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義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第二章 鞍馬の稚児

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第四話 山の外

第四話 山の外


「遅いぞ、二人とも」


 厨(くりや)の前で、僧が空の籠を抱えていた。


 千寿が牛若の背を押す。


「牛若が文を読んでいて」


「千寿も読んだ!」


「おまえの文だろ」


「なら、おまえだけ先に来ればよかろう」


 千寿が黙った。牛若は横を向いて笑いをこらえ、差し出された籠を受け取る。


「ほら、薪を取ってこい」


 二人で走り出すと、千寿が肘でつついてきた。


「笑うなよ」


「千寿が言いつけるから」


 薪を取って戻る途中、門の脇に女が座っていた。

 膝に抱かれた子が、衣の中へ裸足を引っ込めている。

 牛若より小さい。女の肩に顔を埋め、こちらを見ようともしない。


「お寺の方でございますか」


 牛若たちに気づいた女が、腰を浮かせた。


「僧を呼んでこようか」


「……お願いできますか」


 千寿が籠を下ろし、厨へ駆けていく。牛若も薪を置こうと屈んだところで、子が咳き込んだ。


 女は背をさすりながら、自分の袖でその口元を拭う。


「大丈夫。もう着いたからね」


 牛若は厨の前まで行き、そこにあった腰掛けを両手で持ち上げた。

 引きずらないように運んでくると、女が慌てて立とうとする。


「そのままでいいよ。ここに置くから」


「ありがとうございます」


 女が腰を下ろす。子は一度顔を上げたが、牛若と目が合うと、また母の肩へ隠れてしまった。


 千寿に連れられ、僧がやってくる。


「どうなされた」


 女は足元の包みを拾い、僧へ差し出した。中には、畳まれた衣が一枚入っている。


「夫が床についておりまして。私が働きに出ねば、食べるものも……」


 僧は膝を折り、女の話を聞いていた。


「この子を、お預かりいただけませんか。何でもいたします。洗い物でも、掃除でも」


 子が母の襟を引いた。


「帰ろう」


「少し待ってね」


「帰ろうよ」


 女は子の手を包み込む。口を開いても声が出ず、何度かうなずいてから、僧へ顔を戻した。


 牛若も、母の袖をつかんでいた。


 鞍馬へ来た日。常盤が手を離そうとすると、指に力を込めてしまった。

 困らせたくなくて離したのに、そのあとも、母の袖ばかり見ていた。


「牛若」


 千寿の声で顔を上げる。


 自分の袖を握り締めていた。指をほどくと、布に皺が残っている。


「まずは中で休まれよ。子も冷えておる。詳しい話は、それから伺おう」


 僧が包みを女へ返し、立ち上がった。


 女は子を下ろそうとしたが、首に腕が回る。


「嫌だ!」


「歩けるでしょう。母さん、もう……」


 言いかけて、女は子の背に手を戻した。立とうとしてよろめき、僧がその肘を支える。


 牛若は先に部屋へ走り、戸を開けた。


「こっちだよ」


 敷居(しきい)の前で足を止め、女が入るまで戸を押さえて待つ。子はずっと母にしがみついていた。


 千寿が隣へ来て、声を落とす。


「あの子、ここに住むのかな」


「……分からない」


 部屋の中で、僧が女に座るよう勧めている。子の足がまた衣からのぞいた。

 泥がつき、指先まで赤くなっている。


 牛若は厨へ引き返した。


「足を拭く布、ある?」


「何に使う」


「門に来た子。足が冷たそうだから」


 渡された布を抱えると、千寿も後からついてくる。両手で湯の入った桶を提げ、顔をしかめていた。


「戸、開けといて。重い」


「ぼくも持つ」


「いいから、早く開けろって」


 牛若は布を脇に挟み、戸へ手をかけた。


「入ってもいい?」


「お入り」


 僧の声に、牛若は戸を引いた。


 千寿が桶を抱えて入ってくる。床へ置いた途端、湯が縁から跳ねた。


「あっつ……」


「大丈夫?」


「大丈夫。布、貸せ」


 千寿は濡れた手を拭き、牛若へ布を返す。女が立ち上がろうとするのを、僧が手で制した。


