幕間 保元元年(一一五六年)(1)
幕間 保元元年(一一五六年) 1
「門を守る者は名乗れ!」
清盛の軍から、伊藤景綱が馬を進めた。息子の忠清と忠直が左右につく。
三人の前に、弓を持った大男が姿を現した。
「鎮西八郎為朝」
為朝が名乗ると、忠直の馬が足を止めた。
「安芸守清盛殿が郎党、伊藤景綱。その子、忠清、忠直!」
景綱は二人に目をやった。声は出ている。忠直が馬を止めたのも、矢を射るためならよい。
為朝は三人を見渡し、門の向こうに控える清盛の軍へ顔を向けた。
「清盛すら、俺の相手には足らぬ。お前たちに用はない。退け」
忠直が唇を噛んだ。景綱は弓を持ち直す。
「退けと言われて退く武士がおるか」
景綱の矢が飛んだ。
為朝は身を引かなかった。矢は鎧を打ったが、為朝の手はもう次の矢に伸びている。
「忠直、下がれ!」
父の声に忠直が振り向いた。その胸へ、為朝の矢が入る。
矢は忠直の鎧を抜け、後ろにいた忠清の袖まで貫いた。二頭の馬が跳ねる。
忠直は馬上から落ち、忠清は折れた矢をつかんでどうにか鞍に残った。
「兄上!」
忠清が呼んでも、忠直は動かない。
景綱が馬を寄せようとする。門の上で為朝がまた弓を構え、忠清が父の袖を引いた。
「戻ってください。私が兄上を」
「一人では運べぬ!」
二人が忠直を抱え上げ、味方の列まで引き返す。清盛は馬を下りて駆け寄った。
忠清は袖に刺さった矢を見せた。
「為朝の矢です。忠直は……」
最後まで言えず、忠清はうつむく。
清盛は忠直を運ぶよう命じ、門を見た。為朝はあそこから動いていない。前へ出れば、次の矢が来る。
「北へ回る」
傍らの武士が顔を上げた。
「この門は」
「ほかの門から攻める。負傷した者を先に下げよ」
清盛が馬へ向かったとき、赤い直垂の武士が列の前へ出た。嫡男の重盛だった。
「父上。ここで引くのですか」
重盛は馬上から門を指した。
「為朝一人です。兵の数ではこちらが勝っている」
「忠直も、そう思って前へ出た」
清盛の答えに、重盛の顔が強張る。
「忠直の仇なら、なおさら」
「仇を討つために、おまえを射らせるわけにはいかぬ」
「射られるとお決めになるのですか」
重盛は返事を待たず、手綱を引いた。馬が門のほうへ向きを変える。
「重盛を止めよ!」
清盛の声に、二騎が重盛の前へ回り込んだ。
「どけ!」
重盛が怒鳴っても、二人は退かない。命じた清盛を振り返り、重盛は声を荒らげた。
「このまま退けば、清盛の軍は為朝を恐れたと笑われます!」
「笑わせておけ」
「私は笑われたくありませぬ!」
重盛が馬を進めようとする。清盛はその手綱をつかんだ。
「忠直が落ちたのを見たな」
「見ました」
「忠清の袖に残った矢も」
「見ました。だからこそ――」
「おまえが次に落ちれば、その二人は何のために前へ出た」
重盛は口を閉じた。清盛は手綱を放さない。
為朝のいる門から、まだ目を離せなかった。あの男がもう一度弓を引けば、この距離でも誰かに当たる。清盛自身も怖い。息子がその矢の先へ走ろうとしていることは、もっと怖かった。
「この門を攻めずとも、戦は終わらせられる」
「……私にも戦わせてください」
「戦わせる。だが、今ここではない」
重盛は門を睨んだまま、ようやく馬を下げた。
清盛が北へ向かう支度を命じると、列の後ろから一騎が駆け出した。
「待て。どこへ行く!」
山田小三郎伊行だった。呼び止めた者を振り切り、為朝の守る門へ馬を走らせる。
