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義士英雄譚-緑と赤の誓い-  作者: レイン
第二章 鞍馬の稚児

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第三話 父のいた戦場

第三話 父のいた戦場


「為朝殿は、その後も島に?」


 牛若の問いに、僧はうなずいた。


「伊豆の大島へ流されたと聞いておる」


「生きておられるのですか」


「さてな。この山へ届く話ばかりでは、分からぬ」


 牛若は僧の膝元に置かれた文を見る。


 父の名を見つけたときには、もっと別の話が聞けると思っていた。

 どんな声だったのか。笑うと、どんな顔になるのか。


「父上は……」


 僧が牛若へ顔を向ける。


「祖父上を、助けようとはしたのですね」


「助命を願ったという」


「何度も?」


「ああ」


 牛若はうなずき、膝の上で手を握った。


「それでも、駄目だったのですね」


 僧はしばらく黙ってから、文を畳む。


「今日は、ここまでにしよう」


 牛若は頭を下げた。立つと脚がしびれていて、戸口で足を引きずる。

 僧が手を貸そうとしたが、牛若は柱につかまって待った。


 廊へ出ると、千寿が腰を下ろしていた。


「長かったな」


「待ってたの?」


「通りかかっただけ」


 千寿の足元には、読みかけの書物が開いている。牛若が目を向けると、千寿は慌てて閉じた。


「……何か、分かったか」


「父上のこと」


「うん」


「祖父上を斬るよう、命じられたって」


 千寿の口が開く。


 何も言わずに閉じ、書物を抱えて立ち上がった。


「誰に?」


「帝に」


「それじゃ……」


 続きは出てこなかった。


 二人で廊を歩く。庭では僧たちが落ち葉を集めている。竹箒が石に当たるたび、乾いた音がした。


「父上は、戦には勝ったのに」


 牛若が言うと、千寿は隣へ顔を向ける。


「勝ったあとで、そう命じられたの?」


「うん」


「……なんだよ、それ」


 千寿は書物を抱え直した。力を込めすぎて、紙の端が曲がる。


 牛若は庭へ目を戻す。


「父上が泣いたか、聞こうと思った」


「聞けばよかったじゃないか」


「和尚様も、そこにはいなかったから」


「ああ」


 千寿はうつむく。


 風で落ち葉が散り、掃いていた僧が困った声を上げた。

 いつもなら千寿が笑って、二人で拾いに行くところだった。


 今日は、牛若も千寿も動かなかった。


「母上なら、父上のことを知ってる」


 牛若はそう言ってから、首を振る。


「でも、母上が話してくれる父上は、いつも優しいから」


「優しかったんだろ」


「祖父上にも?」


 千寿が立ち止まった。


 牛若はもう少し先まで歩き、振り返る。


「兄上たちにも、聞いてみたい」


「文、書くのか」


「うん」


 千寿が追いつき、牛若の袖を引いた。


「その話を聞くの?」


 牛若は答えず、袖をつかむ手を見た。


 今若なら、母よりも父を覚えているかもしれない。

 乙若も、まだ母に言っていないことがあるかもしれない。


 聞きたい。


 けれど文を開いた兄の顔が、先ほどの僧のように曇るのは嫌だった。


「……まず、元気かって書く」


 千寿は手を離す。


「それなら、俺も書く」


「兄上を知らないでしょう」


「おまえの友だって書けば分かるだろ」


 牛若が少し笑うと、千寿も笑い返した。


 部屋へ戻り、紙を広げる。


 牛若は筆を持ったまましばらく考え、それから、兄の名を書いた。


「兄上、って書かないのか」


 牛若の筆先をのぞき込んで、千寿が聞いた。


「兄上は二人いるから」


「今若兄上、でいいだろ」


「あ」


 牛若が筆を止めると、千寿は得意そうに鼻を鳴らす。


「俺も少しは役に立つ」


「まだ何も書いてないでしょう」


「これからだ」


 千寿は隣へ座り、牛若の筆が動くのを待った。


 元気にしているか。こちらでは、朝の勤めに遅れなくなったこと。千寿という友ができたこと。


「できた、じゃない。いる、だ」


「同じじゃない?」


「ずっと前からいるだろ」


 牛若は笑い、紙の端へ千寿の名を書き添えた。


 そこまで書くと、筆が止まる。


