③しがない庭師
「すげーな、シーラ。あれやっぱりお前がやったのか?」
シクラメンの球根は饅頭に似ていて豚が好んで食べるけど、人間が食べると激しい嘔吐や下痢、胃腸炎を引き起こす。大量に摂取すると麻痺やけいれん、命の危険につながることもあるんだよな。
「えへへ、なんだかよくわかりませんが、そうみたいです。主様からパワーを貰った気がして頑張りました」
主様……何度かそう呼ばれたけど良い響きだ。やっぱり俺が呼び出したから、そう思ってくれているのだろうか。
こんな健気な子と、これから毎日めくるめく楽しい時間を過ごせるっていうのか。
「だけど主様……なんだかわたし、ちょっと疲れちゃったみたいで……」
「え? おい、大丈夫かシーラ。なんだか顔色が悪いぞ」
「主様の手……とても暖かくて、気持ちよくて……この姿になれて、とっても嬉しかったです……」
おいおいおい、なんだか今生の別れみたいな台詞を吐くのは止めてくれ。
「シーラっ」
俺の嫌な予感は的中した。
シーラの体は淡い光に包まれ消えていき、俺の手には萎れたシクラメンの花びらだけが残った。
なぜだ、毒の散布で魔力を使わせたせいか? それともシクラメンの花に十分な栄養が与えられていなかったせい?
どちらにしても、もう一度だ。もう一度シーラを呼び出す。
「驚きましたね。本当に花を人に変えていたのですか?」
一部始終を見ていたエミリーが呟いた。
「しかも、高度な毒魔法を無詠唱で使用するなんて……」
エミリーは唇を噛んだ。なんだ? なんか悔しがっているのか?
「いつからなんですか? いつからそんな魔法を体得したんですか? なんで黙っていたんですか? お父様は知っているのですか?」
怒濤の質問攻め。怒らせると怖いのは知っているけど、なんか逆鱗に触れたか?
「いや、使えるようになったのはついさっきで、俺もまだよく分かってないんだよね。だから誰も知らない」
「ついさっき……」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔に、思わず吹き出しそうになった。
「……言わないほうがいい」
エミリーがボソリと呟く。
「え? なんて言った?」
「まだ、未確定のことが多すぎて不安ですね。誰にも言わない方が良いと思います」
「そうか、そうだな」
魔法を会得して、喜び勇んで自慢して回ろうかとも思っていたけど、沢山の花を美少女にしてハーレムを形成するなら黙っていた方が良いかもしれない。その方が、俺の魅力で美女を侍らせているって自慢できるし。
「それじゃあハナ兄さん、確認のため、もう一度その魔法を使ってみてもらえませんか?」
「おお、そうだな。俺もそう思っていたところだ。だが、その前にやりたいことがある」
俺は城の裏庭のさらに奥、鬱蒼と茂る木々の向こう側へと足早に歩き出した。
「ハナ兄さん? どこへ行くのですか?」
エミリーが慌てて後を追ってくる。
「ちょっと『元気な花』を分けてもらいにいくんだ」
俺は萎れたシクラメンの残骸を握りしめながら答えた。
シーラが消えてしまった理由は明白だ。ベースとなったシクラメンの栄養状態が悪すぎたんだ。魔力(体力)切れを起こすのも当然だろう。だから、次は最高の状態で手入れされた花で魔法を試す必要があると思った。
向かう先は、この城の庭を一人で管理している変わり者の老庭師ガンツだ。
前世の記憶がなかった頃、俺はメルキたちの虐めから逃れるため、よく庭の隅に隠れていた。泣きながら蟻の列にパン屑を運ぶ手伝い(現実逃避)をしていた俺に、「おやおや八男坊、働き者の軍隊を指揮しておられますな」と気さくに声をかけてくれたのがガンツだった。
当時の俺は「暇なおじさんだな」くらいにしか思っていなかったが、彼は土いじりをこよなく愛し、空いた時間で立派なシクラメンも栽培していたはずだ。彼なら、元気な鉢植えを分けてくれるだろう。
木立を抜けると、粗末な小屋の横で、泥に塗れたよれよれの作業着を纏うガンツが土を弄っていた。
無精髭を蓄え、腰に使い込まれた剪定鋏を下げている。深く刻まれた皺の奥にある双眸は、ただの労働者とは思えない鋭い光を放っている。
「おじさん、お邪魔しますよ」
俺が声をかけると、ガンツはゆっくりと立ち上がった。
「……彼が、なぜ」
背後で、エミリーが微かに息を呑む音がした。
「ハナ兄さん、この方はしがない庭師を装っていますが……かつて『土の賢者』と噂され、お父様ですら一目置いている存在です」
エミリーがボソッと耳打ちしてくる。
土の賢者? 親父が認めた?