「座っておられよ」


 牛若は母子の前に膝をつき、桶へ布を浸した。絞ろうとしても、湯がぽたぽた落ちる。


「ぼくが拭いてもいい?」


 子は母の膝で足を縮めた。


「痛くしないよ」


 それでも出してくれない。牛若が困っていると、女が布へ手を伸ばした。


「私が」


 渡す前に、千寿が横から布を取る。ぎゅっと絞り、女の手に載せた。


「熱かったら、少し待って」


 女は自分の頬に布を当ててから、子の踵(かかと)を包んだ。


「ほら。温かいね」


 子の肩から力が抜ける。足の裏を拭かれる間も、片手は母の襟を握ったままだった。


 僧が、今夜は寺で休むようにと告げる。


「ですが、夫が待っております」


「里へ下りる者に、家へ寄らせよう。場所を教えていただけるか」


 女は村の名と、家までの道を話した。僧が聞き返すと、言い間違えたことに気づいて頭を下げる。


「申し訳ございません。川を渡るのは、その手前で……」


「急がずともよい」


 女はうなずいた。子の足を拭いていた手が、いつの間にか止まっている。


「この子は、よく働きます」


 誰にともなく言い、慌てて僧へ向き直った。


「水も汲みに行きます。言いつけたことは、ちゃんといたしますから」


 牛若は子を見た。千寿と運んだ桶より小さいものでも、この子には重いだろう。


「母さん」


「何?」


「おなか、すいた」


 女が唇を結ぶ。


 牛若は立ち上がった。


「聞いてくる!」


 厨へ駆け込むと、竈(かまど)の前で粥の鍋が火にかかっていた。


「あの子にも、これ、あげていい?」


「椀を持ってこい。母親の分もな」


 二つ抱えて戻ると、粥をよそってくれる。

 牛若が両方へ手を伸ばすより早く、追ってきた千寿が一つ取った。


「またこぼすぞ」


「まだこぼしてない」


「さっき水をこぼしかけただろ」


 部屋へ戻ると、子は母の膝から下りていた。けれど、衣の裾は握っている。


 牛若はその前へ椀を置いた。


「熱いから、ゆっくりね」


 子が手を伸ばす。女が椀を持ってやろうとすると、小さな手が引っ込んだ。


「母さんも食べる?」


「あなたが先に」


「母さんのもあるよ」


 牛若が言うと、千寿がもう一つの椀を女の前へ差し出した。


 女は粥を見つめ、両手で受け取る。


「……ありがとうございます」


 子がひと口食べる。すぐに次を口へ運ぼうとして、女に止められた。


「よく冷まして。喉をやけどするよ」


 牛若はその声を聞きながら、隣へ腰を下ろした。


 常盤も、同じことを言っていた。


 子が牛若を見る。


「食べないの?」


「ぼくは、あとで」


 子は匙の粥を見下ろしたあと、牛若へ差し出しかける。途中で迷ったように手が止まった。


「それは、君が食べていいんだよ」


 小さな口が匙をくわえる。


 女もようやく椀に口をつけた。ひと口飲んだだけで顔を伏せ、そのまま動かなくなる。


「母さん?」


「……熱かっただけ」


 子が女の椀へ顔を寄せ、ふう、と息を吹いた。


 女の手から粥がこぼれそうになり、牛若は両手を添えた。


 女の手が震えている。


 牛若が椀を支えると、女は顔を背けた。子が膝に手を置き、下からのぞき込む。


「母さん、痛い?」


「痛くないよ」


「熱いの?」


 女はうなずき、もう一度粥に口をつけようとした。けれど、椀の縁に唇が触れる前に、肩が揺れる。


 僧が傍らへ膝をついた。


「私が持っておこう」


 椀を受け取られた女は、空いた手で子を抱き寄せた。


「ごめんね」


 子の頬に顔を寄せ、何度も謝る。子は苦しそうに身じろぎしたが、母の背へ手を回した。


 牛若は立ち上がり、千寿の袖を引く。


 廊へ出て戸を閉めると、まだ母子の声が聞こえた。


「……薪、運ぼう」


 千寿が言った。


 牛若はうなずいた。門の脇へ戻り、置きっぱなしの薪を拾う。

 籠を持ち上げようとすると、千寿が反対側をつかんだ。


 二人で厨まで運んでも、叱られなかった。


「そこへ置け。あとは私がやる」


 僧が籠を受け取り、牛若の手を見た。


「棘(とげ)でも刺したか」


「ううん」


「なら、手を洗ってこい。おまえたちも飯にしよう」