 兄に聞きたいことは、まだ残っていた。父は今若を抱いたことがあるのか。

 叱られたことは。名前を呼ばれたとき、どんな声がしたのか。


 千寿が牛若の肘をつつく。


「墨、落ちるぞ」


 筆を上げるのが遅れ、紙に黒い点がついた。


「ああ……」


「小さい。まだ読める」


 千寿は自分の書物を開き、空いている紙を探し始める。


「もう一枚もらってこようか」


「いい。このまま書く」


 牛若は墨の点を避け、父の名を書いた。


 義朝。


 書いた二文字を、指で隠す。


「どうした」


「……母上にも、見られるかもしれない」


「兄上への文だろ」


「でも、届ける人が」


 千寿は書物を閉じた。


 牛若は指を離し、その下に小さく書き添える。


 父上は、私の名を呼んだことがありますか。


 書き終えてから、牛若は筆を置いた。


 千寿は文を読まず、庭へ顔を向けている。

 さっきまで何でものぞき込んでいたのに、牛若が紙を畳むまで、こちらを見なかった。


「千寿も書くのでしょう」


「うん」


 筆を受け取った千寿は、端の空いたところに顔を寄せる。


 少し考え、勢いよく書き始めた。


「何を書いてるの?」


「内緒」


「私の文なのに」


「じゃあ、少しだけ」


 千寿が紙をずらす。


 牛若を叱らないでください。


 牛若はその行を読み、千寿の顔を見た。


「何も悪いことはしてない」


「知ってる」


「なら、どうして」


「だって、書いてからそんな顔するから」


 千寿は筆先を墨へ浸し、もう一行足した。


 私も父上の話を聞きたいです。


「これなら、二人で聞いたことになる」


 牛若は口を開きかけたが、言葉が出なかった。


 千寿は筆を置き、紙へ息を吹きかける。


「乾いたら畳もう。こすれると読めなくなる」


「……うん」


 牛若も紙の端を持った。


 二人で乾くのを待つ。千寿は何度も指を近づけ、そのたびに牛若に止められた。


「もういいだろ」


「まだ」


「さっきと同じこと言ってる」


「千寿が、さっきと同じことをするから」


 とうとう千寿が笑い出し、牛若も紙を持ったまま笑った。


 墨が乾くと、牛若は文を畳んだ。千寿の書いたところが、いちばん内側になるように。


 牛若の文が届いたのは、今若が庭の掃除を終えたところだった。


 届けた僧に礼を言い、箒を柱へ立てかける。部屋へ戻るまで待てず、廊に腰を下ろして文を開いた。


 朝の勤めに遅れなくなったこと。千寿という友がいること。


 今若は笑った。


 弟が自分で書いた文だ。以前より字が小さくなっている。

 一字だけ墨が濃く、その脇に黒い点があった。


 父の名に続く一行を読み、笑みが止まる。


 父上は、私の名を呼んだことがありますか。


 その下には、違う筆跡で二行、添えられていた。


 今若は何度か読み返し、文を膝へ置いた。


 父の声を思い出そうとする。


 大きな声だった。それは覚えている。

 けれど、今若を呼ぶときまで大きかったかと考えると、はっきりしない。


 顔も、母ほどには思い出せなかった。


 今若は目を閉じる。


 帰ってきた父の腰にすがったことがある。

 母に袖を引かれても離れず、父は笑いながら今若の脇へ手を入れた。


 抱き上げられた拍子に、足が床から浮く。


 あのときは、父の顔が近かった。


「重くなったな」


 そう言われて、今若は父の首へ腕を回した。

 もう少し抱いていてほしかったのに、父はすぐ床へ下ろしてしまう。


 母が、牛若を抱いて待っていたからだ。


「今度は、こちらを」


 父の腕へ渡された牛若が泣き出す。父は抱き方を変えようとして、母に止められた。


「首を、もう少しこちらへ」


「こうか」


「ええ」


 父が言われたとおりに抱き直す。今若には、それが面白かった。

 家人へは何でも命じる父が、母の言葉を待っている。


「牛若」


 父は顔をのぞき込み、もう一度、名を呼んだ。


 牛若は泣くばかりで、父のほうを見ようとしない。


「儂の顔が怖いか」


「まだ、分かりませぬよ」


 母が笑う。


 今若は、泣く牛若に自分の指を差し出した。小さな手がつかむと、父がその手元を見た。


「兄は分かるのか」


 少し不満そうな声に、今若は胸を張った。


 目を開ける。


