㉜時間停止
紅花山玉蘭は、俺の魔法で人の姿になった。
なんで、こんな危機的状況で、こんな無謀なことをしてしまったのか……。
人になったとしても、ドラゴンのブレスで焼き払われてしまうというのに……。
それとも、そんな儚ささえも、この花の美しさを際立たせるための演出なのではないのだろうか、そう思えた。
この瞬間が永遠に続くように感じた。
──いや、違う。
本当に、永遠に続いている?
咆哮の途中で口を開けたまま硬直するエメラルドドラゴン。全身がエメラルドグリーンに光って、今にも爆発しそうだけど、それがまるでガラス細工のように固まって動いていない。
天井から滴り落ちていた水滴も空中で止まったままだ。
エミリーとシーラは悲痛な顔で。プータスは訝しげに、ニチコは顔を赤らめたまま固まっている。
動いているのは、俺と──目の前でまばゆい光を放つ『それ』だけだった。
光がスッと霧散し、そこに姿を現したのは、俺の人生のすべてを揺るがすほどの衝撃だった。
透き通るような白銀のロングヘアがふわりと広がり、朝露を宿した宝石のような翠緑の瞳は、驚愕と戸惑いに濡れて潤み、その完璧なバランスで整った顔立ちは、地上にあらゆる美の概念を凝縮したかのように気高く、そして儚かった。
純白と淡紅が重なるドレスのような花衣をまとい、彼女はその場に膝を抱えるようにして、ポロポロと大粒の涙をこぼしていた。
美しすぎる。
自分がまるで詩人にでもなったかのような気にさせるほど、様々な形容詞で彼女を表したかった。
けれど、口を開くことができない、言葉を失うとはまさにこのことだろう。
これまでのシーラやニチコ、プータス。彼女たちも間違いなく美少女だが、どこか一癖も二癖もある変態だったり、あるいは明確なお世話のしがい、つまり植物としての欠点を抱えていた。
だが、目の前にいる少女は違う。
傷一つなく、歪みもせず、自然界の奇跡がそのまま形になったかのような、完璧なまでの美貌。俺がこれまでの人生で培ってきたすべての園芸知識と美意識を総動員しても、修正すべき点が微塵も見当たらない。手入れの必要すらない、文字通りの『完全無欠』だった。
あまりの美しさに、俺は息をすることを忘れて見惚れていた。
──そして、ハッと気づく。
頭の片隅に、いつの間にか熱いものが込み上げてきていることに。
「……あれ?」
呪いによって封じられていたはずの、男としての煩悩が。ドクドクと脈打つ生々しい欲求が、脳の深部で目を覚ましていた。
この完璧な美少女をもっと近くで観察したい。この子のことを隅々までもっと知りたい。同じ時間を過ごし、あわよくば、その麗しい身体を愛でて、もっとエッッなことも──って、おいおい待て! 俺の煩悩よ落ち着け!?
