㉚国王ゼロへの謁見(三人称視点)
──王都。
ハナ達がダンジョンへと向かう少し前。
下痢の苦しみからようやく解放されたナナキは、乱れた呼吸を整える間もなく、ハナの私室へと足を運んでいた。
「腹を下すとは……体調管理は完璧のはずだったが不覚。だが、そんなことよりも、またプータスとの議論の続きを。ハナよ居るか? 入るぞ」
銀縁のモノクルを押し上げ、ノックもそこそこに扉を開く。
部屋には誰もいない。日当たりの良い窓辺に三つの鉢植えが並び、自動水やり機が呑気な音を立てて霧を吹いているだけだ。ハナがなぜこれほど園芸に執着するのかは知らぬが、肝心の魔導生物たちの姿がどこにもなかった。
ナナキが眉をひそめていると、廊下を通りかかった老庭師ガンツがひょっこりと顔を覗かせた。
「おや、ナナキ殿下。どうなされましたか?」
「ガンツ……なぜ貴方がここに?」
「ハナ殿下から頼まれましてな、たまにでいいので植木鉢の花を見て欲しいと」
「植木鉢? まとまりのない花々だな。ハナはどこかへ出かけたというのか?」
ナナキは、シクラメン、センニチコウ、プラタナスの花に目をやるが、すぐに興味を失い、再びガンツに問いただした。
「おや、聞いておりませんか? ダンジョンに行ってくると。なんでも幻の花がどうとか言っておられましたな」
ピシリ、とナナキの表情が凍りついた。
脳裏には、自分が口にした『アビスダンジョン』の名が蘇る。だが、すぐにナナキは鼻で笑って首を振った。
「馬鹿な。王族が許可なく国内から出るなど不可能だ。ましてやあのような最難関の危険地帯へ、王宮の監視の目を逃れて向かうなどあり得ない」
そう呟いたものの、胸騒ぎは消えなかった。
ナナキは踵を返し、王宮内の入出国管理局へと早足で向かった。怯える官僚から直近の通行記録簿をひったくり、ページを捲る。
その指先が、ある一点でピタリと止まった。
「……なんだ、これは」
そこには、ハナとエミリー、および同行者三名の国境通行許可が記されていた。しかもその末尾には、他ならぬ国王ゼロの直筆の署名と私印が捺されていたのだ。
ナナキは記録簿を投げ返し、玉座の間へと続く回廊を走るようにして進んだ。
重厚な大扉が開かれ、赤い絨毯の上へと踏み込む。広い玉座の間の奥、一段高い壇上で頬杖をついていた巨躯の男──父であり国王であるゼロが、鋭い眼光でナナキを見下ろした。
「父上っ! ハナとエミリーにアビスダンジョンへの通行許可を出されたというのは、まことですか!?」
「いかにも。わしが許した」
「なぜです! あそこは騎士団の精鋭すら命を落とす魔境……無能なハナが足を踏み入れれば、生きては戻れませぬぞ!」
「無能、か」
ゼロが低く鼻を鳴らした。
「できればお前の口から聞きたかったがな、ナナキよ。ハナが独自に編み出した『魔導生物の創造魔法』……その存在が、わしの耳に届かんと思うたか」
「っ……!」
ナナキの喉が引きつる。
無能だと思っていた弟が、いつの間にか人語を解し、高度な知性や特異体質を持つ魔導生物を複数生み出していた。そのプータスという個体の知性に魅了され、己の研究欲を満たすために報告を後回しにしていた事実を、父はすべて見透かしていたのだ。
「人と同じ姿を持ち、独自の魔法を操る魔導生物。その生成方法と運用が確立されれば、我が国の軍事力は飛躍的に高まる。エミリーには監視役として同行させたのだ」
「エミリーが、父上の密偵だったと……?」
「うむ。あやつには魔導生物の生成方法の解明と、実戦における能力の精査を命じてある。今回のダンジョン行きも、連中の戦闘力を測る絶好の機会ゆえ許可を出した。万が一の事態に備え、魔力をふんだんに蓄えた転移魔法のスクロールもエミリーに持たせてある。使えば即座にここへ戻るだろう」
「……転移魔法のスクロール? 最高位の魔法具をエミリーなどに……」
ゼロは玉座の肘掛けを指で叩きながら、少しだけ訝しげに眉を寄せた。
「エミリーなどに……か。ダンジョン攻略の報告次第では、エミリーと立場が逆になっているかもしれんのぉ、ナナキよ」
不敵に笑うゼロの顔を見たナナキは、額から流れる汗を拭った。
「もっとも、エミリーから上がってくるこれまでの報告書には『一日中お菓子を食べてゴロゴロしている』『下品な冗談ばかり言っている』などと、要領を得ぬことばかり書かれておったがな。あやつめ、兄を庇って手の内を隠しておるのか、それとも本当に測りかねておるのか……いずれにせよ、わざわざ謁見まで申し入れてきた理由がそれか? そんな暇があるなら、生物兵器の開発を急げ。多額の資金はお前の趣味のためのものではないのだぞ。国に尽くすことを忘れるなよ」
怒気の混じったゼロの声色に、それ以上顔を上げることができなくなったナナキは、静かに頷き、王の間を後にした。
「……大量殺戮の兵器なんぞに私の頭脳を……、ああ、もっと自由に研究が行えれば、違う方向でこの国を潤すことができるやもしれんのに……プータス、それにはお前と私の頭脳が必要なのだ……ダンジョンなんぞで朽ちるなよ」
人気のない回廊に立ち止まり、ナナキは自らの胸元にそっと手を当てた。学術的な関心だけでは説明のつかぬ、奇妙に熱い胸のざわめきに、彼は小さく首を傾げた。