 庭では、別の僧が今若の残した落ち葉を集めていた。

 掃除を途中で放り出したように見えたのかもしれない。


 今若は文を畳み、部屋へ戻った。


 紙を用意して、牛若の名を書く。


 書き始めると、何から伝えようかと考えていたのが嘘のように、筆が進んだ。

 父の抱き方を母が直したことまで書いてから、手を止める。


 父の声そのものは、やはり思い出せない。


 そこも、正直に書いた。


 でも、おまえの名を呼んだことは覚えている。


 今若は筆を置き、牛若の文をもう一度開く。


 端に添えられた二行へ目をやってから、返事の続きを書いた。


 千寿にも礼を伝えておくれ。

 おまえを叱るつもりはないから、また聞きたいことがあれば書いてほしい。


 山門(さんもん)のほうで声がするたび、牛若は顔を上げる。


 あの僧が戻るのは、まだ先だと聞いていた。

 それでも、旅装(りょそう)の人が石段を上がってくると、つい手が止まる。


「牛若、水がこぼれる」


「あっ」


 桶を傾けかけ、慌てて両手で持ち直す。隣で千寿が笑った。


「そんなに見ても、早くは帰ってこないぞ」


「分かってる」


 それから幾日か過ぎた朝、二人で水を運んでいると、門の前に見覚えのある笠が現れた。


 牛若が桶を置くより先に、僧がこちらへ手を上げる。


「今若殿から預かってきたよ」


「兄上から?」


 差し出しかけた手が濡れている。衣で拭こうとすると、千寿が自分の手拭(てぬぐ)いを押しつけてきた。


「ほら」


「ありがとう」


 文を受け取り、すぐに折り目へ指をかける。

 けれど、隣で千寿が桶を持ち上げるのを見て、手を止めた。


「一緒に読もう」


「先に読んでいいぞ」


「千寿も書いたじゃないか」


 千寿は口を開きかけ、それから二つの桶を持って歩き出す。


「じゃあ、これを置いてくる。そこで待ってろ」


「私も運ぶよ」


「文まで濡らす気か」


 牛若は文を胸へ寄せた。千寿が振り返って笑う。


「すぐ戻る!」


 戻ってきた千寿と廊の端に腰を下ろし、文を開く。


 今若の字が並んでいた。初めの挨拶を追っていた牛若の指が、父の名のところで止まる。


 父上は、おまえを抱かれたことがある。


「……抱いてくれたんだ」


 千寿が肩越しにのぞき込む。牛若は紙を二人の間へ寄せ、続きを読んだ。


 牛若が生まれて間もない頃、義朝は抱き方が分からず、常盤に手を直されていたという。

 牛若、牛若と呼びかけても泣きやまず、今若が差し出した指を握ると、ようやく静かになった。


「兄上の指なら、泣かなかったって」


「父上、困ったろうな」


「うん」


 牛若の口元が緩む。


 その下には、少し間を空けて字が続いていた。


 父上の声は、私もよく思い出せない。けれど、おまえの名を呼ばれたことは覚えている。


 牛若はそこを、もう一度読む。


「……一度でいいから、聞きたかったな」


 千寿は文へ目を落としたまま、何も言わなかった。


 しばらくして、牛若が続きを広げる。最後のほうに千寿の名があった。


「千寿にも書いてある」


「私に?」


「牛若と仲良くしてくれて、ありがとうって」


「別に、礼を言われるようなことは……」


 千寿は鼻の下をこすり、牛若の手元をのぞく。


「それだけか?」


「叱ってはいないから、安心してほしいって」


「ほら。言っただろ」


「千寿だって、叱らないでくださいって書いたくせに」


「おまえが、いつまでも迷ってるからだ」


 牛若が笑うと、千寿もつられて笑った。


 廊の向こうから、二人を呼ぶ声がする。


「行くぞ」


「待って」


 牛若は文を畳み、懐へしまう。立ち上がっても、衣の上から一度、折り目に触れた。


「返事、また書くのか?」


「うん。次に誰か行くとき、持っていってもらう」


「今度は何を聞く?」


 牛若は千寿に追いつき、その顔を見上げる。


「千寿が、お礼を言われて照れてたって」


「それは書くな!」




「ここまでお読みいただきありがとうございます!

評価(下の★★★★★)や一言感想、応援のブクマなど、少しでもいただけると執筆の大きな励みになります! ぜひよろしくお願いします!」

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