「これは……君がやったのか?」
俺が恐る恐る声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、濡れた瞳で俺を見上げた。
「……私……?」
「そうだ。時間が止まっている。……なぁ、名前はなんて言うんだ? よければ『花玉』って呼んでもいいか?」
「……花玉……」
彼女は自分の新しい名前に掠れた声を漏らし、しかしすぐに首を横に振った。
「名前なんて、どうでもいい……。そんなものに意味なんてないわ」
「どうしてそんな悲しいことを言うんだ。気に入らなかったら別の名前にしてもいいんだぞ」
「……私は、数年に一度しか花開かない……。やっと人の姿になれたって、すぐに枯れて、消えてしまう花よ。そんな短い一生に、いったいどんな意味があるの……?」
花玉は声を詰まらせ、再び大粒の涙をこぼした。
その姿は、あまりにも寂しそうで、壊れそうに儚かった。
放っておけない。
美しさに魅入られたからだけじゃない。この圧倒的な孤独と恐怖に怯える命を、俺は、園芸師として、いや、一人の男として、絶対に放置するわけにはいかないと感じていた。
「意味なんて、最初からなくていいさ」
俺は一歩踏み出し、しゃがみ込んで花玉の小さな両手をそっと包み込んだ。
驚いたように見開かれた翠緑の瞳に、俺の顔が映る。
「すごく綺麗だ。手入れをしなくても、今まで見てきたどんな花や女性よりも美しい。それだけで、ここに存在する理由にならないだろうか」
「美しさが……存在理由……」
花玉は息を呑み、そして、すがるような切実な瞳で俺の衣服の裾をギュッと掴んだ。
「そんな理由なんか要らない……お願い。名前も、理由もいらないから……私とこのまま、この時間の中でずっと一緒にいて……。お願いだから、私を一人にしないで……」
世界の時間が止まった静寂の中で、泣きじゃくる完璧な美少女の懇願が、俺の胸を激しく打ち鳴らす。
このままこの永遠の空間の中で、絶世の美少女と二人っきりで……死ぬまで……。一瞬だけ、それもいいかもしれないと思ってしまった。
けど、ダメだ。それじゃあ俺の夢は叶わない。
「俺と一緒に行こう。ちょっと特殊なハーレムっていう共同体みないなもんだけど、きっと家族と変わらない。自由な世界で悠々自適に暮らすんだ」
「……家族? わたしが?」
「ああ、実はもう君で四人目なんだけど、きっと楽しいぞ……変な奴らばっかりだからな」
「……でも、やっぱり無理だよ……時間の流れを元に戻したら、わたしはやっぱりすぐに枯れてしまう……そしたら、きっと、また……何年も何年も一人で……そんなの嫌だよ」
「必ず迎えに行くよ。花玉が咲いた瞬間のことを覚えている。それを再現できれば……またすぐに咲かせることができるかもしれない……たぶんだけど」
確信はない。だけど、魔力が関係していることは確かだ。ドラゴンのブレスに匹敵する魔力を注ぎ込めば咲く。それはつまり品種改良の余地があるってことだ。
「でも……」
「信じてくれ。俺は花玉に人の姿を与えることができた。きっと花を咲かせることもできる。君が欲しいんだ。絶対に必要なんだ。奇麗に咲かせてみせるさ」
そうさ、俺の園芸の知識と、この世界の魔法の力があれば、きっとなんだって出来る。
「……分かった。そこまで言うのなら、信じるよ。嘘ついたら絶交だからね」
「必ずだ。何年かかっても必ず約束を守る」
「もう、何年も待ちたくないよ」
「ごめん、なるべく早くする」
「……ふふ、頼んだわよ」
「やっと笑ったな花玉」
「その名前……ホントは嫌なんだけど……」
「あっ、ごめん。やっぱランとか、玉蘭とか?」
「うそ……いいよ、花玉で、なんか特別な感じがする」
「だろ? 俺はネーミングセンスが良いんだ。他の家族のことも紹介するから。戻ろう」
「うん」
また、笑った。奇麗だな、守りたい笑顔だ。
「あっ、でも待って。今戻ったら死ぬわ」
「え?」
「ドラゴンがブレスをぶっ放そうとしているから」
「あの怖い顔の?」
花玉がエメラルドドラゴンを指さした。
「そうそう、どうしようかな」
「たぶん、あの首のあたりにある緑に光っている部分が弱点じゃないかな? あそこにだけ魔力が集中している」
なるほど、コアってやつかな。普通に戦っていたら攻撃できる場所じゃないけど、時間が止まっている今なら。
俺は、地面に落ちていた鋭利な岩で、ドラゴンのコアを叩いた。
すると、コアにヒビが入った。
「これで、いけるかな?」
「時間、戻してみる?」
「お願いします」
「その前に……」
花玉は、すっと顔を近づけ、そっと俺の頬にキスをした。
「待っているからね」
そして、世界が再び動き出した。




