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義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第三章 伊豆への道

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第二話 千振り目の太刀

第二話 千振り目の太刀


「女人(にょにん)かと思えば、若武者か」


 笛を懐へしまう。西詰(にしづめ)では清盛の供が通行人を遠ざけていた。橋の上に残るのは、二人だけだ。


「その太刀、もらい受ける」


「欲しいのなら、力ずくで来るがよい」


 腰の太刀には触れず、稽古で使った杖を構えた。


 男の眉間に深い皺が寄る。


「なぜ抜かぬ」


 返事を待たず、薙刀が横に走った。


 杖の先で柄を打ち、軌道をそらす。木と木が鳴り、切っ先が頬の前を抜けた。風圧で髪が揺れる。遅れて橋板が軋み、衝撃が足裏まで伝わった。


 杖を握る手が痺れていた。逸らしただけで、腕に重さが残る。


「抜かぬのか」


 薙刀が欄干(らんかん)から引き抜かれる。砕けた木が川へ落ちた。


 男の左足が前へ出る。腰が沈む。突きの起こりを見て、切っ先が伸びる前に半歩身をずらした。


 切っ先が橋の外へ抜けた。内へ踏み込み、柄を押さえようとする。男は手首を返し、薙刀を回した。


 石突(いしづき)が迫る。


 杖を立てて流す。衝撃で腕が跳ね、草鞋(わらじ)が橋板を滑った。踏みとどまった背後には欄干が迫っている。男の荒い息が、近くなった。


 橋の幅は狭い。後ろへ下がれば、いずれ行き止まる。ならば、間合いはこちらで決める。


「逃げてばかりか」


「太刀を奪うために来たのでしょう」


「その太刀を持つ者を倒し、奪う。それだけだ」


「ならば、まず私を倒さねばなりません」


「だから抜けと言っている」


 声が橋を震わせた。


 杖を握り直す。腰の太刀は鞘(さや)に収まったままだ。抜けば、刃を交えることになる。守るために振るったとしても、その刃がどこへ届くかは選べない。


 男は、迷いが消えるのを待ってはくれなかった。


 薙刀が唸る。横薙(よこな)ぎをかわした先へ、返す刃が迫る。杖を柄に当てて押し流し、足を引く。男はただ力任せに振っているのではない。こちらが避けた先を狙い、退く場所を一つずつ潰してくる。


「拙僧(せっそう)の前に立ちながら、腰の太刀に手もかけぬ。侮っておるのか」


「侮ってはいません」


「では、なぜ抜かぬ!」


「あなたを斬るつもりはありません」


 男の目が燃えた。


「ならば、斬らずに拙僧を止めてみよ」


 薙刀が迫る。


 杖で柄を打ち、切っ先をそらす。男は間を空けず、杖ごと押し切るように踏み込んできた。力には逆らわない。腰を落とし、押されるままに身体を回す。


 刃が橋板を削った。木屑(きくず)が跳ね、川面に散る。男が薙刀を引いた。


 肩が動く。次は、橋幅いっぱいを払う一撃。


 後ろへ退けば欄干に追い詰められる。横へ逃げ場はない。ならば、退く先を自分で選ぶ。


 腰が回る。杖を斜めに当てた。刃ではなく、柄の根元へ。


 衝撃に杖がしなり、薙刀の軌道がわずかに逸れた。切っ先が橋板へ突き立つ。男が引き抜こうとする。その一瞬、杖で柄を押し下げ、中央へ踏み戻った。


「杖では、拙僧の薙刀は止められぬ」


「止めるつもりはありません」


「では何をする」


「届かせぬだけです」


 男の口元が歪む。


 次の踏み込みは、さらに速かった。横薙ぎをかわしたところへ石突が回る。肩をひねり、頬のすぐ脇を通す。石突が欄干を打ち、橋全体が大きく鳴った。


 男は柄を引き、杖を巻き込むように押し込んだ。


 杖が手から弾け飛ぶ。衝撃で指が開いた。橋板を二度跳ね、右手の欄干の根元で止まった。


 薙刀が胸元へ突き込まれる。身を沈めた。切っ先は空を切り、背後の欄干を深く削る。砕けた木が川面へ落ちていった。


 男が柄を返す。


 左足を欄干に掛けた。薙刀の刃が、そのすぐ下を払う。先に裂けた箇所へ刃が食い込み、男の腕が止まった。


 右足を刃の背へ置き、踏み込む。衝撃が膝に跳ねた。薙刀が欄干へ押しつけられ、柄が軋む。男の腕が沈んだ。


 左足で欄干を蹴り、橋の内側へ跳ぶ。着地と同時に、欄干の根元にあった杖を拾った。男が薙刀を引き戻すより早く、杖の端を手首へ打ち込む。


 男の指が緩む。


 杖を柄にかけ、身体ごとひねった。男は力ずくで引き戻そうとする。その力に逆らわず、柄を横へ流す。


 薙刀の切っ先が橋板から離れた。踏み込んだ足が空を踏む。


 膝裏を払う。


 大きな身体が傾き、片膝が橋板に落ちた。薙刀が手を離れ、音を立てて転がる。


 杖を構えたまま、正面に立つ。


「勝負ありです」


 男は立ち上がらなかった。荒い呼吸が、夜の橋に響く。伸ばされた手が、腰の太刀へ向かう。


 笛を抜き、指先を打った。


 乾いた音に、手が止まる。


「太刀は渡せません」


 男はすぐには手を引かなかった。片膝をついたまま、転がった薙刀へ目を落とす。やがて指を曲げ、手を引いた。


「……今宵は、拙僧の負けだ」


 大男は太刀から目を上げ、遮那王の顔を見た。遮那王は杖を構えたまま、薙刀への警戒を解かない。その様子に、大男の眉間の皺がわずかに緩んだ。


 杖を下ろす。目を閉じる。


 戦場に響いた友の怒声が、胸の奥によみがえる。翼徳。


 一息だけ、その声の余韻に浸った。


 目を開ける。橋に膝をつく大男は、こちらを見ていた。


「私と共に行かないか」


 差し出した手を、男は見つめた。


 怒りの残る顔に、戸惑いが浮かぶ。伸びかけた手が止まり、指先がわずかに震えた。


「……拙僧を、必要とされるのですか」


「必要です。伊豆までの道で、あなたの腕を借りたい」


 男は、差し出された手から遮那王の顔へ視線を移した。


 遮那王は手を引かない。


 男はその手を取り、立ち上がった。握り返す指に、力がこもる。すぐに薙刀を拾った。


「名を聞かせていただけますか」


「武蔵坊弁慶」


「私は遮那王です」


「まずは、どこへ行く」


「長成殿の屋敷です。母上にも会っていただきたい」


「屋敷までなら同行しよう。その先は、そこで決める」


「分かりました」


 西詰で待っていた清盛の供が近づいてきた。


「お怪我はございませんか」


「ありません」


 供は手足を確かめた。弁慶は黙って薙刀を肩に担ぐ。


 橋板には傷が走り、欄干は欠けていた。


 笛を懐へ戻す。腰の太刀は、鞘に収まったままだった。

「ここまでお読みいただきありがとうございます!

評価(下の★★★★★)や一言感想、応援のブクマなど、少しでもいただけると執筆の大きな励みになります! ぜひよろしくお願いします!」

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