㊱最高の施設
縦ロールの騒がしい異母姉を回廊に置き去りにし、俺たちはエミリーに案内されて王城の北西区画、広大な庭園の最奥へと足を運んでいた。
高い石垣と常緑樹の防風林を抜けた先で、視界が一気に開ける。
「……おいおい、嘘だろ。なんだここは……」
目の前にそびえ立っていたのは、俺の想像を遥かに超える硝子の巨大建築。
「ここがお母さまの研究所です」
エミリーが腰に手を置いて鼻息を荒くした。
ぶっちゃけ、自慢げになるのも良く分かる。
長年植物と向き合ってきた俺の目が、その施設の異常なまでの完成度を瞬時に理解したからだ。
まず目を奪われるのは、建物の大半を占める巨大な連棟式の硝子温室だ。
「屋根から壁面に至るまで、鉄分を極限まで除去した高透過率のクリアガラスが惜しげもなく使われている。太陽光の入射角を計算し尽くしたスリークォーター型の屋根……冬場の低い日差しすらも余すことなく内部へ取り込む構造だ。光合成有効放射を最大化する設計か……スゲーな」
エミリーに促されて重厚な二重扉を開き、エアロック式の前室を抜ける。
「外部からの害虫や雑菌の侵入を防ぐ完璧なエアロックか、やり過ぎだろ」
「そうなんですか?」
興味なさげなエミリーの態度だったが、鼻腔を抜ける最高品質の土壌と緑の香りでどうでも良くなった。
「すげえな! 空調と環境制御が完璧だ」
俺は入り口の壁に設置された温湿度計と換気制御盤に駆け寄り、文字通り顔を張り付かせた。
「この大温室は、ただ広いだけじゃない。内部がガラスの間仕切りとエアカーテンによって、いくつもの微気象区画にゾーニングされているんだ。
高温多湿を好む熱帯性植物のための、飽和水蒸気圧差を常に最適値へ保つ細霧冷房区画もあるし、高山植物や寒冷地仕様の品種を育てるための、チラー冷却水配管と強風再現用の循環扇を備えた冷涼区画もある。
さらには、天井に吊るされた無数の育成用照明と遮光スクリーン。
植物のクロロフィルが最も吸収しやすい赤色光と青色光の波長バランスを補光し、日照時間の短い季節や悪天候時でも光周性をコントロールするつもりだな。
これなら短日植物だろうが長日植物だろうが思いのままに花芽分化を誘導できる」
おかしいな……なんで俺はこんなに早口で興奮しているんだ?
「ちょっと待てよ、床下の構造もただ事じゃないな……。これ、全面が底面給水システムと連動した地温制御ベンチになってるのか?
栽培ベンチの下には、精緻な温水パイプと給排水管が毛細血管のように張り巡らされている。根圏の温度を一定に保って、水耕栽培や養液土耕を行える自動給液ラインだな。
脇に並ぶタンクには、窒素・リン酸・カリウムの記載。それに、カルシウムやマグネシウム、さらには鉄やホウ素といった微量要素に至るまで、様々な培養液が蓄えられているのか」
「ハナ兄さん、ちょっと落ち着いて下さい」
くそっ、親父に叩き込まれた前世の記憶が湯水のように溢れ出てきやがる。
「ダメだ。興奮が収まらない。ここを作った奴は変態か?」
「ハナ兄さんと一緒にしないでください。ここはお母さまが心血を注いで作り上げた、王国最高峰の植物研究施設です。というか、ハナ兄さん詳しすぎませんか? 専門用語が多すぎて半分以上さっぱり分かりませんでしたけど」
「エミリー、お前のお母さんは植物たちにとって間違いなく神。尊敬に値する。弟子入りさせてくれないか……あ、いや、やっぱり止めておこう……あーでもなぁ」
くそう、もう園芸に触れるのも嫌なはずなのに、体が求めて止まない。やはり俺は呪われているのか。
「なんだか気持ち悪いので、お母さまには近づかないでもらいたいです」
エミリーは軽蔑の眼差しを向ける。
「主様の言う通りです。ここの居心地は最高ですよ」
温室育ちのシクラメンにとっては最高だろうな。
「至れり尽くせりで、私は好かんがな」
センニチコウにとっては、快適過ぎる環境は逆に嫌なのか?
「よし、我がもっと良い環境になるよう助言してしんぜよう」
プータスの知識でアップデート……期待しかない。
「ここなら紅花山玉蘭を改良して、通年で花を咲かせることができるかもしれないな。そうなれば時間停止魔法でエッッなことをやりたい放題だ」
そう、俺はこの世界で煩悩のままに生きるんだ。園芸の呪いを払拭するためにも、花玉の復活は急務。
「まだ言っているんですか? 時間を止める魔法なんて存在しません。夢を見るのは寝ているときだけにしてください」
「あら、エミリー。来ていたのね。陛下から通達はきていました。こちらがアリア様のご子息ね。よろしくねハナ王子」
研究所の奥から現れたのは、作業着を着た女性だった。長い黒髪を束ね、袖をまくって、少し泥にまみれているけど、声色や仕草で上品さが滲み出ているのが分かる。そして、作業着ではあるけれど、とてつもなくナイスバディだ。
この人がエミリーのお母さんか……将来のエミリーは有望だな。
「よろしくお願いします。俺もお母さんって呼べばいいんでしょうか?」
「ダメです」
なぜかエミリーが即答した。
「うふふ。仲が良いのね」
「もう、お母さま。なんでそうなるのよ」
「好きなように呼んでもらって構わないけれど、エミリーが不満ならローサでいいわ」
「はい、じゃあローサ母さんって呼びます」
「ダメだって言ってるでしょ。お母さまは私のお母さまなの。誰にも渡さないっ」
エミリーが頬っぺたを膨らませた。
「あらあら、どうしたのエミリー。急に甘えん坊さんね。珍しいわ」
「えっ、あっ、ごめんなさいお母さま。これはシーラのせいで……」
エミリーは顔を真っ赤に染めた。