 牛若は指を開いた。薪の皮が掌に張りついている。井戸の水で落としながら、千寿へ顔を向けた。


「あの子、母さんと一緒にいられないのかな」


「今夜は一緒だろ」


「明日は?」


 千寿が濡れた手を振る。


「……聞いてみないと、分からない」


 飯の間、牛若は何度も隣の部屋へ目をやった。千寿に肘をつつかれ、慌てて自分の椀へ戻る。


「食べないなら、もらうぞ」


「食べる」


 腹は空いていた。口へ運ぶと、粥はもう熱くない。


 食べ終えて膳を戻す頃、母子の部屋から僧が出てきた。


 牛若が駆け寄ると、僧は口元に指を立てる。


「ようやく眠った」


「二人とも?」


「ああ」


 牛若は声を落とした。


「あの子、ここに残るの?」


「まだ決まってはおらぬ」


「母さんも、一緒に住めない?」


 僧は牛若の前にしゃがんだ。


「家には父親がおる。その人を一人にしてはおけまい」


「じゃあ、父さんも」


 言ってから、牛若は僧の顔を見た。すぐには返事がない。


「……駄目?」


「病の具合も分からぬ。まずは家へ人をやって、確かめてもらおう」


「食べるもの、持っていってくれる?」


「持たせる」


「明日?」


「今、支度をしておる」


 牛若の肩が下がった。


 僧は立ち上がりかけ、牛若の袖に目を留める。濡れた手で触ったところが、黒ずんでいた。


「おまえも着替えてこい」


「うん」


 それでも、牛若は部屋の前から離れられなかった。


 戸の隙間に、子の足が見える。母の衣に半分隠れ、今は泥も落ちていた。


「母上に会いたくなったか」


 牛若は振り返る。


 僧は返事を急かさず、隣に立っていた。


「……会いたい」


 言うと、喉が詰まった。牛若は袖を口元へ持っていきかけ、濡れているのを思い出して下ろす。


「元気だって、兄上に書いたのに」


「元気なら、会いたくならぬのか」


「そうじゃないけど……」


 千寿が厨から出てきた。牛若の顔を見て足を止め、手にしていた布を差し出す。


「ほら。こっちは濡れてない」


 牛若は受け取って、目元へ押し当てた。


「使ったやつ?」


「洗ってある!」


 声が大きくなり、二人で戸を振り返る。


 中は静かなままだった。


 僧が千寿の肩を軽く叩く。


「眠っておると言ったろう」


「牛若が聞くから……」


 牛若は布に顔を埋めたまま、少し笑った。


 翌朝、牛若が厨へ行くと、昨日の女が椀を洗っていた。


 子はその足元に座り、母の裾を膝に載せている。


「もう起きたの?」


「昨夜は、よく眠れましたから」


 女は牛若へ笑いかけ、次の椀に手を伸ばす。


 牛若が近づくと、子は母の脚の陰へ隠れた。

 そこで少し離れて腰を下ろし、床の木片を拾って指の上に立ててみる。


 すぐに倒れた。


 子が母の陰から顔を出す。


「難しいんだ、これ」


 もう一度。今度は少し長くもった。


 子が身を乗り出したところで、厨の入口から僧が女を呼ぶ。昨夜、里へ下りた者が戻っていた。


「ご主人には会えた。持っていった粥も召し上がったそうだ」


 女は洗いかけの椀を置いた。


「起きられましたか」


「まだ横になっておられる。帰ってくるまで、隣の家の者が様子を見てくれるという」


「……帰らなければ」


 濡れた手を衣で拭い、女が立ち上がる。子も裾を握ったまま腰を上げた。


「帰る?」


 女は子を見下ろし、それから僧へ顔を向けた。


「この子のことは……」


「しばらく寺で預かろう。家へ戻って、ご主人の世話をしておいで」


 女の口元が歪んだ。子の前にしゃがみ、乱れた髪を耳へかけてやる。


「母さん、父さんのところへ行ってくるね」


「ぼくも帰る」


「少しだけ、ここで待っていてくれる?」


 子が首を振る。


「父さんのお世話をして、働くところも探さなくちゃ。そうしたら、迎えに来るから」


「いつ?」


 女の手が止まった。


「明日?」


「……明日とは、約束できない」


「じゃあ、ぼくも帰る!」


 母の首へ腕が回る。女はその身体を抱き留め、背に頬を寄せた。


「ごめんね」


「歩く。抱っこ、いらないから」


 女の目から涙が落ちた。子に見られないよう顔を横へ向けても、次の一粒が頬を伝う。