「矢一本に退いて、何が武士か!」
重盛が再び手綱を握りしめた。清盛は門へ向かう伊行の背を見た。今から追っても間に合わない。
「重盛。動くな」
為朝が、門の上で弓を持ち直した。
伊行は門の前で馬を止めた。
「山田小三郎伊行! 鎮西八郎、出てこい!」
門の上から為朝の姿が消える。逃げたのではない。
まもなく門が開き、白い馬に乗った為朝が出てきた。
清盛の軍から伊行を呼び戻す声が飛ぶ。伊行は振り返らない。弓には、すでに矢を番えていた。
「為朝の矢を、一本受けてみせようと思って来た」
「受ける前に、そちらが射る気ではないか」
為朝は馬を進めながら答えた。伊行が弦を放つ。
矢は為朝の腰の鎧に当たった。伊行はすぐ次の矢を取る。為朝の動きが、その一瞬だけ速かった。
重い音がした。
伊行の体が馬上で止まる。為朝の矢は鎧を抜け、鞍まで射通していた。
伊行の手から二本目の矢が落ち、体も横へ崩れる。
「伊行殿!」
清盛の軍から一人が飛び出した。伊行を抱え、懸命に引きずって戻る。為朝は追わなかった。
重盛は歯を食いしばったまま、その光景を見ている。
清盛が横に並ぶと、悔しさを隠さず言った。
「兵が見ています」
「見せておけ」
「このまま背を向ければ、皆、為朝を恐れます」
「もう恐れておる。おまえも見ただろう」
重盛は答えなかった。
清盛は門の方角を指す。
「北へ回る。あの男の矢が届かぬところまで、負傷者を運べ」
命令が伝わり、兵たちが動き始めた。重盛も馬を返す。
最後まで門を睨んでいたが、清盛のそばを離れはしなかった。
門の前で、為朝は弓を下ろした。
清盛の軍は退く。だが戦は終わらない。川の向こうから、別の軍勢が近づいていた。
その先頭に掲げられた旗を見て、為朝の顔から笑みが消えた。
「……兄上か」
川を渡ってきた軍勢の先頭で、義朝が馬を止めた。
「為朝! 勅命を受けて来た。道を開け」
門の前まで声が届く。
「兄上こそ、そこをお退きください」
為朝は弓を持ったまま答えた。義朝の背後には兵が続いている。
清盛の軍を退けても、こちらまで退くとは思えなかった。
「父上は院方におられます。ここを開ければ、兄上の兵は父上のもとへ行く」
「ならば、おまえも父上も降れ」
義朝が一歩も譲らない。為朝は弓を上げた。
「兄に弓を引く気か」
「兄上は、父に引いておられる」
義朝の返事はなかった。背後の兵が動き、為朝の左右へ回ろうとする。
「門を守れ!」
為朝の声で、味方が一斉に前へ出た。
矢が飛び交い、馬が鳴く。為朝は義朝の兵を射返しながら、門の内側へ下がった。
相手は多い。ここで自分が倒れれば、門はもたない。
兵の隙間から、義朝の姿が見えた。
馬上で身を起こし、声を張り上げて指図している。兜の下が空いた。
為朝は矢を番えた。あそこなら届く。一矢で兄を落とせば、押し寄せる兵の足も止まる。
弦を引き絞ったところで、手が止まった。
義朝は為朝を見ていない。命じた兵の行く先を追っている。
幼い頃から知る兄の横顔が、兜の下に見えた。
「八郎、早く!」
味方の声が飛ぶ。門際で兵が押されていた。
為朝は狙いをわずかに上げ、矢を放った。
義朝の兜から火花が散る。義朝が馬上で大きくよろめき、周りの兵が叫んだ。
落馬はしない。為朝の矢は兜の飾りを削って、義朝の背後へ飛んだ。
義朝がこちらを向く。
「為朝。今のは何だ」
「見てのとおり、兄上の兜を射ました」
