通りましょう」


 乙若が名残惜しそうに煙を見上げた。常盤は昨夜の男から預かった布を確かめる。

 牛若の肩まで、まだしっかり覆えている。


 今若は何も聞かず、乙若の手を取った。

 常盤が先に林沿いの道へ入ると、二人も足音を抑えてついてくる。


 木々の向こうに家が見えなくなってから、乙若がようやく口を開いた。


「あの人たち、怖い人だったの?」


「分からないわ」


 常盤は正直に答えた。分からないまま三人を近づけることは、できなかった。


 乙若は家のほうを何度も振り返った。


 今若が手を引くと、乙若は「歩いてるよ」と言い返す。足取りは遅くなっていた。

 常盤には分かっていても、家へ戻ろうとは言えなかった。


 細道が林の奥へ曲がるところで、今若が立ち止まる。


「母上、乙若をおぶってあげて」


「兄上、歩けるってば」


「さっきから転びそうだ」


 二人が言い合う間に、常盤は牛若の顔をのぞいた。眠っている。

 乙若を背負えば、この子をどう抱こう。今若にも荷を持たせている。


「乙若、少し休みましょう」


 常盤が声をかけると、乙若はむくれたまま道端の木に寄りかかった。今若もその隣に座る。


 しばらくして、家のあった方角から人の声が聞こえた。常盤は二人の前に立つ。

 声は近づかず、やがて風の音に紛れた。


「もう行ける」


 先に立ったのは乙若だった。今若が手を差し出すと、今度は黙って握る。


 その日だけで、目指す村には着けなかった。人の少ない道を選びながら幾日か進み、

 常盤がようやく見覚えのある家を見つけたとき、今若は乙若に肩を貸していた。


 常盤が戸を叩く。中から出てきた女は、常盤の顔を見て息をのんだ。


「常盤……あなた、子どもたちまで」


 女は道の左右を確かめると、戸を大きく開けた。


「早くお入り」


 女は戸を閉めると、今若たちを火のそばへ招いた。


 乙若が座るなり足を投げ出す。

 今若はそれを見て笑いかけたが、自分も腰を下ろすと、しばらく動けなかった。


「常盤、こちらへ」


 女に呼ばれ、常盤は牛若を抱いて隣の間へ入る。布を広げてもらい、そっと牛若を寝かせた。

 眠ったまま指を伸ばすので、常盤は少しの間、その手を握っている。


 女が障子を半ば閉めた。


「都から、知らせが来たの」


 常盤は顔を上げる。


「あなたのお母さんが、六波羅(ろくはら)へ連れていかれたそうよ」


 火のそばで乙若が何かを話している。今若の笑う声も聞こえた。

 常盤は二人の声を聞きながら、女の言葉をもう一度、頭の中でたどった。


「母は……無事なの?」


「生きているとは聞いた。けれど、それ以上は」


 女はそこで言葉を切った。確かでないことを、常盤に聞かせまいとしているのが分かる。


 牛若が常盤の指を握り直す。


 常盤は都までの道を思い浮かべた。子どもたちを連れて、ようやくここまで来た。

 その道を戻れば母に会えるのか。それとも、三人を連れて六波羅の前へ出ることになるのか。


「今若たちには、まだ言わないで」


 常盤が頼むと、女はうなずいた。


「今夜は、ここにいなさい」


 隣の間で乙若が今若を呼んだ。何かを見つけたらしい。

 今若が返事をし、二人の足音が火の周りを動く。


 常盤は牛若の手をほどき、掛け布の中へ戻した。

 今若たちのところへ行く前に、障子の向こうで聞こえる声に耳を澄ませた。


 火のそばへ戻ると、乙若が今若の膝で眠っていた。


「起こさないようにしてるんだ」


 今若はそう言って、少し得意そうに笑う。けれど常盤が隣に座ると、その顔をじっと見た。


「何かあったの?」


「どうして?」


「母上が、さっきと違うから」


 常盤は答えに迷った。今若の膝から乙若を抱き上げ、寝床へ運ぶ。

 乙若は目を覚まさず、今若だけが後をついてきた。


 牛若の隣へ乙若を寝かせると、二人の寝息が近くで重なった。


「おばあさまが、都にいるでしょう」


 常盤が言うと、今若はうなずいた。


「会いに行くの?」


「まだ、分からない」


 今若は常盤の顔を見ていた。先ほどの返事では、納得していない。


「おばあさまに、何かあった?」


 常盤は牛若の掛け布を直す手を止めた。


「六波羅へ連れていかれたそうよ」


 今若の目が乙若に向く。弟が眠っているのを確かめてから、常盤のそばへ寄った。


「ぼくたちのせい?」


「違うわ」


 思わず強い声が出た。乙若が身じろぎし、常盤は声を落とす。


「あなたたちは、何も悪くない」


 今若は膝の上で手を握っている。常盤がその手を包むと、今若はぽつりと言った。


「母上も行くなら、ぼくも行くよ」


 常盤はすぐには返せなかった。雪道で乙若を待ち、牛若を気にかけていた今若の顔が目の前にある。

 この子を守りたくて都から逃げてきたのに、その都へ連れ戻そうとしている。


 常盤は今若を抱き寄せた。今若の手が、そっと常盤の背に回る。


「今夜は眠りましょう」


「……うん」


 今若は腕の中で答えたが、常盤が離すまで、自分からは動かなかった。


 今若が眠ったあとも、常盤は子どもたちのそばを離れなかった。


 乙若は兄の袖を握り、牛若は掛け布を蹴りかけている。

 常盤が布を戻すと、牛若の手が外へ出た。握れば、いつものように指に絡んでくる。


 隣に、家の女が座った。


「子どもたちは、ここに置いていけばいい」


 常盤は今若を見た。先ほど、都へ行くなら自分も行くと言ったばかりだ。


「置いていったとしても、私が戻るまで隠し続けられる?」


 女は答えなかった。この家にも、都から常盤を捜す者が来ている。


「あなたまで捕まれば、三人はどうなるの」


「分かってる」


 分かっているから、常盤は行けずにいた。

 母を六波羅に残したまま、子どもたちの寝顔を見ていることもできない。


 女はしばらく常盤の横顔を見つめ、それから今若の掛け布を肩まで引き上げた。


「あなたのお母さんなら、子どもを連れて戻ってこいとは言わないよ」


「ええ」


 きっと叱られる。ここまで逃げたのなら、そのまま遠くへ行けと。


 常盤は牛若の指をそっとほどいた。今若の言葉も思い出す。

 母上も行くなら、ぼくも行く。三人を置いて都へ戻れば、この子はまた自分を追おうとするだろう。


「母に会って、三人を助けてほしいと言ってくる」


 女が息をのむ。常盤も、自分の声を聞いて初めて、行くつもりなのだと知った。


 牛若の掛け布を直し、今若と乙若の顔を順に見る。都へ向かう道では、もう三人に行く先を隠せない。

 常盤は火が消えかけるまで、そのそばに座っていた。



「ここまでお読みいただきありがとうございます!

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