 牛若は木片を握ったまま、二人を見ていた。


 千寿が厨へ入ってくる。牛若の隣で足を止めたが、何も聞かなかった。


 女は子を抱いたまま壁際へ座り直す。僧も急かさず、濡れた椀を片づけ始めた。


 やがて子が顔を上げる。


「父さん、まだ痛いの?」


「うん。母さんがそばにいないと、困るでしょう」


「……ぼくも」


 女が子を抱く腕に力を込めた。


「そうだね。あなたも、困るね」


 子の額へ唇を押し当て、しばらくそのままでいた。


 腕が緩んでから、女は足元の包みを開く。

 畳まれた衣を子の膝へ載せると、小さな両手がそれを抱えた。


「母さんの?」


「ここに置いていくね。迎えに来るまで、持っていて」


 子が衣へ顔を埋める。


 女はゆっくり立ち上がった。


 牛若も腰を上げかける。けれど、子が衣の向こうからこちらを見たので、もう一度そばへ座った。


 戸口で女が振り返る。


「お願いします」


 僧がうなずき、見送りに出る。女の足音が遠ざかっても、子は顔を伏せたままだった。


 千寿が反対側に座る。


 牛若は木片を床へ置いた。


「これ、やってみる?」


 返事はない。牛若は自分の指に立ててみた。ぐらついた木片が倒れると、子が少し顔を上げる。


「母さん、帰った?」


「うん」


「迎えに来る?」


「うん。迎えに来るって」


 子は戸口を見つめ、それから牛若の手へ目を戻した。


「ぼくがやる」


 差し出された片手に、牛若は木片を載せる。


 もう片方の手は、母の衣をつかんだままだった。


 木片は、子の指に乗るとすぐに落ちた。


「もう一回」


 牛若が拾って渡す。今度は千寿が下から手を添えた。


「動かすなよ。そう、そのまま」


 子は息まで止めている。


 木片がぐらつき、千寿の手へ倒れた。


「ああっ」


「さっきより長かった」


「ほんと?」


「うん」


 牛若が答えると、子はまた指を差し出した。


 その日は二人の後をついて回った。牛若が厨へ行けば厨へ、千寿が庭へ出れば庭へ。

 少し姿が見えなくなると、母の衣を抱えて捜しに来る。


 夕方、千寿が箒を持たせてみた。


「ここ、掃いてみるか」


 子は衣を牛若へ押しつけ、両手で箒を握る。引きずるように動かすので、葉は散らばるばかりだった。


「違う、こっちに集めるんだ」


 千寿が後ろから手を添える。


 子は箒より、牛若のほうを見ていた。


「持ってるよ」


 牛若が衣を上げてみせると、ようやく足元へ目を戻した。


 夜は、隣の部屋に寝床を敷いてもらった。


 僧が灯を持って下がる。牛若も立とうとしたところで、袖が引かれた。


「もう行く?」


「……眠るまで、いようか」


 子がうなずく。


 牛若は寝床の脇へ座り直した。千寿が戸口から顔を出し、こちらを見て、何も言わずに引っ込む。


「母さん、明日は来る?」


「まだ、分からない」


「朝になったら?」


 牛若は膝の上で手を握った。


「来たら、呼ぶよ」


「寝てても?」


「起こす」


 子は母の衣を頬の下へ引き寄せた。


 目を閉じても、ときどき開けて牛若を見る。牛若が同じところにいると、また閉じる。


 ようやく寝息が聞こえ始めた頃、戸が細く開いた。千寿が忍び込み、牛若の隣へ腰を下ろす。


「まだ起きてる?」


 牛若が首を振ると、千寿は長く息を吐いた。


「脚、痛くないのか」


「ちょっと」


「代わる。伸ばせよ」


 牛若はそろそろと脚を崩した。痺れていて、足先が床に触れるだけで顔が歪む。


 千寿が笑いかけ、慌てて口を押さえた。


「笑わないで」


「声、出してないだろ」


 牛若も口元を押さえる。二人で子を見ると、眠ったまま片手を動かし、衣を探っていた。


 牛若はその手のそばへ、ずれた袖を寄せてやる。


 小さな指が布をつかんだ。


「……ぼくが来たときも、千寿はこうしてた?」


「何が」


「寝るまで、待ってた?」


 千寿は牛若を見たあと、子のほうへ顔を戻した。


「おまえ、こっそり泣くから」


「泣いてない」


「泣いてた」


 牛若は言い返そうとして、やめた。


「知ってたの?」


「隣にいたんだから、聞こえるだろ」