知ったことか。俺に必要なのは伝説の魔法使いではなく、極上の花だ。
「おやおや八男坊。こんなむさ苦しい場所にどうなさいました? また蟻の軍隊の視察で?」
「いや、実はおじさんが育ててるシクラメンを一つ分けてほしくて。それと、最高品質の腐葉土もあればいいなって」
俺がそう言うと、ガンツは少し驚いたように目を丸くし、それから足元の麻袋を指差した。
「花なら小屋の裏にありますが……腐葉土なら、ちょうど手元に。八男坊が土の手入れをなさるとは珍しい」
俺は即座に袋へ手を突っ込み、一掴みの土を掌で揉み込む。匂いを嗅ぎ、指先で水はけを確認した。
「……あんまり良い腐葉土じゃないね」
土を払い落とし、俺は冷酷に言い放った。
「通気性が最悪だ。これでは根が呼吸できない。シクラメンを育てるなら、水はけを重視して軽石も混ぜるべきだ。こんな劣悪な土壌で育てるから、花が魔力切れを起こすんだろう」
前世の記憶が俺の口を勝手に動かす。なんて無駄な知識だ。
だけど、そのダメ出しに、ガンツの太い眉がピクリと跳ねた。
ガンツはゆっくりと腕を組み、俺を真っ直ぐに見据えた。
「ほう……。八男坊は、土の呼吸が見えておられるか。ただ水を与えれば良いと考える愚者が多い中、見事な慧眼」
威厳ある声が、庭園に響く。
「花を慈しむとは、すなわち命を育む褥を極上に整えること。表面の固い部分を優しく剥ぎ取り、奥深くまで指を入れて解してやらねば、極上の潤いは決して奥まで届きませぬゆえ」
(……っ!)
俺は全身に雷を打たれたような衝撃を受けた。
命を育む褥。表面の固い部分(警戒心)を優しく剥ぎ取り、奥深くまで指を入れて解す。そうしなければ、極上の潤い(愛液)は届かない……?
なんという高度な隠語。
この爺さん、蟻と遊んでくれるだけの暇な庭師じゃない。長年の経験で培った、女の扱いを知り尽くした真の『エロの達人』だったのか?
「おじさん……いや、師匠! 分かってますね。焦らず前戯からじっくり攻めるのが、極上の時間を味わう秘訣ってことですね!」
俺は興奮のあまり、ガンツの分厚い手を両手で固く握りしめた。
「いかにも。八男坊のその深き探求心、この老いぼれガンツ、久々に魂が震えましたぞ。そなたの求める最高の褥、我が手足をもって設えてご覧に入れましょう」
俺たちは手を握り合い、熱い視線を交わした。
威厳ある言葉の端々に滲み出る、圧倒的なスケベのオーラ。とんでもない師匠を見つけてしまった。これで俺のハーレム計画は盤石だ。
ふと視線を感じて振り返ると、エミリーがかつてないほど蒼白な顔をしてこちらを凝視していた。
ガタガタと震える手で魔導書を強く抱きしめ、絶望と恐怖の入り混じった瞳を向けている。
(なるほど。白昼堂々、エロジジイとスケベ王子が『女の濡らし方』について熱く語り合っているのだ。年頃の妹からすれば、汚物を見るような目を向けたくなるのも当然だろう)
俺はそう納得し、妹の冷たい視線をスルーすることに決めた。




