㉙美少女×ゴブリン
ミノタウロスをあっさりと撃破した俺たちは、すっかり気を良くしてアビスダンジョンの奥へと足を進めていた。
薄暗い石畳の通路には冷たい空気が流れているが、最初の緊張感はどこへやら、今の俺たちの空気は完全に休日のハイキングそのものだ。
「いやあ、案ずるより産むが易しとはこのことだな。このペースなら今日中に最深部まで行けるんじゃないか?」
「油断しないでくださいハナ兄さん。アビスダンジョンが恐れられているのは、階層が進むごとに魔物の数と凶暴性が跳ね上がるからなんですからね」
魔導書を胸に抱えて周囲を警戒するエミリーだが、その言葉とは裏腹に、先頭を歩く三人の美少女たちはやる気に満ちあふれていた。
すると、前方の暗がりから「ギギッ」「ギャギャッ」という耳障りな鳴き声とともに、無数の小さな影が飛び出してきた。
「ゴブリンの群れっ!」
エミリーの悲鳴にも似た声が響く。
現れたのは、緑色の肌に醜悪な顔つきをした小鬼の群れ。数にして二十匹以上。手には錆びた短剣や鋲付きの棍棒を握りしめ、下卑た笑みを浮かべながら一斉にこちらへと襲いかかってきた。
「ゴブリンだと……まずい、女の子たちが狙われる!」
異世界において、ゴブリンと美少女の組み合わせは最悪の代名詞だ。
俺が咄嗟に前へ出ようとしたその瞬間、隣を歩いていたニチコが弾かれたように飛び出した。
「き、来ました! ついに念願のゴブリンさんです!」
ニチコは頬を真っ赤に染め、うっとりと瞳を潤ませながらゴブリンの群れのど真ん中へと自ら飛び込んでいった。
獲物が自分から飛び込んできたと思ったゴブリンたちは、歓喜の声を上げて一斉に棍棒や短剣をニチコへと振り下ろす。
ガンッ! ガキンッ! ボキィッ!
鈍い音が響き渡り、ゴブリンたちの粗末な武器が次々とへし折れた。
無傷で立ち尽くすニチコは、破れた袴の隙間から白い肌を覗かせながら、恍惚とした吐息を漏らす。
「ああっ……噂通りの集団リンチ、なんて卑劣でしつこい攻撃なんでしょう……! でも、全然威力が足りません! もっとこう、私の尊厳を踏み躙るような容赦ない暴力はないんですか!? さあ、遠慮せず全員で私をメチャクチャにしてください!さぁ」
「「「ギ、ギョエエエエエッ!?」」」
ニチコが両手を広げさらしに巻かれた胸を弾ませて歩み寄ると、ゴブリンたちの下卑た笑みが一瞬にして凍りついた。
殴っても斬っても傷一つ付かないどころか、ギラギラした目でさらなる凌辱を要求してくる謎の美少女。その底知れぬ狂気に触れたゴブリンたちは、野生の勘で「こいつに関わったら精神的に捕食される」と悟ったらしい。
リーダー格のゴブリンが涙目で悲鳴を上げると、群れ全体が蜘蛛の子を散らすように踵を返し、全力疾走で闇の奥へと逃げ去っていった。
「あ、待ってくださいゴブリンさん! まだ始まったばかりじゃないですか! 行かないでーっ!」
「追うなニチコ! ゴブリンがトラウマ抱えて泣きながら逃げてく光景なんて初めて見たわ!」
俺が全力でツッコミを入れていると、今度は天井からボタボタッと粘着質な水音が降り注いできた。
見上げれば、通路の壁や天井を埋め尽くすほどの青白い半透明の塊。
今度はスライムの群れが、俺たちを取り囲むように蠢いていた。
「気をつけてください! アビスダンジョンのスライムは強酸性で、装備や衣服を一瞬で溶かしてしまいます!」
エミリーの警告に、俺の脳裏に一瞬だけ「美少女たちの服が溶けるラッキースケベ」という邪な期待がよぎった。
「なんか今、エッチいこと考えていませんか?」
そんな俺を見透かすようにプータスが言った。
「なっ……プータスよ。この危機的状況化でそんな不謹慎なことを……ちょっと考えていただけだ」
くっ、自白作用が……シーラがニヤリと笑っているのが見えた。
「まぁいいです。核も持たぬ低級な単細胞生物の集合体なんぞ我の敵ではありません」
プータスが冷ややかに鼻を鳴らし、自身の頭からトゲトゲのイガグリ型髪飾りを複数むしり取った。
そして、まるでチェスの駒でも配置するかのように、通路の四方八方へと無造作に放り投げる。
「粘性流体の運動エネルギーと密集度を計算……連鎖起爆発動」
プータスがパチンと指を鳴らした瞬間、放り投げられた複数のイガグリ爆弾が空中で共鳴するように翠緑の閃光を放った。
ドドドドドドォォォンッ!!