 千寿は膝を抱えた。


「声かけたら、もっと泣きそうだったし」


 牛若は千寿の横顔を見る。


 寺へ来て最初の夜、誰にも気づかれないよう、顔を寝具へ押しつけていた。

 隣で一度、衣の擦れる音がしたのを覚えている。


「……ありがとう」


「今、言うなよ」


「いつならいい?」


「言わなくていい」


 千寿が牛若の肩を小突いた。


 寝床で子が身じろぎする。二人とも口を閉じ、動かなくなった。


 しばらく待っても、寝息は途切れない。


 牛若が千寿を見ると、向こうもこちらを見ていた。今度は二人とも、声を出さずに笑った。


 子が母の衣を置いて遊ぶようになっても、門で声がすれば走っていった。


 違う人だと分かると、牛若たちのところへ戻ってくる。


「誰だった?」


「知らない人」


 それ以上は聞かなかった。千寿が遊びの続きを始め、牛若もそこへ加わる。


 母が出ていって七日目、牛若は厨で椀を拭いていた。


「牛若!」


 千寿の声に振り向く。子に腕を引かれ、戸口でつんのめっていた。


「来たって!」


 牛若は椀を置いた。子は千寿の手を離し、門へ駆けていく。

 牛若たちが追いつく頃には、女の腰へしがみついていた。


「母さん!」


 女が膝をつき、子を抱き締める。


「遅くなって、ごめんね」


「明日も、その次も来なかった!」


「うん」


「待ってたのに!」


「うん……ごめんね」


 子は母の胸を拳で叩いた。女は避けず、その手ごと抱え込む。


 牛若が足を止めると、千寿も隣に立った。


 女の肩へ顔を埋めたまま、子が泣き出す。寺へ残った日より大きな声だった。

 何を言っているのか、もう聞き取れない。


 女はずっと背をさすっていた。


 僧が来ると、女は子を抱いたまま頭を下げる。


「夫が、起きて粥を食べられるようになりました。

 まだ仕事には出られませんが、私を雇ってくださる家が見つかりまして」


「子はどうする」


「働く間は、夫と隣の方が見てくださるそうです」


 言い終える前に、子が顔を上げた。


「帰る?」


「帰ろう。父さんも待ってる」


 子の腕が、母の首へ回った。


 千寿が牛若の袖を引く。


「あれ、持ってこよう」


 二人で部屋へ走る。母の衣は寝床の脇に畳んであった。

 牛若が抱えると、千寿は床を見回し、木片を拾って懐へ入れる。


「それも?」


「あいつ、毎日やってたろ」


 門へ戻ると、子はまだ母に抱かれていた。


「これ」


 牛若が衣を差し出す。女は子を下ろそうとしたが、腕がほどけない。


「帰るよ。もう置いていかないから」


 子は母の顔を見てから、ようやく地面へ下りた。それでも片手は離さない。


 女が衣を受け取ると、子がその端を指さす。


「破けてないよ」


「大事に持っててくれたんだね」


 女は衣を包みに戻し、牛若と千寿へ頭を下げた。


「ありがとうございました」


「箒も使えるようになったよ」


 千寿が言う。


 子は母を見上げた。


「葉っぱ、集めた」


「そう。帰ったら、父さんにも聞かせようね」


 千寿が屈み、木片を子の空いている手へ渡す。


「これ、忘れもの」


 子は握り締めたあと、牛若へ突き出した。


「持ってて」


「いいの?」


「うん」


 牛若が受け取ると、子は母の手を両手でつかんだ。


 門を出るところで、一度だけ振り返る。


「またね」


「またね!」


 千寿が手を振った。牛若も木片を持つ手を上げる。


 女は子の歩幅に合わせ、石段を下りていった。姿が見えなくなってからも、小さな声が聞こえる。


「抱っこして」


「歩けるって言ってなかった?」


「今は、抱っこ」


 女の笑う声がした。


 牛若は門の柱にもたれ、息を吐いた。


「……来たね」


「来たな」


 千寿も柱へ背を預ける。


 牛若は木片を指に載せてみた。すぐに倒れ、今度は千寿が拾う。


「下手だな。あいつのほうが上手いぞ」


「分かってる」


 手を差し出すと、千寿が木片を返してくれた。


「ここまでお読みいただきありがとうございます!

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