40:助けに来たニチコ(アンネッタ視点)
ズキリと痛むみぞおちの鈍痛とともに、わたくしの意識は泥の底から浮かび上がるように覚醒した。
「……う、ん……ここは……?」
薄暗い。カビと埃の混じった不快な臭いが鼻をつく。
目を凝らせば、そこは隙間風の吹き込む粗末な木造の小屋だった。身を起こそうとして、わたくしはハッと息を呑んだ。両手首が背中の後ろで荒縄によってきつく縛り上げられている。
記憶が一気に蘇る。わたくしはエミリーを陥れようとして手引きした男たちに裏切られ、腹を殴られ拉致されたのだ。
恐怖で心臓が早鐘を打ち、喉の奥から悲鳴がせり上がってきた、その時だった。
「落ち着け。声を上げるな」
すぐ隣から、凛とした低く落ち着いた声が響いた。
驚いて首を巡らせると、そこには先ほど庭園で黒装束の剣を素手でへし折っていた、あの長身の少女がいた。どういうわけか、彼女もわたくしと同じように後ろ手で縄に縛られ、床に座り込んでいる。
「私はニチコ。主様の命により、君を助けに来た」
「た、助けに来たですって……。って、ちょっと、あなたもわたくしと同じように捕まっているじゃないの。どうやって助けるというのよ」
思わず小声で噛みついたわたくしだったが、ニチコは余裕たっぷりに微笑んでみせた。
自分も縛られているくせに、なんて堂々とした態度なのだろう。最初は疑心暗鬼になったわたくしだったが、直前に見たハナと彼女たちの圧倒的な強さを思い出し、不思議と胸の奥に小さな安堵が灯るのを感じていた。
ガチャリ。
その時、錆びついた蝶番が軋む音を立てて、小屋の扉が開いた。
逆光の中、下卑た笑みを浮かべた黒装束の男が二人、ドカドカと足を踏み入れてくる。
「へへへ、ようやくお目覚めだな、お嬢様方」
「どうせフラウゲート本国に引き渡すのは明日の朝だ。それまでの間、俺たちでたっぷり楽しませてもらおうじゃねえか」
先頭の男が舌なめずりをしながら、腰のベルトに手をかけて緩め始めた。
血の気が一気に引いていく。王女であるわたくしが、こんな薄汚い男たちに……恐怖で全身がガタガタと震え、涙が滲んだ。
「……震えているな。安心しろ、君には指一本触れさせない」
ニチコが静かに呟き、縛られたままの姿でスッと立ち上がった。そして、わたくしを背中に庇うようにして男たちの前に立ちはだかり、挑発的に顎を上げた。
「おい、三流ども。その程度の貧相な体つきで、この私を満足させられると思っているのか?」
「……ほう。威勢がいいじゃねえか。良いねぇ、そういう気の強い女は嫌いじゃないぜ!」
男たちが色めき立ち、ニヤニヤと笑いながらニチコへと飛びかかった。
乱暴に肩を掴み、床へ押し倒そうと体重をかける。
「な、なんてことを……!」
わたくしは思わず目を覆いそうになった。
だが、次の瞬間、小屋の中に奇妙な沈黙が落ちた。
「……あ? お、おい、なんだこいつ……」
男がニチコの肩を掴んで必死に押し倒そうとしているのだが、ニチコはまるで大地に根を張った巨木のように、ピクリとも動かない。
それどころか、後ろ手で縛られているはずなのに、男が足を引っ掛けても、タックルしても、微動だにしない……ただ豊満な胸だけが弾んでいる。
「くそっ、どうなってやがる。おい、お前らも手伝え! 力ずくでねじ伏せろ!」
屈強な男が二人がかりでニチコに取りつくが、押せども引けども、その身体は鉄の彫像のように1ミリたりとも傾かない。それどころか、無理やり袴を破こうとした男の指が、逆にニチコの鍛え抜かれた鋼のような肌と布地に阻まれて「ぐぎゃっ!?」と突き指する始末だった。
「……どうした? これで終わりか?」
汗だくになって肩で息をする男たちを見下ろし、ニチコは心底ガッカリしたようにため息をついた。
「私はまだ、なにも満足していないが? ほら、もっとだ。もっと激しくしろ。丸太で殴りつけるなり、鎖で引きずり回すなり、全身の骨が軋むほど乱暴に扱ってみせろ。そうでなければ、私を満足させることなど到底できんぞ。さあ、早くしろ!」
荒い息を吐き、瞳を爛々とさせながら一歩詰め寄ったニチコに、男たちは後ずさった。
「な、なんだこいつ……恐ろしく頑丈なうえに頭までイカれてやがる!」
「くそっ、指が折れるかと思ったぞ……! こんな化け物相手にしてられるか、完全にシラケたぜ!」
先ほどまでの勢いはどこへやら、男たちは顔を青ざめさせて逃げるように小屋から出ていき、外から慌てて鍵をかける音が響いた。
「……ふぅ。なんとも甲斐性のない男たちだ。せっかく縛られてやったというのに、前戯にもならんとはな」
誰もいなくなった薄暗い小屋の中で、ニチコさんは悔しそうに舌打ちをした。
「あ、ありがとうございます」
「ん? ああ、そういえば君が居たな」
夢中になっていて、わたくしのことを忘れていたというの? まさか、本物の変態?
「奴らの攻めには興冷めした。君も目覚めたことだし。そろそろ帰るとするか」
「ここは、どこなの?」
「城下町の外れにある小屋だ。君が攫われるのを見た主様が、助けに行くように命じたのだ」
あの無能のハナが……。いえ、もう無能とは呼べませんわね。
「なぜ、あなただけが?」
あの全戦力を使えば、もっと簡単に助けられたのでは?
「主様は、『俺は花壇の修復に全力を尽くすから、お前がイケ』と言ってな。あの真剣な眼差し……あんな目でイケと命令されたら断るわけにはいかぬ」
わたくしは花壇以下の扱いということね……。
「しかし、残念なことに、私は人を傷つけることができんのでな。一緒に気絶したふりをして攫われたのだ……一体どんな仕打ちが待っているかと、胸を高鳴らせていたのに……ああ、このことはあまり主様には言わないでくれよ。君を助けるよりも自分の快楽を優先してしまったのは悪いと思っているからな」
正直に言ってくれたのは良かったけれど……いや、よくないわ。
「そんなに強固な体なのに、攻撃できないということ?」
「そうだ」
「そうだ、ってあなた……では、ここからどうやって逃げるというのですか?」
「それは……考えていなかったな。主様が助けに来るのを待つか」
「ここに居ることは伝わっていないのでしょう?」
「だな」
……最悪だ。ただ頑丈なだけで、他人に攻撃できない女と二人。このままではフラウゲートに連れ去られてしまう。
そうなれば、わたくしは人質……お父様に迷惑をかけてしまうかもしれない……いえ、きっとお父様はわたくしよりも、この国を守ることを優先するでしょう……。
ニチコさんは変態だから拷問にも耐えられるかもしれない。
だけど、わたくしは……。
恐怖で涙が止まらなくなった。