通路の形状を計算し尽くした指向性の衝撃波が、まるでピンボールのように壁面を反射し合い、迫り来ていた何十匹ものスライムを同時に直撃した。
酸を飛ばす暇すら与えられず、スライムの群れは一斉に風船のように弾け飛び、キラキラと光る無数の小さな魔石へと変わって床に降り注いだ。
「……美少女とスライムといえば服が溶けるのがお約束だろうが。一滴の粘液すら浴びせずに完封するとは、なんて容赦ないロリだ」
「なにか言ったか、マスター。不純物だらけの酸性液など、我が樹皮に付着したら手入れが面倒であろう」
「いや、園芸師としてはその心がけは非常にありがたいんだけどさ……」
俺が微妙な顔で肩を落としていると、爆発音を聞きつけたのか、通路のさらに奥から獣の咆哮が響き渡った。
四つん這いに近い低い姿勢で、目にも留まらぬ速さで疾走してくる銀色の毛並みの魔物。強靭な牙と爪を持つ獣人、ワーウルフの一団だ。
「速い……。我の爆弾では狙いがつけられぬか!」
「なら、私の出番ね。毛並みがフサフサで、さっきの牛よりは幾分マシそうだわ」
プータスの焦りをよそに、シーラが優雅な足取りで一歩前に出た。
迫り来る五匹のワーウルフが、鋭い爪を振り上げてシーラに飛びかかろうと跳躍する。だが、その鼻先へと、シーラがまとった淡い紫色の芳香がふわりと流し込まれた。
「はい、深呼吸してー。いい匂いでしょ?」
「グルァァッ……!? グ、キャンッ!?」
嗅覚が人間の数千倍も鋭い狼型の魔物にとって、シーラの濃縮された魔導香気は文字通りの劇物だったらしい。
空中で香りを吸い込んだワーウルフたちは、着地するなり全員が前足でお腹を押さえて床を転がり始めた。
「キュウゥゥン……(無理無理無理、お腹がギュルギュルする! 群れのボスに逆らえず付いてきただけなのに、こんなところで漏らしたら狼としての尊厳が死ぬ……!)」
「アオォォン……(実は俺、血を見るのが苦手でベジタリアンになりたかったんだ……お母さぁん……!)」
悶絶するワーウルフたちの情けない遠吠えから、また心の声が聞こえた気がした。やはりシーラの自白作用と、プータスの頭脳が合わさると、魔物の声が翻訳されるのか?
そして、彼らは尻尾を股の間に完全に巻き込みながら、内股の四足歩行という器用すぎるフォームで一目散に退散していった。
「……強靭な肉体を持つ魔物たちが、どいつもこいつも尊厳をズタズタにされて消えていきますね……もしかして、コレは不要でしたか……」
「え? コレ?」
エミリーは魔導書のページに挟まれた紙切れをサッと隠した。
「何それ。栞かなんか?」
「いえ、これは念のためというか、お父様に……あっ、えっと」
お父様? 国王と何の関係が? 気になるな、シーラも居るし、問い詰めれば吐くか。
だが、その疑問は一瞬にして消えた。
「と、止まってください、兄さん」
挙動不審だったエミリーが、突然凍りついたような声で俺の服の裾を引いた。
その顔は血の気が引き、全身が激しく震えている。
「どうしたんだ、エミリー。そんなに怯えて……」
「馬鹿な……っ! なぜ、こんな場所に……!」
大空洞の闇の奥から、圧倒的な質量を持つプレッシャーが押し寄せてきた。
それは先ほどのミノタウロスなど可愛らしい小動物に思えるほどの、異次元の魔力だった。
闇の中から浮かび上がったのは、巨大な翼を畳み、全身に宝石の如き硬質なエメラルドの鱗を纏った巨大な竜──。
「エ、エメラルドドラゴン……」