「貴様の腕で、そこだけを射たと言うか」
為朝は二本目の矢を取った。
「不服なら、今度は当てる場所を仰せください」
義朝は兜に手をやった。為朝は弓を構えたまま、兄が答えるのを待った。
義朝は兜から手を下ろした。
「為朝。おまえが私を射らぬつもりでも、こちらは引けぬぞ」
「承知しています」
為朝の弓は下がらない。義朝も馬を退けなかった。
そこへ一騎が割って入った。
「深巣七郎清国、参る!」
「待て、清国!」
義朝の制止より早く、清国は為朝へ馬を走らせる。為朝は弓を引いた。
清国が馬上で崩れた。続いて馬が横へ跳ね、主人の体が地面に落ちる。
義朝は動かなかった。つい先ほど自分の兜を狙っていた矢が、別の男には迷わず放たれた。
「兄上。私は、矢を射らぬと言ったわけではありませぬ」
「分かっておる」
義朝は兵を見渡した。
「一騎ずつ出るな。左右から押せ!」
声に応じて、兵が広がる。為朝の前に一人が立つ間に、別の者が脇から門へ迫った。
「八郎! 右が破られる!」
為朝は振り向いて矢を放つ。右の兵が退くと、今度は左から声が上がった。
どちらへ弓を向けても、敵の足は止まらない。
味方の一人が門の内から駆けてきた。
「御所の奥へお下がりください。父君からのお言葉です」
「父上は」
「まだおられます。八郎殿を待つ、と」
為朝は門を見た。義朝の兵が、倒れた者を越えて押し寄せている。
「ここはもう持たぬ。退く者から通せ。傷を負った者を置いていくな」
為朝が命じると、味方は門の奥へ下がり始めた。
義朝は追わせた。弟の姿が兵の向こうへ消えるまで、自分も前へ出て指図する。
為朝は一度だけ振り返った。兜を削られた兄が、まだ馬上にいる。
射ようと思えば射られた。
そのことを義朝が分かっているのか、為朝には確かめようがなかった。
今は父のもとへ戻らねばならない。
為朝が御所の奥へ戻ると、庭に馬が集められていた。
門を守っていたはずの兵が、鎧を鳴らして廊を駆け抜ける。
奥のほうでは女たちの声が重なり、誰もそれを鎮められずにいた。
「父上!」
為義は馬のそばにいた。為朝を見るなり、息をつく。
「生きておったか」
「兄上の兵が門へ迫っています。ここも長くはもちませぬ」
「分かっておる。おまえも行け」
為朝は、為義の馬にまだ鞍がないことに気づいた。
「父上は」
「上皇のお行方を確かめる。先に逃れよ」
「また私だけを行かせるおつもりか」
為義が振り向いた。為朝の手には弓がある。
矢も残っていたが、門で使い切るつもりだったのだろう。指の皮が裂け、弓に血がついている。
「八郎。もう射るな」
「父上までそのようなことを」
「わしと争う暇があるなら、馬に乗れ」
為朝は動かなかった。幼い頃から、父に呼び戻されれば腹を立てた。
今日ばかりは、その声に従って離れるほうが恐ろしい。
外で兵が叫んだ。門が破られたらしい。
為義は為朝の背を押した。
「おまえの弓があっても、皆を連れては逃げられぬ。行け。わしも後から参る」
「必ずですぞ」
「ああ」
為朝は父の顔を見た。その返事を信じたかった。
兵に促されて馬へ向かう。鐙に足を掛けたところで、背後から為義が呼んだ。
「八郎」
振り返ると、父はいつもの険しい顔をしていた。
「よく門を守った」
為朝は何か返そうとした。だが、追手の声が近い。父に向かって頭を下げ、馬を走らせた。
振り返るたび、為義の姿は廊の柱に隠れた。三度目には、もう見えなかった。




